メディカルエッセイ

2017年9月25日 月曜日

第176回(2017年9月) 臍帯血移植の罪と医師の掟

 私はほとんどテレビを見ないこともあり、恥ずかしながら小林麻央という人について他界されるまで名前すらも知りませんでした。有名人が亡くなったとしても、それが医師の間で話題になることはそう多くありませんが、小林さんの場合は医師の掲示板に多くのコメントが寄せられていました。

 その最大の理由は「効果が期待できるとは到底思えない民間療法を受けていた」というものです。医師の掲示板にはその民間療法を実施していたクリニック名と医師の名前(ここからは「S医師」とします)も記載されていました。そして、S医師の名前を忘れかけていた頃、再び新聞で目にすることになりました。

 S医師は「臍帯血」を使った”再生医療”を「無届け」で行い、しかも極めて高額な料金を患者に請求していた、というのです。私が言いたいのは「無届け」という違法行為が許せない、ということではありません。それも歴然とした罪ですが、そんなことよりも、臍帯血を「再生医療」として用いて、高額な料金を取っていたことの方が遥かに問題です。

 このS医師、本当にこんなことをして患者さんに有益だと思っていたのでしょうか。いくらひいき目にみても、こんな治療が「再生医療」になるはずがありません。

 私は「広く認められていない治療をすべきでない」と言っているわけではありません。患者さんが望む治療であれば、エビデンス(科学的確証)のレベルが低いものであったとしても、安全性が担保されるのであれば、患者さんが強く希望したときには「では一度試してみますか」と答えることもあります。

 ですが、こういった充分なエビデンスのない治療、それも実績のない治療については、医師の側から勧めるべきではありません。もしも、勧めるとするなら、その科学的根拠を示さなければなりません。また、根拠を示すのは患者さんに対してだけでなく、他の医師に対しても、です。歴史のない新しいことをおこなうのであれば、きちんとデータをとって報告する義務が医師にはあります。

 ここで、このような臍帯血移植が「治療になるはずがない」ことを説明したいと思います。

 そもそも「臍帯血移植」というのは、白血病など難治性の血液疾患に行われる治療で、対象は「小児」のみです。血液をつくる幹細胞(血液幹細胞)が「悪い血球」を作り出すのが病気のメカニズムですから、この役立たずの幹細胞を殺してしまって、他人の健康的な血液幹細胞に取り換えるという方法です。臍帯血移植であっても、治療方法は原則として通常の骨髄移植と同じです。臍帯血移植が小児のみを対象としているのは、臍帯血には幹細胞がわずかしか含まれておらす、成人では量が足らないことが最大の理由です。

 臍帯血移植の治療方法は骨髄移植のときと同じですから、移植前には役立たずの血液幹細胞を殺さなければなりません。全身に放射線を照射し、抗がん剤を投与します。これを「前処置」と呼び、これで元の血液幹細胞が消滅し、血球がまったくつくられなくなります。このような状態ではわずかな病原体にも打ち勝つことができませんから、移植を受けるときは無菌室に入ります。

「前処置」が終わればドナーの臍帯血を「移植」することになります。移植といっても肝臓や腎臓の移植とは異なり、静脈に臍帯血を点滴するだけです。通常の骨髄移植の場合、入ってきたドナーの骨髄細胞が、治療を受ける側の組織を破壊しだすことがあり、これを「GVHD」と呼びます。これは移植に伴うとてもやっかいな副作用なのですが、臍帯血移植の場合は、このGVHDのリスクが大幅に低下します。

 さて、逮捕されたS医師らはどのように「臍帯血移植」をおこなっていたのでしょうか。S医師のクリニックにはもちろん無菌室などありません。報道から推測すると、単に臍帯血を希望者の静脈に注射していただけのようです。報道にあるように、これでがんが治り若返ると言っていたということが本当だとすると「罪」以外の何ものでもありません。

 少し医学的に解説しておくと、”患者”に静脈注射された臍帯血は、その人にとっては異物ですから、免疫系の細胞が立ち上がり、入ってきた臍帯血を”処分”して、それで終わりです。当たり前ですが、前処置をしていない状態で臍帯血を注射しても臍帯血に含まれる細胞が、骨髄に住み着くことなどあり得ません。

 一連のマスコミの報道を見聞きして「だまされて臍帯血移植を受けた人たちはなぜ怒りを表明しないのか」と疑問に感じる人もいるでしょう。この理由は主に3つあります。

 1つは、「一度信じたものは簡単に覆らない」ということです。高額の治療費を払ったんだから何らかの期待ができるに違いない、それは今は起こらなくても数年後に起こるかもしれない、という心理が働くのです。実際にプラセボ効果で体調がよくなることもあるでしょう。2つめはこういう治療を受けたからといって「危険性」はほとんどない、ということです。治療をして悪くなったとすれば(最たる例は手術を受けて死亡)「訴えてやる!」という気持ちになりますが、この治療で悪くなるわけではありません。3つめが「効果には個人差がある」などといった文章です。こういった文言が同意書に書いてあるはずで、文句を言っても「この同意書にこう書いてあるでしょ」と言われれば反論できなくなるのです。小林麻央さんのご遺族がS医師に苦情を申し立てているかどうかは分かりませんが、おそらくこの3つめの理由から、訴えても勝ち目はないでしょう。

 さて、医学部受験は簡単ではありませんが、医学部を卒業するのはもっと大変です。医師国家試験はほとんどの医学生が合格しますが、6年間で学ぶこと、実習、試験などは本当に酷烈です。それらを乗り越えた医師が、今ここに述べたことを知らないはずがありません。つまり、マスコミが指摘しているように、S医師らははじめから効果がないことを知っていて金儲けのためにこのような悪事を働いたとしか考えられないのです。

 ですが、なぜなのでしょう。どこで道を踏み外したのでしょうか。社会では「悪徳医師」のイメージがよく風刺されますが、実際に金儲けを考えている医師など(ほとんど)いません。むしろ、お金よりも価値がありやりがいのある仕事をしていることに医師は誇りを持っています。これは医師の「矜持」と言っていいと思います。

 このような話を医師以外の人と話すとよく言われるのが「どの世界にもおかしな人がいる」という意見です。たしかに学校の先生にも政治家にもおかしな人はいるでしょう。それは分かります。ですが、医師には「ヒポクラテスの誓い」があり、日本医師会の倫理要綱には「医師は医業にあたって営利を目的としない」という文章があります。

 これらは「法律」ではありませんから”法的には”強制力はありません。ですが、法律が最も重要なわけではありません。我々医師にとって「営利を目的としない」というものは法律よりも遥かに重要ないわば「掟」なのです。「掟」に背けばこの世界ではもはや生きていくべきではありません。

 今後このような”罪”を犯す医師をどうやって未然に防げばいいのでしょうか。以前も述べたことがありますが、「医師の年収に上限を設ける」が最も現実的ではないでしょうか。そして、できれば下限もつくってもらえれば安心して医療がおこなえます。例えば、医師の年収は「国家公務員と同等とする」として、国家公務員の最低年収と最高年収の間にするのです。保険診療の財源の大半は、国民から徴収している税金と保険料であることを考えると、この私の案もまんざら的を外していないのではないでしょうか。

 
参考:メディカルエッセイ
第155回(2015年12月)「不正請求をなくす3つの方法」
第79回(2009年8月)「”掟”に背いた医師」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2017年8月28日 月曜日

第175回(2017年8月) 「少子化」と「保育園不足」の矛盾

「保育園落ちた日本死ね」という言葉を初めて耳にしたとき、私はあまりいい気分がしませんでした。しかし、一度頭に入ると追いやることができず、国会で取り上げられたと聞いたときはさすがに驚きましたが、2016年の流行語に選ばれたという報道を目にしたときは納得がいきました。

 この言葉が多くの日本人の心に(良くも悪くも)響いたのは、自分の子供を保育園に入れたくても入れられない、そしてそのために働くことができない保護者が少なくないということをある程度は感じているからでしょう。なかでも、シングルマザーたちは、子供のために身動きが取れず、支援者がいなければ生活もままならなくなります。(「保育園落ちた…」を投稿した人が男性か女性か、またシングルマザーか否かについて私は知りません。この人がシングルマザーだろうと言っているわけではないことをお断りしておきます)

 一方、「少子高齢化」が叫ばれて長い年月がたちます。私が前の大学(関西学院大学)で社会学を勉強していたとき、これが討論のテーマになったこともありましたから、少なくとも80年代後半には少子高齢化が問題になっていたのは間違いありません。

「少子」つまり子供の数が減っているなら、保育園や幼稚園の数は余るのでは?と常識的には考えられます。ですが、現実はその逆であり、地域によっては最寄りの保育園に入れるのが絶望的だそうです。そして、ついに「日本死ね」という言葉が日本全国を駆け巡り、国会でも取り上げられたというわけです。

 保育園に入れないと困るのは誰か…。「子供」と答える人もいるでしょうが、やはり保護者、特にシングルマザーです。日本では「子育ては神聖なもの」と言わんばかりの価値観があり、子育ての不満や愚痴はなかなか簡単には口にできません。実際、「生まれてきてくれてありがとう」のような文章をSNSで発すると、好意を持たれるという話を聞いたことがあります。ですが、実際には不満どころか子供の「悪口」を言いたくなることがあっても不思議ではありません。いえ、実際に悪口どころか暴言を吐いてしまう、さらに「虐待」と呼べるレベルにまで及んでしまうこともあります。

 私が医学部の学生のとき、ある会合でこの話題が取り上げられたことがあります。その場にいた私以外の医学部生全員は、「そんな母親に子供を育てる資格はない」「ただちに児童相談所が介入すべき」といった意見で一致していました。しかし、私の意見はまったく正反対でした。「むしろ母親の声に耳を傾け、母親を支援することが先決だ」、これが私の考えでした。そのとき私に賛同する声はなく、完全に私は「異端児」となりました。

 ですが、私のこの考えは今も変わっていません。太融寺町谷口医院にもシングルマザーの患者さんは少なくありません。子供にはもちろん愛情はあるけれども(それは言葉だけではなく真実だと思います)、時に暴言を吐いてしまう、あるいは叩いてしまう、と告白する人もいます。私はできるだけ客観的に評価するように心がけ、必要あれば、児童相談所や地域の保健所や役所に相談するよう助言しています。その結果、子供を施設に預けることになった、というケースもあります。

 これは私の個人的な意見ですが、子育てとはそもそも親だけがおこなうものではなく地域社会が担うものではないでしょうか。実際、昭和時代には親がほったらかしにしていても、地域に育てられてまともに成長する子供が当たり前のようにいました。こういう話になると「昭和レトロを懐かしむ」ようになってしまいますが、私は昭和時代を盲目的に絶賛しているわけではありません。私自身がもう一度人生をやり直せるとして、昭和か平成、どちらがいいかと問われれば迷わず「平成」と答えます。平成生まれはうらやましいと思うことが多々あります。

 ですが、子育てということに関して言えば、両親だけでも相当しんどく、シングルマザーがすべてを担うというのはほとんど不可能だと思います。何もかもひとりで背負って一人、ときには二人のお子さんを育てているシングルマザーをみると、もしも時代が昭和だったら…、と考えてしまうことがあります。
 
 保育園落ちた日本死ね、に話を戻します。これが国会でも取り上げられたということは、国会議員のセンセイ方にも、保育園不足の現実および子供を育てる保護者の苦悩を理解いただけたのではないかと私は思いました。いざなぎ景気を抜く好景気などと言っているわけですから、予算を子育て支援に回してもらえるに違いないと…。

 ところが、実際はどうでしょう。2017年の国会で盛り上がり、連日新聞や週刊誌で取り上げられていたのは、ナントカ学園がどうのこうのとか、防衛大臣が不適切な発言をしたとかしないとか…。改めて言うまでもないことですが、国会を開くのに必要な費用は税金から支払われています。国会議員のセンセイ方の給料は決して安くありませんから、1日国会を開けば億を超える税金が消えてしまうはずです。(一説によれば1日あたりの費用は3~4億になるそうです)

 ところで景気がいいと言われていますが、ならば税金が増えて各地域の保育園への費用も増えているのでしょうか。日経新聞2017年7月29日によると、都心部で住民税の減収が目立ち、東京都世田谷区では前年比で89%(11%の減少)、31億円も減ったそうです。これだけ減れば市民サービスの質は当然落ちることになります。実際、同区では、児童養護施設を巣立つ若者の学費支援など8基金への寄付募集を開始したそうです。

 住民税が大幅に減っているその最大の(そしてほとんど唯一の)理由が「ふるさと納税」です。周知のようにふるさと納税は誰でも好きな地域に寄付することができて、その分自身が住んでいる地域の住民税が軽減されます。本当に寄付をするその地域の支援がしたくて寄付をするのであればまだいいのですが、高価な「返礼品」を目的にふるさと納税に励んでいる人が多いと聞きます。

 この良し悪しをここで論じるつもりはありません。私が言いたいのは「政治家のセンセイ方はいったい何をしてるの??」ということです。「保育園落ちた…」が国会で取り上げられたおかげで問題意識は俎上に上がったはずです。では、これまでに具体的にどのような対策が取られ、どのような成果が出ているのでしょうか。

 保育園不足をなんとかしなければならない、ということについては与党も野党もないでしょう。ナントカ学園などの問題は、国会が終わってからどこか別の場所で与野党数人で話し合ってもらえばそれで充分だと思います。

 私個人は政治的にはニュートラルで特定の支持政党を持っておらず、選挙の度に投票する政党が異なるような中途半端な市民ですが、もしも「国会では大切な話をしよう。ナントカ学園の問題などは後でファミレスで」と発言する政治家が入れば票を入れたいと思います。

 新聞の報道によれば、全国の児童相談所が2016年度に対応した児童虐待の件数は前年度比18.7%増の122,578件。1990年度の集計開始以来、26年連続の増加で過去最多を更新したそうです。もう待ってられません…。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2017年7月23日 日曜日

第174回(2017年7月) なぜ「再診代」でなく「初診代」が請求されるのか

 一般の人が医療機関を受診した感想を語る、読売新聞の「わたしの医見」は人気があり、すでに700回を超えているようです。受診してよかった、とする「医見」も多いのですが、その逆のもの、つまり医師に否定的なものも少なくなく、こういうものは医師のポータルサイトなどでよく話題になります。(過去のコラムでも取り上げたことがあります)

 今回は最近掲載されたある読者からの「医見」を紹介したいと思います。これは医師のなかでも意見が割れて大変盛り上がりました。今回はなぜこのような問題が起こるのかについて解説し、さらに解決策について述べたいと思います。

 2017年7月10日に「「再診」のはずが「初診」、もうけ主義の名医」というタイトルの投稿が掲載されました。投稿したのは札幌の50代の男性です。内容を簡単にまとめると次のようになります。

 扁平苔癬と呼ばれる湿疹が下半身に生じ受診し治療を受けた。その後、背中にかぶれが生じ受診した。2回目の受診は「再診」になると思っていたら「初診」の請求をされた。医療機関に質問すると、「前者の症状は完治した。後者は別の病名になるので初診で算定した」と回答された。

 この投稿をめぐって医師のポータルサイトでは議論が分かれています。この医師のやり方に問題がないと考える医師は、『保険診療の手引き』という書物に書かれている「第1病が治癒した後であれば第2病が短時日後の診療開始でも初診料は算定できる」という文言を根拠としています。(尚、この「初診・再診問題」は過去のコラムにも書いていますので合わせて参照してください)

 これを文字通りに解釈すれば、前者の疾患が治っていれば次の診察のときは「初診」で問題がないということになります。問題は「治っている」かどうかの判定をどうするか、です。今回の投稿については、医師の意見も「初診ではなく再診にすべきでは」という見方の方が多かったようです。しかし、例えば次のような例であればまた変わるはずです。

 症例1:7月1日に風邪で受診。7月15日に湿疹で受診。

 こうなると風邪は普通は数日で治りますから、先述した『保険診療の手引き』に従えば「初診」となります。ですが、現実はそう簡単ではありません。実際、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では、この場合も「再診」としていますし、他の多くの医療機関でも同様だと思います。

 なぜなら、7月15日にこの患者さんがやってきたとき、通常は「この前の風邪はどうでしたか? 何日くらいで良くなりましたか? 今は完全に症状がとれていますか?」と言ったことを尋ねるからです。これは問診と言えなくもありません。それに患者さんの心理としてもメインの訴えが湿疹であったとしても、風邪の報告もしなくちゃ…、という気持ちがあるでしょう。
 
 ここで、この逆バージョンを考えてみましょう。これは「わたしの医見」の札幌の男性と同じ条件になります。

 症例2:7月1日には湿疹で、15日には風邪で受診

 通常、扁平苔癬を含む慢性の湿疹はすぐには治りませんし、治ったとしても再発の可能性があり、さらに再発を防ぐために生活上の注意を説明しなければなりません。2回目の受診理由が風邪であったとしても1回目の湿疹の様子を確認し助言をおこなうのが普通だと思います。では次のケースはどうでしょう。

 症例3:7月1日に湿疹で受診。8月1日にも湿疹で受診。

 このパターンについては過去のコラムでも紹介したように『保険診療の手引き』の解釈の仕方によっては「初診」になります。ですが、患者さんの心理としては「再診」でしょうし、医師の方も、「経過をみせてほしいので1か月後に再診してください」ということはよくあります。(初診の次の再診が1か月後というのはあまりありませんが、何度も通院しているうちに1か月後や2か月後の再診になることはよくあります) では次はどうでしょう。

 症例4:7月1日に湿疹で受診、翌年の7月1日に湿疹で受診。

 これはいったん治った、または治ってなくても患者さんの方が治療を自己判断で中断したと考えて「初診」となると思います。谷口医院でもこのケースは初診にすることがほとんどです。つまり、1年後というのは「再診」として認められないと考えられるのです。ですが、では2か月後なら? 4か月後は? 半年後は?…、という問題がでてきますからどこかで区切りをつけなければなりません。

 そこで、谷口医院の場合は「風邪など急性疾患なら1か月、慢性疾患なら6カ月」というルールを決めています。例えば、7月1日に風邪で受診し、8月1日にも風邪で受診した場合、風邪は短期間で治りますから8月1日には「初診」となります。(ただし、7月1日の風邪が治っていない場合はもちろん「再診」です) 慢性の湿疹で7月1日に受診した場合、次の受診が半年後の1月1日になれば「初診」になりますが、12月31日なら「再診」です。

 一応、これですっきりしますが、問題がないわけではありません。それはこのルールは谷口医院独自のものであり、絶対的に正しいわけではないからです。もしも件の札幌のクリニックが谷口医院の近くにあれば、同じような理由で受診するのに2つのクリニックで診察代が異なる、という矛盾がでてきます。一般のサービス業なら値段が変わってもいい(というより自由経済下では値段が一緒であることがおかしい)わけですが、保険診療は全国どこにいっても価格が同じでなければなりません。医師の判断で値引きができないのと同じ理由で、本来は「初診・再診」のルールも全国で統一されていなければならないのです。

 では、この「初診・再診問題」、抜本的な解決法はないのでしょうか。現時点で「ある」とは言えませんが、期待できるものが登場しそうです。それは「レセプト審査自動化」です。現在厚労省はAIなどを駆使してレセプト(診療明細書)をコンピュータが医療機関の算定が適切かどうかを判断することを検討しています(注1)。これが実現化すると「このケースは初診か再診か」と悩む必要はなくなります。なぜなら自動化するということはルールも明確化されるからです。

 そもそも、現在のレセプト審査は審査員によって基準が異なることが一番の問題です。保湿剤の処方数が審査員や地域によって異なるのはおかしいということを過去のコラムで述べましたが、これらも自動化によりクリアになれば、患者さんからみても透明化しますし、我々医師はストレスが軽減しますし、これまで審査をしていた人の人件費が削れますから行政としても好ましいわけです。

 利点はまだあります。レセプト審査自動化が実現化すれば、ルールが明確化しますから、おそらくそのルールが電子カルテに組み込まれるでしょう。そうすれば医療機関でも自動で初診か再診かを電子カルテが判断するようになります。今回の札幌のような問題は金輪際起こらなくなるはずです。

 最後に私の「医見」を述べておきます。それは、「その医療機関をまったく初めて受診するときだけ「初診」とし、その後は何年たっていたとしても「再診」とすべきだ」というものです。初診時には、患者さんから多くの情報を収集して、また医師は患者さんのキャラクターを見極めていかねばなりませんから相当の時間がかかります。一方、再診のときは数年間のブランクがあったとしても、初診のときほど長い時間がかかるわけでは通常はありません。

 レセプト審査自動化が始まらなくても、この方法が一番すっきりすると思うのですが、残念ながらこの私の「医見」に賛成してくれる人は今のところ見当たりません…。

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注:下記を参照ください。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000170011.html

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2017年6月25日 日曜日

第173回(2017年6月) 長時間労働の是正よりも大切なこと

 長時間労働と自殺の問題が大きく取り上げられるようになり、労務管理のあり方を見直す企業が増えています。過重労働が自殺の原因、という話題になると世間でよく取り上げられるのが、2015年のクリスマスに若い命を絶った東大卒の電通の女性新入社員ですが、我々医師の間では、その直後、2016年1月に自殺した新潟市民病院の37歳の女性研修医のことがよく話題に上がります。

 この二人の自殺、共に入職して間もない若い女性であった、二人とも長時間労働が原因であった、という以外にも「共通点」があるように思えてなりません。今回は、そのあたりを分析し、真の原因は何だったのか、同じことを防ぐにはどうすればいいのか、といったことを考えてみたいと思います。

 被害者の性格は報道からは本当のことがわかりませんし、余計な想像はすべきでありませんが、ふたりともある程度責任感が強く真面目な性格だったのは間違いないでしょう。そして真面目すぎるがゆえに上司や同僚からのプレッシャーを人一倍強く感じていたということは推測できます。一部の報道では「イジメ」「パワハラ」といった言葉も出ていますが、こういったことがあったのかどうかは司法に委ねるべきであり、私は言及すべき立場ではありません。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも、過重労働やパワハラが原因(または原因の一部になっている)と思われる患者さんは少なくありません。受診した患者さんが大企業勤務の場合は、「まず社内の産業医に話をすべき」という説明をします。薬はまったく処方しない、または最小限の処方とし、「今の状態は薬で治すようなものではない」と説明します。産業医に手紙を書くこともよくあります。産業医がしっかりしていればたいていこれで”とりあえずは”うまくいきます。産業医が患者さんの話を聞いてくれて、必要あれば休職制度などを利用してくれるからです。ですが、その後過重労働やパワハラがなくなり、安心して働けるようになるかというと、それはいろいろなケースがあります。

 電通も新潟市民病院も大きな組織ですから社内(院内)に常勤の産業医がいるはずです。自殺した二人は産業医との面談はしていなかったのでしょう。していれば勤務時間が見直されていたはずだからです。そして、私が日々患者さんから相談を受けているようなかたちでは、二人は一般の医療機関を受診していなかったに違いありません。もしも受診していたら、私がしばしばおこなっているように診察医は産業医に連絡を取るはずだからです。

 日ごろ、労働環境が原因で心身に不調をきたしている患者さんを診ている私としては、この二人の自殺の話を聞いたとき、「なんで私に相談してくれなかったの!?」と思わず叫びたくなりました。東京と新潟ですからそんなことできるわけがありませんし、もしも相談してくれたとしても救えた保証はどこにもないのですが、特に新潟の研修医のことは何度もそのようなことを考えてしまいます。

 自殺した研修医は37歳。一方私が研修医だったのは33~35歳のときですから、私がその場にいれば…、とついつい考えてしまうのです。もちろん、私がいれば…、などと考えるのは単なる私の「傲慢」であり、実際にはまったく無力だったかもしれません。そもそも、この病院にも年はずっと若かったでしょうが同期の研修医はいますし、研修医でなくても医師は大勢いるわけですから、私が感じるよりももっと強く「なんで相談してくれなかったの」と感じている医師はたくさんいるに違いありません。

 電通の社員も同じはずです。同期の社員というのは共通の悩みを抱えていますから、どこか”戦友”のような結びつきがあるのが普通です。私が会社員をしていた頃も、同期の悩みをよく聞いていました。もしも私が会社員時代に同期が自殺するようなことがあれば「できることがなかったのか…」と生涯にわたり後悔するに違いありません。また同じ部署の上司も同様の思いでしょう。一部の報道では「イジメ」などと言われているようですが、部下が困っていて喜ぶ上司などいるはずがありません。自殺した女性の保護者の方は電通を憎んでも憎み切れないという気持ちになられるでしょうが、一緒に仕事をしていた同僚や上司も深い悲しみに苦しめられているはずです。

 ではどうすればよかったのか。〇〇さえしていれば…という「回答」はありません。そんな単純な話ではないのです。もしも同期の社員が話を聞いていれば…、上司が相談に乗っていれば…、産業医との面談を受けていれば…、体調不良から医療機関を受診していれば…、いろんなことが考えられますが、これは後から言えることですし、もしもこのうちの1つが実行されていたとしても悲劇が防げた保証はありません。

 ですがこれだけは言えるということがあります。それは現在議論されているような「長時間労働を改善すれば防げた」という考えに固執すべきではない、ということです。たしかに、長時間労働と過労死や自殺を裏付ける報告は多数あります。最近では、長時間労働の実態が判れば、比較的簡単に労災の認定がおりるようになってきています。長時間労働が様々な心身疾患の危険因子であることは間違いありません。ですが、その影に隠れて「他の要因」が見過ごされるようになってはいけない、というのが私の考えです。

 以前、研修医の過労死を調査していたジャーナリストから取材を受けたことがあります。当時は私自身が研修医を終了して間もない頃であり、現場の意見を聞きたい、と言われたのです。そのときに私が答えたのは、「研修医の場合、どこまでが勉強でどこからが仕事かという境界が非常にあいまい。事務仕事はあきらかに仕事だけれど、自分が診察している患者さんの関連の論文を読んだり、手術の前日に縫合の練習をしたりするのは<仕事>とは言い難い。どこまでが労働時間と言えない以上は、単に研修医の過重労働はNGといっても話が始まらない」というものです。

 アメリカでは、研修医の勤務時間は週に80時間以内に制限されています。日本の労働法では週あたりの労働時間は40時間ですから、数字だけで考えるとアメリカの研修医は日本人の倍働いている、となりますが、日本の研修医というのはほとんど病院に入りびたりですから80時間どころではありません。私が研修医2年目の頃は、寮が病院の敷地内にあったこともあり、やっと深夜に戻って寝ようとするとポケベルですぐに病棟に呼ばれて、なんてことは日常茶飯事であり、24時間とまでは言いませんがプライベートなどほとんどありませんでした。

 そのときの苦労があるから医師としての今がある、などというと過重労働を肯定することになってしまいますが、私が言いたいことは、過重労働は悪くないということではなく、過重労働を減らすべきことには同意しますが、それ以外の「心身をいい状態に保つ方法」があるということです。

 私の場合、会社員時代も研修医時代もかなりの長時間働いていましたが「楽しいこと」あるいは「癒されること」が多数ありました。同期との語らいや先輩の助言などです。また、私の場合は自分が「おせっかい」な性格であることもあり、悩んでいる同期や後輩を放っておけずよく話を聞いていました。(なかには、おせっかいが度を越して嫌がられたことがあったかもしれませんが…)

 自殺した若い二人の共通点。二人とも同期や先輩に腹を割って話すことができなかったのではないでしょうか。もちろん「何でも話さなければならない」わけではありませんし、人間関係には相性もあります。ですが、二人の近くにいた人たちは「あのとき声をかけていれば…」と後悔しているに違いありません。

 同じような悲劇を防ぐために考えるべきこと。長時間労働の是正も重要ですが、それ以上に大切なのは周りに悩んでいる人がいないかどうか日ごろから気に掛けることではないでしょうか。もしも「話したくない」という性格の持ち主なら、産業医と面談できることや、体調不良があれば医療機関を受診するのもひとつの方法であることを伝えてあげてほしい。それが私の考えです。

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2017年5月23日 火曜日

第172回(2017年5月) 医師に尋ねるべき5つの質問

 医師の世界のことが世間では理解されていない、と感じることはしばしばあります。もちろんある程度は仕方がありませんし、「こんなに頑張ってることを知ってください」と言うつもりもありません。どのような業界でも少しくらいは世間から誤解されていることがあるのはむしろ当然でしょう。

 ですが、その「誤解」のために、医師が大きな不利益を被る、さらに結果として多くの患者さんにも損失を与えることがあったとしたらどうでしょう。そのような「誤解」を世間に与えかねない「うんざりさせられるニュース」をまずは紹介したいと思います。

 医師の情報サイト『M3.com』に「「増収のために不要な検査」は事実か」という記事(注1)が2017年5月3日に掲載されました。この事件のあらましをまずはまとめてみましょう。

 2015年12月10日、当時69歳の女性が国立病院機構横浜医療センターに入院しました。診察の結果、心臓カテーテル検査が必要と判断され実施され、結果、心臓に異常はありませんでした。しかし、女性は「増収のために不要な検査をされた」という理由で病院を訴えました。

 この女性は総腸骨動脈瘤という疾患が疑われて入院しています。総腸骨動脈は下半身にある動脈ですから心臓とは関係ないと思われるかもしれません。ですが、総腸骨動脈瘤が疑われるということは動脈硬化が進行している可能性があり、それならば心臓の血管の状態を評価しておくという考えは何ら間違っていません。ですから医療行為自体には「過失」があるようには思えません。

 ですが、私は横浜医療センターに問題がないと言っているわけではありません。心臓カテーテル検査は多少なりとも危険が伴う検査です。ですから、緊急性がある場合を除き、その必要性と危険性を充分に説明し、また患者さんが充分に理解した上で実施しなければなりません。医師側が充分に説明したつもりであったとしても、結果的に患者さんが「知らなかった」と言えば、医師の過失の可能性が出てきます。これは同意書にサインがあったとしても、です。

 したがって、危険性を知らされていなかったなら「説明義務違反」という理由で、医師や病院を訴えることには筋が通っています。ですが「増収のため」などあるわけがないのです。
 
 横浜医療センターは国立病院です。国立病院も利益がまったくなければ存続できませんが、医師が「利益」を考えて仕事をしているわけではありません。そもそも、心臓カテーテル検査を実施しようがしまいが、その医師の給料が変わるわけではありません。上司から「今月は売上が少ないからあと〇件心臓カテーテル検査のノルマを課す」と言われるわけではありません。医師が考えているのはchoosing wisely(注2)です。つまり、「ムダな検査や投薬を減らす」のが医師がいつも考えていることなのです。

 病院では、ひとりの医師が独断でものごとを決めるわけではありませんし、カンファレンスでは症例ごとに検討がおこなわれます。入院し心臓カテーテル検査を実施するような症例であれば必ずカンファレンスで取り上げられます。もしも不要かもしれない検査がおこなわれていれば、他の医師から猛烈な攻撃を受けることになります。(逆に必要な検査をおこなっていなくても責められます)

 最近、医師は労働者かどうかという議論がよくおこなわれます。医師は拘束される時間が長く、病院に泊まり込むことも日常茶飯事であり、また自宅に戻っても勉強しなければなりません。どこまでを「労働」とみなすかが曖昧であり、医師の仕事は「聖域」だから労働法は適用されるべきでないという考えがあります。実際、日本医師会の横倉義武会長は2017年3月29日の記者会見で、「医師が労働者なのかと言われると違和感がある。(中略)医師の雇用を労働基準法で規定するのが妥当なのかを抜本的に考えていきたい」と述べました。

 医師はお金のために働いているわけではない、と言うときれいごとに聞こえるかもしれませんが、これは大筋で事実です。病院勤務の場合、どの科であろうが給料が変わるわけではありませんし、歩合制でもありませんし、ノルマもありません。ですから、循環器内科医が、今月は〇件の心臓カテーテル検査を実施しなければ…、などという発想にはならないのです。

 開業医の場合も(以前も述べましたが)、医療法人であれば解散するときに内部留保はすべて国に没収されますし、choosing wiselyをいつも考えています。我々が苦労するのは「いかに増収」ではなく、「いかにムダな検査や投薬を減らすか」です。「金払うって言うてるやろ!」と患者さんに暴言を吐かれながらも、我々は必要なことのみをおこなっているのです。

 なんでこんな簡単なことが”聡明な”弁護士に分からずに「増収のため」などと言いだすのか…、と嘆きたくなりますが、おそらく実際には弁護士はそんなことは百も承知しているはずです。弁護士が裁判で「増収のため」という理屈を持ってくるのは、そういう戦略をとった方が裁判を有利に進められるからでしょう。それは、「とにかく勝てばよい」という弁護士の理屈に則れば正しくて、原告の女性には喜ばれるのかもしれませんが、社会には迷惑です。

 このような報道がおこなわれると、「医療機関は増収のために検査をやることがあるんだ」と世間に思われる可能性があります。すると、患者さんと医師との間の信頼関係が損なわれることになりかねません。もちろん、すでに(信頼できる)かかりつけ医を持っている人はそのようには思わないでしょうが、今から医師を探すという人は、その病院が増収のための検査をしないかどうかを見極めなくては、と思うかもしれません。

 さて、このニュースを読んで、どうにも「後味」が悪いのは、弁護士のうんざりさせられる戦略だけではありません。患者さんのためにおこなった心臓カテーテル検査を「説明を聞いていたら受けなかった」とどうして言われなくてはならないのか、担当医の立場に立てばとてもやるせない気持ちになります。担当医は、検査で異常がなかったことを患者さんに伝えるときには「きっと喜んでもらえるだろう」と思ったに違いありません。それが、患者さんから「説明をきちんと聞いていれば検査を受けなかった」という言葉が返ってきたというのですから悲しくなります。

 もちろん、先述したように、どれだけ医師が一生懸命に説明していても患者さんが理解できていなければ医師の説明義務違反という「過失」になります。それは分かるのですが、なんとも寂しいというか、このようなニュースが増えると医療者側も患者側もお互いが疑心暗鬼になってしまい、コミュニケーションがうまくいかず治る病気も治らなくなるのではないかと危惧します。

 こういう話題になるとよく出てくるのが「きちんとコミュニケーションをとりましょう」ということで、これは正しいのですが、具体的に患者さんが何をすればいいのか分かりません。そこで、すぐに使える医師への効果的な「5つの質問」を紹介したいと思います。といってもこれは私のオリジナルではなく、世界の多くのchoosing wiselyのウェブサイトに掲載されています。「choosing wisely five questions」でネット検索すればすぐに出てきます。その「5つの質問」を下記に記します。(この「5つの質問」は過去のコラムでも紹介したことがあります)
 
①その検査や治療は本当に必要なのでしょうか?
②その検査や治療にはどのようなリスクがありますか?
③もっとシンプルで安全なものはないのですか?
④もしもそれをおこなわなかったとすればどんなことが起こりますか?
⑤それはどれくらいの費用がかかりますか?

 これを読んで「そんなこと、医師に聞くのは失礼では?」と感じる人もいるかもしれません。ですが、太融寺町谷口医院の患者さんは、日ごろからこういう質問をよくします。これにはおそらく「地域差」が関係しています。

 以前、バンコクのホテルで勤務する知人(タイ人)に聞いた話があります。アメリカ人は何かあればすぐにフロントに文句を言ってくるのに対し、日本人は帰国してから「丁寧な苦情の手紙」を送ってくるそうです。おそらく大阪人はアメリカ人と”感性”が似ているのではないか、というのが私の意見です。

 実はこの「5つの質問」、2017年2月に開催されたある学会で私の発表に取り入れました。その演題のタイトルは「大阪発のchoosing wisely」。この「5つの質問」を日本の医療現場で広めることができるのは大阪人をおいて他にはない、というのが私の言いたいことです。

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注1:下記URLを参照ください。

https://www.m3.com/news/iryoishin/524310

注2:メディカルエッセイ第144回(2015年1月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(前編) 」

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2017年4月21日 金曜日

第171回(2017年4月) こんなにも不便な院外処方

 こんなにも安くなるんですね…

 今年(2017年)になってから患者さんからこのセリフを何度聞いたでしょうか。スギ花粉症に対する舌下免疫療法の薬「シダトレン」は、冷蔵庫のスペースが確保できなかったことから当院は過去2年間院外処方としていました。しかし、あまりにも「院内処方にしてほしい」という要望が多いために2017年1月から院内処方に変更しました。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)は、2007年にオープンしたときからほとんどの薬を院内処方にしていました。この理由はおもに2つ。ひとつは開院当初は近くに調剤薬局がなかったことです。このあたりはオフィス街と繁華街が一緒になったようなところで昼間の人口が多い割にはクリニックがあまりありませんでした。そのため調剤薬局が存在しなかったのです。しかしこの10年で少しずつクリニックの数が増えてきて、そのおかげで調剤薬局も誕生しました。

 谷口医院が院内処方にしている理由はもうひとつあります。そしてこの理由のために、近くに調剤薬局ができたのにもかかわらず院内処方を続けているのです。その理由とは「患者さんを診ていない薬剤師に薬の適正使用を説明できるのか」という疑問を私が持っているからです。

 このようなことを言うと薬剤師からは反対意見が出るでしょう。私も別に薬剤師と喧嘩をしたいと思っているわけではありません。薬剤師の方々には、勤務医時代に随分とお世話になりましたし、また助けられました。医師は自分の患者さんに処方する薬の形も色も大きさもよく知りませんし、「味」となるとまったくお手上げです。ところが薬剤師はこれらを何でも知っているのです。ですから実際の服薬指導は薬剤師の方が医師よりも何倍も上手です。しかし、これは入院患者さんに限ってのことです。入院の場合は、医師と薬剤師が同じ患者さんを「診ている」わけで、看護師も交えたミーティングを頻繁におこない、まさに「チーム」で患者さんに接することができます。

 ところが、外来はそうはいきません。調剤薬局に勤める薬剤師は診察室で患者さんを診るわけではありません。薬局のカウンター越しに患者さんと簡単な会話をするだけで、医師が発行した処方箋をみて薬の「一般的な説明」をするだけです。あえて意地の悪い言い方をすると、そのような「一般的な説明」は添付文書を読めばわかることです。薬の添付文書はネット上で簡単にダウンロードできます。

 なぜ患者さんを診ていない薬剤師に薬の適切な説明ができないのか。例を挙げましょう。

【症例】30代女性Fさん
谷口医院では、喘息とアトピーと花粉症で通院。症状が改善してきたため、吸入薬は今回から別のタイプのものに変更となった。内服は抗ロイコトリエン拮抗薬を1種類と抗ヒスタミン薬1種類、アトピーは経過良好で顔面と首はタクロリムスでコントロール可能。身体も安定してきたためステロイドからタクロリムスに変更を検討。

 この症例に対し、まず吸入薬の「一般的な説明」をおこないます。その後、症状が安定していれば頻度を減らすことも可能で、その減らし方について説明します。Fさんは介護士であり夜勤もあります。その場合吸入する時間をどうするかを考えなければなりません。内服については、抗ロイコトリエン拮抗薬は1日1錠継続し、抗ヒスタミン薬は調子が悪いときには自己判断で1日2錠に増やしてもいいという判断をおこないました。ステロイド外用は次第に弱くすることに成功していますから、今回は全身をタクロリムスでコントロールすることを目標とします。しかし、必ず成功するとは限りませんから、悪化すれば再びステロイドに戻します。ステロイドは部位によって種類も塗る回数も異なります。さらに、ステロイドを「治療」として用いるのではなく「予防」として用いる場合の使用法(これを「プロアクティブ療法」と呼びます)を説明します。

 さて、この説明が医師と一緒にFさんを見ていない薬剤師にできるでしょうか。外用薬の説明はできるはずがありませんし、抗ヒスタミン薬の増量についても患者さんのことをよく知っていなければできません。

 この一例で充分でしょう。患者さんを診ていない調剤薬局の薬剤師に薬の適切な説明をするのは多くの例で困難なのです。

 ところが、21世紀になってから、クリニックの院外処方の割合が急増しています。厚労省が2017年3月29日に公表した「診療報酬(その1)」という資料(注1)があります。この資料に「医薬分業」がいかに増えているかを示したグラフが掲載されています。「医薬分業」とは一言でいえば、「クリニックで医師の診察を受けて、調剤薬局で薬剤師から薬を受け取る」というもので、要するに「院外処方」のことです。グラフをみれば医薬分業率は右肩上がりに上昇しており、平成27年度の医薬分業率はなんと7割。谷口医院のように院内処方を中心としている医療機関は3割しかありません。

 これはなぜなのでしょうか。Fさんの例を振り返るまでもなく院内処方の方が薬の説明をしやすいのは自明です。では、なぜ医薬分業率がこれだけ上昇しているのか。その答えは「厚労省の誘導」です。つまり、厚労省がクリニックに対して医薬分業を促しているというわけです。ですが、なぜ医薬分業をすべきなのか、その理由が私には理解できません。理解できる人に意見を聞いてみたいものです。では、厚労省はどのようにして医薬分業を促しているのか。答えは「クリニックの儲け」です。もちろん医療機関は営利団体ではありませんが、多少は利益を出さないと人件費を払えませんから、利益が高い方に流れるのはある程度は仕方がありません。そこで、クリニックからみたときに院内処方よりも院外処方の方が儲かるように「操作」をおこなったのです。

 つまり、院外処方箋を発行する際の保険点数を高く設定したのです。クリニックで処方箋を発行すると、それが軟膏1本でも「院外処方箋発行代」として680円(3割負担で200円、以下かっこ内は3割負担)かかります。そして薬局では、最大で1,780円(530円)もかかります(注2)。合わせると最大で合計2,460円(730円)もかかることになります。もしも院内で薬を受け取った場合、この費用(処方代)は合計で620円(190円)で済みます。この差額、1,840円(540円)は決して小さくありません。
 
 〇院内処方の場合: ゲンタシン軟膏1本122円 + 処方代620円 (調剤料60円+処方料420円+外来後発医薬品使用体制加算40円+薬剤情報提供料100円)
 〇院外処方の場合: ゲンタシン軟膏1本122円 + 処方箋発行代680円 + 薬局での費用1,780円 (基準調剤加算320円+調剤基本料410円+調剤料350円+かかりつけ薬剤師指導料700円)  

 薬を処方してもらう度に薬代以外にかかる費用が院外処方から院内処方にするだけで最大540円(3割負担)も安くなるのです。冒頭で紹介したように、院外から院内処方に変更するだけで患者さんから感謝されることがよく理解できます。

 院外処方から院内処方に切り替えるとこれだけ安くなり、しかも診察している医師から薬の説明を聞けるとなると、誰が好んで院外処方箋をもって調剤薬局に行くでしょうか。しかも、薬局にまで行く時間と手間がかかるわけです。クリニック側としても、院内処方にすれば、利益は減りますが患者さんには喜ばれます。

 では、なぜ7割の医療機関は院外処方とし、院内処方にこだわる医療機関は3割しかないのか、そして院内から院外への流れが止まらないのはなぜなのでしょうか。おそらくその最大の理由は、院内処方だと「見かけ以上の損失が多い」ということだと思われます。薬の利益というのはほぼゼロです。例えば1錠100円で処方する薬であればだいたい仕入れ値は99円です。もしも薬の準備をするときに床に落としてしまったりすればクリニックの損失になります。また消費期限もあります。期限の切れた薬は廃棄せねばなりません。さらに、品切れをしないように、かつ在庫を抱えすぎないように薬を管理するのは思いのほか大変です。実際、谷口医院のスタッフも薬の管理で疲弊してしまっています。しかも谷口医院のような総合診療のクリニックは取り扱っている薬の種類が非常に多いのです。

 ですが、谷口医院では時代に逆らって院内処方を続けていく方針です。たとえ赤字になったとしても、薬の説明は患者さんを診ている医師や看護師がおこなうべき、という考えを変えるつもりはありません。

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注1:下記URLを参照ください。4ページに医薬分業率がいかに増えているかを示している分かりやすいグラフがあります。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000158273.pdf

注2:注1の資料の43ページに分かりやすい説明があります。

http://www.stellamate-clinic.org/images_mt/0000158273%2043.pdf

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2017年3月25日 土曜日

第170回(2017年3月) 医師が知り合いを診察すべきでない理由

 医師はフェイスブックをすべきでなく、患者さんとは友達になれない、ということを英国医師会の勧告を紹介して過去のコラム「僕は友達ができない」で述べました(注1)。同医師会は医師が患者さんからの「友達リクエスト」を「承認」すると、医師・患者の双方が不利益を被る可能性があることを指摘しています。

 ただ、実際には日本ではフェイスブックをおこなっている医師は少なくありません。患者さんから「友達リクエスト」がきたときに「拒否」することに抵抗があるために、私自身は英国の指針に従って今後もフェイスブックを含むSNSをおこなうつもりはありませんが、実際にフェイスブックをやっている医師に聞いてみると、あまり抵抗なく「拒否」しているようです。私なら、せっかくの患者さんからの友達リクエストを拒否してしまったら、その次に診察室で顔を合わせたときに気まずくなると考えるのですが、このあたり、私の感覚が他の医師とズレているのかもしれません…。

 医師・患者関係というのは、友達関係とはまったく異なるものです。仮に医師・患者の関係から友達の関係になったとして、その患者さんの病状が安定していて回復傾向にあればいいですが、そうはならなかったときに関係がこじれることがあります。外で会ったときの会話をカルテに残すようなことはしませんから、「言った言わない」という問題がでてくるでしょうし、患者さん側は「特別に目をかけてくれている」と誤解することもあるでしょうし、医師の側からみても「なんとかしてあげたい」という気持ちから冷静さを欠く可能性もあります。

 医師とは友達になれません、なんてことを学校で学ぶわけではありませんから、患者さんのなかには医師と友達関係を求める人もいます。もっとも、これは患者さんの立場にたてば理解できることであり、お世話になった人(医師)とこれからもいい関係を続けたい、とか、尊敬できる医師から医学以外のことも学びたい、と考える人もいると思います。医師への感謝の気持ちが恋愛感情に発展することもしばしばあります。(医師・患者のロマンスは原則として禁じられています。日本には明文化された規則はありませんが、アメリカ医師会の「医療倫理の指針」で述べられています。詳しくは過去のコラム(注2)を参照ください)

 診察室で、元気になった患者さんから「今度食事に招待させてください」「プライベートで電話していいですか」といったことはよく言われますし、太融寺町谷口医院は、繁華街に位置していますから、近隣の飲食店につとめる患者さんから「今度うちに食べにきてください」と言われることや、ときにはキャバクラや(北新地の)クラブで働く女性から「一度遊びにきてください」と言われることもあります。このようなとき、私は(というよりすべての医師は)医師・患者は友達になれず外で会えないルールがあるという説明をしてお断りしています。

 残念なのは、すでに私が客として利用している飲食店のスタッフが患者さんとして来院されたときです。「えっ、せんせーやったんですか?」と驚かれ、私の方も「いつも、美味しいご飯を、あ、あ、ありがとうございます…」とかなりぎこちない会話になります。もちろんそのときはプロ意識を持ってきちんと診察しますが、それ以降私は原則としてその店に行かないようにしています。

 しつこく誘われて断れなかったということなのかどうかはわかりませんが、ひとりの医師が暴力団の幹部と外で会い、診断書に虚偽を記載した疑いがもたれた事件が発覚しました。今回はこの事件を振り返って、なぜ医師は知り合いを診察すべきでないかを考えてみたいと思います。

 2014年7月、指定暴力団の幹部である男性が京都府立医科大学で腎臓の移植手術を受けました。報道によれば、同大学の学長が専門外であるのにもかかわらず手術に立ち会いました。そして、手術の1か月前に学長と手術を受けたこの幹部が病院外で個人的に会っていたことが発覚しました。

 この幹部は、恐喝事件で2015年6月に最高裁で懲役8年の実刑判決を受けています。幹部(ここからは受刑者とします)は、「腎臓の持病」を理由に判決確定後から1年半以上にわたり収監を免れていました。いつまでたっても回復しないことに不信感を抱いた大阪高検及び京都府警は府立医大を調査することになります。

「腎臓の病気のため収監に耐えられない」と診断書を書いた医師は、京都府警の任意の事情聴取に対し「院長からの指示で虚偽の書類を書いた」と供述したとされています。これに対し、学長は2017年2月28日に記者会見を開き疑惑を完全否定しました。しかし、そのわずか2日後の3月2日、退職を発表しました。

 その後、一部のマスコミが、府立医大の電子カルテには腎臓の評価に用いられるクレアチニンの値が1.1mg/dLと記載されていたと報道しました。同時期に高検に提出された診断書には10.6mg/dLとされていたそうです。10.6mg/dLなら継続治療が必要であり、とても収監には耐えられません。一方、1.1mg/dLなら、腎機能のみで判断するのであれば、通常の生活を送ることができます。ただ、この情報は私の知る限り、情報の出所がはっきりせず信ぴょう性は定かではありません。ですが、いったんこのような情報が世間に出たわけですから、学長にはこれを説明する義務があります。尚、学長と受刑者が外で会っている現場は複数回目撃されているそうです。

 さて、この事件、どこに問題があるかというと、私的な関係と医師・患者関係が区別されていないところにあります。私は医師が個人として暴力団員と接するのがいけないとは考えていません。現在私はその筋の人で仲良くしている人はいませんが、これまでの人生でその世界と接触しかけたことはないわけではありません。過去にも述べましたが(注3)、小学校には親がヤクザの同級生がいて、家が近所だったこともあり、よく家に遊びに行っていました。彼は小学校卒業と同時に引越し、今はどこで何をしているのか知りませんが、もし引越ししていなかったなら同級生として今も付き合いがあったかもしれません。

 個人的に私は「暴力団排除条例」というものに違和感を覚えますが(注4)、暴力団員の知り合いがいたとすれば、自分で診察することはおこないません。これは暴力団員だから、ではなく自分の知り合いを自分が診察するのが「よくないこと」であることを知っているからです。単なる風邪くらいならいいかもしれませんが、移植が必要なほどの腎疾患であれば、たとえ自分が腎臓専門医であったとしても他の専門医を紹介します。知り合いに治療をおこなえば冷静さを失うことがあるからです。

 マスコミの報道をみていると、この事件のポイントを「ヤクザの親分のために大学病院の医師たちがお上に対して嘘をついた」としているように見受けられます。ですが、真の問題は、患者さんが暴力団員だったことではなく「知人」に便宜を図った疑いが否定しきれない、ということです。もしも「暴力団員」が「政治家」や「権力者」あるいは「医師」であれば、メディアはある程度今回と同じような報道をおこなったでしょう。ですが、「単なる知り合い」であればこのような報道はされなかったに違いありません。

 また、今回のケースは患者が「受刑者」であったことが問題だとされています。ですが、患者が受刑者でなく、診断書の宛先が高検や京都府警でなく勤務先や学校であったとしても、内容に「虚偽」があったとすれば虚偽記載をした罪は同じです。

「暴力団員」「受刑者」という条件を外して考えてみると、2つの問題が浮かび上がってきます。ひとつは、虚偽記載という罪を犯したこと。もうひとつは、医師と患者が知り合いであったということです。難治性の疾患であればカルテの内容や診断書が重要な意味をもちます。すべての文字や文章に、知り合いであることからくる「先入観」や「主観」が入らないと言い切れるでしょうか。

 医師は自分の友達や知人が重大な疾患であればあるほど診察すべきではなく、患者さんと友達になることは避けるべきであり、患者さんからの誘いは断らねばならないのです。医師とはそのような「窮屈な職業」、というのが私の考えです。
 
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注1:メディカルエッセイ第103回(2011年8月)「僕は友達ができない」

注2:メディカルエッセイ第118回(2012年11月)「解剖実習が必要な本当の理由」

注3:NPO法人GINA「GINAと共に」第63回(2011年9月)「暴力団排除条例に対する疑問」

注4:上記注3のコラムを参照ください。

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2017年2月23日 木曜日

第169回(2017年2月) 「レセプト債」の失敗からみる世間の誤解

 「レセプト債」と呼ばれる<高利回りで低リスク>の金融商品を扱っていた金融機関4社が破綻したことが報道されたのは2015年の11月でした。報道によれば、オプティファクター社が運営するファンド3社が発行したレセプト債を、アーツ証券など証券7社が2015年10月時点で約2,470の法人・個人に約227億円分販売し、これが返還できなくなりました。

 高利回りで低リスクの商品などあるわけない、と私のような金融に疎い人間は思いますが、世間には「うまい話」がないわけではないのかもしれません。しかし、レセプト債などというのはその言葉を聞いた瞬間、「うまくいくわけがない。手を出してはいけない」と(ほとんどの)医師は分かります。レセプト債になけなしの年金をつぎ込んで路頭に彷徨うことになったという話を聞くと、なんでそんな胡散臭い商品を買う前に相談してくれなかったの!と見知らぬ人にも言いたくなってしまいます。(私に相談してくる人はいませんでしたが、もしも相談を受けたとすれば瞬時に「絶対に買うな!」と言っていました)

 さて、レセプト債がなぜ儲からないものかを説明していきますが、その前にこの事件に「悪質性」があったのかどうかを考えてみたいと思います。2017年2月16日の朝日新聞(オンライン版)に「レセプト債「高利で安全」容疑の元社長ら投資家に説明」というタイトルの記事が掲載されました。報道によれば、容疑者らがレセプト債を発行したファンドの財務内容が悪化しているのを知りつつ、元本償還や利払いが確実に行えると別の証券会社員らに対して装うための資料を作成していたそうです。

 記事を読めば、この容疑者は「悪い奴」となりますが、私個人の印象としては、初めから「悪いこと」を企んでいたわけではないと思っています。つまり、最初は「レセプト債」が「高利で安全」と真剣に考えていたのではないかと思うのです。私の推理は次のようなものです。

 容疑者たちは医療機関が発行する「レセプト」に興味を持った。通常、医療機関を受診して患者が払うのは3割のみ。残りの7割は支払基金というところなどから2~3か月後に医療機関に支払われる。そのときの「請求書」がレセプトである。医療機関からみれば、入金が2~3か月後というのはもどかしいに違いない。もしも多少の割引があってもレセプトを発行したときすぐに入金されればありがたいのではないか。ん、これは「手形割引」と同じことだ。支払われるのが60日後の1,000万円の手形があったとして、60日後ではなく今すぐに現金が欲しい、現金をくれるなら5%を割り引いた950万円でもかまわない、と考える者がいるから「手形割引」という制度があるわけで、いわば「レセプト割引」を医療機関に提案すればいいのでは、と考えたというストーリーです。

 例えばある月のレセプトの請求合計額が1,000万円の医療機関があったとしましょう。2か月後に1,000万円を受け取れることができるが950万円でいいから今すぐに現金がほしいと考えたとします。ファンド会社は950万円でこのレセプトを買い取れば、その医療機関にも喜んでもらえて、自社は2か月後に50万円の利益がでます。2か月で50万円ですからファンド会社が半分の25万円を取ったとしても、ひとりの顧客が950万円投資すれば2か月後に975万円が戻ります。ということは、2か月での利率は2.63%、これを年利にすればx6で15.78%ということになり、驚くほどの高金利ということになります(計算、あってますでしょうか…?)

 もしも私に医療の知識がないとすればレセプト債は魅力的な商品にうつったかもしれません(金銭的な余裕があれば、の話ですが…)。なにしろ年利15.78%という高金利で、なおかつ医療の需要は減ることはないでしょうから低リスクと考えるのも無理はありません。しかし、レセプトというものがどういうものかを私は知っていますから、このようなものが商品として成り立たないことはすぐにわかるのです。では、その理由を解説していきましょう。

 まず1つめの理由は「レセプトは請求額がそのまま支払われるわけではない」ということです。我々医師は、患者さんの負担をできるだけ少なくすることも考え、検査や処置、薬は必要最小限のものにします。過剰診療にならないように注意しているのです。にもかかわらず当局からは「認められない」とされ支払ってもらえないことが多々あります。これを「査定」と呼びます(注1)。以前にも述べましたが、「医療機関が不正請求をしている」、と言われた場合、大部分はこの「医師は必要と判断したが当局から認められない」という場合のことを指しています。ですから、マスコミが報じる「医療機関の不正請求」というのは実態を反映していません。

 査定された場合、もちろん医師は納得できませんから「再請求」をします。これで医療機関の言い分が認められることもありますが、理由も明かされぬまま「やはり認められない」とされることも多々あります。

 レセプトを医療機関から買い取ったとしても、実際に入金される金額は予定よりも少なくなると考えるべきなのです。レセプト債を考案した人たちはおそらくこういったことまで考えなかったのではないでしょうか。また、買い取ったレセプトが査定されても「再請求」はできません。その患者さんを知らない者は、(たとえ医師であったとしても)なぜその治療が必要だったかについての詳細が分からないからです。

 レセプト債が非現実的である2つめの理由は、そもそも医師には「守秘義務」があるということです。患者さんの情報が詰まったレセプトを他人に見せるということは守秘義務違反ではないのか、という疑問があります。しかし世の中には「レセプト代行業者」というものが実際に存在し、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)もオープンした頃にはそういった業者からの営業活動もありました。私自身は、自分が診察した患者さんの情報を他の機関に見せることに同意できません。法的な守秘義務違反に当たらないのだとしても医師の良心がこれを許しません。そしてこのように考えるのは私だけではないはずです。まともな医師ならレセプト業務(これが大変な作業なのは事実ですが…)を他人に任せるようなことはしません。実際、一部のマスコミは「(レセプト債を企画した)オプティ社は、(レセプトを)売ってくれる病院を探すのに苦労していた」と報道しています。

 理由はまだあります。そしてこの3つ目が、レセプト債が非現実的であると私が考える最大の理由です。証券会社やファンド会社のミッションは「利益を出すこと」ですから、レセプトの金銭的な価値が下がると困ります。レセプト債の顧客を増やすには、高い配当を維持し続けなければなりません。ということは、今月よりも来月、来月よりも来々月の方がレセプトの請求金額が上がることを期待するようになります。もしも、これがサービス業であれば問題ないでしょう。なぜならサービスをおこなう会社のミッションも「利益を出すこと」だからです。サービスをおこなう会社とレセプト債の会社の利益が一致する、つまり「共に儲かる」わけです。
 
 しかし医療機関はサービス業ではありませんし、そもそも利益を増やすことを目的としていません。実際にはその逆で、患者さんの受診をどのようにして減らすか、ということを日々考えているわけです。生活習慣病なら生活習慣の改善を指導し、アレルギー疾患ならアレルゲンや他の悪化因子を取り除く指導をおこない、感染症ならどのように予防すべきかということを伝えるのが医師の使命です。薬を減らすこと、検査の頻度を減らすことがミッションなのです(注2)。

 レセプト債を販売する証券会社やファンド会社は「医療機関も儲かるんだからレセプトの点数は上昇することが期待できる」と考えたのでしょうが、我々医療者はむしろその反対のことを考えているのです。向いている方向がまったく正反対ですから、医療機関と金融機関のタイアップなど、初めから上手くいくはずがないのです(注3)。

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注1:理不尽な査定の例を少し挙げると、問診から明らかに糖尿病を疑ったときに「糖尿病の疑い」という病名でHbA1Cを測定すると認められなかったり、全身の湿疹で外用剤を処方するときに軟膏を塗りにくい部位にクリームを処方して認められなかったり、しばらく抗ヒスタミン薬を続ける必要がある慢性蕁麻疹に2か月分の処方をして査定されたり…、と切りがありません。ちなみに、今述べた慢性蕁麻疹に対する抗ヒスタミン薬の査定は当院ではある月のみに複数例ありました。ところが、それ以前も以降も一度も査定されていません。査定された症例に対してもちろん「再請求」をおこないましたが、理由があかされないまま「再請求は認められない」という結果でした。

注2:ここは誤解されやすいところなので少し補足をしておきます。医療機関もある程度は利益を出さなければつぶれてしまうんじゃないの?、という質問があります。しかし、原則としてそのような心配は不要です。なぜなら医療については「需要」が「供給」よりも圧倒的に多いからです。例えば、美容室なら「需要=供給」あるいは「需要<供給」となっているでしょうから、派手な宣伝をおこない人件費を削減し他店との競争をしなければ生き残れません。一方、医療機関の場合は「どこに行っても長時間待たされる」という声が多いことからも分かるように、あきらかに「需要>>供給」です。圧倒的な供給不足があるが故に、いかがわしい代替療法や健康食品が流行るのです。

また、「そうはいっても医療機関も儲けたいんじゃないの?」という声があるかもしれません。しかし、医療機関が儲けることを考えていないことは簡単に示すことができます。「医療法人」は解散するときに「余剰金」があれば全額を国に没収されるのです。国に持っていかれるお金のために収益を上げることを考えるはずがありません。このことだけでも、初めから利益を目的としてないということが分かるでしょう。

注3:ちなみに医療機関とタイアップしてうまくいかないのは金融機関だけではありません。谷口医院はオープンした頃、あるエステティックサロンから協力を要請されました。私としては「皮膚症状で悩んでいる人の力になれるなら…」と考えましたが、実際に紹介されて来る人から「エステティシャンに勧められたのですが、金銭的にどうかと…」という相談をもちかけられたときに、「そのお金を払って施術を受ければどうですか」と言える例はひとつもありませんでした。高額な料金で施術をおこなうことを目的としているエステティックサロンと、いかなる場合も患者さんの負担を最小限にすべきと考えている医療機関がうまくやっていけるはずがないことがよく分かりました。

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2017年1月21日 土曜日

第168回(2017年1月) 患者と医師のすれ違い

 読売新聞オンライン版の「ヨミドクター」という医療サイトに、「わたしの医見」というタイトルの投稿コラムが掲載されています。診察室では言えないことも、新聞への投稿というかたちでならホンネが出るようで、日によってはなかなか興味深いものもあります。今回は、そのなかで医師の間で特に”不評”だった2つの投稿を取り上げ、なぜこのような医師と患者の「ズレ」が生じるのかを考え、さらに改善策を提案したいと思います。

 ひとつめの投稿は、2016年12月19日におこなわれたもので、タイトルは「3時間待たせる病院、患者の立場で対応を」です。これを投稿した40代女性は、いつも病院で長く待たされるそうで、「病院に行く日は、通院時間も含めて半日はつぶれてしまう。もっと患者の立場になって対応してほしい」と書いています。

 この女性は、医療者が患者の立場になっていないから待ち時間が長くなると考えています。この女性が望んでいるのは、待ち時間なくすぐに診てほしい、ということでしょうが、医師の数に比べて患者数が多すぎるから待ち時間が長くなるわけです。実際に医療者が考えていることは、この女性の主張とは真逆であり、常に患者の立場になっています。反対意見もあるかもしれませんが、少なくとも「患者の立場になりたくない」と考えている医療者は皆無です。

 医療者というのは目の前の患者さんが困っていれば放っておけません。そして、患者さんの訴えが多数あったり複雑であったりすることもしばしばあり、そういった場合診察時間は予想以上に長引きます。すると、当初の予定の診察時間はどんどん後ろにずれこんでいき、順番が後の人は結果として長時間待つことになるのです。

 この女性が通院している医療機関は予約制を採用しているのかどうか分かりませんが、3時間待ったなら、おそらく完全予約制ではないのではないかと思われます。受診した人から順番の診察ということであれば現在の日本の医療機関で3時間待ちというのはあり得ます。また、予約制であったとしても、重症の患者さんが相次げば3時間くらいずれこむことはあります。

 3時間待ちが苦痛であることはもちろん我々も理解できます。医師が自分自身や家族が医療機関を受診して長時間待たなければならないことももちろんあり(医師だからという理由で優先されることはありません)、その場合、この女性と同じように3時間待つこともあるのです。

 ではどうすればいいか。根本的には医師の数を増やすということになりますがこれはすぐには無理でしょう。ではどうすればいいか。住んでいる地域にもよるでしょうが、他の医療機関に変更することをまずは考えるべきです。そして、この場合自分自身で探すのではなく、現在かかっている医師に相談してみるのが最善です。医師は(当たり前ですが)患者さんよりもその地域の医療機関の情報を把握しています。

 この女性は「病院」という言葉を用いていて「さんざん待たされた揚げ句、主治医でない医師にまわされることもある」という表現がありますから、受診したのは文字通り「病院」であり「診療所/クリニック」ではないと思われます。特殊な疾患や、重症化している場合は病院でなければ診察できないこともありますが、多くは診療所/クリニックでも診察することは可能です。

 ただしクリニックでも待ち時間が長くなることはよくあります。太融寺町谷口医院は、オープンした当初は、午前の診察は「予約がある人を優先しますが、予約がなくても診察します」という方針を取りました。すると、予約がなければ3~4時間待ち、という事態になり、あわてて「完全予約制」に変更し、さらに待ち時間が長くならないように予約の枠の数をどんどん減らしていきました。これにより待ち時間は大幅に短くなり、現在では30分以上待つことはほとんどなくなりました。(午後は以前から予約制をひいていません。一度試みたことがあるのですが、午後は仕事帰りの人が大半であり、予定通り仕事を終われない人が多くキャンセルや変更が相次ぎ、予約制が成立しなかったのです)

 この女性の話に戻すと、この次その病院に行ったときに「待ち時間が長くない医療機関を紹介してもらえませんか」と尋ねるのが最適です。おそらく主治医は「では紹介します。ただし、あなたを見放すわけではありませんから、今後は新しい先生と連絡を取りながらあなたにとって最善の治療を考えます」といった回答をしてくれると思います。

 もうひとつ紹介したい「わたしの医見」は、2016年12月12日に掲載された72歳男性のものです。この男性は、「様々な医者に出会ったが、新聞やテレビで紹介された治療法を尋ねたり、あの薬を使ってみたい、この検査を受けられないか、と依頼したりして、嫌な顔をされたことが一度ならずある」と述べています。

 これはそれほどむつかしい話ではなく、ちょっとした工夫で医師との関係を良好にすることができて、その希望の検査や治療について正確な知識を教えてもらうことができます。

 ただし、マスコミで報道されている斬新な薬や検査というのは奇を衒ったものが多いのは事実です。そもそも従来からおこなわれている当たり前の治療法を報道しても視聴者の関心が惹けないでしょうから、マスコミの性質を考えればそれは当然かもしれません。マスコミで紹介されていた薬や検査に興味がでてきたなら、それをそのままかかりつけ医に伝えればいいのです。医師としてもマスコミの報道で患者さんが新しい薬や検査に興味を持つ気持ちは理解できます。しかし、医師は自分の患者を守らなければなりません。有害になるような情報も世の中にはあふれていますから、自分が診ている患者さんが不利益を被らないようにする義務があるわけです。

 もしもこの男性が日ごろから信頼している「かかりつけ医」を持っていれば、考えていることや希望を充分聞いてもらった上で最善と思われる対処法を教えてもらえたはずです。希望する治療が受けられることもあれば、現状の治療の方が安全で優れていることを教えてもらえることもあるでしょう。では、なぜこの男性は医師とのコミュニケーションがうまくいかなかったのか。

 おそらく「様々な医者に出会ったが」というコメントがありますから、この男性はドクターショッピングを繰り替えしているのではないでしょうか。これは私の推測ですが、この男性は、初めからテレビで聞いた治療法を目的として次々に医療機関を受診しているように思えます。

 そうではなく、まずは自宅から最も通院しやすいところにある診療所/クリニックをひとつ見つけて、そこで健康上のことを何でも相談するようにすればいいのです。もちろん医師と患者の相性という問題もありますから、一番近いところにこだわる必要はありません。比較的健康であれば少し遠くに位置したところでもいいと思います。覚えておいてほしいのは、医師は患者さんの健康に貢献したいと常に思っている、ということです。患者さんが希望をいえば、それに対して適切なコメントをおこない、もしもその希望の治療が新しい知見であれば、医師は詳しい情報を収集して患者さんに分かりやすく伝える義務があります。

 日本医師会のかかりつけ医の定義は「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」です。すべての医師があてはまるとは言えないかもしれませんが、少なくとも「最新の医療情報を熟知する」努力は怠りません。

 この二人だけでなく、ほとんどの医師への不満はコミュニケーション不足からきているように思えます。信頼できるかかりつけ医を持つことさえできれば、随分と安心できるはずです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2016年12月24日 土曜日

第167回(2016年12月) 医師・医学生のわいせつ事件を防ぐ2つの秘策

 このところ医師・医学生のわいせつ事件が目立ちます。医師の不祥事についてはこのサイトで繰り返し述べていますが、今年(2016年)ほどこのような卑劣な事件が目立った年もなかったのではないかと思います。

 今回は、なぜこのような事件が繰り返されるのか、どうすれば避けられるのか、について述べたいのですが、その前に最近報道された悪質な事件についてまとめておきたいと思います。

 2016年9月20日、千葉市内の飲食店内のトイレで千葉大医学部5回生の2人の学生が酩酊した20代女性を2人で強姦、その後別の5回生の学生がその女性を自宅アパートに連れて帰り強姦したとの容疑で12月12日に起訴されました。この3人の医学生の指導をしていた30歳の研修医Fもその飲食店に同席し被害者の身体に無理やり触ったとのことで逮捕・送検されています。

 2016年9月19日、東京都の40代の眼科開業医Mがエレベーター内で面識のあった20代の女性に後ろから抱きつき無理やりキスするなどのわいせつ行為で警視庁に逮捕されました。

 2016年11月30日、睡眠薬を飲まされ乱暴されたとして20代の女性2人が大阪府内の大学病院に勤務していた医師2人(名前・年齢は報道されず)を高槻署に告訴しました。報道によると、2人の女性は2014年6月、大阪府高槻市のマンション一室で医師2人と飲酒。その際、医師に勧められた錠剤を飲んだところ意識を失い乱暴されたそうです。

 2016年9月27日、長野県警は準強制わいせつの疑いで長野市のK病院に勤務する40代の医師I容疑者を逮捕しました。I容疑者は、2015年12月21日、抵抗が不可能な状態にあった入院中の10代の女性患者に対し身体を触るなどのわいせつ行為をしたと報道されています。

 I容疑者には前科がありました。2016年12月1日、千葉県警は強姦及び住居侵入の疑いで、I容疑者を逮捕しました。2011年12月22日深夜、女性宅に侵入し就寝中の女性を脅して暴行に及んだのです。この女性は一人暮らしでI容疑者との面識はなかったそうです。

 2016年11月28日、警視庁は、大阪府高槻市の40歳の小児科医M容疑者を児童買春・ポルノ禁止法違反で逮捕しました。M容疑者は、2016年7月28日、東京都のホテルで現金5万円を渡して16歳の女子生徒とみだらな行為をしたそうです。

 これらのなかで、エレベーターの中で知人の女性に無理やりキスした事例は、医師でない一般人であれば大きく報道されることはなかったかもしれません。しかし、他の事件は目を覆いたくなるものばかりです。集団レイプ、睡眠薬を飲ませてレイプ、住居侵入し就寝中の女性をレイプ、児童買春・・・。

 なぜこのような常識的に考えられないような事件を起こす医師がいるのでしょうか。もちろん本人の人格に問題があったのは間違いないでしょう。しかし、私はこのような事件の背景には、医療の世界特有の2つの要因が関与しているのではないかと考えています。

 これまで私はこのサイトや拙書『医学部6年間の真実』などで、医学部入学試験はともかく、医学部入学後や医師になってからは「再受験生」の方が何かと有利であると言ってきました。医学部入学前に社会人の経験があれば、それだけで患者さんとのコミュニケーションがうまくいくことも多く、私自身、研修医の頃、同僚の研修医から羨ましがられたことが何度もありました。

 しかし、私は「社会人の経験があれば常識があるからわいせつ事件を起こさない」と言いたいわけではありません。言いたいことは、再受験生(全員とまではいえないかもしれませんが)は、「医学部入学前にそれなりに恋愛も含む社会経験があり、常識・非常識の境界を理解できている」ということです。この点で、社会経験がないまま医学部に入学し、勉強ばかりで研修医になった人たちというのは”気の毒”にみえます。

 もちろん、小さい頃から医師を夢見て努力を重ね、一方ではクラブ活動や恋愛にも積極的で、若くして高い人格を持ち合わせた医師がいるのは事実です。しかし、多くのことを犠牲にして勉強に打ち込み医学部に合格。その後も試験と実習に追われ医学部を卒業し研修医、という医師が多いのもまた現実です。医学部にもクラブ活動はありますが、それは医学部の中で限定されたものであり、他学部との交流はあまりありません。集団レイプで逮捕された千葉県の医学生と研修医はラグビー部に所属していたという報道もあります。

 私が”気の毒”と感じるのは、勉強ばかりで恋愛を含む社会経験があまりないまま医師になってしまうと、恋愛やセックスといった複雑な対人関係におけるコミュニケーションの取り方がわからないまま歪んだリビドーが誤った方向に進んでしまうのではないかと危惧するからです。「医師の常識は世間の非常識」という言葉があります。この”格言”は医学部に入学した頃から何度も聞かされましたが、私が最もこの言葉が「言いえて妙」と思うのはこと恋愛やセックスにおいてです。

 もうひとつ、医師がわいせつ事件を起こす理由として私が考えていることがあります。それは、「医師はモテるという”幻想”」です。幻想でなく実際に医師はモテると思っている人もいるでしょう。実際、関東では医学部の学生や医師というだけでモテる、という話を何度か聞いたことがあります。この話になると、いつも「関西でも同じでは?」と問われるのですが、私の実感としてはそうではありません。過去にも述べましたが(注1)、関西では「学歴や職歴で優位になると考えている男が最も格好悪い」という価値観が根強く、己の身体で勝負すべし、と考えられているきらいがあります。もっとも、これは私の周りでこの傾向が強いだけですべてではないかもしれません。実際、先述した医師のわいせつ事件で、睡眠薬を飲ましてレイプと児童買春は関西の医師による犯行です。

 関西でも関東でも同じことは、医師は周囲から”ソンケイ”されているということです。純粋な「尊敬」ではななく”ソンケイ”です。例えば、製薬会社のMR(営業)は極端に医師をチヤホヤします。そんな言葉使うか…?と思うほど極端な尊敬語や謙譲語を彼(女)らは用います。そして、そのような言葉を自分より遥かに年下の研修医にも使うのです。これは傍から見ていると吹き出しそうになるくらいこっけいです。しかし驚くのはその先です。全員とはいいませんがかなりの研修医が自分の親ほど年の離れたMRにえらそうな物の言い方をするのです。私は過去に何度か、いつも温厚な研修医がMRにそのようなぞんざいな態度をとっているのをみて腰を抜かしかけたことがあります。

 周囲からいつもチヤホヤされ、(関西では)”幻想”であることが多いものの、「医師はモテる伝説」がはびこり、実際にモテることもないわけではない。そして、これまでの人生経験の少なさから恋愛やセックスに伴う複雑なコミュニケーションをとれない…。このような状態が続いたからこそ、卑劣なわいせつ事件が起こるのではないかというのが私の考えです。

 結論です。医師のわいせつ事件を減らすためにすべきことの1つめは、「医学部生に休学制度をつくる」、ということです。医学部で勉強しなければならない量は受験勉強の比ではありません。私の医学部6年間の思い出はほとんど勉強と臨床実習だけです。一方、関西学院大学時代(の特に後半)は「酒と薔薇の日々」とも呼べるような毎日でした…。

 休学して思い切り遊ぶ、でもいいでしょうし、アルバイトでもかまいませんし、一般の企業で契約社員として働いてもいいでしょう。また、ワーキングホリデーを利用して海外で働くのもいい経験になるでしょうし、ボランティアもいいと思います。このような経験を1~数年間、医学部を卒業するまでにしておけば、たとえ素敵なパートナーと巡り合うような経験ができなかったとしても、恋愛を含めた人生や社会というものを実感できるのではないかと思います。

 もうひとつ、医師のわいせつ事件を減らすためにすべきことは、医師をチヤホヤするのを止める、ということです。このサイトで何度も述べているように医師の多くは高い人格を持ち合わせていますし、公私ともに尊敬される行動をとっています。しかし、まだ若い医師を過剰に持ち上げるのはその医師にとっても社会にとっても「有害」となります。もしもあなたが、患者としてはともかく、プライベートで医学生や若い医師と接する機会があれば、世間の「常識」を教えてあげてください。

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注1:下記を参照ください。

マンスリーレポート2016年6月「己の身体で勝負するということ」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL