メディカルエッセイ
第28回(2005年12月) なぜ日本人の自殺率は高いのか②
タイに行って驚くことのひとつは、日本からは考えられないくらいの階級社会である、ということです。
例えば、年収何億円もの稼ぎがあり、豪邸に住み高級車を乗り回している富裕層がいるかと思えば、裸足の幼児を抱きかかえながら真夜中に小銭を乞うている中年女性もいます。街角では、そんな身分の違う人たちが、当たり前のようにすれ違っています。
タイでは一応は小学校までは義務教育ということになっていますが、本当に小学校に通っているのか疑いたくなるような子供は少なくありません。真夜中に小さなバラを外国人に強引に買わせようとしている子供や、信号待ちで停車している車の窓ガラスを勝手に拭いて小銭をねだる子供は観光名物と言っていいほど有名です。彼(女)らは例外なくボロボロの衣服を身にまとい靴は履いていません。
タイでは、福祉とか生活保護とかいった考え方がそれほど浸透しておらず、タイにしばらく滞在すれば、日本は本当は社会主義国なんじゃないかと思わずにはいられません。
最近の日本は、「格差社会」という言葉がよく使われているような印象があります(例えば『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』山田 昌弘著 筑摩書房)。親の身分や年収で子供の人生がある程度規定されてしまう、というのが「格差社会」の一面です。例えば、東大に入学する学生の大半が高収入の家庭で育っているというデータもあるそうです。ここから、「地方で貧乏な家に生まれると高学歴・高収入は期待できない」という理屈につながっていくようです。
実際のデータで、親の年収と子供の学歴(あるいは年収)にある程度の相関関係があるのが事実だとしても、私には日本が「格差社会」あるいは「階級社会」だとは到底思えません。
私は地方出身で裕福でない家庭に育っていますが、公立大学の医学部を卒業しています。私立の高校や予備校には経済的な事情から行けませんでしたが、他の先進国と比べると信じられないくらいに安い授業料(例えば米国の医学部では公立でも年間300万円以上の授業料が必要)と複数の奨学金を借りることによって、特に苦労もせずに卒業することができました。
また、ほとんどの人が希望をすれば高校程度は卒業することができるでしょうし、高卒であっても、本人の才能と努力次第で高所得者になるのはまったくの夢というわけではないでしょう。
そんな日本に比べて、タイでは地方の貧困層として育てられれば、将来的に高額所得者になるのはほとんど絶望的であろうと思われます。
これといった産業がなく、農作物も育たないために蛋白源として昆虫を食べなければならないような家庭で育てられれば、一攫千金を夢見て、男ならムエタイ選手を目指したり、女性なら都心に春を鬻ぎに行かねばならないというのが現状です。
私がタイの様々な層の人たちと話をして不思議に思うのは、彼(女)らがそういう「階級社会」を言わば当然のことと見なしているということです。
日本的な感覚で言えば、同じ国のなかでそれだけ身分に差があるのは許容しがたいことです。政治的に左翼的というか、プロレタリアート層が一致団結した運動が起こってもおかしくないのでは、と思うのですがそういう話は聞いたことがありません。
それどころか、初めから一生貧困層でいることに対して「諦めている」というよりもむしろ「納得している」という印象を受けるのです。先にあげたムエタイ選手や売春の話にしても、極一部の人を除けば、正確に言えば「一攫千金を夢見て」ではなく、「単に生活するため」という感覚でいるように思われるのです。
生まれたときから自分がどういう人生を歩むのかが分かっている・・・。タイの社会とはそんな社会であるように私には思われます。
しかしながら、ある意味でこれはこれでいい面もあるのではないか・・・。最近私はそのように考えています。というのは、彼(女)らは近代社会がもたらした「自由」の苦痛から解き放たれているからです。
前回に引き続き社会学者の説を紹介します。エーリッヒ・フロムという著明な社会学者がいます。フロムによると、人間は前近代的な諸々の束縛から解放されて (消極的)自由を手にすると孤独や不安にさいなまれ、自由を耐え難い重荷であると認識するようになります。
フロムの学説に照らし合わせて考えると、タイの(特に貧困層の)人たちは、近代的な消極的自由を手にしておらず、その消極的自由がもたらす苦痛を感じずにいるのではないか。そしてその結果、極度の貧困であるのにもかかわらず自殺に至らないのではないか、私はそのように考えています。
これは、前回取り上げたデュルケームが主張している「アノミー」を体験せずにすんでいる、という言い方もできると思います。
そしてこのことが、タイの自殺率が低い原因のひとつではないかと考えているというわけです。
ところで、タイは仏教国です。仏教といっても日本のような集約力の高くない仏教ではなく、国民の大多数が信仰している国民的宗教としての仏教です。実際、タイの社会は、仏教、あるいは僧侶なしでは語ることができません。例えば、通常名前は僧侶がつけます。タイ人は通常ニックネームで呼び合います。このニックネームは親がつけます。そしてIDカードに記載されている本名は僧侶がつけるのが一般的です。
名前だけではありません。例えば車を買う日とか、海外に渡航する日なども僧侶に決めてもらうことが珍しくありません。もちろん結婚式も仏教的儀式でおこないます。「得を積む」という考えはタイにもありますが、基本的な「得を積む」方法は、寺に対してどれだけ貢献するかということです(これを「タンブン」と言います)。もちろん寺を訪問することを慣習としていますし、街角にある仏像に対しても素通りすることなく手を合わせます。タクシーの中からでも手を合わすのが普通です。これはいかにも信心深そうな人はもちろんですが、普段はやんちゃをしてそうな若い男女でもそうなのです。
そんな仏教(小乗仏教)の考え方のひとつに「輪廻転生」というものがあります。タイ人は私の知る限り、ほとんど例外なく「輪廻転生」を信じています。
そして、この「輪廻転生」が低い自殺率と関係があるのではないか、私はそのように考えています。つまり、人生とは自ら得たものではなく、与えられたものであって、運命に逆らって生きるのはよくない。そして自殺は運命に逆らう最たる行動である。今世がそれほど恵まれたものでなくてもきちんと得を積んでおけば、来世では富裕層として生まれてくるかもしれない・・・。そのような考えがあるのではないかと思うのです。
ちなみに、タイには相続税というものがありません。つまり、先祖が金持ちであればよほどのことがない限り、子孫も裕福な暮らしができるというわけです。そして、相続税を導入すべき、という声は私の知る限り聞いたことがありません。
「輪廻転生」への信仰、これが私の考えるタイで自殺率が低いふたつめの理由です。
もうひとつ、タイ人が自殺をしない理由を私は考えています。
それは、死体に対する考え方です。バンコクには有名な「死体博物館」というものがあり、多くの死体が展示されています。例えば、凶悪殺人犯が死刑にされた後の死体が輪切りにされて多くの人の目にさらされています。また、私がいろんなところで報告しているエイズホスピスのパバナプ寺では、エイズで亡くなった人の死体がミイラにされ展示されています。また、タイの新聞やテレビのニュースでは、ほとんど毎日といっていいくらい、事件や事故での死体の映像が報道されています。
タイ人が日本に来て驚くことのひとつに、日本の新聞やテレビでは死体が写されていない、というものがあるそうです。死体が写されていないとその事件や事故がよく分からないではないか、と感じるそうなのです。
凶悪殺人犯の死体を輪切りにすることの良し悪しは別にして、たしかに日頃から死体を目にする機会が頻繁にあれば、嫌でも「死」というものを考えるようになるはずです。
それに対して、日本では昔から「死」というものが、タブー視されてきているのではないでしょうか。
つづく
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