マンスリーレポート

2013年1月号 「違和感」を大切にし「常識を疑う」ということ

 昨年(2012年)に読んだ本で一番良かったのは?、と尋ねられれば、私は迷わずジョン・キム氏の『媚びない人生』を挙げます。

 この本は、キム氏が慶応大学でおこなっているゼミの卒業生に対する「贈る言葉」を原点にまとめたもので、これから社会に旅立つ若者へのメッセージという趣の本です。しかし、内容は若者に限定したものではなく、私のような40代の者が読んでも共感する部分が多く、私個人としてはすべての人に読んでもらいたい、と感じている一冊です(注1)。

 キム氏は、韓国生まれで、家庭は決して裕福ではなく、小学生の頃からひとりで暮らさなければならなかったそうです。19歳のとき、日本の中央大学に国費留学し、アメリカ、ヨーロッパを含む3大陸5ヵ国で学ばれたそうです。 

 『媚びない人生』に書かれているすべての言葉に対し、私は無条件に同意するわけではありませんし、初めて聞くような内容でもないのですが、「すべての時間を学びの時間にする」、「従順な羊ではなく野良猫になれ」、「失敗しない人は絶対に成功しない」、「過去から見た今の自分が常に成熟した自分であるべきだ」、「人間の生きた価値はどれほど長く人生を生きたかではなくどれほど濃度の濃い人生を生きたかによって決まる」、などストレートな表現が胸にビシビシと突き刺さります。

 私は今年の年始の数日感、国内のある地方都市で休暇をとったのですが、最もやりたかったことのひとつが、この『媚びない人生』を熟読しなおす、ということで、実際に繰り返し読み耽りました。

 この本のなかで私が最も噛み締めた言葉は、「常識や前提は極めて社会的なものであり、物事を鵜呑みにする行為は自分を放棄する行為である」、という言葉です。別のところでは「違和感を大切にしなければならない」とも書かれています。 

 私は今年45歳になりますから、そろそろ人生真ん中あたり、なのですが、これまでの人生を振り返ると、節目節目で自分のとった行動の多くは「違和感」を覚えて「常識を疑った」ことから始まりました。

 高3の12月で偏差値40しかなく、受験代が無駄になるだけだ、と教師に言われたけれども希望する関西学院大学を受験したのは、<教師に受験校を決められるのはおかしいではないか!>という「違和感」が捨てられず、<常識を覆してやる!>という気持ちがあったからです。

 しかし、そこまでして行きたかった関西学院大学理学部での勉強に興味が持てず、代わりに社会学を勉強したくなった私は学内の社会学部に編入学ができるかどうかを尋ねに行きました。そこで言われたのが「一応、制度上はできることになってはいるが前例がないので無理でしょう」という言葉でした。<前例がないなら自分でつくればいいではないか!>と考えた私は、(その熱意が通じたのか)結果的には合格通知を手にすることができました。

 関西学院大学社会学部を卒業後、私は大阪のある企業に就職しました。英語がまったくできないのにもかかわらず海外事業部に配属されたため、最初の一年間は足手まといになっただけで会社に何の貢献もできず辛い体験がほとんどでしたが、2年目からは少しは仕事を覚えることができました。自分の書いた手紙でそれまでその会社とは取引のなかった中東のある国の企業と契約が取れたときの嬉しさは今でも覚えています。翌年には輸入品を国内市場に販売促進する仕事を与えられたのですが、このときもキャンペーンの企画やチラシの作成など自分で仕事をつくる喜びを感じることができました。何よりも当時の私は仕事を楽しんでいました。

 しかし、あるとき私の心にふと「違和感」がよぎりました。<このままでいいのだろうか・・・>という「違和感」です。せっかく安定した企業に就職できてやりがいのある仕事をさせてもらっているんだからそれで充分じゃないか・・・、私の心にもそのような気持ちがあったのは事実ですが、その一方で、<果たしてこのままで・・・>という気持ちが拭えきれず、結局私は学問の道に戻ることを決意しました。大学を卒業するときには大学院進学も考えていましたし、入社したときから、いずれ学問をまたやりたい、とは考えていたのですが、最終的にそれを決めたのは、私の心にあるとき芽生えて払拭することができなかった「違和感」だったのです。

 心に芽生えた「違和感」が人生を変えるエピソードはまだ続きます。母校の関西学院大学社会学部の大学院進学を志した私は、時間をみつけてある先生のところに通いだしました。本を紹介してもらい小論文の添削などもおこなってもらいました。当時の私が社会学を通して研究したかったのは、人間の感情、思考、行動などについて、だったのですが、しかし、こういったことを探求すればするほど、脳生理学、免疫学、分子生物学などの生命科学へと興味の対象が移っていったのです。そして私は医学部受験を決意しました。

 次に「違和感」が私の行動に影響を与えたのは、医学部の学生時代に(医学部以外の)友人・知人から言われたいくつかの言葉です。それらの言葉とは現在の医療や医師に対する問題点・疑問点であり、<ならばそういった問題を克服した医療を自分がやればいいではないか>と思うようになっていったのです。ちょうどその頃、自分に研究は向いていないということが分かりかけていたこともあり、研究から臨床への方向転換を決意したのです。

 研修医の頃、そのときは大学病院の皮膚科で研修を受けていたのですが、ある先生に言われた一言が私の心に「違和感」を芽生えさせました。皮膚腫瘍で入院していたある患者さんの尿の色が濃いことに気づいた私は、先輩医師にそれを報告し、尿の比重を測りたい、と言いました。すると、「皮膚科は皮膚だけみてればそれでええんや。君が尿がおかしいと思うんやったら内科か泌尿器科にでも紹介すればええやないか」、という言葉が返ってきたのです(注2)。単に「尿の色が濃い」だけでこちらが何もせずに紹介するのはおかしいと感じましたし、このときに私は既存の縦割りの専門医療というものに疑問を持ちました。そして<ならばどのような症状の患者さんも診られるようになるべきではないか>と考えたのです。

 私がタイのエイズホスピスを初めて訪れたとき、そこで目にした光景は、家族からも地域社会からも病院からも追い出され、行き場をなくした末期のエイズ患者さんたちでした。その施設で働いていた医師たちは欧米から来ていたボランティアの医師でエイズ専門医ではなくプライマリケア医でした。抗HIV薬が普及しだしてからはエイズ専門医も診療に関わりだしますが、エイズ専門医の仕事は主に適切な薬の選択にあり、実際に患者さんの声を聞き症状に対処するのはプライマリケア医です。私はタイのエイズ施設で欧米のプライマリケア医たちの診療を目にし、指導を受けました。

 先に述べた研修医時代の皮膚科での経験もあり、私は何らかの専門医ではなくプライマリケア医を目指すことを決意し、帰国後母校(大阪市立大学医学部)の総合診療部の門を叩きました。ちょうどその頃、全国的にプライマリケア(総合診療、家庭医療)が注目されだしていたのは予期せぬ偶然でした。しかし大学での研修だけでは不充分です。

 そこで私は、月曜日は病院の婦人科で研修、火曜日は整形外科クリニックでの外来見学、水曜日は皮膚科で・・・、というように日替わりで複数の医療機関に研修(修行)に出ることにしました。これらの多くは無給であり、そのような「前例のない」私の行動に対して同僚の医師たちからは不思議がられましたが、それが最も効率がよい研修方法であることを確信していた私は気に留めませんでした。

 このように、これまでの半生を振り返ると、進路の決定や変更には私の心に生じた「違和感」がきっかけとなっていて、とった行動は常識や前提に縛られないもの、もっと言えば常識や前提に刃向かうようなものです。こんな私は「従順な羊」ではないでしょう。ひとりで生きていく「野良猫」ほどかっこよくはないでしょうし、「過去から見た今の自分が常に成熟した自分」と言えるかどうかも疑問です。しかし、少なくともこれまでの人生に後悔はありません。

 キム氏は、『媚びない人生』のなかで「いつまでたっても学ぶだけの人は、それだけの存在で終わってしまう」とも述べています。私自身も学ぶだけでなく、「違和感」を大切にし「常識や前提を疑う」ことの大切さを他人に伝えていきたいと思います。

注1:この本が出版された直後にキム氏の学歴詐称が明らかとなり、自身もウェブサイト(下記URL)でこの点を謝罪されています。なかには、学歴詐称する者の言論など聞くに値しない、という声もあるようですが、私自身はそのようなことがあったとしても一読に値する良書だと感じています。
http://johnkim.jp/message.html

注2:このように書くと私はこの先生を嫌っているように思われるかもしれませんが、嫌っているわけではなくその反対で、この先生は今も私にとって皮膚科領域での尊敬する先生のひとりです。

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