メディカルエッセイ
87 医学部新設はなぜ反対されるのか 2010/4/20
最近の与党(民主党)の支持率低下は一向に止まらないようですが、その民主党が大勝した2009年8月31日の選挙で掲げたマニフェストには「医師の数を1.5倍にします」とはっきりと明記されています。
「医師不足」については、今さら詳しく説明するまでもなく多くの人が実感していると思います。大病院だけでなく大半の診療所・クリニックでも、長時間待ったあげくの3分診療は当たり前になっており、これでは患者満足度が高くなるはずがありません。
私自身は、「どのような症状でもお話ください」というスタイルを崩したくないために、少なくとも初診時においてはできるだけ時間をとって患者さんの話を聞くように努めているつもりです。「待ち時間が長い」と患者さんからお叱りを受けながらも、1日の予約の枠を他のクリニックよりも少なくしているのは、やはり1人あたりの診察にある程度の時間をかけたいからです。しかしながら、目の前の画面の受付表に目をやって10人以上の患者さんが待っていることが分かると、1人の患者さんにそう長い時間を取るわけにもいきません。
今の日本で、いつ行っても待ち時間が少なくて診察時間には充分な時間をとってもらえる医療機関など、おそらくほとんど存在しないでしょう。(完全予約制にすればこれが実現可能になりますが、そうすると今度は突然症状が現れすぐに診てもらいたいときに「予約が入らない」という問題が起こります)
一方、医師側からみても「医師不足」は歴然としており、長時間労働はもちろん、体力の限界を超えた当直勤務(そして翌朝からは通常勤務)、家に帰れたとしても夜中の呼び出しがあり、休日はほとんどなし、などが日常化してしまっています。私の知り合いの医師をみてみても、仕事が忙しすぎることが原因で家庭崩壊・・・、というケースは珍しくありません。
このように患者側からだけでなく医師側からみてみても「医師不足」は明らかなのです。民主党がマニフェストに「医師数を1.5倍」を掲げるのも当然だと言えるでしょう。そして、このマニフェストを受けてなのか、最近国内の3つの大学が医学部新設を計画していることを発表しました。報道は各マスコミが2010年2月中旬におこなっています。
当初の私の予想は、この発表をみて多くの医師がこれを歓迎する、というものでした。ところが、実際には反対意見がかなり多く、ある調査によれば医師の7割が医学部新設に反対しているというのです。
マニフェストがいつも世論の最大公約数の希望を表しているとは言いきれないかもしれませんが、おそらく患者もしくは将来患者になるかもしれない人の立場(要するに医師以外の立場)からみたときには、医師数が多く医療機関も多い社会が望ましいでしょう。また、医学部受験を考えている人は、一部の絶対合格の自信がある受験生を除けば、医学部新設のニュースを「朗報」と捉えたに違いありません。
では、なぜ7割もの医師が医学部新設に反対するのでしょうか。
新設に反対する、または医師数を増やすことに反対する立場の意見としてよくあるのが、「医学部の定員を増やすと医師の質が保てなくなる」「医学部の学生を増やせば教育者も増やさなければならないことになり(臨床医が教育に時間をとられるため)かえって医師不足が加速する」「長期的にみれば今医師数を増やせばいずれ医師過剰となる」といったものです。
しかし、よく考えてみると、これらの理由はどれも的をはずしている、もしくは対策を考えることで解決できるようなものです。
1つずつみていきましょう。まずは、「医学部の定員を増やすと医師の質が保てなくなる」という理屈ですが、これはむしろ逆でしょう。医師の数が少ないままであれば、いったん医師になってしまえば何の努力をしなくても医師であり続けることができるわけです。いえ、もっと言えば、医師になってしまえば、ではなく、医学部に入学させしてしまえば・・・、という方が正しいでしょう。
医学部に入学さえすれば・・・、という考えは「医師の質が保てなくなる」どころか、医学部受験が絶対的なものになる危険性を孕んでいます。(というより、すでにこの危険は存在していると言った方がいいでしょう)
次に「医学部の学生を増やせば教育者も増やさなければならない」という考えですが、これは比較的簡単に解決できます。インターネットを用いてe-learningをおこなえばいいのです。基礎医学も臨床医学も全国統一の学習ツールをつくるのです。担当する教員が講義をおこないそれを撮影し、インターネットを通じて全国の医学生が聴講できるようにするのです。こうすれば、教育者が実際に医学生に接して教育をおこなうのは実習の時間だけとなります。
「長期的にみれば今医師数を増やせばいずれ医師過剰となる」という意見については、たしかに医師数が増えすぎるのは問題です。現在のように、医療を他の産業と同じ様に市場主義経済のもとにおいていれば、医師が増えすぎたとき、利益確保のために無駄な検査や投薬が増える可能性が否定できません。ほとんどの医師はそのようなことは考えませんが、「今この患者に検査をしなければクリニックが倒産する・・・」となったときに、「それでも私には医師としての矜持がありますから倒産をとります!」とすべての医師が言えるかどうか・・・、という問題があります。(私個人的には、医療機関を現在のように市場主義経済下に置くことには異論があるのですが、ここではこれ以上の議論には立ち入らないでおきます)
けれども、医師が少なすぎるのもまた問題で、私個人としては「医師はこれ以上増えれば少し多いかもしれないくらい」がちょうどいいのではないかと考えています。ただし、私のこの考えにはある前提があります。それは、「医師免許を持っている者が他の職業につきやすい社会にする」というものです。さらに、現在のように、医学部に入学してしまえばほぼ全員が医師になる、という慣行を変更すべきだと考えています。
よく言われるように、そもそも18歳で将来の職業を決めろという方に無理があり、「医学部に入ってみたけど自分には向いていないことが分かった・・・」ということも実際にはあるわけです。しかし、今の社会では「せっかく医学部に入ったんだから・・・」という周囲のプレッシャーのために、本当はやりたくないのに(あるいは他にやりたいことがあるのに)医師という道を選ばざるを得ない人もいるのです。
「医学部はつぶしがきかない」と言われることがありますが、これは誤りです。そもそも「つぶしのきく学部」とはいったい何学部のことなのでしょうか。医学部を卒業していれば、少なくとも、テストで高得点をとる能力、努力を継続することができる能力、生命科学に対する深い知識、少なくとも読み書きに関しては高い英語力(学生の間から論文やテキストを英語で読まなければならない医学生は、おしなべて言えば他の学部生より語学力があります)、などがあるはずです。
他の学部卒業生と比べても、例えば、製薬会社、化粧品会社、スポーツ製品の会社などの就職には有利になるでしょう。また、マスコミに就職し医療関係の記事を担当するというのもいいでしょう。医薬品・医療機器専門のフリーの翻訳者になるとか、医療専門のジャーナリストというのもおもしろいかもしれません。
結局のところ、<高偏差値→医学部→医師>という道のりが、他の生き方とあまりにも隔たりがあるために、様々な弊害がでているわけです。医学部を卒業し医師以外の職種を選択、医師から他の業種に転職、そして(私が実際におこなったように)他学部卒業や他の職種に従事した後に医学部再受験などがスムースにおこなえるような社会になれば、医学部新設に対する反対意見は大きく減少するでしょう。
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