メディカルエッセイ
8 専門医とプライマリケア医 2005/2/3
私が2年前にタイのエイズホスピスに行ったときのこと。そこで2年以上ボランティアとして働いているベルギー人医師に「何科のドクターですか?」と聞くと、「GP(general physician)」という答えが返ってきました。去年の夏、再び同じエイズホスピスに行ったとき、同じようにボランティアで働いているアメリカ人に同じ質問をしてみました。すると返ってきた答えはまたもや「GP」でした。
日本の医者に同じ質問をすればどうなるでしょう。「GP」と答える医者はほとんどいないでしょう。この「GP」という言葉は日本では一般的ではないかもしれません。同じような意味で「プライマリケア医」「総合診療科医」「家庭医」などといった言い方があります。けれどもこういう答え方をする医者もあまりいないでしょう。
実は欧米では、循環器内科医、整形外科医、などと同系列に「GP」という立場があるのです。一例としてUKのシステムを紹介しましょう。UKでは医学部を卒業と同時に、「GP」になるか専門医になるかを決めなければなりません。GPを選択すれば、各科のcommon diseaseを一通り勉強することになります。専門医を選択すれば、ひとつの科を特化して勉強することになります。専門医として認められるようになるにはかなりの修行をつまなければならないのですが、これをクリアすれば、「心臓外科医」とか「脳外科医」などといった称号を与えられることになります。どの専門医を目指すかによって、研修というか修行する期間、要するに専門試験を受けるまでの期間が決められており、例えば脳外科専門医を目指すのであれば、10年間以上も研修期間が必要となります。
一方日本では、医学部卒業と同時にひとつの医局に入局するのが一般的です。医局というのは「整形外科」とか「血液内科」とかひとつの専門分野に特化した診療科のことです。2004年から卒後研修が必須化され、卒後2年間はすべての医師は、プライマリケアを主体とした研修を受けなければならないということになりましたが、結局2年たてばほとんどの医師はどこかの医局に入局することになると言われています。それに研修期間の2年間も、1年近くは自分の決めた専門の科だけの研修を受ける研修医が多く、充分にプライマリケアを履修できるわけではありません。
つまり、日本のシステムでは、プライマリケアを主体とした2年間の研修が必須化されたとはいえ、ほとんどの医師は専門医になるというわけです。このため大病院の勤務医はもちろん、多くの開業医でさえ、自分の専門の領域しか診ることができないという事態にあるわけです。
日本ではプライマリケア医(GP)がまったくいないのかというとそういうわけではありません。例えばアメリカでプライマリケアの実習を受けた後、日本で開業している医師や、日本で積極的にプライマリケアを勉強して地域のかかりつけ医になっている医師も確かにいます。しかし数はそれほど多くはないでしょう。
患者さんの意識の点からみてみても、プライマリケア医という言葉がまだまだ一般的には普及していないことからも分かるように、多くの人は何か病気になれば専門医を受診しようとします。なかには単なる風邪でも大病院の専門医を受診しようとする人もいます。とりあえず近くの開業医の内科を受診しようとする人もいて、地域の開業医の医師がプライマリケア医の立場にあることもありますが、すべての開業内科医が、自分の専門分野以外の領域も診ようとしているわけではありません。
したがって、風邪をひいたことをきっかけに近くの内科開業医を受診したときに、ついでに以前から気になっている、例えば、腰痛、水虫、ニキビ、残尿感、めまい、抑うつなどを相談しようと思っても、他科を受診するように言われることも多いのです。
これでは患者さんは、自分の体のことで多くの科の主治医をもたなければならないことになります。今の例で言えば、この患者さんは、内科の他に、整形外科、皮膚科、神経内科、泌尿器科、精神科の主治医をもたなければならないことになります。
大病院にいけば、すべての科があるから、大病院を自分のかかりつけの病院にしようと考える人もいるでしょう。しかし最近では、大病院を受診する際には、開業医で紹介状をもらってくるように注意されますし、紹介状なしで受診を希望すると、1500円から10000円程度のお金が余計にかかります。それに大病院でこれだけの科を受診しようとしても1日では不可能です。ひとつの科を受診するための待ち時間も相当長くなります。
ではどうすればいいかと言うと、それは「プライマリケア医のかかりつけ医をもつこと」です。そしてそのかかりつけ医に健康や病気のことを何でも相談してみることです。プライマリケア医は、特定の疾患の専門医ではありませんから、もしも気になっている症状が専門的な治療を要するものであれば、そのプライマリケア医では充分に治療することができません。しかし、その場合プライマリケア医は適切な大病院や専門医に紹介状を書くことになります。紹介状があれば、大病院の受診もスムーズになるわけです。
実際にプライマリケア医のみることのできる疾患はどれくらいあるのか疑問に思われる方もおられるでしょう。とりあえずプライマリケア医を受診したけど、紹介状を書いてもらうだけで、ほとんど治療してもらえず、結局二度手間になってばかりでは意味がないからです。
実は、全疾患のおよそ9割程度はプライマリケアの範疇だと言われています。例えば、めまいを例に考えてみましょう。めまいというのは原因が様々で、人によって受診しようとする科はまちまちです。(目が舞うから)眼科、耳鼻科、脳外科、内科、神経内科など同じめまいでも人によって考えている専門家が違います。もちろん立っていられないようなめまいであれば、直ちに救急車を呼んで適切な病院へ搬送してもらうべきですが、それほど重症でもない場合は、まずはプライマリケア医を受診するのが賢明です。実はめまいを訴える人の大半はプライマリケアの範疇なのです。
最も賢く医者を受診するためには、プライマリケアを自分のかかりつけ医にすることが最善の方法だと私は考えています。
もちろん、日本中のすべての医師がプライマリケア医になっては困ります。専門的治療のできる医師が不在では治る病気も治らなくなってしまからです。プライマリケア医も専門医も両方が必要とされているのです。
例えが悪いかもしれませんが、コンビニを考えてみましょう。コンビニでは日常生活で必要なものの多くを買うことができます。だから必要なものがあれば、とりあえずコンビニに行ってみようとなるわけです。しかし、コンビニでは新鮮な魚介類を買うことはできませんし、パソコンも売っていません。書籍もごくわずかしか置いていません。したがって、高級で鮮度の高い魚を買うためには、魚屋に行く必要がありますし、同様にパソコンならパソコンショップ、書籍なら本屋に行くでしょう。これらを同時に求めようと思えば百貨店に行けばいいわけです。
つまり、この例では、コンビニがプライマリケア医、魚屋・パソコンショップ・本屋が専門医、百貨店が大病院ということになります。コンビニだけですべてまかなえるかというとそうではないように、プライマリケア医だけでは不充分で、プライマリケア医と専門医が協力しあうことによって最も効果的な治療がおこなえるわけです。最初にプライマリケア医を受診して、大病院あるいは専門医に紹介されそこで手術を含めた専門的な治療を受け、症状がよくなったので再びプライマリケア医が経過をみる、という流れが最も効果的なのです。
そして最近では、専門医はさらなる専門領域に特化していく傾向にあり、これは歓迎されるべきことだと思います。例えば、従来の消化器外科医が取り扱う範疇は、胃、肝臓、胆嚢、膵臓、大腸などの手術ですが、これをもっと特化したような病院もあります。
例えば、大阪市立総合診療センターの消化器外科は、胃癌の治療成績が日本一です(日経新聞2005年1月9日朝刊)。この病院では、ほとんどの胃癌手術を一人の外科医に任せ、専門性を高めているそうです。その医師によると、「総合病院では様々ながんを担当するのが普通だが、一つのがんに集中できれば自然と技術力が上がり一人ひとりの病状にも柔軟に対応できる」のだそうです。
治療する領域を特化した専門医と、プライマリケア医(GP)。同じ医師といっても全く異なる診察・治療をおこなっており、そのことを患者さんにも理解してもらえれば、患者さんにとっても、また行政の立場からみても最も効率のいい医療が実践できるのではないでしょうか。
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