マンスリーレポート

2010年4月号 もしもあのとき目が覚めなかったら…

最近の新聞報道をみていると、景気が回復し各国とも株価が上昇・・・、のような記事が目立つようになってきていますが、実感として景気が回復したと思える人はそう多くはないのではないでしょうか。

 太融寺町谷口医院を受診する患者さんのなかにも、「仕事が見つからなくて保険証がない状態が続いています・・・」という人がいますし、自営業をしている人などは、「仕事が激減して従業員に給料が払えるかどうかが心配で・・・」、という人もいます。この人は2年前には、「仕事が多すぎてまったく休めない」と愚痴をこぼしていましたから景気というのは怖いものです。

 患者さんだけではありません。私の友人や知人のなかにも、優秀な能力をもっているのに仕事を得ることができない人たちがいます。「選ばなければ仕事などいくらでもある」という意見もありますが、若いうちやあるいはリタイア後ならまだしも、私と同年代の40代前半くらいになると「仕事なら何でも・・・」というわけにはいかないのです。完璧な理想の仕事などあるはずがないにしても、それでもある程度の将来性ややりがいのようなものがなければ残りの人生の見通しが立たないのです。

 最近私がよく見る夢があります。実際に体験した過去のあるシーンなのですが、繰り返し繰り返し夢にでてくるのです。このシーンは拙書で紹介していますので少し引用してみたいと思います。

 (前略)おかしいなと思いながらも、間違っているはずがないので、たまたま自分に有利な問題が集まったのかなと思って少し眠ることにしました。しかし、勉強の神様が寝ている私に訴えかけたのでしょうか、もう一度だけ見直さなければならないような気がして、試験終了10分前に目を覚ましました。
 そして最後の見直しを始めた瞬間、背筋が凍りつくような感覚に襲われたのです。
 なんと、私は経済学部や法学部など文科系受験者用の問題を解いていたのです。(エール出版社『偏差値40からの医学部再受験』より)

 医学部受験の数学の試験のとき、わずか20分程度で全問を解いた私は他にすることもないので眠ることにしました。そして試験終了直前で目覚め、私が解いていたのは、医学部受験用の問題ではなく、文科系の問題だったことに気づいたのです。大阪市立大学は総合大学のため、入試用の数学の問題が全学部で1冊になっていたのです。

 試験終了直前に目覚めて必死で残りの問題を解き始める・・・、いつも夢にでてくるのはこのシーンです。

 もしも1996年2月のあの日あの時、試験終了のチャイムが鳴るまで私が目覚めていなかったとしたら、間違いなく不合格となっており、今頃はまったく別の人生を歩んでいたに違いありません。

 医学部入学をあきらめ他の仕事についているのでしょうか。それともアルバイトをしながら何か勉強をしているのでしょうか。あるいは、アルバイトすらもなく、ネットカフェ難民やホームレスになっているかもしれません・・・。

 試験中にケアレスミスに気づくかどうかでその後の人生が大きく変わってしまうのです。ケアレスミスをしないのも実力のうち・・・、と言われるかもしれませんが、私は自分自身がこのような経験をしていることもあって、「実力」という一言では片付けられないように感じています。

 もしかすると、あの日あの時、私と同じように文科系の問題を解いてしまい、試験終了まで気づかなかった受験生があの教室にいたかもしれません。あるいは、私がしたのとはまた別のケアレスミスが原因で、実力があったのにもかかわらず不幸にも不合格となった受験生もいたことでしょう。

 試験とは、ほんのささいなミスで結果が大きく異なり、場合によってはその後の人生がまったく別のものになってしまうものであり、私には「真の実力を測るもの」というよりもむしろ「運だめし」のように思えます。

 幸なことに現在の私は、労働時間こそ長いものの、それ以外は恵まれた生活をしていると言っていいでしょう。16年落ちの国産中古で購入価格が45万円、とはいえ一応自家用車を持っていますし、数千円もする専門書はなかなか手が出ませんが、1冊千円以下の文庫本や新書は躊躇せずに購入しています。あの日あの時、もしも目覚めていなかったらこのような生活は夢のまた夢だったかもしれないのです。

 最近、作家の渡辺淳一さんが週刊誌のなかで興味深いコラムを書かれていました。「東大合格者記事に?」というタイトルで、東大合格者の出身高校とそのランキング、さらに合格者のインタビューまで載せている週刊誌に苦言を呈しておられます。少し引用してみましょう。

 とにかく、この種の記事は多くの人に差別感を与えるだけである。
 まず、大学にすすんでいない人は、大きな不快感を覚えるに違いない。さらに、「大学を出ていない俺は駄目だ、東大を出た奴には勝てない」と自己否定をしかねない。
(中略。そして、東大に行った者が)そのまま官僚などになったら、それこそプライドのみ高い、世間知らずの人間になるだけだろう。(週刊新潮2010年4月8日号より)

 まったくその通りだと思います。
 
 医学部も含めて一般に難関と言われている試験に合格するためにはもちろん「実力」が必要です。しかし、それだけでは合格できません。まず周囲の理解が必要です(両親が大学受験に反対していればまず無理です)。次に、ある程度のお金が必要です(国公立ならそれほどいりませんが家が借金まみれであればむつかしいでしょう)。さらに受験までに何らかの「縁」があったはずです(例えば私の場合、元々社会学部の大学院を目指していましたが、いくつかの社会学関連の書物をきっかけに生命科学に興味が芽生え、そこから医学部を考えるようになり、当時お世話になっていた社会学部の教授に理解をいただきました)。そして、ケアレスミスをしない、あるいはミスをしたとしてもすぐに(目が覚めて!)気づく「運」が必要なのです。
 
 「実力」以外に、「周囲の理解」「お金」「縁」「運」、この5つがそろって初めて試験に合格できるわけです。このように考えることができれば、東大に合格した受験生も「プライドのみ高い、世間知らずの人間」にはなりにくいのではないでしょうか。

 しかし世の中の現実は、偏差値が高い生徒には東大や医学部など難関大学を目指すようなプレッシャーが与えられ、合格者は週刊誌に名前が載せられ、その週刊誌を学校の先生や親が見せびらかす・・・。こうなれば若い合格者は”勘違い”してしまって、優秀な人間には絶対に必要であるはずの謙虚さを忘れてしまうのも無理もないのかもしれません。

 今になり、あの日あの時のシーンが頻繁に夢に出てくるようになった私は、勉強の神様から「謙虚さを忘れるなよ!」というメッセージを与えられているのかもしれません・・・。

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