メディカルエッセイ

100 美容医療と一般医療はどこが違うのか 2011/5/20

2011年4月20日、警視庁捜査1課は「業務上過失致死」の疑いで東京都の美容クリニックで手術を担当した医師H(37歳)を逮捕し自宅などを家宅捜索したことが報道されました。

 報道によりますと、医師Hは美容外科医で、2009年に当時70歳の女性患者に脂肪吸引術をおこない、その際腸管に傷をつけたことが原因で死亡に至ったそうです。

 どの程度の脂肪を吸引したのか、亡くなった患者さんが元々どのような病気を持っていたのか、麻酔や術後のケアはどのようになされたのか、などといったことが報道からは分かりませんから、私は逮捕された医師Hに過失があったのかどうかを考察することはできません。術中や術後に患者さんが亡くなることは実際にはあり得るわけで、もちろん患者さんが死亡すれば医師が即逮捕、というわけではありません。逮捕されるのは医師にあきらかな「過失」があるときです。

 捜査1課はこの手術現場のビデオを押収し、専門医から「器具を操作するスピードが速すぎる」との意見を得ており、粗雑な手法が事故を招いたという理由で逮捕に踏み切った、と報道されています。

 私はこの事件を聞いたとき、「逮捕につながる執刀医を非難するようなコメントを医師がおこなった」ということに驚きました。もちろん、ビデオを見た医師は注意深く手術の様子を観察し、ビデオからは得られなかった情報(患者さんの基礎疾患や体質や術後のケアなど)を入手し、何度も検討して結論を出したのだと思います。しかし、現場にいなければ分からないことも実際にはあるわけで、にもかかわらず同業者を結果として非難することになるコメントを発したことに(それが苦渋の決断だったとは察しますが)驚いたのです。

 さらに、医師限定の掲示板などをみていると、捜査1課に協力した医師と同じように、逮捕された医師を非難するコメントが多数寄せられていることに気づきました。

 同業者である医師からここまで非難の声が上がる最大の理由は、医師Hがおこなったのは一般医療ではなく美容医療だからでしょう。

 手術で患者さんが死亡し執刀医が逮捕された事件はいくつかありますが、最も有名なもののひとつは福島県立大野病院産科医逮捕事件です。これは、2004年12月に同病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡し、執刀医が業務上過失致死と医師法違反の容疑で2006年2月逮捕された事件です。(下記コラム参照)

 この逮捕に対しては、当初から警察及び検察に対する非難の声が医師から上がりました。日本産科婦人科学会などいくつかの学会は「座視することができない」、「事件は産婦人科医不足という医療体制の問題に根ざしている。医師個人の責任を追及するのはそぐわない」などのコメントを発表しています。この事件は最終的には医師の無罪が確定されたわけですが、この執刀医に対して非難の声を寄せた医師はほとんど皆無だったと思われます。

 一方、脂肪吸引術で死亡させて逮捕された医師Hに対しては、非難の声の方が大きく医師Hを擁護するようなコメントはあまり聞きません。

 福島県立大野病院産科医逮捕事件の場合は、妊婦に対する帝王切開術ですから必ず実施しなければならない手術だったのに対し、美容外科の場合は、「どうしてもやらなければならない手術だったのか」という疑問は確かにあります。また、美容外科の手術は通常高額ですから、「一部の金持ちだけができる手術じゃないのか」、さらに「手術する医療機関や医師にも高収入が入るのではないか」というイメージがあるのかもしれません。

 端的に言えば、「大金をほしがる医師がひきおこした事件であり、安い収入で一生懸命がんばっている(普通の)医師とは一緒にしないでほしい」という気持ちが一般の医師の間にあるのかもしれません。

 しかし私はここでひとつの疑問を感じます。それは「美容医療と一般医療の境界はどこにあるのか」ということです。福島県立大野病院産科医逮捕事件は前置胎盤という疾患を抱えた妊婦に対する帝王切開ですから当然「一般医療」、脂肪吸引術は「美容医療」ということは自明です。しかし、治療の内容によっては「一般医療」と「美容医療」はそれほどクリアカットに線引きできるわけではありません。

 ひとつの考え方として、保険診療がおこなえるものは「一般医療」、保険が使えないものは「美容医療」という意見があるかもしれません。ではケミカルピーリングはどうでしょう。最近はニキビの治療も効果的なものが普及してきましたから以前に比べるとニキビでケミカルピーリングをおこなうケースは減ってきていますが、それでも有用な治療法には変わりありません。そしてケミカルピーリングには保険適用がありません。

 肥満に対する外科手術がアメリカなどではかなり普及してきています。日本で実施している施設はまだ多くないと思いますが、技術的にはさほどむつかしくはないと考えられます。では、肥満に対する手術を自費診療でおこなったとして、これは「美容医療」になるのか、という問題があります。肥満というのはそれ自体が病気であると考えられていますから、ある意味では「一般医療」と言えるわけです。しかし、最近気になってきたおなかの贅肉を少しとりたい、ということであればこれは「美容医療」の範疇となるでしょう。では、その境界はどこにあるのでしょうか。例えばBMIいくら以上なら「一般医療」というガイドラインを設けたところで、その境界は人為的なものですし、境界を越えたから手術の方法が異なるというわけではありません。

 要するに、ここから先は美容医療になりますよ、という線引きは現実的にはできない、というのが私の考えです。

 しかしながら、ならばお前は一般医療も美容医療もまったく同じ医療だというんだな、と問われると、私の意見はそうではありません。実は、私自身も今の美容医療に首をかしげているところがあります。

 例えば、美容クリニックがおこなっている「カウンセリング無料」、「1年間の安心保障付き」、「キャンペーン価格」などには大いに疑問を感じます。以前別のところ(下記コラム参照)で述べたことがありますが、そもそも医療行為というのは法的には「準委託契約」と呼ばれるもので、一般のサービス業とは契約の種類が異なるのです。しかし、現在の美容医療はあたかも施術そのものがサービス業であるかのようなPRをしています。

 医療機関は営利団体ではありません。そして、異論もあるでしょうが、美容医療を担う医療機関も営利を追求する団体になってはいけないと私は考えています。

 「保険診療ではできないことがわかっています。でも私の肥満は何をしても治らないので、この脂肪をとってほしいのです。リスクがあることも承知しています」、という患者さんに対し、手術について説明し、充分な知識と経験のある医師が手術をおこなったとき、通常の保険診療と本質的な差がどれほどあるのでしょうか。

 美容医療に否定的な印象が払拭できない最大の理由は、先にも述べたように美容医療が「金儲け」とみられているからではないでしょうか。しかし、美容医療に携わる全ての医師が「金儲け」を考えているわけではないでしょう。

 美容医療に伴う「金儲け」という先入観を取り除くためにも、「カウンセリング無料」「安心保障」「キャンペーン価格」などはやめて、「困っている患者さんの力になりたい」という医療の原点に戻ってみればどうでしょうか。美容医療を担う医師からは「余計なお世話だ」と言われるかもしれませんが、あたかもサービス業であるかのような現在の美容医療のPRのあり方を改善しない限りは、誤解や偏見は世論からだけでなく医師の世界からも取り除けないのではないかと私は感じています。

参考:
メディカルエッセイ第67回「医療の限界」
メディカルエッセイ第92回「手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか」