メディカルエッセイ

18 6月20日は何の日か知ってますか? 2005/7/6

「○○の日」というのをちょこちょこ目にします。例えば、6月4日は、ム(6)シ(4)だから「虫歯の日」、11月12日は、イイヒフだから「皮膚の日」、2月22日は、ニャンニャンニャンで「猫の日」なんていうものもあります。

 では、6月20日な何の日がご存知でしょうか。この日は、日本で決められた日ではないため、「虫歯の日」や「皮膚の日」のように数字の語呂合わせからできてはいません。

 正解は、「世界難民の日」です。「世界難民の日」は、2000年の12月に国連総会で制定され、2001年6月20日に第1回が実施、今年は第5回目ということになります。これを記念して、日本全国各地でも様々なイベントが開かれています。

 ところで、この「世界難民の日」をご存知の方はどれくらいおられるでしょうか。今年の6月20日は月曜日で、私はその日の新聞やテレビに注目していたのですが、私の知る限り、このことを取り上げたマスコミはゼロでした。「猫の日」や「虫歯の日」であれば、関連したイベントがマスコミに取り上げられるのに、です。

 「世界難民の日」がマスコミで報道されないのは、それだけ日本国民の難民に対する関心が低いからでしょう。誰も興味を示さないからマスコミも取り上げないということだと思います。私は、報道しないマスコミを批判しようとは思いません。けれども、年に一度でもいいから、日本では考えられないような劣悪な環境で生活せざるを得ない人々、特に子供たちがいることを、何らかのかたちで考える機会があってもいいのではないかと思います。

 私は以前別の場所で、「寄付をするならユニセフやUNHCRなどしっかりとした団体に寄付をしましょう」という旨を主張しました。街頭で募金活動をしている団体のなかには、相当うさんくさいものもあり、寄付金が正当に使われているかどうか、はなはだ疑わしいと思うからです。

 最近、残念なことに、私のこの考えを裏付けるような事件が報道されました。

 大阪の34歳の男性と60歳の男性が、職業安定法違反(虚偽広告)容疑で逮捕されたという事件です。

 新聞(産経新聞2005年5月31日)によりますと、容疑者は、NPOを名乗って大阪市内の繁華街でアルバイトを雇って街頭募金をする際、「ケーキ製造」などと虚偽の求人広告を出していたというものです。二人は昨年十月から十一月に発行された求人雑誌で計六回にわたって、大阪市内の喫茶店名義でアルバイトの求人広告を掲載し、実際は街頭募金のスタッフとして雇うつもりだったのに、ケーキの製造や試食、清掃業務など虚偽の名目で募集した疑いが持たれているとのことです。

 容疑者らは、当日、集合場所に来た十代後半から二十歳代前半の若者らに、「ケーキ製造などのアルバイトはすでに募集が終了した。募金活動だけが残っている」と嘘をつき、募金箱やそろいのジャンパーなどを貸して、そのまま街頭募金をさせていたといいます。

 募金場所は大阪のキタやミナミの繁華街で、一度に数十人を雇用し、「NPO緊急支援グループ」という団体名で難病の子供たちへの支援を呼びかけさせ、終了後、集まった募金と引き換えに時給千円のアルバイト代を支給していたとのことです。募金は多い日で一日に百万円近くあり、これまで数千万円以上を集めたそうです。
 彼らは、実際に50万円を、あるNPO法人に寄付し、あたかも慈善活動をしているように見せかけるという巧妙な手口を使い、残りの金額は使途不明になっているそうです。

 容疑者のひとりは、株式投資やソフトウエアの開発、昆虫育成などの事業失敗で多額の借金を抱えていたそうですが、日頃から贅沢な暮らしをしており、周囲からは不振がられていたという報道もあります。

 これほど許しがたい事件もないと思いますし、この団体に寄付をされた人達は抑えがたい憤りを感じられていることだと思います。

 さて、「よく分からない街頭募金に協力するのではなく、ユニセフやUNHCRなど世界規模のしっかりとした機関に寄付をすべき」、というのが私の考えですが、それで問題がまったくないかというと、残念ながらそういうわけでもありません。その理由を述べていきましょう。

 まず、その寄付金が、災害などで実際に困っている末端の人々のところにまで届いているかどうか疑問が残ります。例えば、スマトラ沖津波の被害者が多いインドネシアでは、津波から半年が経った最近になってようやく被災者にいくぶんかのお金が支給されたそうです。しかもとうてい生活できないようなわずかな金額だそうです。

 これを報道した「クローズアップ現代(2005年6月27日放送)」によると、ユニセフなどの機関が寄付したインドネシアの行政機関で、不正に横領された可能性が強いそうです。

 また、タイのピピ島では、タイ政府が多額の資金を投じて島を再建しようとしているのですが、それは次回津波が起こったときに被害を少なくするようなインフラの整備に重点が置かれ、海岸線に沿って建築物の構築がすすめられているそうです。ところが、海岸線には大勢の住民の住居や商店が存在し、政府の計画がすすめられると、立ち退かざるを得ません。そういった住民たちは、津波で家や店をつぶされ、必死の思いで建て直したのにもかかわらず、政府の勝手な方針によって再度撤退を余儀なくされるというわけなのです。これでは、結果的には我々の寄付金が、結果的に被災者を苦しめるという皮肉なことになってしまいます。

 大きな機関からの寄付金とはまったく正反対の観点からみてみましょう。

 タイのプーケットは、津波で大きな打撃を受けたのにもかかわらず、現在急速なピッチで復興が実現しています。これはひとつには、タクシン政権がピピ島よりも、プーケットの観光事業再建に力を入れ、巨額の資金を投入していることもありますが、実際には、外国人が、店を建て直したり、ビーチをきれいにしたりと、ボランティアとして活動していることが大きな理由のようです。彼らはもちろんボランティアとして無償で復興を手伝っているのです。

 何ヶ月もに渡り、プーケットに留まり、無償で復興を手伝っている彼ら彼女らのバイタリティはどこからくるのでしょうか。そういえば、私が昨年1ヶ月間、ボランティア医師として滞在した、タイのロッブリーのパバナプ寺でも、西洋人のボランティアは短くても半年、長ければ数年の単位でボランティアに来ていました。短ければ数日、長くても一ヶ月から二ヶ月間しか滞在しない日本人のボランティアとは大きな違いです。
 私のある知人が言っていたのは、「西洋人は文化として寄付やボランティアの習慣がある」、ということです。

 私は、これは日本人もそのまま見習うべきだと考えています。長期間ボランティアをしている西洋人は、必ずしも裕福な人たちばかりではありません。にもかかわらずボランティアに従事するのは、それが「文化としての習慣」になっているからでしょう。

 最近、「子供が小さいうちから家族で海外旅行をしたい」、と考える家庭が増えているそうです。子供の頃から、日本よりも発展途上の国に行き、現地の人々の生活を見学したり、あるいは、そういった地域にボランティアに来ている外国人と交わり、仕事を手伝ったりすることは素晴らしい体験になるのではないでしょうか。

 今から何年かがたったとき、6月20日は何の日かを知らない大人たちに、若い世代がそれを教えて、世代間で難民について考える、そんな時代がきてほしいものだと思います。