メディカルエッセイ
102 招かれざる患者と共感できない医師 2011/7/20
作家の中村うさぎ氏が『週刊文春』の連載コラムのなかで、2011年6月16日号と23日号の2週にわたり、東京のある大学病院を受診して不快感を覚えたということを書かれています。(コラムには大学病院の実名が載せられていますがここでは伏せておきます)
中村氏の主張していることをまとめると次のようになります。
まず、中村氏は風邪の症状を自覚したけれど、単なる風邪ではなくもっと重い病気かもしれないと考えて、近くのクリニックではなく大学病院を受診しました。「レントゲンやMRIなどのある病院できちんとした診察を受けたい」と述べられています。
その大学病院の受付で「紹介状がないから」という理由で、診察代のほかに「選定療養費」と呼ばれる特別料金3,000円が必要なことを知らされました。しかし、中村氏はどうしても大学病院で診察を受けたかったようで、その選定療養費を支払い、診察を受けることになりました。
ところが、対応した医師の対応が(中村氏の言葉をそのまま書けば)「町医者以下の手抜き診療」だったそうです。氏は次のように述べています。
患者は自分が風邪なのかどうかもわからず、もっと重い病気かもしれないと疑ったからこそ、設備の整った大病院に来るわけだ。もしかすると思い過ごしで単なる風邪なのかもしれないが、それは検査していただかないとわからない。高い選定療養費を払うということは、そういうことではないか。
この中村氏の主張に対し、インターネットやツイッターでは白熱した議論が繰り広げられました。医師専用の掲示板でも取り上げられ物議をかもしていました。医師のコメントはだいたい一致していて、まとめると次のようになります。
風邪かどうかは別にして、診察した結果、それ以上の検査が必要ないと考えたから画像検査や血液検査をしていないのであり、希望したから検査が受けられるというのは患者(中村氏)の誤解である。医療をホテルや飲食店と同じようなものと勘違いされているのではないか。そもそも、大学病院とはクリニックや他の病院からの紹介状を持参して受診するところであり、選定療養費というのは、「紹介状がないけれどもどうしても診てほしい」という要望に応えるための止むを得ない措置なのである。
だいたいこんなところだと思われます。私自身は医師ですから、医師たちのこの意見はよく理解できます。過去に述べたことがありますが、医療はサービス業ではないのです。ですから、患者さんが希望した検査が(少なくとも保険診療では)できるわけではありません。
それに、医療機関にはそれぞれの役割というものがあります。患者さんが健康のことで困ったことがあればまず受診すべきなのは近くのクリニックです。そこで、診断がつかなかったり、高度な医療が必要と判断されたりすれば、クリニックでは紹介状を書くこととなり、その紹介状を持参して大きな病院を受診する、というのが日本の医療システムです。
海外の多くの国(特にヨーロッパではほとんどの国)では、紹介状がなければ大きな病院を受診しても門前払いをされます。何かあればまずは近くのクリニックに、必要あれば紹介状を持参して大病院に、というシステムが確立されているのです。
では、日本の病院でもそうすればいいじゃないか、となるわけで、実際ほとんどの医療者はそのように感じているはずです。では、なぜできないのか、なぜ「選定療養費を払えば紹介状なしでも診察可能」という中途半端な制度になってしまっているのか、といえば、おそらく法律の問題だと思われます。医師法第19条に「応招義務(おうしょうぎむ)」というものがあり、これは「医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」というものです。つまり、患者さんが「診てほしい」と言えば、それを拒否することはできない、と法律で決められているのです。
中村氏のコラムをよく読めば、氏は制度に対してというよりも、担当した医師に対して嫌悪感を持たれたように思われます。「町医者以下の手抜き診療」という言葉がそれを如実に表しています。「手抜き」と思われたのは、医師の説明不足や態度に真摯さが欠如していたことが原因かもしれませんが、おそらくこの医師も正確な診断をするのに必要な診察はしていたはずです。患者さんの歩き方、話し方、仕草、声の大きさやトーンなどからも医師は情報を集めています。コラムからはよく分かりませんが、咽頭の炎症の程度を視診上確認して、聴診くらいはしていたのではないでしょうか。その上で、画像を含めた検査は不要と判断したのだと思われます。
もう少し医師の意見を補足しておくと、医師はどこで診察をしても「手抜き」をすることはありません。私は大学病院の総合診療科で外来をしていた頃、(ちょうど中村氏と同じように)風邪症状で(選定療養費を支払って)受診された患者さんをたくさん診ましたが、MRIまで撮影することはまずありませんでした(なぜ不要なのかは説明したことはありますが)。その逆に、太融寺町谷口医院で診察をおこなうときも風邪症状の患者さんに手抜きすることはありません。むしろ、太融寺町谷口医院での方が、咽頭のグラム染色(のどを綿棒でぬぐってスライドをつくり顕微鏡でどのような菌がいるかを調べる検査)が簡単におこなえますので(大学病院では医師の各机に顕微鏡はなかったのです)、大学病院よりも丁寧だと言えるかもしれません。
さて、ここまでは医師側の意見をまとめてきましたが、では、私は中村氏に対してとことん否定的な立場なのかというとそういうわけではありません。氏はコラムのなかで次のように述べられています。
軽い症状の患者はろくろく診療せずに門前払いする態度を正当化したいのであれば、特別料金など取らず、最初から「別の病院で治療不可能と判断されて紹介状を貰った人以外は診療しません」と掲げればいいだけの話である。
これはもっともな意見です。「選定療養費を払えば大病院も受診可能」などという複雑で中途半端な制度にしているから患者さんも混乱するわけです。患者さんからみれば、「本当は紹介状が必要だということはわかったけど、その分のお金を払ったんだからちゃんと診れくれるのよね」と思うのは当然のことでしょう。ところが医師の方はそんな患者さんの考えを理解せずに「紹介状なしで来ないでくれよ~」という気持ちがあるために、コミュニケーションが上手くいかなくなるのだと思います。そしてこれはお互いにとって望ましいことではありません。
どこの医療機関を受診すべきか、というのは多くの人が一度は悩んだことがある問題だと思われます。しかし、答えは簡単です。何でも相談できる医療機関(かかりつけ医)をひとつもっておけばいいのです。実際、太融寺町谷口医院はそのようなクリニックとして機能していますから、患者さんは実に何でも尋ねてきます。「最近歯を磨くと出血するようになった」、「息子がアスペルガー症候群かもしれない」、「姑が認知症かもしれないけど夫には言い出せなくて・・・」、なかには「性欲が強くなってどうしていいか分からない・・・」「以前はかわいかった飼い犬の泣き声がうっとうしくなってきた」といったものもあります。このような相談をされたとき、私が自分で診ることもあれば、紹介状を書くこともあれば、紹介状なしで医療機関を受診するようすすめることもあれば(特に歯科医院)、今のところ医療機関を受診する必要がないということを助言することもあります。
中村氏も、健康のことで困ったことがあれば何でも相談できる<かかりつけ医>を持たれれば金輪際このようなことで悩まなくなるに違いありません。
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