メディカルエッセイ
110 「老衰」で死ねない日本人 2012/3/20
それは私が小学生の頃。何の授業だったか忘れましたが、担任の先生が「みんなは何で死にたいか」という質問をしました。詳しいことは覚えていませんが、ほとんどの生徒が「老衰で死にたい」と答えました。「なぜ老衰で死にたいのか」という質問に対しては、(私の記憶は非常にあいまいですが)おそらく「痛くなさそうだから」とか「それが一番自然だから」といった答えがあったのではないかと思われます。
たしかに人間はいずれ必ず死にます。必ず老い、必ず衰えていくのです。ならば、老衰というのは人生をまっとうした帰結であり、老衰で死ぬということは最後まで生きぬいた証であるということもできます。
その小学校の授業から20年以上がたち、私は医師として人の死に立ち会う立場となりました。現在は診療所(クリニック)の医師であり、在宅医療もおこなっていませんから、ここ5年ほどはそのような機会はほとんどありません。しかしそれ以前は複数の病院で働いていましたから、患者さんが他界するその瞬間に立ち会い、家族の方々を前に「死亡宣告」をすることがしばしばありました。
これまで私が死亡宣告をおこなった患者さんは数十名になり、その数十名分の死亡診断書を書いています。死亡診断書には亡くなった人の氏名、生年月日、死亡した場所(病院)や日時などの他に「死亡の原因」も記載しなければなりません。私はその死亡診断書の原因の欄に「老衰」という文字を書いたことは一度もありません。
病院に入院しているということは病気があるからであって、その病気で死んだのなら老衰であるはずがないじゃないか、と考えたくなりますが、実は慢性期の病院に入院している人というのは、帰るところがないから、とか、看てくれる家族がいないから、という人も少なくありません。例えば、80歳を超える高齢者がインフルエンザなどをきっかけに入院となって、インフルエンザは治ったけれども、入院前から足腰や心肺機能が弱っていてさらに認知症が加わり、自分で自分の身の回りのことができなくなっているようなとき、家族の要望などもあり、そのまま入院を続けざるを得ない、といったことがあります。そのうちに食事摂取が困難になり、点滴をつなぐことになり、やがて胃瘻(いろう)を装着することになります。するとますます食事が摂れなくなり、そのうち心臓の働きも低下し死に至ります。
このようなケースに遭遇すると、死亡診断書に書く病名に悩まされるのですが、「心不全」とすることが多いといえます。心臓が徐々に弱っていって、最後は心停止の状態になりますから、解釈の仕方によっては「心不全」という病名は間違いではないでしょう。しかし、インフルエンザが治って退院して最期まで自宅で過ごすことができたとすれば、やはり「心不全」が死因となるでしょうか。
2012年2月、自民党の石原伸晃幹事長が、胃瘻を付けた寝たきりの患者さんを見学して、「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言したとされマスコミから批判されました。
私自身はこの発言を直接聞いていませんが、おそらく石原幹事長は、食べられなくなったらすぐに胃瘻、という現在の日本の高齢者の医療に対する疑問を呈したかったのではないでしょうか。胃瘻をつけている人にエイリアンなどと言えば、その家族がどのような思いになるか、ということが石原氏に分からないわけがありません。エイリアンという単語が記事になると考えたマスコミが過剰に騒いで記事をつくったのでしょう。(しかし、胃瘻を装着している高齢者の家族からすればこのマスコミの記事で不快な気持ちになるのは事実であり、そういう意味では私には、(石原氏ではなく)マスコミが家族を傷つけているように感じられます)
石原幹事長はこの報道に対し釈明の記者会見を開き、その場で、「将来食べられなくなったとしても胃瘻はつけないということを夫婦間で話し合っている」といったことも述べられたそうです。
胃瘻とは、食べられなくなった患者さんに対し、胃に穴をあけ、外部から栄養を送りこむ人工栄養法です。点滴で血管に栄養を入れるよりは自然な方法ですから、一時的に食事ができなくなった患者さんに対する処置としては有効なものです。(ときどき誤解されていますが)胃瘻は一度つければ二度と外せないものではありません。一定の期間だけ胃瘻から栄養をとり、元気になってから胃瘻を取り外して口からご飯を食べることも症例によっては可能です。
しかし、本当に胃瘻をつけてまで延命すべきなのか、と感じる症例が少なくないのもまた事実です。特に寝たきりの高齢者で認知症があるような場合、胃瘻をつけるというのは本人ではなく家族の意思です。認知症になる前に本人と家族がじっくりと話をして、胃瘻をつけるというのが本人の意思であるなら問題ないでしょう。けれども、このようなケースの多くは、認知症が起こって自らの意思表示ができなくなってから、家族の同意を得て医療者側が胃瘻装着をおこなうというケースが多いのです。
東京の「芦花ホーム」という特別養護老人ホームで常勤配置医をされている石飛幸三医師は『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか 』という本を書かれ、そのなかで三宅島での高齢者の看取りについて紹介されています。三宅島では、年を取り体が食べ物を受け付けなくなると、無理に食事を与えず、やがて水分もとれなくなると水分補給もおこなわないそうです。そして”平穏に”命が尽きるのを周りの者が静かに看取るそうです。これがまさに「老衰」でしょう。
一方、現在の日本の医療機関では、食事が困難になるとすぐに点滴をします。食欲がなくても介護師はスプーンを使って食事介助をおこない少しでも食べさせようとします。それも困難になると、胃瘻を装着し、栄養を与えないのは「治療の差し控え」とも言わんばかりの医療がおこなわれます。胃瘻をしていても嘔吐や誤嚥が続く場合は、腸瘻(ちょうろう)といって腸管に穴をあけて栄養を送り込むことになります。ここまでくると、再び口から食べられるようになることはもはや期待できません。
日本の高齢者の死因は、ガン・心疾患・脳卒中のいわゆる三大疾病を除けば「肺炎」が最多となります。そして、その肺炎は、誤嚥性肺炎といって、食べ物が気管に入ってしまったことが原因で起こったものが大半なのです。熱心な介護師であればあるほど、少しでもたくさん食べて元気になってもらおうと食事介護を一生懸命におこないます。「治療の差し控え」と言われることを恐れる医療者は胃瘻をすすめることになります。誤解を恐れずに言うならば、これらの医療・介護行為が「余計な肺炎」をつくりだしている可能性があるわけです。
そして、こういった医療・介護行為が我々日本人を「老衰」から遠ざけているとも言えるのです。私は石原幹事長の発言がきっかけとなり、世の中の人たちが胃瘻というものについて、そして人間らしく死ぬということについて、家族間、夫婦間で話し合う機会が増えることを期待しています。そういう意味では、エイリアンという単語に過剰に反応し世間の注目を集める報道をしたマスコミも社会貢献をしたことになるのかもしれません。
冒頭で紹介した私の担任の先生は、なぜ授業中に死の話をしたのか、私の記憶にありませんが、小学生相手に「死」というものについて考える機会を与えてくれたこの先生は立派だと思います。この授業がおこなわれた1970年代後半は、まだ高齢者を自宅で看取り「老衰」で死ねた人がいたのでしょう。
私を含む70年代の小学生にとって21世紀というのは「夢の時代」でした。その夢の21世紀に、ほとんどの生徒が希望した「老衰」で死ねる日本人がほとんどいなくなる、などといったことを当事の小学生だった我々は”夢”にも思いませんでした。担任の先生は当事からその予兆を感じていたのでしょうか。
今から10年ほど前に風の便りで聞いた噂によると、その先生は入院生活の果てに亡くなられたそうです。詳しい死因は分かりませんが、死亡診断書に記載された死因は「老衰」、ではなかったでしょう・・・。
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