メディカルエッセイ

第147回(2015年4月) 無謀な手術をする医師たち

  このところ、無謀な手術をおこない複数の患者を死亡させた、という報道が目立ちます。群馬大学医学部附属病院第二外科で起こった事件がマスコミで報道され、一部の週刊誌はこの外科医の名前と写真を公開しました。

 すると、2014年夏頃に報道されていた「千葉県がんセンター腹腔鏡手術死亡問題」が再び取り上げられるようになり、不安を煽るのが好きなマスコミは、どこの病院が危ない、とか、危ない医師の見分け方、のような特集をくみ出しました。

 手術は100%成功するものではありません。そのため手術をした患者さんが亡くなったからといって、それだけではその執刀医に過失があったとは断定できません。名医には難易度の高い症例が集まってきますから、名医であればあるほど手術が成功しない可能性があるとも言うことができます。ですから、我々医師からすれば「手術で死亡した例が多い」と聞いただけでは、その医師の過失があるのかどうかを判断することはできません。

 ただし、これら2つの事件については、マスコミの詳細にわたる報道や医師の掲示板での情報から判断して、医師に過失があったのは間違いなく、さらに過失だけではなく、医師としての「適正」がなかった、もっと言えば「人格」に問題があったのではないかと思わずにはいられません。

 今回は、なぜこのような医師が存在するのか、こういった事態を防ぐにはどうすればいいのか、ということを考えていきたいと思います。まずは2つの事件を簡単に振り返りたいと思いますが、腹腔鏡事件の医療事故といえば、これら2つよりも先におこった有名な事件がありますので、まずはそちらを紹介しておきましょう。尚、これら3つの事件はいずれも「腹腔鏡」を用いた手術です。腹腔鏡を用いた手術は従来の開腹手術に比べて、術後の傷跡が小さくて済むという利点はありますが、手術が困難になるという欠点があります。

 2002年11月、東京慈恵会医科大学附属青戸病院の医師3人が、前立腺ガンに対する腹腔鏡下手術をおこないました。腹腔鏡を用いた止血がうまくいかず大量出血をおこし、結果として当患者は死亡しました。

 この事件で驚かされるのは、なんと執刀した医師の3人全員が腹腔鏡下での執刀経験がなかったということです。1人は助手として2回は立ち会った経験があったものの(2回だけです!)、あとの2人は、なんと見学すらしたことがなかったということが判明しました。この事件は刑事事件となり3人とも有罪が確定しました。

 次に「千葉県がんセンター腹腔鏡手術死亡問題」を振り返りたいと思います。元々この事件が発覚したのは同センターに勤務するひとりの麻酔科医の内部告発がきっかけでした。麻酔科医であれば執刀医の未熟さがわかりますから、無謀な手術であることに気付き良心の呵責に耐えられなくなり、自身の地位が失われることを覚悟して内部告発に踏み切ったのでしょう。

 しかし厚生労働省に内部告発したのにもかかわらず同省は何もしなかったそうです。それが2014年に入ってからマスコミが取り上げるようになり、次第に世論に知られるようになってきました。そして後に述べる群馬大学の事件が大きく報道された後に、再度改めてマスコミで取り上げられ出しました。
 
 千葉県がんセンターでは、2008年から2014年の間に、腹腔鏡を用いた肝臓や膵臓の手術を受けた患者11人が死亡しています。その11名のうち7名は同じ執刀医が手術をおこなったそうです。この事件を検証するために千葉県は「第三者検証委員会」を設立しました。委員会の調査の結果、11例のうち10例で、対応に問題があったとする最終報告書を千葉県に提出しています。

 群馬大学病院の事件も簡単にみておきましょう。2010年から2014年の間、腹腔鏡を用いた肝臓切除術を受けた患者8人が相次いで死亡しました。いずれも同じ医師が執刀しており、同大学病院の最終調査報告書では、8症例全例で医師の過失があったことを認めています。さらに、この医師が執刀した開腹手術でも合計10人の患者が術後に死亡していたことが判ったそうです。

 一般の人がこのような事件を聞くと、「とんでもない医者もいるんだな。自分や自分の身内が必要なときはどこに相談すればいいんだろう」、というふうに感じると思います。つまり、医師のなかには「マッド・サイエンスト」のような者がいて、そのような医師に”殺される”ことがあってはならない・・・、とこのように考えるのではないでしょうか。

 私自身はそれだけでは腑に落ちません。無謀な手術をする医師で分からないことが私には3つあります。1つめは、自分が診た患者さんを亡くすことほど辛いことはないわけですが、彼らはこの辛さを感じなかったのか、ということです。担当していた患者さんが亡くなると、それは自分の過失がなかったとしてもですが、これは相当辛いものなのです。実際、私が診察し不本意な死を遂げた患者さんのことは一生忘れることはありません。そのような患者さんは今も私の脳裏に突然よぎることがあります(注1)。

 自分の手術が未熟かどうかは他人から指摘されなくてもわかるはずです。よしんばそれがわからないとしても、自分が担当する症例が他の医師よりも死亡例が多いのは自明なわけですから、そこで問題がないのかを省みることはするはずです。無謀な手術を続ける医師はなぜそこで踏みとどまらなかったのでしょう。自分のせいで新たな”犠牲者”がでることに良心の呵責を感じなかったのでしょうか。

 分からないことの2つめは、周囲はいったい何をしていたのか、ということです。千葉県がんセンターの麻酔科医は内部告発に踏み切りましたが、麻酔科医の立場からすると、どの外科医が手術が上手くてどの外科医が未熟かということが簡単に分かります。私が麻酔科で研修を受けているとき、麻酔科の指導医の先生は私に、「今日の執刀医は経験の少ない医師だから時間がかかるだろうし、途中から指導医に執刀が替わる可能性もあるから時間を長めにみておいた方がいい」といったことを話されていました。

 もしも無謀な手術で患者さんが死に至ることがあれば、麻酔科医には法的な責任はないにしても、道義的な責任というか、何らかの良心の呵責を感じるはずです。そして、無謀な手術かどうか、医師に技術があるかどうかを判別できるのは麻酔科医だけではありません。手術の介助をする看護師にも分かるはずですし、事件が発覚した3つの病院はいずれも研修医を養成する医療機関ですから研修医も見学していたはずです。研修医レベルでも同じ執刀医の症例が相次いで亡くなればおかしいことに気付くはずです。

 ここで私が言いたいのは、なぜ周囲は黙っていたのか、ということだけではありません。無謀な手術をおこなう医師たちは、自分の技術が未熟であることに周囲が気付いていたことを知っていたはずです。

 分からないことの3つめはこの点です。私自身はどちらかというとプライドは高くない方だと思っています。少なくとも医師の平均よりはかなり低いと感じています。そのプライドが(医師にしては)高くない私でさえ、このような状況には耐えられません。つまり、周囲から未熟だと思われているのに無謀な手術に手を出して結果的に患者さんを死に至らしめるということに耐えられないのです。私はどちらかというと他人が自分のことをどのように感じていても噂をされても気にならない方ですが、「あいつはできもしない手術をやって患者さんを殺している」などと噂されれば精神が破綻してしまいます。

 無謀な手術をおこなう医師に対する3つの疑問点を述べてみました。①患者さんが亡くなるのをみて良心の呵責を感じなかったのか、②周囲は道義的な責任を感じなかったのか、そして、③周囲から未熟で無謀と思われることにプライドが傷つかなかったのか、ということです。

 ①については、例えば731部隊の人体実験(注2)やタスキギー梅毒人体実験(注3)からも分かるように「マッド・サイエンティスト」が特殊な状況のなかで誕生することを歴史が物語っていますから理解できなくはありません。②については内部告発に踏み切れば辞職に追いやられる可能性があるわけで、まったく理解できなくはありません。

 しかし③だけは今の私にはどうしても理解できません。医師あるいは医学部の学生が(良くも悪くも)相当プライドが高い人たちであることを私は医学部入学後に何度も目のあたりにしてきました。例えば、見学や研修で自分より年の若い看護師に注意されただけで長期間不満を言い続ける男女を何人も見てきました。このようなつまらない不満を言わない医師たちも、手術が下手、などと陰で言われることには耐えられないはずです。

 もしかすると、「医師はプライドが高い」という私の認識は誤りで、本当は、「一部の医師は他人からどのように思われるかにまったく関心がない」が正解なのでしょうか。だとすると、医学部入学時点でこのような性質を見抜かなくてはならないことになります。

注1:1つの例をコラムに書いたことがあります。
メディカルエッセイ第13回(2005年4月)「病苦から自ら命を絶った男」

注2:731部隊の人体実験については、実際に関与していた元日本軍兵士の証言があることや、その中心的人物であった石井四郎が生前に残したノートも見つかっていることなどから、今も「なかった」とする意見があるものの、「存在した」とする意見の方が優勢です。

注3:1932年から40年間にわたり、約600人の黒人が梅毒に人為的に感染させられどのような経過をとるかが調べられた実験。米国政府は正式に認め、1997年に当時の大統領クリントンが謝罪しました。