メディカルエッセイ

78 臓器移植法改正で闇の臓器売買は減少するか 2009/7/21

2009年7月13日、 「脳死=人の死」とすることを前提に、臓器提供の年齢制限を撤廃する改正臓器移植法(A案)が参院本会議で賛成多数で可決され成立しました。

 改正法は公布から1年後に施行されることになりますから、直ちに多くの「脳死=人の死」からの臓器が提供されるわけではありませんが、これで日本も国内での臓器移植が増えることが予想されます。

 今回の法改正の最大のポイントは「脳死=人の死」としていることと言えるでしょう。

 現行の臓器移植法では、<臓器を提供する場合に限って>脳死を人の死としています。それに対して、改正法では、脳死と判定されれば、それは少なくとも法律の上では「人の死」となるわけです。

 もちろん、残された遺族に対して、「あなたの息子さんは脳死と判定されましたので、すでに死亡しています。死亡されたんだから臓器をわけてくれてもいいじゃないですか」、などと医者が言うわけではありません。

 「脳死=人の死」というのは単に法律上の解釈にすぎないわけで、本質的な意味では脳死が人の死かどうかなどといった問題は誰にも分かりません。(その逆に、生命はいつ誕生するのか、つまり、生命誕生は受精時なのか、着床時なのか、死産届けが必要な妊娠12週以降なのか、あるいは母体から取り出されたときなのか、といった問題も誰も本質的な意味では答えられません)

 臓器移植に関して言えば、いくら法律上で「脳死=人の死」と言われても、自分の脳死後、あるいは自分の子供が脳死となったときに、臓器を提供しなければならないという義務はありません。生前に臓器提供を拒否していれば臓器が移植に使われることはありませんし、意思表示がはっきりしていない場合でも、遺族が臓器提供に同意しなければ移植されることはないのです。

 一方で、是非とも自分の臓器を使ってほしいという人もいるでしょうし、自分の子供が脳死になれば、子供が反対しなければ、あるいは子供に判断能力がなければ、自分の子供の臓器を必要な人に提供したいと考える親もいるでしょう。

 そのような臓器提供に積極的な考えをもつ人がいて、なおかつその臓器を必要としている人がいるなら、法律が妨げになるべきではない、と言えます。日本の法律が臓器移植を事実上妨げているから、海外に臓器を求める人がいるのは事実です。

 現行の法律では国内での移植手術が大変困難であるのが現実で、このような状況に目をつけて登場してきたのが臓器売買ビジネスです。臓器ブローカーが移植を必要としている患者さん、もしくは患者さんの家族を探し、同時に、海外(特にフィリピンと中国が多いと言われています)で臓器を提供したがっている遺族(臓器提供の見返りに報酬を受け取ることができると言われています)、そして、移植手術を貴重な収入源にしている病院をみつけ、それらをつなぎあわせるというわけです。

 こういった臓器移植は実際のところはどれほどの数になるのかははっきりと分かりません。合法なのか非合法なのかさえも曖昧なルートもあるようです。それに、臓器の提供者が本当に脳死だったのかどうか、つまり、本当は脳死の基準を満たしていないのに臓器を必要としている人のために(あるいは自分らの金儲けのために)脳死にされた人がいるのではないか、そのような噂は後を絶ちません。

 映画『闇の子供たち』では、日本人の心臓疾患のある子供(レシピエント)に心臓を提供した(させられた)のは、生きたタイ人の少女でした。もちろん、これはフィクションですし、実際にこのようなことはあり得ませんが、例えば、交通事故で意識不明、植物状態は免れないが脳死の基準を満たしていない・・・、このようなケースで脳死と判定されてしまうことは本当にないと言いきれるでしょうか。(これは私の憶測ではありますが)フィリピンや中国といった交通事故の多い国で、臓器をほしがる日本人、金儲けをしたいブローカーと悪徳病院、植物状態で寝たきりになる事故の被害者の家族、とそろったときに、脳死の判定基準は緩やかになってしまわないのか・・・、と思えてなりません。

 さて、日本の臓器移植法が改定されれば、日本人は日本人に臓器供給を、という流れになるのは間違いないでしょう。すでに世界各国から、日本人は(高い円で)外国人の臓器を買っている、と非難されてきました。これまでは、「法律が障壁となって自国で臓器が手に入らないから・・・」という言い訳ができましたが、法改正後は、この言い訳が通用しませんから、たとえ日本国内で臓器を提供してくれるドナーが見つかりにくかったとしても、これまでのように海外にドナーを求めて、というわけにはいかなくなるでしょう。

 ここでひとつ疑問を呈したいと思います。

 法改正で「脳死=人の死」となり、臓器提供のハードルが下がったときに、脳死の判定が、『闇の子供たち』のような極端な事態にはならないとしても、日本でも緩くなってしまわないか、という疑問です。

 もちろん脳死の判定には、いくつもの具体的な条件があり、複数の医師が判定に加わることになっています。悪い噂の耐えない国とは異なり、日本ではきっちりと判定がおこなわれるにきまっているじゃないか・・・、そう思う人がほとんどでしょうし、私自身もそのように思いたいのですが、私がどうしてもこの疑問をぬぐえない原因となっている事件が少なくとも2つあります。

 1つは「和田心臓移植事件」です。1968年8月8日、和田寿郎医師を主宰とする札幌医科大学胸部外科チームは、日本初となる世界で30例目の心臓移植手術を成功させました。しかし、後に”事件”と呼ばれるようになったことからも分かるように、この移植手術にはいくつもの疑問が残されています。詳細は割愛しますが、私が最も問題と感じている疑問は、脳死の判定基準が本当に守られたのか、という点です。実際、脳死判定にはかかせないはずの脳波が測定されていなかったことが後に判明しています。

 もうひとつは、最近奈良で発覚した「山本病院診療報酬不正受給事件」です。奈良県郡山市の山本病院が、生活保護受給者の診療報酬を不正受給していたことが2009年6月に発覚しました。この病院では、手術をする必要のない患者さん(主に生活保護受給者)に心臓カテーテル手術を施行し(手術を受ける必要のない生活保護受給者に「手術をしないと死ぬよ」と医師が話していた、という報道もあります)、さらに、実際には手術をしていないのに、手術をしたように虚偽のカルテを作成していたことが関係者の証言で明らかにされました。(この事件は我々医療従事者にとっても大変ショッキングなものでした。いずれこの事件については詳しく取り上げたいと思います)

 たしかに、心臓カテーテル手術と移植手術はまったく異なるものですし、移植手術の場合は、レシピエントだけでなくドナーが必要となります。しかし、ドナーについては、山本病院のように生活保護受給者にターゲットを絞ったとしたら・・・、そもそも生活保護受給者は身寄りのない人が多いわけで、そのような人が脳死には至らないものの植物状態になったとしたら・・・、そして臓器が必要な人がいたとして(実際いくらでもいます)、さらにそれらをつなぐブローカーが現れたとしたら・・・。

 現在のシステムでは、臓器移植を希望する人は日本臓器移植ネットワークに登録することになっています。そして脳死の判定は厳格にされていますし、臓器移植手術をおこなうことができる病院は厳しい基準で選別されています。ですから、日本国内で闇の臓器売買などは起こるはずがないのですが・・・。

 私の危惧が杞憂であることを祈ります・・・。

参考:
NPO法人GINAウェブサイト「GINAと共に」第27回(2008年9月)「幼児売春と臓器移植」
メディカルエッセィ第45回(2006年10月)「臓器売買の医師の責任(前半)」
メディカルエッセィ第46回(2006年11月)「臓器売買の医師の責任(後半)」