マンスリーレポート
2025年1月 私自身も「同じ穴のムジナ」なのかもしれない
すでにこのサイトでも何度か述べたように、私は自分の「ミッション・ステイトメント」を持っています。「持っている」というとなにやら厳かなもの、あるいは宗教的なニュアンスが出てきますが、単に「つくっています」と表現するよりは「持っています」の方が適しているように思えます。なぜなら、ミッション・ステイトメントは単なる作文でありながら、自分自身の根幹になるもの、あるいは自分にとっての「掟」にもなるからです。国でいえば「憲法」に相当するといえるかもしれません。
2025年1月1日、私は28回目となる「ミッション・ステイトメントの見直し」をおこないました。1997年に初めてミッション・ステイトメントを作成し、以降毎年1月1日に時間をみつけ、日ごろは考えないような深いところにまで”降りていき”内省します。このときには、普段は考えたくないようなこと、あえて日ごろは目を伏せているようなことまで掘り下げます。だから、この見直し作業は毎度毎度けっこうな”痛み”を伴うのです。なぜって、日ごろは意識しない自分の深部に直面せねばならないからです。
2020年1月に始まったコロナ騒動はいまや完全に終息し、過去5年間で医療界は大きく様変わりしました。今回のミッション・ステイトメント見直し作業では医療の流れについて考えてみました。もちろん私が思いを馳せるのは、大手メディアが取り上げるような先進医療のこととか保険証がマイナンバーカードに替わるとか、あるいは医師不足や偏在のことではありません。
私が5年間のコロナ騒動で最も気になる医療界の変化は「多くの医師がかつての医師ではなくなった」です。これは否定的な意味です。もちろん、私の医師へのイメージも、一般の人と同じで主観的な思い込み、あるいは単なる幻想です。ただ、一般の人とまったく同じかというと、私自身が当時者である分、しかも医学部入学から数えれば四半世紀以上もこの世界に身を置いている分だけはその思い込みは客観性を帯びていると思うのです。
そんな私からみて「医師はかつての医師ではなくなった」とはどういうことかというと、「利他的で勤勉で献身的で思いやりのある人物」が、まるでその逆のキャラクターに、つまり「利己的で学びもせず自分優先で優しくない人物」に様変わりしたように映るのです。もちろん、過去の医師たちは聖人君子のような人たちばかりだったなどとは考えていませんでしたし、このサイトにも非難されるべき医師を取り上げたことがあります。
しかし、全体を俯瞰して言えば、医師は高い人格を持ち合わせていると思っていたのです。例えば、2014年には「医師に人格者が多い理由」を書いて、医師がいかに利他的で高い人格を有しているかについて述べました。2017年のコラム「医師に尋ねるべき5つの質問」では、患者から訴えられている見ず知らずの医師をかばい「医師は金のために働いているわけではない」と力説しました。
それが、5年近く続いたコロナ騒動で、私が抱いていた幻想はまるで指の間を流れ落ちていく細やかな砂粒のように消えていったのです。武漢から帰国した日本人や「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員へのケアをおこなった医療者に対して差別をする勤務医が現れ、発熱で苦しんでいるかかりつけ患者の診察をえげつないほど拒否したくせに発熱患者を診れば補助金が出るとなると一気に患者を取り合う開業医があふれ、「時給18万円」(日給ではない!)のワクチンバイトに群がるフリーター医師が激増しました。
他にも、「直美(ちょくび)」と呼ばれるわずか2年間の研修しか受けていないのに年収3千万円を求めて美容クリニックに群がる若い医者、臨床経験がほとんどないのに「困ったときにはいつでも駆け付けます!」などと患者にやさしい”フリ”をして夜勤を増やして金を稼ぐ若い訪問診療医などが大量に”生産”されました。2024年後半には「直美」がちょっとした流行語になった一方で「経験の浅い訪問診療医」はまだあまり目立っていませんが、ベテランの往診医や看護師からの情報によると、まあひどいものです。とにかく経験がないものだから基本的な知識や技術が欠落しているわけです。現場の看護師の指示がなければなんにもできない医師も少なくないとか。だけど若い彼(女)らは愛想だけはいいようです。コミュニケーション能力があって見た目が悪くなければ訪問診療医なんて、そして「直美」も誰でもできるとする意見も聞きます。
さて、ここで私自身の内面の話をしましょう。1月1日、このようにコロナ騒動期間の医師の凋落ぶりを考えていると、「では、そんなに偉そうなことを考えているお前自身はどうなんだ」という声が聞こえてきました。「そんな上から目線で同業者を批判する資格がお前にはあるのか」と問うてくるのです。
そこで改めて考えてみました。医師になる前からの自分の人生を振り返り、なぜその道に進んだのかを思い直してみたのです。まず確認できたのが「私は常に金儲けとは反対の方向に進んでいる」です。
私が最初に就職活動をやったのはバブルがギリギリ続いていた1990年代前半、世間は超売り手市場で、「就職説明会は高級ホテルで飲み食い自由」「入社すれば海外旅行に招待」なんていうのは当たり前、「うちにくれば新車一台プレゼント」なんてところまでありました。大学のゼミ仲間(当時の私は関西学院大学の社会学部でした)のほとんどが都市銀行や大手商社などを目指していたなかで、私はできるだけ「小さな企業」に絞っていました。「高収入で会社の歯車になるくらいなら、低収入でも小さな企業でおもしろいことをしたい」と考えたのです。
就職して、その「おもしろいこと」ができるようになってしばらくすると、これでいいのだろうか、という疑問が抑えきれなくなり、母校の大学院に進学することを考えました。そのため母校のある教授の元を定期的に訪れ論文や教科書を紹介してもらうという生活にうつりました。学問の道に進めば、もちろん収入は激減します。本を書いて売れたりすれば別なのかもしれませんが、通常学者(あるいは学者を志す者)は貧乏です。
当時の私が研究したかったのは「人間の行動・感情・思考」といったもので、関連の文献を読み漁るなかで、生命科学、とりわけ分子生物学、脳生理学、免疫学、精神分析学といった領域に興味がでてきました。これが社会学から医学への進路変更につながるわけですが、私は医学部入学時には医者になるつもりはまったくなく、医学の研究がしたかったのです。しかし医学部4回生で能力の限界を思い知り諦念し、5回生で臨床医へと進路変更しました。
医師になってからも定型的な出世コースや金儲けには興味がなく、研修期間が終わると、まずHIVに積極的に取り組んでいた診療所に丁稚奉公させてもらい、その後タイのエイズホスピスを訪れ無償ボランティアに従事しました。ここで米国の総合診療医に師事し総合診療の道に進むことを決心します。帰国後、母校の大阪市立(現・公立)大学の総合診療科の門を叩き、大学に籍を置きながら大阪市北区に開業しました。
「開業すれば儲かるのでは?」という質問はもう何百回も受けましたが、そもそも総合診療というのはひとりの患者さんに時間を割いて、しかも検査も薬も最小限にすることを心がけますから儲かりようがないのです。実際には、なぜか患者数が急増し、開業2年目には初めて受診する患者だけで4,237人にも上り、それなりに利益が出てしまったのですが、それらは慈善団体に寄付しましたし、待ち時間が長いなどのクレームも急増したおかげで、次第にちょうどいい塩梅へと収斂していきました。ここ数年間の「初めて受診する患者数」は年間千人程度とかつての4分の1以下です。
長々と振り返ってみましたが、改めて見直しても私には金儲けがモチベーションになったことはこれまでの人生で一度もありません。では、進路選択の真の動機は何だったのか。ひとつめの大学卒業時には「おもしろいことをやりたい」、社会学部大学院を目指していた頃は「人間とは何かを知りたい」で、これが医学部4回生あたりまで続いていました。臨床医を目指すようになった動機は「臨床、特に救急ってけっこうおもしろい」で、タイのエイズホスピスに赴いたのは「HIVが理由で差別される人を助けたい」で、大学の総合診療科に入局しそして開業したのは「他で診てもらえなかった人たちの力になりたい」です。
こうしてみてみると、私の人生の前半、臨床医を目指すまでの進路選択の動機は「おもしろいもの、ワクワクするものに取り組みたい」で、これは自分勝手なものではありますが、社会から否定されるものではないと思います。少なくとも「金儲け」「高い地位」などよりははるかに受け入れられやすいでしょう。後半の「差別で苦しむ人を助けたい」「他で診てもらえなかった人の力になりたい」は、社会一般的には「美しいもの」と認識されるのではないでしょうか。
ここまでを考えると、私の歩んできた人生は、「金儲けを考えず困っている人のために尽力する」というとても”美しいもの”になってしまいます。そして、ここで私の疑問が浮き彫りになります。聞こえてくるのは「お前はそんなに高貴な人間のはずがないだろ」という内からの声です。そうです。その通りなのです。私自身のことは私がよく知っています。決して私は高貴な人間でも他人から尊敬されるような人物でもありません。
しかし私は嘘を言っているわけではありません。これまで金儲けを目標にしたことがなく、今も臨床を続けているのは、他の医療機関から見放された人たちの力になりたいという欲求、あるいは欲求よりももっと強くて根源的な「欲望」と呼ぶべきものです。
「欲望」というこの言葉を噛みしめたときに分かったような気がしました。欲望は理屈からではなく、身体の芯から湧き出るもの、もしかすると「本能」と呼ぶべきものかもしれませんが、前頭葉で思考するようなものではなく、原始的な脳が求める強い欲求を意味します。そして、その欲望が、医者によっては「カネ」である一方で、私の場合は「差別されたり他の医療機関で見放されたりした人の力になりたい」であるだけなのでは?、ただ単にそれだけのことでは?、と思えてきたのです。
同業者を差別したり、発熱患者を拒否したり、金儲けに走ったりする欲望は社会からは歓迎されないことに彼(女)らは気づいているはずです。それでもなんらかの言い訳を用意してそれを選択するのは、そうさせる欲望があるからです。他方、私自身にも困窮している人たちを救いたいという、これまた欲望があります。ということは、彼(女)らと私に根源的な差があるわけではありません。
しかし、疑問が残ります。「困っている人を救いたい」が欲望であったとしても依然それは”きれいすぎ”ます。さらにその奥に何か得体のしれないドロドロとしたもっと原始的な欲望があるのではないか……。今年の元旦、私にはそれ以上掘り下げることはできませんでしたが、もしかすると”恐怖”でできなかったのかもしれません。
スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)が最近Telegraphに載せていた言葉を思い出しました。
「私は内にある真実の存在など信じない。自分の外に都合の良い理由を見つけてそれにしがみついていればいいのだ。自分が善良なふりをしてそれに従って行動していれば善良になれる可能性はある。しかし、決して自分の奥深くを見つめてはいけない。そんなことをすれば(sで始まる)とんでもないものしか見つからないのだから……」
because I don’t believe in inner truth. Your ethical duty is to find a good cause outside yourself and stick to it: pretend that you are good and act accordingly and maybe there is a chance you will become good. But don’t look deep into yourself. You will discover only s—.”
内面へと降りていく私の“探求”はいったん打ち切ることにしました。
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