メディカルエッセイ
第163回(2016年8月) 医師の飲酒は許されるのか
酔っ払った医師に診てもらいたいと思う人はいませんし、そもそも倫理的に許されるはずがありません。しかし、正直に告白すると、私は飲酒している状態で患者さんの診察をしたことがあります。
今、「正直に告白すると」という言葉を使いましたが、じつはこのサイトですでに公表しています(注1)。200X年のある日、東南アジアのある国への渡航時、2本目のビールをたしなみうたた寝をしているときに機内アナウンスが流れました。一度は聞こえないフリをし、「診察が上手くいかず飲酒していたことが発覚したら・・・」という気持ちが立ち上がることを抑制しました。しかし、気づけば2回目のアナウンスが終わるまでに身体が自然に立ち上がっていました。
幸い、そのときは事なきを得ましたが、それ以来、機内で飲酒することへの罪悪感が拭えなくなりました。と言っても結局2回に1回くらいはビールを注文してしまうのですが・・・。しかし、機内では美味しさを感じられなくなりましたし、量も、缶ビール1杯も飲めなくなってしまいました・・・。
最近、対馬在住の医師が犯した事件が報道され物議を醸しました。
2016年7月9日午前2時10分ごろ、対馬市の国道382号線で飲酒運転の医師(59歳男性)が現行犯逮捕されました。この日、長崎県警津島南署は飲酒検問をおこなっており、医師はその検問を振り切って逃げ、パトカーで追いかけられ逮捕に至ったそうです。
この医師が勤務する病院によれば、この医師が担当する患者が危篤状態となり病院から呼び出しがあり、この患者はその後死亡。逮捕されたのは島で唯一のがんの放射線治療ができる医師(放射線科医)だったそうです。
医師が投稿する掲示板などをみると、医師に同情する意見と非難する意見の双方が寄せられています。同情する意見で多いのは、対馬で深夜にタクシーを呼ぶのは現実的でなく、マスコミの取材でタクシー会社はその時間にも営業していたことが分かったそうですが、すぐに来るのか、という問題もありますし、そもそもこの医師は自分で運転しなければ間に合わないと判断したのでしょう。(実際、患者はその後死亡しています)
また、人の命が関わっている緊急性を要する事象なのだから、「警察は飲酒運転を見逃すべきであった」、とか、極端な意見になると、「警察がパトカーで病院まで医師を送迎すべき」とするものもありました。
一方、医師を非難する人たちは、この医師が検問を振り切って突破したことを問題とし、それで交通事故が起こればどうするんだ、と糾弾しようとしています。これはもっともな理由であり、もしも飲酒運転の医師にはねられれば、飲酒運転の理由がどのようなものであれ、「はい、そうですか」、と納得することはできません。
私が医師の意見を読んでいて不思議に思うのは、タクシーか自家用車か、ではなく、「飲酒した状態で診察・治療することを問題とした声がなぜ出てこないのか」、ということです。医師が飲酒して診察などもってのほかだ!、といった正論を言いたいわけではありません。特定の治療がおこなえる医師が対馬にひとりしかいないのであれば、これからこの医師の後を継ぐ新しい医師もまた同じ問題に直面することになります。
これはとても重要な問題だと私は以前から思っているのですが、なぜか一般のメディアも、当事者の医師もあまり問題として認識していません。日本が医師不足なのは今さら言うまでもないことです。また、多数の島を有する日本では、その島に医師がひとりだけ、ということは珍しくありませんし、離島でなくても、医師がひとりだけという山間部の過疎地域もたくさんあります。
では、そのような地域で働く場合、あるいは対馬のように少し大きな島でも、今回の事件のように他に替わる医師がいない場合、医師は飲酒してはいけないのでしょうか。あるいは、運転はともかく飲酒した上での診療については大目に見るべきなのでしょうか。
沖縄にかつて日本軍も駐屯していた南大東島という離島があります。人口1,500人ほどのこの島には医師はひとりしかいません。今年(2016年)の3月まで、私の後輩となる大阪市立大学出身の太田龍一医師が3年間ひとりでこの島の医療を担っていました(注2)。ちょうど、3年間の勤務を終え、次の勤務地(島根県だそうです)へ赴任する前に大阪に寄るとのことだったため、私は彼を食事に誘いました。
南大東島で医師ひとりでおこなう医療の話は興味深いものばかりだったのですが、私は以前から気になっていた飲酒について尋ねてみました。なんと、太田先生は3年の間一滴もお酒を飲まなかったというのです。日ごろから飲酒しない人には想像しにくいかもしれませんが、太田医師は島に赴任する前は飲酒していたそうです。実際、そのときの食事で太田先生は3年ぶりのお酒を美味しそうに飲んでいました・・・。私自身も、お酒がなければ生きていけない、というほどではありませんが、3年間一滴も飲まないということに耐えられるかどうか・・・。
私の予想どおり、太田医師は島での祭りや運動会などにも積極的に参加していたそうです。当然こういったイベントの後にはお酒がつきものです。通常の夕食時にはお酒がなくても平気であっても、ハレの日くらいは飲みたくなるものです。(私がそうです・・・)
太田医師は医学部の頃から離島を含むへき地医療に関心があり、南大東島での勤務が決まった時点で、3年間一滴も飲まないことを決意したそうです。
しかし、日本の医療全体を見据えたとき、これでいいのでしょうか。飲酒しない人からすれば、「当然じゃないか。そもそも医師は夜間に呼び出されることもある職業なんだから、医学部を卒業した時点で、飲酒禁止にすればいいだけだろ。イスラム教徒を見習え!」と感じるかもしれません。たしかに、この意見は筋が通っています。最近は医学部の人気が上昇しているそうですから、医学部を目指す飲酒嫌いの人がいれば、こういう規則ができれば喜ぶかもしれません。
飲酒して「いい立場の医師」と「してはいけない医師」をはっきりと線引きするというのもひとつの方法かもしれません。対馬の例でいえば、放射線科医の勤務枠はひとつだけであり、「対馬を希望する放射線科医は飲酒不可」と決めておくのです。ただし、こんなルールがあれば応募する医師がいなくなる可能性もあります。では、逆に放射線科医を2名雇い、夜間に呼び出される日を二日に一度にする、という方法はどうでしょう。大きな島ならできるでしょうが、おそらく対馬の規模であれば人件費がでないでしょう。また、南大東島、あるいはもっと小さな島に医師二人は無理です。
では、やはり医師の大部分は飲酒禁止とすべきなのでしょうか。もしも国民投票がおこなわれればあっさりとそう決まってしまうかもしれません。以前、厚労省保険局医療課長が、「患者さんに24時間対応する役割を果たすのが本来のかかりつけ医」と発言していますし(注3)、医師の間では有名な秋田県のK村では住民の厳しい要求に耐えられずほとんどの医師が数か月で辞めていくそうです(注4)。
私の場合、太融寺町谷口医院をスタートさせたときは24時間電話を取っていましたが、緊急性のまったくない電話が鳴りやまず、1年もたたないうちに電話を取ることを中止しました。そして今は、夜間や休日には電話にでず、自宅や外で飲酒することもありますし、美味しく飲めなくなってしまったとはいえ国際線に搭乗するときに飲酒することもあります。
医師はどのようなときに飲酒してはいけないのか。対馬で勤務する放射線科医や離島で働く医師は絶対に飲んではいけないのか。地域医療に従事する夜間にも往診することのある医師はどうなのか。一度きちんと議論して、規則をつくるべきではないでしょうか。
実は今、タイから帰国するところでこの原稿を機内で書いています。隣の席の大柄な白人男性はすでに2本目のハイネケンを開けています。私は今、目の前のオレンジジュースをビールに替えてもらうかどうか悩んでいるところです・・・。
注1:下記コラムで述べています。
はやりの病気第122回(2013年10月)「飛行機の中の病気」
注2:太田龍一医師の活躍については、毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」を参照ください。
http://mainichi.jp/premier/health/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E9%BE%8D%E4%B8%80/
注3:下記を参照ください。
マンスリーレポート2014年4月号「医療費を安くする方法~後編~」
注4:下記を参照ください。
メディカルエッセイ第132回(2014年1月)「医師の労働時間の実態」
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