メディカルエッセイ
第166回(2016年11月) ”貧乏”な者が医師に向いている理由
「うちは貧乏なんだからね!」と母親から言われ続けて育ったということを、以前、詩人の暁方ミセイさんが新聞のコラムで書かれていました。そのコラムが1年以上も印象に残っているのは私も同じ経験をしているからです。
ミセイさんの家では「うちは貧乏」という言葉をさんざん聞かされていて、弟が上履きを無くしたとき「もう買えないよ!」とひどく怒られたそうです。そんな暁方家で、その弟さんが「2千円のステーキが食べたい」とだだをこね、両親が呆れて家族で食べに行ったことがあったそうです。そのときミセイさんは「上履きを買えない家庭がステーキなんか食べられるわけがない。きっと今晩ありったけのお金を使い切って一家心中するに違いない」と思い一番安いカレーを注文したことが語られていました。
その後、ミセイさんは、たまの外食くらいで我が家が破産しないことを知り気を使いすぎていたことに気づいたそうです。そして、私もほとんど同じことを経験したことがあります。私の家も「うちは貧乏」が両親の口癖で、質素な生活をしていました。金持ちの友達がジュースを飲んでいても、私は家に帰って「砂糖水」です。料理用の溶けやすい砂糖を水道水に溶かせて飲むのです。(しかし、これはとても美味しく、私の実家は田舎なので水が美味しいということもあり、今も帰省したときはときどき飲んでいます)
私が高校を卒業し、実家を離れることになる数日前、珍しく母親が「外でご飯を食べよう」と言い出し、中華料理屋(それも大衆食堂でない)に連れていかれました。好きなものを注文するよう言われた私は、「我が家にそんなお金があるはずがない。大学の入学金も出してもらっているのにこれはおかしい。もしかして母は”最後の晩餐”のつもりなのか・・」と考えてしまい、一番安いラーメンしか注文できませんでした。
大学(関西学院大学)に入学したとき、周りに金持ちが多くて驚きましたが、さほど悲壮感は感じませんでした。ある程度予測できていたことですし、「近所のスーパーで賞味期限切れの菓子パンをまとめ買いする」、「パン屋でパンの耳が大量にはいった袋を50円で買ってマヨネーズで食べる」、「チキンラーメンは朝に3分の1程そのままバリバリと食べて、残り3分の2は夜にお湯をかけてご飯と食べる」、「空腹がひどいときは吉野家で並盛1人前をおかずにして白いご飯を食べる」というようなことを言うと、周囲の友達は面白がってくれるのです。「さすが大阪!(関学は西宮ですが) 貧乏も笑いにできるんだ!」、と味をしめた私は、貧乏も悪くない、という気持ちがでてきました。
しかし、貧乏なままで生涯を終えることはできない、という気持ちももちろんありました。就職するとそれなりの月給をもらえるようになりましたが、趣味や交際費で消えてしまい、3年目からは勉強にお金を使うようになり、医学部に入学してからは、また関学時代の貧乏生活に逆戻りです。その頃は賞味期限切れのパンを売ってくれる店はなく、パンの耳もなぜか簡単に入手できなくなり、専ら自炊となりました。米・味噌・お茶代込で1食あたり200円を超えないように自分でつくっていました。
医学部を卒業し研修医になると再びお金が入ってきました。2年目からは他の病院で当直業務などのアルバイトをおこなうようになり(研修医のアルバイトは現在禁止されています)、びっくりするくらいお金が入ってきました。そして、研修医が終わる頃には車の購入も現実のものに(10年落ちの45万円の中古車ですが)。ある日、ある病院の当直業務が終わると、「本日の給料」と言われ、現金でなんと8万円も渡されました。これで有頂天にならないはずがありません。
その日私は和食レストランの「さと」に行きました。「さと」は私の地元で高校時代から唯一存在したファミリーレストランで、「いつか「さと」で一番高いものを食べてやる!」というのが私のかねてからの”夢”だったのです。そしてその日、長年の”夢”の「「さと」で一番高い料理」を食べた私の感想は、「こんなものか・・・」というもの。期待していた感動はまるでなく、逆に「虚無感」を覚えた程です。
これまでの人生で私も(「さと」よりも遥かにグレードの高い)「高級レストラン」と呼ばれるところに行ったことがないわけではありません。しかしどこにいっても「こんなものか・・」という印象が拭えず、もう一度訪れたいと思うことがないのです。むしろ、私が昔から利用しているマクドナルドや吉野家の方がずっと美味しいと感じます。それに安い方がいいに決まっています。高級な料理は私自身が納得できたとしても、私の胃袋が”緊張”してしまい、これでは消化によくありません・・・。
少し前に、マクドナルドでスマホのクーポンを使っている30代男性を見て吐き気を催し生理的な嫌悪感を持った、とツイートした女性が話題になっていましたが、私は40代後半で同じことをやっています。ちなみに、私は吉野家でもスマホの割引クーポンを提示しています。もしもこの女性が私をみれば、吐き気どころか気絶するかもしれません・・。
さて、長々と、ある意味で”自慢”とも呼べる私の「貧乏物語」を紹介してきたのは、医師という職業は”貧乏”な者の方が向いているのではないか、と最近富みに思うようになってきたからです。私は比較的早いタイミングで自分のクリニックをオープンさせましたから、他の医師から「お金大変だったでしょ」とよく言われます。実際は、まったく大変ではなかったのですが・・。また、開業を考えているという医師から「開業資金に〇〇万円を貯めるつもり」と聞いて驚いたことがあります。私の用意した開業資金は、その医師が考えている額の10分の1にも満たなかったのです。
なぜ、私と他の医師にこれだけの開きがあるのか不思議ですが、彼(女)らからよく聞くと謎が解けます。以前紹介したことがあり、今回も先に述べたように、医師の夜間や休日の当直アルバイトは”破格”です。ですから私としては開業してからも深夜と日・祝日に他の病院でアルバイトをすればやっていけると確信していたのです。実際、私は最初の1年間はクリニックから給料を受け取らず、他の病院のアルバイトで稼いだお金から最低限の生活費を引いたお金をクリニック開業時の借入金の返済に回していました。
もうひとつ、私と他の医師が異なるのは、自分のクリニックからもらう給料の想定額が異なる、ということです。最近、それを裏付けるような調査がおこなわれました。医師のポータルサイト「ケアネット」で、2016年9月9日~12日に会員医師1,000人を対象に「医師の年収に関するアンケート」がおこなわれました。自身の業務内容・仕事量に見合うと思う年収額についての質問に対し、最も回答数が多かった年収帯はなんと2,000~2,500万円だったのです。
この調査は「(現在の)業務内容・仕事量に見合う年収」ですから、休みなく過酷な労働を続けている医師、という前提で考えると、ある程度高額を要求したくなる気持ちは分からなくはないのですが、それでも2,000万円は高すぎます。日ごろどのような患者さんを診ているかにもよるでしょうが、私は日々「お金がない。医療費は10円でも安い方がいい」、「仕事が決まらない、家賃が払えない」、「バイト代が上がらなくて・・」と言っている患者さんを多く診ていますし、私自身がこれまで”貧乏”で生きてきましたから2,000万円などというお金はどこか遠い世界の話に聞こえます。以前も述べたように(注1)、「医師の年収に上限を設けるべき」というのが私が言い続けていることです。
本当は大金が欲しいんじゃないの?と感じる人がいるかもしれませんが、私は高級車にも高級ワインにもゴルフにも愛人にも興味がなく、ぜいたく品にお金を使うなら寄付する方がずっといいと感じています。そして、このように考えるのは私だけではないはずです。2015年までウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ氏の「貧乏な人とは、少ししか持っていない人のことを指すのではなく、無限の欲があって、いくら持っても満足しない人のことだ」という言葉に共鳴した人は大勢いるのではないでしょうか。
暁方ミセイさんはコラムの中で、家族で心中することになるに違いないと考え「不安で泣き濡れた夜をどうしてくれる!」とユーモアを入れて結ばれていましたが、私はむしろ”貧乏”に育ててくれた両親に感謝しています。
注1:メディカルエッセイ第155回(2015年12月)「不正請求をなくす3つの方法」で、2つめの方法として述べています。
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