メディカルエッセイ

第106回(2011年11月) 「開業医は儲かる」のカラクリ

 開業医の月収は231万円!

 これは厚生労働省が2年に一度おこなっている実態調査の結果で2011年11月2日に発表された数字です。その調査によると、今年(2011年)6月の月収は2年前と比べて開業医で9.9%、民間病院の勤務医で4.9%増えたとなっています。この厚労省の発表を受けて各マスコミが一斉に報道しました。ほとんどの報道は「開業医は儲け過ぎではないか」というニュアンスを含んでいます。

 そして、厚労省の発表と同時に、与党民主党は医療機関に支払われる診療報酬について、2012年度改定で引き下げることを視野に検討に入ったことを発表しました。その理由として、「賃金の低迷が続きデフレ脱却のめども立たないため医療機関の収入増を図ることに国民の理解を得るのは難しい」とし、また、「東日本大震災からの復興に巨額の費用が見込まれ医療費の一部を負担する国の財政が逼迫している」という理由も付け加えています。

 これは、このまま聞くと、「医者、特に開業医は儲けすぎじゃないか。不景気だから国の政策で診療報酬を引き下げるのは当然のことだ。儲かっている医者の収入を減らしても誰も困らない。めでたしめでたし……」と感じられます。

 しかし、「医師が儲けすぎ」という数字を出したのと同時に診療報酬引き下げの方針を民主党が発表したのには理由があるのです。

 厚労省と民主党の発表がおこなわれる約1ヵ月半前の(2011年)9月20日、小宮山洋子厚生労働相は、記者会見で「今の財源の状況で大幅というのは無理だが、少しでも上乗せしたい」と述べ、診療報酬の引き上げを目指す考えを示しました。また、野田佳彦首相は、首相になる前の8月の党代表選で、社会保障政策を問われた際に「基本的にはマイナスはない」と発言しています。

 野田首相と小宮山大臣が、「診療報酬のマイナスはなく引き上げを検討したい」と意思表明していたところを、「引き上げはやめにして引き下げますよ」とするには無理があると判断した与党政治家及び官僚が、マスコミを利用し、まず「医師(特に開業医)が儲けすぎである」との世論誘導をおこない、そこで「儲けすぎた医師の給料を減らすことに問題はないでしょ。だから診療報酬を引き下げてもいいですよね」と世論に訴えかけたというわけです。

 ここで私の考えを述べておくと、診療報酬引き下げについては本筋では止むを得ないと考えています。誰もが感じているように、これだけ景気が悪化し、東日本大震災の復興にお金がかかるのも事実です。今の日本は誰もが力を合わせて助け合っていかなければならないということに誰も異存はないでしょう。

 問題は、「開業医の月収が231万円」などという情報(”デマ”といってもいいと思います)を堂々と発表して、あたかも開業医が本当にそんなお金を手にしているように世論に誤解を与えていることです。今回はこのカラクリについて説明したいと思います。

 まず1つめのポイントは、開業医の7割は診療所(クリニック)を医療法人にしておらず個人事業のかたちをとっている、ということです。個人事業であれば、会計上は事業の利益がそのまま事業主(つまり開業医)の収入とされます。一般の会社では、株式会社などの法人であれば会社の利益と社長の給料は同じではなく、会社の利益のなかから社長の給料も払われています。事業での利益をそのまま社長の収入と計上すれば、実態を反映しないということは簡単に理解できるでしょう。

 例をあげて説明しましょう。例えば月収250万円の(医療法人にしていない)開業医がいたとして、まず半分は税金(所得税や住民税など)で消えます。この時点で125万円となります。そしてここから借入金の返済をおこなわなければなりません(借入金の利子は経費となりますが元本は経費とはなりません)。借入金は個々によって異なりますが、仮に50万円としましょう。この時点で75万円が残っています、しかし、決して安くない保険代を払い(注1)、その他経費と認められないけれども実際にかかる費用を支払わなければなりません。これらを合わせると25万円程度にはなるでしょう。すると残りは50万円です。どうでしょう、ざっと簡単に計算してみただけで「手取り」はこの程度にしかならないのです。もちろん50万円というのは決して少なくない金額であることは承知しています。けれども、労働時間は、医師にもよりますが、週あたり80~100時間はあるはずです。在宅医療を担っていれば深夜に患者さん宅にかけつけなければならないこともあるのです。

 法人にしていないからそのようなややこしいことになるわけで、法人にすれば院長の月収と借入金は別になりますし、保険料などの多くは経費として認められます。そして「開業医は儲けすぎ」といった”デマ”を流されることもなくなるかもしれません。それならば開業医も法人にすればいいじゃないか、という意見は当然でてくるわけで、私もまったくその通りだと思います。実際私は、クリニックを開業してから”最短で”医療法人にしました。しかし医療法人というのは通常の株式会社などの法人とは異なる点がいくつかあり、これが簡単には法人化できない理由となっているのです。

 まずひとつめは、少なくとも1年間は「個人事業」のかたちで診療所を続けなければ法人申請ができない、という規則です。普通の会社なら必要な手続きをおこなえばすぐに会社(法人)が設立できますが、医療法人は(いまだにその理由が私にはわからないのですが)少なくとも1年間は申請ができないのです。

 次に、医療法人は解散するときに利益のすべてが国に没収される、という規則があります。これについては、医療機関というのは営利団体ではありませんから、必要以上に利益がでれば国民に返すのは当然ともいえるわけで私には異存はありません。しかし、そうは言っても、今の日本の不安な年金政策を考えると、残せれば残しておきたいと考える医師がいることも理解はできます。解散するときに利益がすべて没収される、と法改正がされて実際に施行されたのは(たしか)2007年だったと思います。それまでに設立された医療法人であれば国に没収されることはありませんから、規則が変わった2007年以降に診療所の法人化が減ったといわれています(注2)。

 医療法人であれば院長にも給与が払われるわけですから、231万などという給与になるわけがありません。おそらく医療法人にしているほとんどの開業医の月収はその半分以下、いえ半分にも程遠いというのが現実だと思います(注3)。もちろん、これが安いとは言いませんが、世間で言われているほど高くないことは分かってもらえると思います。もうひとつ付け加えておくと、医療法人の院長は役員の扱いとなるためボーナスを受け取ることができません。太融寺町谷口医院は、待ち時間が長いという理由で患者さんからよくお叱りを受けますし、「儲かってるんですね~」などと言われることもしばしばありますが、そのようなことはないのです(注4)。

 開業医が高収入という誤った情報が流布されることによる弊害として、医師・患者関係がおかしな方向にいかないか、ということをまず懸念します。患者側に「開業医は儲かっているんだからたまには無料で診てよ」という意識が生まれないでしょうか(私が患者ならそう感じます)。

 また、医師を目指している受験生にも悪影響を与えます。私は受験に関する書籍を上梓していることから受験生からよくメールなどで相談を受けます。なかには、残念ながら「医師になって高収入を得たい」という内容もあります(直接このような表現は使われていませんが内容からそれが分かります) はっきり言うと、高収入を求めて医師になれば確実に後悔します。私は、「金持ちになりたい」という夢が悪いとはまったく思いませんが、それを目指すなら「医師という職業はその期待に応えられないですよ」ということはあらかじめ受験生に知っておいてほしいのです。

 私が政府に求めるのは、開業医が儲けすぎなどという”デマ”を流して(注5)、診療報酬引き下げを発表するのではなく、正々堂々と「現在の日本にはお金がありませんから診療報酬を引き下げたいと思います」と言ってほしいのです。我々医師は、患者さんの多くが経済的に困窮していることを知っていますし(政治家や官僚の方々よりはよく知っているつもりです)、東日本大震災に多額の復興費が必要であることも理解しています(注6)。

 日本にお金がないことは分かっていますから、「診療報酬を引き上げてほしい」などとは言えませんし、言いたくもありません。日本国民全員でこの国を建て直し、東日本大震災の被災者を助け合おう、という気持ちを国民から引き出して維持するのが政治家の仕事ではなかったでしょうか。診療報酬引き下げではなく、むしろ、「強制ではないが、医師で高額所得者は収入の一定額を国に寄付することを求める」と言ってくれれば、医師の大半は同意するに違いありません。

 病気を抱えながら頑張っている患者さんを我々医師は日々みています。そして、医師全員が……、とは言い切れないかもしれませんが、ほとんどの医師は困窮している人々の力になることを生きがいとしています。

 政治家の先生方には、卑怯な手を使って都合のいい理屈を押し付けるのではなく、医師の矜持というものを知ってもらいたいものです。

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注1 開業医ももちろん看護師や事務職のスタッフを雇用していますから、自分自身が倒れたときのためにスタッフを守るための保険(所得保障保険)をかけておかなければなりません。これがかなりの費用になるのですが、この保険は個人事業であれば一切経費として認められません。その他、法人にしていれば認められるような生命保険の類も一切経費計上できないのです。

注2 ちなみに、太融寺町谷口医院が法人になったのは2008年ですから、当院も解散時には利益が(あれば、のことですが)国のものになります。

注3 詳細に言及するのは避けるべきだと思いますが、私のことを少しだけ話しておくと、月収はもちろん231万円の半分にもほど遠く、時給に換算すれば、残業代が法律どおりに支払われたと仮定して計算すると、2,700~2,800円程度です。もちろんこれが安いとは言いませんが……・。

注4 では、すべての診療所がギリギリの経営状態なのかと言うと、そういうわけではないかもしれません。診療所の売り上げの内訳を少し紹介しておくと、実は検査や薬の処方は必要なコストを考えるとほとんど利益になりませんが、診察代については、高額ではないものの人件費以外のコストはかかりませんから利益率は大変高いという特性があります。しかも診察時間は3分であろうが1時間であろうが金額は同じです。ですから、患者数を増やせば増やすほど安定した利益が確保できるのは事実です。けれども、患者さんからしっかり話を聞いてある程度きっちり診察をしようと思えば、(私の場合)1日にせいぜい60人くらいが限度です。(理想は40人以下ですがそれでは経営的に破綻します) 70人を超えると2時間待ち、80人を超える日は2時間以上の待ち時間がでます。一方、例えば、セラチア菌の院内感染を起こして2008年に事件となった三重県伊賀市の診療所は1日に200人以上も診察していたと報道されていましたから、それくらい患者数を診ることができれば、かなりの利益が得られるものと思われます。しかしそのような診療の仕方は例外的と考えるべきでしょう。

注5 これは与党だけに問題があるのではなくマスコミにも責任があります。新聞で論説をおこなうほどの知識がある人であれば、本文に述べたように「月収231万円」などというのは実態を反映しておらず、一般の人を誤解させることは分かっているはずです。にもかかわらず、正確な解説をせずに「儲けすぎている開業医の収入を減らすのは当然」という論調を各誌ともおこなっていることに私は強い違和感を覚えます。

注6 しかし日本医師会など医師側の団体は診療報酬引き上げを要求しています。けれどもこれは、医師にもっと儲けさせてくれ、と言っているわけではありません。診療報酬引き上げを要求する理由は、医療機関によってはこれ以上診療報酬が引き下げられると倒産するところがでてくるからです。これを解決するための究極の方法は、以前も述べたことがありますが、医師を開業医も含めてすべて公務員の扱いにすることです。それが無理なら、「医師の収入の上限と下限を決めればいいのではないか」と私は考えています。例えば、いくら稼いだとしても年収の上限を1,200万円とする一方で、最低年収として500万円を保障し、看護師や事務職の最低賃金を保証する、としてくれれば、医療費が今よりも抑制できて我々も安心して働けます。今のところこのような意見は聞いたことがないのですが、早急に議論されるべきではないかというのが私の意見です。