マンスリーレポート
2013年7月10日 水曜日
2013年7月号 感染症と感染症以外のすべての病気の違いとは?
先月(2013年6月)のこのコラムで、私が研修医のときにお世話になった石井正光先生が開業されたことに触れました。また、昨年(2012年10月)にはノーベル賞を受賞された山中伸弥先生のことについて述べました。
大阪市立大学は、全国的にみれば、どちらかというと地味な大学(注1)と世間からはみられていると思いますが、実際に入学してみると全くそういうわけではなく、私が学生の時代には石井先生や山中先生以外にもユニークで魅力ある先生が大勢おられました。(今もそうだと思います)
医学部に入学すると、ただちに専門的な医学教育を受けるのではなく、最初の1年間は一般教養を学びます。その一般教養の先生のなかにも魅力的な先生は大勢おられて(注2)、私は毎日学校に行くのが楽しくて仕方がありませんでした。授業をさぼる学生が信じられなかったほどです。前の大学(関西学院大学)時代は、授業に出席する学生を信じられない、と思っていたわけですから、人間とはここまで変われるものなのかと自分自身に呆れたほどです。
前置きが長くなりましたが、今回お話したいのは、そんな魅力的な先生が多い大阪市立大学のなかでも私が最も感銘を受けた先生についてです。その先生とは当時の産婦人科教室の教授だった荻田幸雄先生です。荻田先生の講義は私が4回生のときにあったのですが、初回の授業のとき、いきなり次の言葉を黒板に大きく書かれました。
感染症以外のすべての病気は直立歩行が原因である
教壇に立たれたときの第一印象から、この先生は少し違うな、というか、一種のオーラのようなものを感じたのですが、感染症以外のすべての病気を一括りする、というのはあまりにも大胆です。そのときに先生は、たしか椎間板ヘルニアや胃下垂を例に上げ、直立歩行が病気につながる、という話をされたのですが、ほとんどの学生はきょとんとしていたと思います。
第1回目のこの講義では、この直立歩行が病気の原因という話以外に、(14年前の記憶でおぼろになっていますが)たしかどこかのメーカーと協力して下着(うろおぼえですがブラジャーだったような・・・)を開発したとか、そういった話で、結局産婦人科学のことはほとんど何も話されなかったように記憶しています(注3)。
その授業の後、「感染症以外の・・・」というこの説を話題にする学生は私の周りにはいなかったのですが、私はその後何年にも渡りこのことを考えていました。すべての病気が直立歩行に原因がある、などということを厳密に検討すれば暴論とみなされます。例えば遺伝的な疾患で生まれつき障がいがあるようなケースでは直立歩行が原因とは言えないと思いますし(しかし、臍帯脱失や常位胎盤早期剥離で正常に分娩ができないケースは直立歩行と関係があるかもしれません)、関節リウマチのような慢性疾患、あるいは悪性腫瘍や生活習慣病なども、直立歩行だけで説明するには無理があるでしょう。
当時の私がなぜ荻田先生のこの言葉にこだわり、いろんな病気に対し直立歩行との関係を吟味していたのか、そのあたりの理由は自分でもよく分からないのですが、そのうちに私の興味の対象は「直立歩行」ではなく「感染症以外の」という言葉の方にうつっていきました。つまり、感染症と感染症以外の疾患を分けることに重大な意味があるような気がしてきたのです。
感染症とは何かというと、一言で言えば「外敵との戦い」です。それに対し、感染症以外の病気の原因は「自己内の問題」です。自分自身を敵とみなしてしまう膠原病やアレルギー疾患、遺伝子の複製のエラーから細胞の異常増殖が生じるガン、不摂生な生活から生じる生活習慣病、生まれたときから遺伝子に異常があり発症する様々な疾患、などこれらはすべて自分の内部に問題があり敵からの攻撃を受けたわけではありません。
医学部在籍中や研修医になりたての頃は、感染症に対して特に力を入れて取り組んでいきたいと思っていたわけではありませんが、感染症というのはときに短期間で人を死に至らしめる疾患ですし、私自身は医学部入学前からHIVやHTLV-1に関心がありましたし、また感染症が世界史に影響を与えているという考えに興味を持っていましたから(注4)、感染症には将来的に何らかのかたちで向き合っていきたいとも考えていました。
しかし、大学病院でも他の病院でも「感染症科」という科はありません。医学部の5回生と6回生には教室での講義がなく、すべて病院での臨床実習というかたちになります。実習の途中から私はこのこと、つまり「感染症は何科が診るの?」ということを疑問に感じ始めました。もちろん、腸炎は消化器内科、肺炎は呼吸器内科、HIVは血液内科、などという区切りはなんとなくわかるのですが、では大学病院で腸炎を消化器内科がみて、肺炎は呼吸器内科がみているのか、というとそういうわけではありません。基本的に大学病院では一部のものを除き感染症をみないのです。
ですから、感染症を専門にしている医師というのは、当時はほとんどいなかったのです(注5)。実際、ある年の医師国家試験の問題には感染症に関わる設問が1問もなく、これが問題になったほどです。感染症を専門にしている医師がほとんどいないわけですからこのようなことも起こりうるわけです。
私がある程度本格的に感染症に関わっていきたいと痛感したのは研修医1年目の夏休みにタイのエイズ施設を訪問したときです。私は元々エイズという疾患に興味をもっていましたが、この理由は感染症だからというよりも「差別される病」だからです。当時その施設でみたエイズはまさに「差別される病」で、地域社会から、病院から、そして家族からも追い出された、行く当てのない人たちが集まってきていました。当時のタイにはまだ抗HIV薬もなく「HIVは空気感染する」と思っている人たちが多かったのです。
この体験を経て、私はHIVという感染症に関わっていくことを決意しました。研修医終了後、再びタイに渡航し、様々なエイズの現場を体験した後、私は大学に戻り総合診療部に所属しました。そして、複数の診療科、複数の医療機関で勉強させてもらった後に、太融寺町谷口医院を開業(開業当時の名称は「すてらめいとクリニック」)するのですが、感染症に対する私の興味は開業後にさらに強くなっていきました。
クリニックでは大病院とは比較にならないほど感染症のウエートが増えます。最も多い感染症は「風邪」ですが、風邪といっても、実にいろんな病原体が原因になっており、風邪だけで本が一冊書けるのではないかと思うほどです。(このエッセンスは当院ウェブサイトのトップページの「のどの痛み(咽頭痛)」や「長引く咳(せき)」で述べています)
風邪以外にも、感染性の胃腸炎、皮膚炎、膀胱炎などにも遭遇しない日はありません。さらに、クリニックで診る感染症の大半は急性の一時的なものですが、なかには長期にわたるものもあります。結核が見つかることもありますし、B型肝炎も少なくありませんし、もちろんHIVも珍しくありません。そして、一部の感染症はその後の人生を大きく変えます。感染症のせいで、仕事を失い、家族を失い、そして自らの命を失う、ということもあるのです。
他人を敵とみなし殺し合うことが愚かであるのは自明ですが、目に見えない小さな病原体という外敵のせいで、仕事や家族を失い寿命まで短くなる、といったことも馬鹿げています。もちろん、予防法がなく有効な治療法もない感染症であればやむを得ないかもしれません。しかし、HIVを含む多くの感染症は、自らが感染を防ぐ予防ができて、他人へ感染させることも防ぐことができて、また有効な治療法も確立しています。
つまり、感染症とは「外敵との戦い」であり、ほとんどの感染症では適切な知識を持ち適切な行動をとることによって自らが感染したり、他人に感染させたりという”悲劇”を未然に防ぐことができるのです。
「感染症以外のすべての病気は直立歩行が原因である」という荻田先生の当時の言葉は、今、私の中で「感染症以外のすべての病気は自己内部に原因があり時に治療困難であるが、感染症は知識と行動で悲劇を防ぐことができる」、とかたちを変えて生きているのです。
注1 私が医学部を受験する前の大阪市立大学のイメージは、とにかく暗くて赤い(つまり左翼的な)大学というもので、実際、私が知っていた大阪市立大学の出身者といえば、よど号ハイジャック事件の田宮高麿とあさま山荘事件(連合赤軍事件)の森恒夫くらいでした。実は私が初めて大阪市立大学を訪問したのは1986年、高校3年生の夏休みです。このときに東京と関西のいくつかの大学をみて、ほとんど”一目ぼれ”した関西学院大学を第一志望にしたのですが、その反対に大阪市立大学の私の印象は”最悪”なものでした。校門前で何人ものヘルメットとマスクで顔を隠した「革命戦士」たちが、拡声器で何やらわめいているというのが大阪市立大学との最初の出会いでしたから、左翼活動を否定するわけではありませんが、関西学院大学に惚れ込むタイプの者が興味を持てるはずがなかったのです。ところが、1996年に実際に入学してみると、左翼活動というのは一部に残ってはいましたが、顔面を隠し拡声器でがなりたてるかつての「革命戦士」の姿はなく、垢抜けた学生が大半となっていました。
注2 私は医学部の受験勉強をしている頃、NHKで生物学関連の番組をよく見ていました。そのときによく登場されていた学者に団まりな先生がおられたのですが、医学部入学後、生物学の先生がその団まりな先生で大変驚いた記憶があります。何しろ最近までブラウン管の中にいた先生が目の前におられるのですから。
注3 その後荻田先生とは5年生の臨床実習のときにお会いして直接話をさせていただきました。その際に「君はひとつの科にとどまっているタイプではない。将来、他人とは違うことをするだろう」と何やら<予言>めいたことを言われました。荻田先生がなぜ私にそのようなことを言われたのかはいまだにわからないのですが、「総合診療部に籍を置きながら多くの科や多くの医療機関に出向いて総合診療やプライマリケアを勉強していく」というやり方をした医師というのはいまだに私以外に聞きませんから、荻田先生の<予言>はあたっていたことになるでしょう。尚、荻田先生は私が医学部を卒業したのと同じ2002年に退官されたのですが、その後関西の芸術系の大学に大学生として入学され本格的に絵画に取り組まれたと聞いています。
注4 例えば、ペロポネソス戦争では感染症(ペスト説、天然痘説、発疹チフス説などがあります)の流行が戦況に大きな影響を与えました(スパルタ軍の兵士たちはなぜか罹患しなかったために勝利したという説もあります)。アメリカのインディアンがヨーロッパ人に滅ぼされたのは、インディアンだけが天然痘に感染したからだと言われています。(つまりヨーロッパ人の兵力ではなく実際にインディアンを滅亡に追い込んだのは天然痘ウイルスであったということです) 14世紀のヨーロッパではペストにより当時の人口のおよそ3分の1が死亡したとされていますし、梅毒が世界史に登場するのは有名な話です。
注5 最近は、感染症を専門にする医師も少しずつ増えてきており、大学病院などでは「感染症内科」を標榜するところもでてきています。
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