2017年2月23日 木曜日

第169回(2017年2月) 「レセプト債」の失敗からみる世間の誤解

 「レセプト債」と呼ばれる<高利回りで低リスク>の金融商品を扱っていた金融機関4社が破綻したことが報道されたのは2015年の11月でした。報道によれば、オプティファクター社が運営するファンド3社が発行したレセプト債を、アーツ証券など証券7社が2015年10月時点で約2,470の法人・個人に約227億円分販売し、これが返還できなくなりました。

 高利回りで低リスクの商品などあるわけない、と私のような金融に疎い人間は思いますが、世間には「うまい話」がないわけではないのかもしれません。しかし、レセプト債などというのはその言葉を聞いた瞬間、「うまくいくわけがない。手を出してはいけない」と(ほとんどの)医師は分かります。レセプト債になけなしの年金をつぎ込んで路頭に彷徨うことになったという話を聞くと、なんでそんな胡散臭い商品を買う前に相談してくれなかったの!と見知らぬ人にも言いたくなってしまいます。(私に相談してくる人はいませんでしたが、もしも相談を受けたとすれば瞬時に「絶対に買うな!」と言っていました)

 さて、レセプト債がなぜ儲からないものかを説明していきますが、その前にこの事件に「悪質性」があったのかどうかを考えてみたいと思います。2017年2月16日の朝日新聞(オンライン版)に「レセプト債「高利で安全」容疑の元社長ら投資家に説明」というタイトルの記事が掲載されました。報道によれば、容疑者らがレセプト債を発行したファンドの財務内容が悪化しているのを知りつつ、元本償還や利払いが確実に行えると別の証券会社員らに対して装うための資料を作成していたそうです。

 記事を読めば、この容疑者は「悪い奴」となりますが、私個人の印象としては、初めから「悪いこと」を企んでいたわけではないと思っています。つまり、最初は「レセプト債」が「高利で安全」と真剣に考えていたのではないかと思うのです。私の推理は次のようなものです。

 容疑者たちは医療機関が発行する「レセプト」に興味を持った。通常、医療機関を受診して患者が払うのは3割のみ。残りの7割は支払基金というところなどから2~3か月後に医療機関に支払われる。そのときの「請求書」がレセプトである。医療機関からみれば、入金が2~3か月後というのはもどかしいに違いない。もしも多少の割引があってもレセプトを発行したときすぐに入金されればありがたいのではないか。ん、これは「手形割引」と同じことだ。支払われるのが60日後の1,000万円の手形があったとして、60日後ではなく今すぐに現金が欲しい、現金をくれるなら5%を割り引いた950万円でもかまわない、と考える者がいるから「手形割引」という制度があるわけで、いわば「レセプト割引」を医療機関に提案すればいいのでは、と考えたというストーリーです。

 例えばある月のレセプトの請求合計額が1,000万円の医療機関があったとしましょう。2か月後に1,000万円を受け取れることができるが950万円でいいから今すぐに現金がほしいと考えたとします。ファンド会社は950万円でこのレセプトを買い取れば、その医療機関にも喜んでもらえて、自社は2か月後に50万円の利益がでます。2か月で50万円ですからファンド会社が半分の25万円を取ったとしても、ひとりの顧客が950万円投資すれば2か月後に975万円が戻ります。ということは、2か月での利率は2.63%、これを年利にすればx6で15.78%ということになり、驚くほどの高金利ということになります(計算、あってますでしょうか…?)

 もしも私に医療の知識がないとすればレセプト債は魅力的な商品にうつったかもしれません(金銭的な余裕があれば、の話ですが…)。なにしろ年利15.78%という高金利で、なおかつ医療の需要は減ることはないでしょうから低リスクと考えるのも無理はありません。しかし、レセプトというものがどういうものかを私は知っていますから、このようなものが商品として成り立たないことはすぐにわかるのです。では、その理由を解説していきましょう。

 まず1つめの理由は「レセプトは請求額がそのまま支払われるわけではない」ということです。我々医師は、患者さんの負担をできるだけ少なくすることも考え、検査や処置、薬は必要最小限のものにします。過剰診療にならないように注意しているのです。にもかかわらず当局からは「認められない」とされ支払ってもらえないことが多々あります。これを「査定」と呼びます(注1)。以前にも述べましたが、「医療機関が不正請求をしている」、と言われた場合、大部分はこの「医師は必要と判断したが当局から認められない」という場合のことを指しています。ですから、マスコミが報じる「医療機関の不正請求」というのは実態を反映していません。

 査定された場合、もちろん医師は納得できませんから「再請求」をします。これで医療機関の言い分が認められることもありますが、理由も明かされぬまま「やはり認められない」とされることも多々あります。

 レセプトを医療機関から買い取ったとしても、実際に入金される金額は予定よりも少なくなると考えるべきなのです。レセプト債を考案した人たちはおそらくこういったことまで考えなかったのではないでしょうか。また、買い取ったレセプトが査定されても「再請求」はできません。その患者さんを知らない者は、(たとえ医師であったとしても)なぜその治療が必要だったかについての詳細が分からないからです。

 レセプト債が非現実的である2つめの理由は、そもそも医師には「守秘義務」があるということです。患者さんの情報が詰まったレセプトを他人に見せるということは守秘義務違反ではないのか、という疑問があります。しかし世の中には「レセプト代行業者」というものが実際に存在し、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)もオープンした頃にはそういった業者からの営業活動もありました。私自身は、自分が診察した患者さんの情報を他の機関に見せることに同意できません。法的な守秘義務違反に当たらないのだとしても医師の良心がこれを許しません。そしてこのように考えるのは私だけではないはずです。まともな医師ならレセプト業務(これが大変な作業なのは事実ですが…)を他人に任せるようなことはしません。実際、一部のマスコミは「(レセプト債を企画した)オプティ社は、(レセプトを)売ってくれる病院を探すのに苦労していた」と報道しています。

 理由はまだあります。そしてこの3つ目が、レセプト債が非現実的であると私が考える最大の理由です。証券会社やファンド会社のミッションは「利益を出すこと」ですから、レセプトの金銭的な価値が下がると困ります。レセプト債の顧客を増やすには、高い配当を維持し続けなければなりません。ということは、今月よりも来月、来月よりも来々月の方がレセプトの請求金額が上がることを期待するようになります。もしも、これがサービス業であれば問題ないでしょう。なぜならサービスをおこなう会社のミッションも「利益を出すこと」だからです。サービスをおこなう会社とレセプト債の会社の利益が一致する、つまり「共に儲かる」わけです。
 
 しかし医療機関はサービス業ではありませんし、そもそも利益を増やすことを目的としていません。実際にはその逆で、患者さんの受診をどのようにして減らすか、ということを日々考えているわけです。生活習慣病なら生活習慣の改善を指導し、アレルギー疾患ならアレルゲンや他の悪化因子を取り除く指導をおこない、感染症ならどのように予防すべきかということを伝えるのが医師の使命です。薬を減らすこと、検査の頻度を減らすことがミッションなのです(注2)。

 レセプト債を販売する証券会社やファンド会社は「医療機関も儲かるんだからレセプトの点数は上昇することが期待できる」と考えたのでしょうが、我々医療者はむしろその反対のことを考えているのです。向いている方向がまったく正反対ですから、医療機関と金融機関のタイアップなど、初めから上手くいくはずがないのです(注3)。

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注1:理不尽な査定の例を少し挙げると、問診から明らかに糖尿病を疑ったときに「糖尿病の疑い」という病名でHbA1Cを測定すると認められなかったり、全身の湿疹で外用剤を処方するときに軟膏を塗りにくい部位にクリームを処方して認められなかったり、しばらく抗ヒスタミン薬を続ける必要がある慢性蕁麻疹に2か月分の処方をして査定されたり…、と切りがありません。ちなみに、今述べた慢性蕁麻疹に対する抗ヒスタミン薬の査定は当院ではある月のみに複数例ありました。ところが、それ以前も以降も一度も査定されていません。査定された症例に対してもちろん「再請求」をおこないましたが、理由があかされないまま「再請求は認められない」という結果でした。

注2:ここは誤解されやすいところなので少し補足をしておきます。医療機関もある程度は利益を出さなければつぶれてしまうんじゃないの?、という質問があります。しかし、原則としてそのような心配は不要です。なぜなら医療については「需要」が「供給」よりも圧倒的に多いからです。例えば、美容室なら「需要=供給」あるいは「需要<供給」となっているでしょうから、派手な宣伝をおこない人件費を削減し他店との競争をしなければ生き残れません。一方、医療機関の場合は「どこに行っても長時間待たされる」という声が多いことからも分かるように、あきらかに「需要>>供給」です。圧倒的な供給不足があるが故に、いかがわしい代替療法や健康食品が流行るのです。

また、「そうはいっても医療機関も儲けたいんじゃないの?」という声があるかもしれません。しかし、医療機関が儲けることを考えていないことは簡単に示すことができます。「医療法人」は解散するときに「余剰金」があれば全額を国に没収されるのです。国に持っていかれるお金のために収益を上げることを考えるはずがありません。このことだけでも、初めから利益を目的としてないということが分かるでしょう。

注3:ちなみに医療機関とタイアップしてうまくいかないのは金融機関だけではありません。谷口医院はオープンした頃、あるエステティックサロンから協力を要請されました。私としては「皮膚症状で悩んでいる人の力になれるなら…」と考えましたが、実際に紹介されて来る人から「エステティシャンに勧められたのですが、金銭的にどうかと…」という相談をもちかけられたときに、「そのお金を払って施術を受ければどうですか」と言える例はひとつもありませんでした。高額な料金で施術をおこなうことを目的としているエステティックサロンと、いかなる場合も患者さんの負担を最小限にすべきと考えている医療機関がうまくやっていけるはずがないことがよく分かりました。

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2017年2月23日 木曜日

第162回(2017年2月) 危険な性交痛~犬とキウイとラテックス~

 性交痛を訴えて太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診する女性の患者さんは少なくありません。谷口医院をかかりつけ医としている患者さんはもちろん、「どこに行っていいか分からないから(遠くから)来ました」とか、「今までいくつかの医療機関を受診したけれど診断がつかなくて…」という人もいます。なかには「婦人科に行くと皮膚科に行けと言われて、皮膚科に行くと婦人科に行けと言われた…」という気の毒な方もいます。谷口医院のような総合診療のクリニックには、「どこの科に行っていいかわからない」という患者さんが大勢受診されるのです。

 さて、女性の性交痛の原因は様々で、頻度の多いものから挙げていくと、「性行為による摩擦が原因の皮膚炎」「性行為で生じた微細な外傷」が最も多く、次いでカンジダ性外陰部炎が多数を占めます。カンジダは真菌感染ですから、顕微鏡の検査で簡単に診断がつくのですが、婦人科では顕微鏡の検査を実施しているところが少なく、皮膚科では外陰部の診察をしないところが多いようです。性交痛の原因が「心因性」ということも少なくなく、この場合は治療に時間がかかり、カウンセリングに近いことや、精神に作用するような薬を用いることもあります。

 今回紹介したい女性の性交痛は、頻度は多いとは言えないものの、重症化し、ときに命に関わるかもしれないもので、2つを紹介します。2つともアレルギー疾患です。

 ひとつはラテックスアレルギーです。周知のように、ほとんどのコンドームはラテックスでつくられています。ラテックスとは天然ゴムとほぼ同じものと考えればいいと思います。天然ゴムはゴムの木の樹液から精製します。ラテックスアレルギーがあると、コンドームが外陰部に触れたときに重症なアレルギー症状が起こることがあるのです。

 ここでよくある誤解について説明しておきます。ラテックスアレルギーを「かぶれ」と思っている人がいますがこれは誤りです。ラテックス製のグローブを使うと、1~2日後にアレルギー症状が出る人がいますが、ラテックスアレルギーはこのことを指しているわけではありません。1~2日後に出現するのは、ラテックス以外の化学物質(例えばチウラム)によるかぶれ(接触皮膚炎)であることがほとんどです。

 ラテックスアレルギーのアレルギーは接触皮膚炎のアレルギーとメカニズムが異なります。ここではそのメカニズムを詳細に説明することは避け、ポイントだけ述べていきます。ラテックスアレルギーは「即時型」であり、接触して比較的短時間(多くは数分から1時間以内)に症状が出現します。そして最重要ポイントは、「次第に重症化する」ということです。最初のうちは、ラテックスに触れた表皮や粘膜がかゆくなるだけですが、そのうち全身のじんましんや喘息症状が出現することもあり、最悪の場合は生命も脅かされることになります。

 ラテックスアレルギーがある人はラテックス製のコンドームを避ければいいんじゃないの?という問いに対しては、まったくその通りです。問題は、「あなたにラテックスアレルギーがないと言い切れるか?」ということです。ラテックスアレルギーは、エピソードからそれを疑い、そして検査をしないことには分かりません。エピソードだけで診断をつけることもありますが、まったく何の症状もないのに疑うことはできませんし、健康診断でも調べられるわけではありません。

 そしてラテックスアレルギーは「ある日突然発症」します。先述したようにいきなり最重症の症状が出るわけではありませんが、子供の頃にはなくて成人してから発症します。職業でみれば多いのは医療者などグローブを使う仕事をしている人です。「グローブなんて使わないから大丈夫、わたしはラテックスに触れない」と考えている人もいるでしょう。しかしどこかで触れている可能性もあります。指サックや風船もそうです。甲子園球場に行く度に口元がかゆくなる、というエピソードから診断がつくこともあります。

 そんなエピソードは一切ない、という人もまだ安心できません。キウイやアボカドなど野菜や果物を食べると口のなかに違和感が出る、という人はこれらのアレルギーがあるかもしれません。いくつかの野菜や果物は、表面のタンパク質の構造がラテックスと似ていることから、ラテックスに一度も触れたことがなくてもアレルギーを起こす可能性があるのです。これを「ラテックス・フルーツ症候群」と呼びます。

 ただ、私の印象でいえばコンドームを含むラテックスアレルギーはここ数年で減少しています。過去にも述べたように(注1)、天然ゴムからアレルゲンとなるタンパク質を取り除く技術が発達したからではないかと私は考えています。となると、高品質のコンドームでは大丈夫だけれど、普通の薬局にはおいていないような安物の場合は……、ということがあるかもしれません。

 ここからは性交痛が危険な状態になるかもしれないもうひとつのアレルギーを紹介したいと思います。それは「イヌアレルギー」です。なんで犬で性交痛?と意外に思う人もいるでしょうし、おそらく頻度はそれほど多くはないと思います。性交痛を訴える患者さんに対して原因がイヌアレルギーだと100%の確証を持って診断したことは私はありません。ですが、私が診た患者さんのなかにも疑い例はありますし、海外では重症例の報告もあります。

 なぜイヌにアレルギーがあると性交痛が起こるのか。それはイヌの精液に含まれるPSAと呼ばれるタンパク質がヒトのPSAと似ているからです。つまりイヌアレルギーがあると「(ヒトの)精液アレルギー」があるかもしれない、ということです。

 ここで疑問が出てきます。アレルギーというのはその物質に過剰に触れることによって発症します。ということは、精液アレルギーはイヌの精液に何度も触れたから発症するということになります。しかし、いくらなんでもイヌと性交を持つ人はいないわけで(いるかもしれませんが)、イヌの精液がヒトの皮膚や粘膜に付着することは考えられません。

 けれどもPSAは尿中にも含まれています。イヌにおしっこをかけられた、という体験はイヌを(特に室内で)飼っている多くの人が経験しているでしょう。また、それだけではありません。このアレルゲンは正確にいうとPSAに含まれる「can f 5」と呼ばれる物質です。そして「can f 5」はイヌのPSAからだけではなく、フケからも検出されたという報告があります(注2)。イヌを飼っている人ならほぼ全員がイヌのフケに触れているはずです。

 精液アレルギーというのはそれほど多い疾患ではありません。ドイツのネットメディア「Deutsche Welle(DW)」の報告(注3)によれば、1958年にオランダの医師によって報告されたこのアレルギーは、症例報告がこれまでに100例程度しかなく正確な統計がないそうです。しかし、1万人に1人くらいはいるのではないかと考えられているそうです。

 ラテックスアレルギーと精液アレルギー、共に重症化を懸念しなければなりませんが、どちらが厄介かというと精液アレルギーの方でしょう。ラテックスアレルギーはあったとしても、ラテックスに触れなければいいだけの話です。避妊にはポリウレタン製のコンドームを用いて、妊娠を希望するときはコンドームを用いなければいいのです。

 一方、精液アレルギーは妊娠希望時には対策が必要になります。おそらく抗ヒスタミン薬やステロイドの内服をしておけば重症化はしないことが予想されますが、薬の副作用のリスクや、すでに妊娠の可能性があるときには薬の胎児への影響も考えなければなりません。イヌアレルギーと性交痛、その両方が疑われるときは、かかりつけ医に相談すべきかもしれません。

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注1:はやりの病気第149回(2016年1月)「増加する手湿疹、ラテックスアレルギーは減少?」

注2:この論文は医学誌『International Archives of Allergy and Immunology』2012年5月30日号(オンライン版)に掲載されています。タイトルは「Involvement of Can f 5 in a Case of Human Seminal Plasma Allergy」で下記URLで概要を読むことができます。

http://beta.karger.com/Article/Abstract/336388

注3:レポートのタイトルは「Allergic to sperm – when sex becomes dangerous」です。下記URLを参照ください。

http://www.dw.com/en/allergic-to-sperm-when-sex-becomes-dangerous/a-19251475

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2017年2月16日 木曜日

2017年2月 私が医師を目指した理由と許せない行為

 なんで医師になろうと思ったんですか?

 医師になってからこの質問をもう何百回受けたか分かりません。医師になろうと思えばかなりの時間を「犠牲」にしなければなりませんし、いろんな意味で「自由」ではありませんから一般の人からすれば医師を目指す動機が気になるのは当然だと思います。また、この質問は医師からも聞かれますし、私自身も他の医師に尋ねることがあります。

 こういう質問は単なる社交辞令ではなく、本当に興味を持って聞いてくれていることがほとんどですから、私はできるだけ丁寧に答えているつもりです。ここでそれを披露してみたいと思います。

 まず私は医学部に入学した時点では医師になるつもりはありませんでした。医学部を目指した理由は「医学を学びたかったから」です。医学部受験の前は、母校の関西学院大学社会学部の大学院進学を考えていました。社会学部の大学院で本格的に勉強したかったテーマは、「人間の行動・感情・思考について」です。そのため私は社会学関連の文献のみならず、生命科学系の書籍も読み漁っていました。もちろん当時の私には本格的な論文などは敷居が高すぎて読めませんでしたが、講談社ブルーバックスをはじめとした初心者向けの生命科学の本を片っ端から読んでいたのです。

 生命科学のおもしろさに魅せられた私は、そのうちに、私が研究したかった「人間の行動・感情・思考」といったテーマは社会学的なアプローチよりも生命科学から追及すべきではないか、あるいはいったん生命科学を本格的に勉強してから社会学に戻るべきではないか、と考えるようになり、この気持ちが医学部受験につながったのです。

 ところが、です。医学部も4回生くらいになってくると、自分には研究者としてやっていく能力もセンスもないことに気づくようになります。この現実を受け入れるのはそれなりに辛いものではあったのですが、同時期にある種の「使命」のようなものに気づき始めました。これを「使命」と言ってしまうのはおこがましいのですが、「お前ならできる」と期待の声(それはもちろん「おせじ」なのですが)を繰り返し聞くようになり、その気にさせられた、というのが最も真実に近いでしょうか。

 説明しましょう。当時の私は、多くの友人や知人から健康上の相談を持ちかけられていました。私以外に医師や医学生の知り合いがいないのであればそれは当然でしょう。もちろん、まだ医師になっていない私ができることなどほとんどないのですが、それでも話を聞くことはできます。

 彼(女)らは、医師への不平・不満を容赦なく私にぶつけてきます。そのなかの多くは「それは医師が悪いんじゃなくて、そういう制度だから仕方がない」「気持ちはわかるけど、その病気は治らなくて他に治療がない」といったものなのですが、なかには「たしかに…。そんな説明じゃ分からないよね」「えっ、そんなひどいこと言われたの?」といったようなものもあり、「医療機関で患者さんにこんな思いをさせてはいけない…。自分ならこうする!」と感じることがあり、その思いが度重なるにつれて、「もしかして自分が進むべき道は研究なんかじゃなくて臨床じゃないのか…。これが自分の”使命”なのでは?」と思うようになってきたのです。

 さて、このあたりまでは、私が「なんで医師になろうと思ったんですか?」と聞かれたときにいつも話していることです。たいていはここまで話すと、理解・共感してもらえますのでこのあたりで終わりになるのですが、今回はもう少し掘り下げて話してみたいと思います。

 医療の不満といったことが語られるとき、治療の結果に満足できない、副作用について知らされてなかった、説明が足らない、といったことを指す場合が多いのですが、私が最も心を動かされた「不平・不満」というのはこのようなことではありません。私が医師のあり方に疑問や、ときには憤りを感じ、「自分ならこうする!」と思ったのは「病気に伴う差別」についてです。

 例を挙げましょう。アトピー性皮膚炎というのは痒みが辛い疾患ですが、それだけではありません。「見た目の問題」が決して小さなものではないのです。当時医学部生の私に相談してきた患者さん(というか知人)は、見た目のせいでどれだけ社会生活で辛い思いをしているかというようなことは医師や看護師は理解してくれない、と言います。もっとも、医療者にとっての「目標」は痒みを解消することであり、それ以上の治療については医療者を責めても仕方がないことかもしれません。けれどもその見た目のせいで社会から差別を受けているとすればどうでしょう。子どもが口にするような無神経で露骨で残酷な言葉を浴びせられることはないにしても、かげで容姿の悪口を言われたり、言われなくても外出に躊躇してしまうことはあるわけです。それで就職活動に消極的になり、恋愛も諦める。さらには引きこもりにも…、という人もなかにはいました。

 アトピーに限らず、皮膚症状が目立つ疾患に罹患すれば、それを隠さなければならなくなります。プールにも海にも銭湯にも行けなくなります。他人の「かわいそうに…」という言葉はときに彼(女)らを傷つけることになります。いつしか私は、患者さんの痛みや痒み、あるいは手足の不自由さそのものよりも、社会的に不利益を被ることに関心を持つようになりました。このときに患者さんに「かわいそう」などと思ってはいけない、ということを強く感じました。医療者は患者に憐れみを持ってはいけません。患者の人格を尊重し、社会的な不利益があるならばそんな社会と闘っていかねばならないのです。

 研修医の頃、タイのエイズホスピスに短期間のボランティアに赴くことになり、この体験がその後の医師としての進路に大きな影響を与えることになります。エイズという病のために、食堂や雑貨屋から追い払われ、病院では診療を拒否され、地域社会から追い出された人たちがその施設に大勢いました。彼(女)らの苦痛を聞く度に、心の底から沸々とあふれてくる憤りを抑えられなくなってきました。

 病気やケガで困っている人を救いたい…。医師であれば誰もがこのように思います。私も例外ではないのですが、私の場合、それ以上に「病気のせいで差別を受けることが許せない」という気持ちが抑えられないのです。これは理性では説明できないようなものです。

 そんな私が最近どうしても許せない行動を目にしました。米国の女優メリル・ストリープのスピーチの原稿で見つけたトランプ大統領の行為です。大統領は、なんと、障害をもつリポーターの真似をしてこきおろしたというのです。メリル・ストリープは次のように述べています。

It kind of broke my heart when I saw it, and I still can’t get it out of my head, because it wasn’t in a movie. It was real life. (そのシーンを見たとき、私の心が壊される思いがしました。そのシーンを頭から取り除くことができません。映画ではなく、現実の話だからです)

  このシーンはyoutubeで見ることができます。メリル・ストリープが「心が壊される思い」をしたのがよく分かります。私は政治的にはニュートラルな立場であり、特定の支持政党を持っていません。また、政権与党に対し何らかの「抗議」をしたこともありません。しかし、今回ばかりは、他国とはいえ、そして就任前のこととはいえ、トランプ大統領のこの行為を許すことは絶対にできません。

  差別をしない人はいない、と言われることがあります。それが事実だとすれば、私が差別をするのは「病気や障害を理由に差別をする輩」です。トランプ大統領の行動を知ったことにより、私が医師を目指すことになったきっかけである「心の底から沸々とあふれてくる憤り」を再び思い出すことになりました。

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2017年2月10日 金曜日

2017年2月10日 片頭痛があると術後脳卒中のリスク上昇か

 片頭痛について、数年前からしばしば言われるのが「脳梗塞のリスク」です。医学誌『Neurological Sciences』2010年6月号(オンライン版)に掲載された論文(注1)で指摘され、マスコミでも何度か取り上げられたからなのか、診察室でもよく質問されます。私がいつも患者さんに言っているのは、「あまり気にしすぎないこと。そして、脳梗塞のリスク、例えば肥満や生活習慣病、喫煙などには注意すること」と話しています。最近、同じような研究が報告されたので紹介します。

 片頭痛のある患者は手術の後、脳梗塞を起こしやすく、再入院の率も高い

 医学誌『British Medical Journal』2017年1月10日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)です。

 対象者は2007年1月~2014年8月に、マサチューセッツ総合病院と2つの関連施設で手術を受けた12万4,558例(平均年齢52.6歳、女性が4.5%)です。対象者のなかで片頭痛の診断を受けたことがある人が10,179人(8.2%)で、そのうち(閃輝暗点などの)前兆がある人が1,278人(片頭痛患者の12.6%)、前兆がない人が8,901人(87.4%)です。手術を受けてから30日以内に脳梗塞を起こしたのは771人(全体の0.6%)です。

 これらを分析すると、全体では術後に脳梗塞を起こすリスクは1000件あたり2.4。すべての片頭痛患者でみると1000件あたり4.3。さらに片頭痛患者を前兆なし・ありで分けて解析すると、前兆なしで3.9、ありで6.3となっています。これらから、片頭痛があれば術後に脳梗塞を起こすリスクは1.75倍に、さらに前兆がある場合は2.61倍になることがわかりました。

 また、片頭痛があれば、退院後30日以内に再入院になるリスクが1.31倍と上昇していました。

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 太融寺町谷口医院の患者さんでいえば、特に女性で片頭痛のある人は、ナイーブな人が多く、本文にも述べたように脳梗塞への不安をしばしば口にします。(元々ナイーブな人が多いのか、度重なる頭痛からナイーブな側面がでてきたのかはわかりません)

 片頭痛は通常の鎮痛薬が無効である場合が多く、高価なトリプタン製剤や予防薬が必要になることも多々あります。しかし、規則正しい生活を実践するだけでも頭痛の頻度が劇的に少なくなる人も大勢います。

 月並みな言い方ですが、規則正しい生活を心がけ、脳梗塞のリスクとなるような生活習慣を改めるのが、最善の治療であるのは事実です。
 

注1:この論文のタイトルは「Migraine and cerebral infarction in young people」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10072-009-0195-7

注2:この論文のタイトルは「Migraine and risk of perioperative ischemic stroke and hospital readmission: hospital based registry study」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.bmj.com/content/356/bmj.i6635

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