メディカルエッセイ

第86回(2010年3月) 動機善なりや、私心なかりしか

 奈良県大和郡山市の病院(以下Y病院)でとんでもない不正請求の事件があり院長が起訴されたことについて以前コラムを書きました(下記参照)。

 このような不正請求事件が実際にあったということが信じがたく、事実ならY病院はとても病院とはとても呼べず”猟奇の館”と命名した方がいいでしょう。

 すでに各マスコミに詳しく報じられていますが、簡単に経緯を振り返ってみたいと思います。

 Y病院の院長であるY医師は2010年2月6日に奈良県警に逮捕されました。逮捕事由は業務上過失致死となっていますが、実際は「殺人」と言った方が適切でしょう。

 Y医師(及び執刀に加わったT医師)は肝臓の手術の経験がなんと一度もない!のにもかかわらず、2009年6月に51歳男性の肝臓の手術をおこなったのです。しかもこの患者さんには初めからがんなどく、Y医師が勝手にがんと決め付けていたというのですから驚きます。

 肝臓の手術は(当たり前ですが)簡単ではありません。血流が豊富ですし、重要な血管がいくつもありますから、ベテランの肝臓外科医でも予期せぬ出血を招くことがあります。案の定、Y医師は肝静脈を誤って損傷させ、大量出血を起こし、この患者さんは2時間後に死亡しました。

 これはある週刊誌の報道ですが、Y医師は、大量出血を自ら招いた後に「酒を飲みに行く」と言い残して手術室を出て行ったそうです。これが事実だとしたら、Y医師は医師ではなく「猟奇殺人犯」と呼ばねばなりません。

 もっとも、各メディアの報道をみてみると、Y医師は日頃から行動が相当おかしかったらしく、病院関係者がY医師から医療の真面目な話を聞いたことはなかったそうです。

 口をついて出てくるのは、風俗、女、酒など下世話な話題ばかり。病院の近くに構えた豪奢な自宅の敷地内には、ここ数年で購入したハーレーダビッドソンやBMWといった高級大型バイク、新型のフェアレディZやGT-Rなど高級国産車が常時止められていた。(『週刊新潮』2010年3月4日号)

 報道では、近所の人は「以前からY病院は異様だった」と証言している、と伝えられていますが、患者さんからはY病院が「猟奇の館」でY医師が「猟奇犯」だとは分かりづらかったのではないでしょうか。

 患者さんは数少ない情報からできるだけいい病院を探そうとします。Y病院は数年前の『週刊朝日』の「いい病院・心臓病編」という記事で紹介されたことがあるそうです。(これはおそらく必要のない患者さんに手術をしたことにより手術件数が多かったからだと思われます) また、Y医師は阪大の第1外科の出身だそうです。阪大第1外科と言えば、あの『白い巨塔』のモデルになった医局です。

 『週刊朝日』が絶賛する病院で、院長は阪大第1外科出身・・・、となれば患者さんが騙されるのも無理もありません。

 さて、話は変わりますが、私は医学部入学前には在阪の企業で会社員をしていました。その前は関西学院大学で社会学を学んでいました。私の卒論のテーマは「職場におけるリーダーシップ」で、卒業してからもリーダーシップについて書かれた本をよく読んでいます。実際の企業のリーダーたちが書いた本を読むのが好きで、松下幸之助、本田宗一郎、デール・カーネギーの本などは何度も読みました。

 そんな私が久しぶりに読みたくなったのは京セラの創業者である稲盛和夫さんの本です。なぜ読みたくなったかというと、稲盛さんは2010年2月1日に経営破綻した日本航空の会長となられたことが報道され、稲盛さんの本に夢中になっていた昔の自分がなつかしくなったからです。

 稲盛さんはいつも「世のため人のために」と話されています。日本航空の会長職も「世のためになるのなら・・・」という思いから無給で引き受けられました。当初は週に3回の出勤の予定でしたが、現在はほぼ毎日出社されているそうです。

 稲盛さんは1984年にDDI(現在のKDDI)を設立されました。当時通信業界はNTTの独占状態でしたが、通信自由化を転機と考え、その頃はまだ京セラはベンチャー企業と呼ばれる規模でしたがDDIを設立しNTTに挑んだのです。

 そのDDIを設立する際、稲盛さんは何度も自問自答したそうです。その心境を稲盛さんの自伝から紹介します。

 私は自分の本心を確かめるため、毎晩ベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と心の中で問いかけることにした。「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」「国民の利益のためにという動機に一点の曇りもないか」。六ヶ月の間、たとえ、酒を飲んで帰ろうと、毎日自問自答を繰り返した結果、世のため人のために尽くしたいという純粋な志が微動だにしないことを確かめた私は、この事業に乗り出す決心をした。(『稲盛和夫のガキの自叙伝』日経ビジネス人文庫)

 一般企業というのは利益を出すことが大きなミッションです。利益を出さなければ企業が存続できず従業員は路頭に迷うことになります。利益がなければ株主は納得しません。しかし、利益追求のみが目的となってはいけません。

 これは一般企業の話です。医療機関の場合、一般企業とは異なるレベルで「世のため人のために・・・」という志がなくてはなりません。もとより、日本医師会が作成している『医の倫理綱領』の第6条には「医師は医業にあたって営利を目的としない」という規定があります。

 もちろん医師も人間ですから、自分と家族を守らなくてはなりませんし、医療機関をつくる(開業する)のであれば従業員に対しても責任がでてきます。ですから、すべての患者さんを無料で診察します、というわけにはいきません。

 しかしながら、医師の矜持があれば「世のため人のために・・・」という気持ちは自然に出てくるものであり、間違っても、必要のない検査や投薬をおこなうようなことはあり得ません。まして、必要のない手術をする、などということは考えもつかないことです。さらに、患者さんに大量出血させておいて酒を飲みに行き死亡させる、などといったことは医師という職業人の”掟”に背いただけでなく、精神に破綻をきたしていると言うべきでしょう。

 動機善なりや、私心なかりしか

 Y医師が稲盛さんのこの言葉を聞けば何を感じるのでしょうか・・・。

参考:
メディカルエッセイ第79回(2009年8月)「”掟”に背いた医師」