メディカルエッセイ
92 手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか 2010/9/21
まずは次のような場面を想定してみてください。
あなたは車を購入することを考えています。A社とB社の車に興味があるあなたは、A社、B社それぞれのショールームにでかけて営業マンから話を聞くことにしました。A社の車は非常に魅力的でしたが、価格が高いのが難点です。一方、B社の車は、価格は手ごろなのですが、デザインと機能でA社の車に劣るように思われます。A社、B社ともに営業マンは熱心でしたが、最終的には、値引きはもらえなかったものの、カーステレオを無料でつけてもらえることになったこともありA社の車に決めました。あなたは新車購入の日に指定されたA社の販売店に行き、キーを受け取りました。そして、そのまま新車に乗って販売店を出ました。
ところが、赤信号のため交差点で止まろうとしたとき、ブレーキがきかないという事態に遭遇しました。このままでは前の車にぶつかってしまうと判断したあなたは、ハンドルを切ってガードレールに車をぶつけ、なんとか止めることができました。ケガはなかったものの買ったばかりの新車のブレーキが効かないことにあなたの怒りはおさまりません。すぐにA社の販売店に苦情を言いに行きました。A社の担当者は深く謝罪しました。後の調査でその車はブレーキに欠陥があることが判明しました。担当者は上司と共にあなたに謝罪に来て、新車購入代金に見舞金を上乗せした金額をあなたに返金しました。
翌週、あなたはレンタカーを借りて休日のドライブを楽しんでいました。交差点で停止していると、突然後からスポーツカーがつっこんできました。意識を失ったあなたはX病院に運ばれました。幸い命に別状はありませんでしたが、むちうちで両肩が上がらずに腕に力が入りません。半年もの間リハビリをおこないましたが一向によくならないため、医師から手術をすすめられました。外傷性の頚椎椎間板ヘルニアが原因となっているため、手術をすればよくなるかもしれない、と言われたのです。手術は簡単ではないとのことだったため、あなたはセカンドオピニオンを求めてY病院を受診しました。Y病院でもX病院と同じように、手術は簡単ではないがやってみる価値はある、とのことでした。
結局、あなたは思い切って手術を受けることにしました。しかし、その結果、手術は上手くいかずあなたの腕は上がらないままで、さらに症状が足にも現れ歩くことさえままならなくなってしまいました。
ある日のこと、あなたのもとに警察がやってきました。交差点で停止中のあなたに後ろから追突してきたスポーツカーの持ち主は逃亡して行方が分からない、と言います。警察としては全力で捜査したものの未だに手がかりがないそうです。
さて、このストーリーを「お金の動き」という観点からみてみたいと思います。
まず、A社、B社の営業マンはあなたに新車の売り込みをおこないました。両者ともあの手この手であなたに自社製品の魅力を訴えましたが、あなたはA社の車を選びました。もちろんB社の利益はゼロ(正確には営業マンの人件費がかかりますからマイナス)です。しかし、B社は「これまで説明した分のお金を払ってください」とは言いません。
A社は営業マンの人件費を使いましたが新車が1台売れましたから販売した時点では利益がでています。ところが販売後すぐに車に欠陥があることが判明し、車はすぐに廃車となりました。A社は新車の購入代金全額にいくらかの見舞金を上乗せした金額をあなたに払い戻しました。
X病院で、あなたは手術をすすめられました。簡単ではない、とは聞いていましたが、手術前より悪化するなどとは、そのような可能性もあるようなことを聞いた気もしますが、まさか自分に起こりうるとはまったく思っていませんでした。手術をして以前の状態より悪化したのにもかかわらず手術代は支払わなければなりません。また、Y病院では話を聞いただけですが、しっかりとお金を請求されました。
警察は全力であなたに追突した犯人を捜していると言いますが、手がかりすら見つけられません。しかし「捜査をしているんだから代金を払ってください」と警察があなたに言うわけではありません。また、「犯人がみつかったら捜査代金を請求します」とも言いません。
あなたはA社、B社、X病院、Y病院、警察の5者と、それぞれ(広い意味での)契約をおこなっています。しかし、A社は車に欠陥があったために全額を返金したのに対し、X病院は手術が上手くいかなかったのにもかかわらず返金がないどころか値引きもありません。これがなぜだか分かりますでしょうか。
A社のように一般の商品を消費者に販売するときの契約は「欠陥がない商品を代金と引き換えに供給する」というのが前提になっています。要するに、「不良品があればすぐに交換または返金します」、というのが通常の商品売買の契約上のルールなのです。「どれだけ頑張っても欠陥品をゼロにはできません。だから欠陥品を買うことになっても目をつぶってくださいね」、という理屈は通用しないのです。
一方、医療行為というのは、結果が保障される類のものではありません。薬には副作用がつきものですし、100%の確率で成功する手術などというのはありません。皮膚の小さなできものをとる簡単な手術でさえ、麻酔薬によるアレルギーや術後瘢痕のリスクがあります。分かりやすく言えば、医療機関に支払う代金というのは「検査や処置・手術などそのものに対する代金であって、結果は問われない」性質のものなのです。これを法的には準委託契約と言います。ただし、「結果は問われない」とは言え、診断や手術に不備や過失があった場合は当然のことながら責任が問われます。しかし、どこまでを過失とするか、というのは非常にむつかしく司法に委ねられることも少なくありません。
また、医療機関では「説明を聞くだけ」でも代金が発生します。B社の営業マンから説明を何度聞いても無料だったのに対し、Y病院では一度の説明で支払いが発生しています。
警察についてはどうでしょうか。今回のストーリーで警察は仕事をしたものの結果は何も残せていません。仕事をしていますから人件費は発生しているはずです。しかし警察からあなたに請求書が届くことはありません。警察の人件費やその他諸費用は税金で賄われているからです。
ここからは私の私見になりますが、私は医療機関とは警察と同じような性質のものだと考えています。つまり、「普段はお世話にならない方がいい。けど困ったときに頼れるべき存在が警察や医療機関」、と考えるべきだと思うのです。消防署や自衛隊なども同じカテゴリーに入るでしょう。
以前にも何度か述べたことがありますが、私は日本のすべての医療機関(病院もクリニックも含めて)は公的な機関になるべきだと考えています。そして医師や看護師は公僕(公務員)となるべきだと思うのです。そもそも、現在のように医療機関が一般の営利団体と同じように利益を出して税金を払わなければならない、というシステムには矛盾があります。
我々医師は、病気やケガの患者さんに早く社会復帰してもらえるように治療をしているのです。しかし、実際には、たくさんの検査をして手術をして薬をだして入院させた方が医療機関の利益となってしまいます。それでも我々は、そのような矛盾を感じながらも、できるだけ検査や投薬を減らそうと努力しているのです。
さらに私見を述べると、警察に相談しても無料であるのと同じように医療費も無料が理想だと考えています。しかし、そんなことは不可能ですし、医療費は年々増えています。「医療費はどのようにして削減すべきか」ということについては今回の趣旨から外れるためにここでは述べませんが、少なくとも現在のように「医療機関が患者数を増やせば増やすほど、そして検査や手術、投薬をおこなえばおこなうほど病院の利益が上がり、その結果医療費がさらに高騰する」、というシステムがおかしいということは広く社会に認識されるべきです。
同時に、一般のサービス業(A社)と医療機関(X社)では、供給されるモノの性質がまったく異なるということが広く理解されることを望みます。
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