メディカルエッセイ

81 医学部受験はなぜ再受験生に有利か 2009/10/20

拙書『偏差値40からの医学部再受験』などでも述べましたが、医学部受験は現役生よりも再受験生の方が有利なのではないか、と私は感じています。

 これには反論も多いかと思います。例えば、いくつかの大学医学部では現役生の割合がやたらと高く、これには現役生は点数に「ゲタをはかせてもらっている」、あるいは再受験生には「ハンディが課せられている」などの噂もあります。また、2005年には群馬大学医学部で合格者の平均点(最低点ではない!)を上回る得点をとった55歳の女性が、実際に年齢が理由で不合格とされています。

 このような噂や事実があるのにもかかわらず、私が医学部受験は再受験生に有利と考える最大の理由は、「勉強を楽しむことができる」というものです。

 もちろん、勉強、特にテストが伴う勉強というのは楽しいだけではありません。かなりの苦痛も伴いますし、焦燥感、不安感、抑うつ感、ときには絶望感にさえ襲われることがあります。

 しかし、会社を辞め収入源を断たれても再受験生として受験勉強をしたいと考えるのは、学問に対する強い思い入れがあるからに他なりません。拙書でも述べましたが、受験勉強に伴う苦痛など、社会人として体験する様々な苦労に比べれば微々たるものです。

 少し考えてみればすぐに分かることですが、あらかじめ与えられた出題範囲(高校で習うこと)から問題が出題され、すべての受験生が同じ時間を与えられて採点は客観的におこなわれ点数が高ければ合格となるのです。

 一方、社会で体験する多くの苦労は実に理不尽なものです。例えば、客観的にはライバル社の製品の方がすぐれていると感じていても自社製品を売らなければならないとか、どう考えても期日までにできそうにない仕事をプライベートを犠牲にしてまで仕上げたとたん会社の方針が変更され努力が無駄になった、などといったことは日常茶飯事です。

 そんな理不尽で筋の通らない社会人の苦労に比べれば、勉強のスランプなど実に些細なことなのです。

 このことに気づいているだけで再受験生の方が受験には有利なわけですが、それ以上に、再受験生は勉強の楽しさをすでに知っている、ということについてお話したいと思います。

 私が医学部受験を本格的に開始したのは1995年の1月で26歳のときでした。この頃の勉強は苦労もありましたが、振り返ってみれば大変楽しく勉強に専念できたと思います。苦手の数学では解けない問題もありましたが、それを考えながら眠ると夢のなかで解けていた、などといった経験を何度かしましたし、生まれて初めて取り組んだ古文は最初はさっぱり分かりませんでしたが、そのうち好きになり、半年後には源氏物語や徒然草の原書を読むようになりました。友達や家族とも連絡をほとんどとらなくなり、私は文字通り「寝食を惜しんで」勉強に没頭していたのです。

 ところで、先日皮膚科関連のある学会で、ある著名な医師が講演しており、そのなかでハッとする内容がありました。

 26から33歳の頃がもっとも研究に専念できる・・・

 その著明な医師は講演のなかでそのような意見を述べられたのです。そして、この26から33歳が研究にふさわしいという考えは、その医師だけでなく多くの医師や研究者が感じていることである、ということを主張されていました。

 私が、なぜハッとしたかというと、これが自分にもあてはまったからです。私は26歳のときに本格的に医学部受験の勉強を開始し、1年後には医学部に入学し、その後の6年間は多少のスランプはあったものの、総じて言えば勉強に専念することができたのです。

 講演されていた著明な医師がおこなった立派な研究と比べれば、私がしたことは単なる勉強ですから比較するのは大変失礼なのですが、私は「そうだったのか・・・。自分が勉強に専念できたのは”勉強適齢期”だったからなのか・・・」というふうに感じ、この26から33歳という説に納得させられました。

 さて、この「26から33歳説」に共感した私は、さっそくこのコラムで取り上げようと考え、頭の中で整理することにしました。

 ところが、です。頭の中でこの説を反芻すればするほど、26から33歳という年齢を重視するのはちょっと違うかもしれないな・・・、と考えるようになってきたのです。

 私が勉強に没頭したいと考えるようになったのは、社会人を経験してからです。以前に通っていた大学生活や社会人の生活を通して、次第に勉強の魅力に惹かれるようになっていったのです。

 そして、もしかするとこの著明な医師も同じような転機をたどったのではないか・・・。そのような考えが頭をよぎりました。この医師は、おそらく中学高校と一生懸命に勉強をし、医学部入学後も過酷な勉強を強いられ試験に合格し、2年間の研修医を経て、大学院に入学し研究に専念するようになったそうです。ということは、大学と病院で様々な経験を通して勉強や研究の魅力を感じるようになったのではないでしょうか。

 私はこのように考えています。既存の教育システムでは、小中高及び医学部などの大学では勉強は能動的におこなうよりは、テストを中心に与えられたカリキュラムをマスターするように強いられます。しかし、本来勉強の面白さは、与えられたことを覚えるのではなく、自ら問題を発見することにあるはずです。私の場合も、医学部受験を決意したのは、人間の身体や精神の神秘性に興味を持ったからです。そして、学問や勉強そのものに真剣に取り組みたいと思うのは、試験に合格しなければならないから、などといったものではなく、もっと純粋な目的ができたときではないかと思うのです。そして、もちろん個人差はありますが、その純粋な目的意識を自覚できるようになるのは、様々な人生経験を経てからではないだろうか、と感じています。

 であるならば、何も勉強や研究に真剣に取り組みたくなるのは26から33歳に限ったことではありません。いくつになっても勉強を開始することはできるのです。少し例をあげると、伊能忠敬が測量に興味を持ったのは50歳を超えてからですし、少しジャンルが異なるかもしれませんが画家の丸木スマさんが初めて美術に取り組んだのは74歳のときです。

 結局のところ、学問の面白さに気づいた人間が研究や勉強に有利になるのです。勉強が好きで好きでたまらない、寝食を惜しんで勉強するのが楽しくて当然・・・、そのように感じる者が成果を上げることができるのです。

 医学部受験も例外ではありません。いくつになっても、勉強の面白さに気づきさえすれば医学部合格も時間の問題ではないか・・・。私はそのように考えています。

参考:
メディカルエッセィ第19回(2005年7月)「年齢が理由で医学部不合格」は妥当か」