メディカルエッセイ
40 草の根レベルの国際交流 2006/6/1
私は現在5年目の医師ですが、この5年間で、次第に外国人の患者さんが増えてきているように感じています。
医師1年目の頃は、外国人の患者さんというのは月にひとり程度だったのですが、最近は確実に週に1~2人の患者さんと接します。以前は、外国人と言えば、西洋人の方がほとんどでしたが、最近は中国人やベトナム人といったアジアの方々が増えてきています。
外国人の患者さんを診察するときには、どうしても日本人の患者さんより時間がかかるのですが、それはもちろん言葉の問題があるからです。
西洋人の方であれば、たいがいは英語を話されます。しかも患者さんは日本企業に勤めていたり、語学学校の教師であったりすることが多いですから、日本人の話す英語もよく理解してくれることが多く、私のように下手くそな発音をしていても、なんとかコミュニケーションをとることができます。ですから、英語を話す患者さんであれば診察時間は日本人とそう変わらないと言えるでしょう。
日本語も英語も話さない患者さんの場合は、ときに診察に長時間を要します。
コミュニケーションがとれなければ問診ができませんから、患者さんによっては、あらかじめ知人の通訳を連れてきてくれることもあります。また、最近は自分の子供に通訳をさせる患者さんもおられます。アジアから日本に来られている女性は日本人男性と結婚していることが多く、その子供は日本語だけでなく、母親の母国語も話せることがあるからです。
今後ますます日本に来られるアジアの方が増えることが予想されますから、我々医療従事者は英語だけではやっていけない時代に入るのかもしれません。
通訳を介した問診では、どうしても時間がかかりますし、プライバシーの問題もあります。例えば、性行為に関する問診などは、できれば通訳なしでおこないたいものです。また、女性の月経に関する質問をするときに、まだ小学生の子供に通訳をしてもらってどこまで正確に伝わるのかを危惧することもあります。それに、通訳を介すと、ある程度は通訳者の恣意的な訳になることが避けられないため、コミュニケーションの正確さを欠いてしまいます。
患者さんにもよりますが、日本語を一生懸命に勉強されていることに驚くことがしばしばあります。日本人の私にとって、外国人の方が日本語を勉強されているというのは大変嬉しいものです。片言の日本語を話す患者さんは、年齢・性別を問わずたいへん「かわいく」感じます。
先日、ある中国人の方に興味深いことを教えてもらいました。彼女は日本語も英語も堪能で、一時は同時通訳を目指したこともある程、語学のセンスにすぐれた方です。
彼女によると、最近、「もったいない」という日本語が、世界共通語として認識されつつあるそうなのです。
この「もったいない」という言葉は、苗木の植樹を呼びかけたグリーンベルト運動が評価され、2004年にノーベル平和賞を受賞されたケニアのワンガリ・マータイ女史が世界に普及させたそうです。
マータイ女史が、この「もったいない」という言葉を気に入られたのは、アフリカには「もったいない」を表現する適切な言葉がないからだそうです。
アフリカにないからといって、何も日本語を使わなくてもよさそうに思いますが、それでも日本語を採用してくれたということに対しては、私は日本人として純粋に嬉しく思います。
たしかに、英語には「もったいない」に完全に合致する表現はないのかもしれません。状況によって、It’s a waste of money、It’s a waste of food、などと言うことはありますし、スムーズなコミュニケーションが取れている状況では、What a waste! などと言うと「もったいない」にピッタリ当てはまるように思いますが、「もったいない」のように一語で表現できる形容詞は私の知る限り見当たりません。
それに、これは私のイメージですが、日本語の「もったいない」には、「残念だ、惜しい」のようなニュアンスがあるように思われますが、「waste」という単語からはこういったニュアンスは引き出せないような気がします。
さらに、日本人はこの「もったいない」という単語を一日に何度も使いますが(少なくとも私は頻繁に使っています)、あまり欧米人が「waste」を連発しているのを聞いたことがありません。
しかし、中国語には日本語の「もったいない」にほぼピッタリあてはまる言葉があるそうです。「可惜」という言葉です。この漢字から分かるように、「可惜」にも「惜しい」というニュアンスは含まれています。そして、日本人が「もったいない」を多用するのと同じように、中国人もこの「可惜」を一日に何度も使うそうです。
タイ語では「もったいない」を「???????」と表現します。そして、この単語にも「惜しい」というニュアンスがあり、日本語の「もったいない」にも「惜しい」にも、ピッタリあてはまります。タイ人と一緒にいればすぐに分かりますが、彼(女)らは、この「???????」を一日に何度も使います。
(ちなみに、「可惜」「???????」を、無理やりカタカナ表記すると、それぞれ「コシ」「シアダイ」になるかもしれませんが、中国語もタイ語も声調があり、子音や母音の発音も日本語とは異なりますから、このままカタカタ表記を発音してもまず通じません。)
おそらく、他の言語でも、特にアジアの言語では、「もったいない」にピッタリ合致する表現が存在するのではないでしょうか。
マータイ女史が、日本語の「もったいない」を採用されたのは、「可惜」や「???????」を知るよりも先に「もったいない」という単語に巡り合ったからではないかと思われますが、もしかすると「もったいない」という響きのようなものが気に入られたのかもしれません。
いずれにせよ、「もったいない(mottainai)」がアフリカ諸国だけでなく、「kaizen」や「tsunami」や「karaoke」と同じように国際語として認識されつつあるというのは、日本人にとっては嬉しいものです。
日本語を勉強する日本滞在の外国人が増え、「mottainai」が国際語となるというのは、どちらも歓迎すべきことですが、最近のアジアの情勢をみていると、そう喜んでばかりもいられないようです。
例えば、最近、韓国や中国の大学生の間で、日本語を勉強したり、日本留学を希望したりする学生が激減しているそうです。もはや日本からは学ぶことがないということなのでしょうか。
また、相変わらず中国と韓国では「反日」のムードが強いそうです。仲のよい近所付き合いが日常生活上不可欠なのと同じように、近隣諸国とはいい関係を保たなければならないのは自明ですが、中国と韓国の世論では、良好な関係を維持することにより得られるメリットよりも、日本を敵対視することを優先させているようです。また、このような世論に反応して「中国や韓国は嫌い」と感じている日本人が増えてきているそうです。
しかし、こういう世論があるのは間違いないとしても、個人レベルでみたときに、「日本人は嫌い」と考えている中国人や韓国人、あるいは「中国人や韓国人は嫌い」と考えている日本人はどれだけいるでしょうか。
私は、何人かの韓国人や中国人の知り合いがいますが、「嫌い」などと思ったことは一度もありませんし、同じように、個人レベルで韓国人や中国人と付き合いのある日本人で、彼(女)らを嫌いと言っている日本人も、その人が彼らの詐欺の被害にあったなどという特殊な事情がない限りは、ほとんどいないのではないでしょうか。同様に、日本や日本人をよく知る韓国人や中国人で、日本人が嫌いと言っている人も見たことがありません。
つまるところ、共同体としての「日本」には敵対心をもっている韓国人や中国人も、個々の「日本人」と付き合えば理解し合えるのです。これは、日本人から彼(女)らをみたときも同様です。
イメージや幻想で人間を評価するのではなく、そんな評価をする前に、実際に彼(女)らと付き合ってみるべきなのです。かけがえのない友人となるかもしれない可能性を、先入観や偏見でつぶしてしまうのは「mottainai」ことなのです。
医師と患者さんは「友人」の関係にはなれないかもしれませんが、私はこれから、以前にも増して医師として彼(女)らの力になりたいと考えています。そして、こういったことを含めた草の根レベルの交流が、国際世論にまで影響を及ぼすことを期待しています。
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