メディカルエッセイ

第146回(2015年3月) Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(後編) 

 今回は症例の紹介から始めたいと思います。

 20代の女性(Aさんとします)は、2週間前から毎晩全身にじんましんがでていました。放っておいても2~3時間で症状が消えるために、最初のうちはあまり気にならなかったのですが、毎日続き、痒みも増しているようなので、気になって太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)を受診しました。

 問診を終え、しばらくは毎日薬を飲むべき、という説明をすると、Aさんはなにやら不服そうな表情をしています。

私:「何か気になることがあるのですか」
Aさん:「なんで血液検査をしてくれないんですか」
私:「このじんましんは検査をしても異常所見がでないタイプで血液検査に意味がありません」
Aさん:「でも、何か見つかるかもしれないじゃないですか。お金を払うのはあたしですよ!」
私:「・・・・・」

 じんましんが出れば血液検査が必要、と思っている人は非常に多く、なぜ必要ないかを説明するのに苦労することがしばしばあります。逆に、じんましんで初回の受診時に「血液検査が必要です」と言われたときには、それなりの理由があるのです。食物アレルギーを疑ったときもそうですが、一部の感染症や膠原病でもじんましんが生じることがあります。

 血液検査が必要でないタイプのじんましんで受診し、「前の病院では検査をしてくれなかった」と不平不満を言う人も少なくありません。Aさんはその後当院を受診していませんから、彼女もまた血液検査をしてくれる医療機関を探し求めているのかもしれません。

 もうひとつ例をあげましょう。

 40代の女性(Bさんとします)は、数週間前から身体がだるく疲れやすいと言います。昨日から風邪症状が出現し夕べは近くの病院の救急外来を受診したそうです。Bさんは点滴をしてもらい抗生物質を処方してもらうつもりでいたそうなのですが、点滴は断られ処方された薬は市販のものと変わらない風邪薬のみだったと言います。

 身体がだるく疲れやすいというのはよくある症状ですが、そこから大きな病気がみつかることがあります。ガン、HIV、結核、膠原病、甲状腺異常などが見つかるきっかけとなることもありますから、このような患者さんの訴えには充分注意すべきです。また、このような症状がうつ病などの精神疾患からきていることもよくあります。しかし、「身体がだるく疲れやすい」という症状の大半は、単純疲労、つまり休息が不充分なことから起こるものであり、こういったことは問診と簡単な診察からある程度わかります。

 Bさんの場合も「単純疲労」の典型であり、私は点滴も薬も必要ないと判断し、まずは休養をとることが先決であることを話しました。しかしBさんは納得しません。

Bさん:「あのね、お金払うの、あたしですよ。お金払うから点滴して薬だして、って言ってるのよ」
私:「我々は患者さんにとって最善であることをしなければなりません。今のあなたにとって最善なのは薬も点滴も使用せずにしっかりと休養をとることです」
Bさん:「わかりました。こんなクリニック、二度ときません。今日は薬も点滴も何もないんだからお金も払いません!」
私:「・・・・・」

 抗菌薬(抗生物質)は細菌を抑制するものであり、ウイルス感染と思われる軽度の風邪には使っても意味がない、というよりは副作用のリスクを抱えるだけですから有害と考えるべきです。また、「細菌感染には抗菌薬」という考えも正しくありません。特に下痢を伴っているような場合は、抗菌薬を内服することでさらに腸内の善玉菌まで殺してしまいますから、細菌感染を疑っても軽症であれば抗菌薬は用いるべきでありません。

 点滴については過去にも述べたことがありますが(注1)、日本には「点滴神話」なるものがあり、点滴をあたかも「魔法の薬」のように思っている人がいます。そして、実際にプラセボ(プラシーボ)効果で元気になる人がいるのは事実ですし、ブドウ糖を入れれば血糖値が上昇するために一気に疲労回復することはあります。これは疲れたときに甘い物を口にすると元気になるのと同じ理屈であり、わざわざ点滴する必要はありません。

 日本人の「点滴神話」は患者だけでなく医師の側にもあり、私はこれをタイのエイズホスピスで実感しました。エイズ末期で吐き気がおさえきれず食事を摂ることができない患者さんに対し、私は点滴を指示し、実際に患者さんには喜んでもらっていました。しかし、欧米の医師たちはこのような患者さんにも点滴はすべきでない、と主張するのです。自力で食事がとれなくなり回復の見込がないなら点滴は不要な延命治療、という考えなのです。おそらく欧米の医師が、日本に来て患者さんの希望に基づいて点滴をしている光景をみると驚くに違いありません。

 ちなみに、Bさんが受診して数ヶ月後、谷口医院から歩いて5分くらいのところに「点滴専門クリニック」ができました。疲労回復や美容目的の点滴を希望する人のためにつくられた自費診療のクリニックだそうです。今度Bさんが受診したら教えてあげようと思っていたのですが、その後Bさんは一度も受診していません。そして、1年もしないうちにその点滴専門クリニックもなくなっていました。やはり、このような需要はそれほど多いわけではなく「点滴神話」が「神話」にすぎないことを理解している人の方が多いのでしょう。

 ここで原点に話を戻したいと思います。Choosing Wisely(不要な医療をやめる)という考え方は我々医師のわがままではなく、患者さんからみても有益であるはずです。さらに医療費の抑制にもつながり行政にも有益であり、医療者・患者・行政の三者にとって望ましいものです。

 では、患者さんにどのように理解してもらえばいいのでしょうか。AさんやBさんに正しく理解してもらうのにはどう説明すればよかったのでしょう。最も大切なのは、医師の技量を上げるということです。AさんとBさんについて私は彼女たちを批判的に描写していますが、AさんBさんにきちんと理解してもらえなかったのは私の方に責任があります。

 Aさんが血液検査にこだわったこと、Bさんが抗菌薬と点滴にこだわったのには何らかの理由があったのかもしれません。例えば、Aさんの知人が重症のじんましんでアナフィラキシーショックを起こしたことがあるとか、Bさんの親御さんが抗菌薬の開始が遅れて肺炎が重症化し長期間の点滴を余儀なくされたことがあった、といったことです。

 ですから、AさんとBさんが不快な思いをしたのは私の責任であります。しかしながら、入院患者さんならともかく、忙しい外来で多くの患者さんを待たせているなかで、患者さんの背景やどのような考えをもっているかということを分析することには限界があります。
 
 そこで提案したいのが前々回紹介したABIM(American Board of Internal Medicine、アメリカ内科学委員会)が作成しているChoosing Wiselyのウェブサイトのようなものの日本語版をつくる、ということです。これがあれば、Aさんには「ここにも書いてあるようにこういったじんましんで血液検査はすべきでないんですよ」ということが言えます(注2)。前々回紹介した息子の頭部CT撮影にこだわったお父さんにも説明しやすくなります(注3)。Bさんには、なぜ抗菌薬が不適切かということを説明できます(注4)。しかし、さすがに点滴神話はアメリカには存在しない日本の特徴であり、ABIMのこのサイトには「安易に点滴をするな」とは書いてありません。アメリカにはそんなことをする医師がそもそもいないからでしょう。

 今のところ、Choosing Wiselyの日本語版をつくろう、という声は聞いたことがありません。しかし、誰かがやらねばならない、と私は考えています。では、誰がやるのか。「気付いたモン負け」というルール(注5)が私のなかにあって、このルールに従うなら気付いた私がやらなければならない、ということになります。

 ただし、単なる翻訳ならともかくABIMのサイトのようにきちんとしたものの日本版をつくるには、複数の専門家が集まって膨大な論文を検証するという気の遠くなる作業が必要であり、とてもひとりでできるものではありません。そこで、私はABIMのChoosing Wiselyを日本語に訳し、当院の症例なども合わせて分かりやすいものを少しずつ(本当に少しずつですが)このサイトで伝えていきたいと考えています。

注1:下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第68回「「医療はサービス業」という誤解」

注2 下記ページの3に記載されています。
http://www.choosingwisely.org/doctor-patient-lists/american-academy-of-allergy-asthma-immunology/

注3 下記ページの1に記載されています。
http://www.choosingwisely.org/doctor-patient-lists/american-college-of-emergency-physicians/

注4 下記ページに記載されています。
http://www.choosingwisely.org/doctor-patient-lists/antibiotics/

注5:下記コラムで紹介しています。
メディカルエッセイ第53回(2007年6月)「”気付いたモン負け”というルール」