メディカルエッセイ
第31回(2006年1月) 正しい医師への謝礼の仕方、教えます!
先日、ある患者さんと話していたときのことです。
「先生、あたし3年前に手術受けたときに10万円も医者に渡してんで~。ほんま腹立つわ~。」
医師への金銭の授与・・・。誰が考えてもおかしいのは明らかですが、いまだにこの悪しき慣習は根強いようです。
「そんなに腹立つんやったらあげへんかったらよかったのに・・・」
私がそう言うと、その患者さんは続けました。
「そやかて、そこの病院では手術を受けるときにはお金を渡すのが暗黙のルールやって聞いてんもん・・・」
そんなルール、本当にあるのでしょうか。
この患者さんのように10万円という大金は極端だとしても、今でも実際に、我々医師にお金を渡そうとする患者さんは少なくありません。特に手術の後に渡そうとする患者さんが多いような印象があります。
もちろん、こんなことは誰が考えてもおかしいわけで、医師もできるならば受け取りたくありません。お金を失うことになるわけですから患者さんの負担にもなりますし、受け取る医師としても気持ちのいいものではありませんから、合理的に考えれば、このようなおかしな慣習は直ちに撤廃してしまえばいいのですが、現実はそう簡単ではないようです。
私自身も含めて医師側からみれば、お金を渡そうとしてくる患者さんと接するのは、かなりしんどくて疲れます。もちろんできることなら受け取りたくないわけですから、最初はなんとかして断ろうとします。しかしそのうちに、患者さんが「先生が受け取るまで帰りません!」などと言って一歩も譲らなくなると、その場の空気から逃げ出したいがために受けとってしまうこともあります。
しかし、その気まずい空気からは抜け出したとしても、その後に「患者さんから受け取ってしまった・・・」という罪悪感に苦しめられることになります。
また、私の「受け取りません」という言葉にいったんは納得した患者さんでも、後で(どうやって住所を調べたのか)自宅に送ってくる人もいます。
私は、できるだけ早いうちに、いただいたお金をそのまま(商品券の場合は換金してから)、各団体に寄付するようにしていますが、寄付したからといって罪悪感が完全に消えるとは限りません。
私の尊敬するある医療従事者は、「患者さんからお金や物を受け取らない」ことを徹底しています。その人は、患者さんから非常に人気があるということもあり、お金や物を渡したいという患者さんが後を絶ちません。院内では何があっても絶対に受け取らないことが分かると、一部の患者さんはその人の自宅にお金を送ります。お金が送り返されてくると、今度は米や酒、果物といった物を送るようになります。しかし、その人の態度は徹底していますから、きちんと手紙が添えられて送り返されてくるというわけです。
医師への金銭の授与、この悪しき慣習は、なぜなくならないのでしょうか。
その最大の理由は、「お金を渡さないと治療で手を抜かれるんじゃないのか・・・」と患者さんが考えるからではないでしょうか。
けれども、そんなことは絶対にありえません。いくら大金を渡そうが、その逆にわがままばかり言って医療従事者をてこずらせようが、医療従事者が手を抜くということは絶対にありません。これは決して綺麗事や単なる理想論ではなく、医師が患者さんによって治療に差をつけるということはありえないのです。
その理由は、少し考えるとすぐに分かります。例えば手術を例にあげて考えてみましょう。医師というのは、できるだけ手術の成績をあげたいと考えています。つまり、自分のおこなった手術で患者さんがよくならなければ、自信を失うことになりますし、その医師や病院の評判が落ちてしまうことにもなりかねません。医師はどんな患者さんに対しても全力で手術をおこなっているのです。そして、これは他の治療でも同じです。治る病気が治らなければ、その医師や病院の評判が下がってしまいますから、治療で手抜きなどをおこなうと、結果としてその医師や病院が困ることになるのです。
ですから、「お金を渡さないと治療で手を抜かれるんじゃないのか・・・」という心配は理論上でもまったく不要なのです。
「純粋な感謝の気持ちからお金を渡したい・・・」、そのように考えられる患者さんもおられるかもしれません。自分にとっていいことをしてもらえば、何かのかたちで感謝の気持ちを現したい、と思うのは人間にとって自然なことかもしれません。
けれども、その患者さんに対しておこなった治療行為というのは、我々医療従事者は「仕事」としておこなっているのです。もちろんその「仕事」に対する報酬は病院からきちんと支払われています。与えられた「仕事」をして、その分の報酬を得ているわけですから、それ以上の収入を得ることはおかしいのです。それに、そもそも病院から支払われている報酬は、元をただせば国民の税金と保険料から捻出されているのです。
「でも、本当にあの先生にはよくしてもらったし、なにかのかたちでどうしても感謝の意を示したい・・・」、そのように考えられる方もおられるでしょう。
では、その問題にお答えしましょう。
お金を渡すからいろいろと問題が生じるわけですから、どうしても感謝の意を示したいなら、お金以外のものを渡せばいいのです。「お金以外のもの」といっても、商品券の類のものは金銭と同じですからダメです。また明らかにお金がかかっていると思われるモノもダメです。
患者さんによっては、お菓子や花を持ってこられることがあります。小さな箱に入ったチョコレートを退院した後で持って来られた方がいました。退院の日に一輪の花を「みなさんのおかげで元気になれました」という言葉とともに渡してくれた患者さんもいました。お金や商品券ならイヤな気持ちになりますが、こういうときは私は純粋に嬉しく感じます。
しかしながら、小額であっても、やはりお金のかかるプレゼントを患者さんが医療従事者に渡すという行為は、問題がないわけではありません。
ならば手作りのものならいいのか、そう考えられる方もいるでしょう。確かに手作りのアクセサリーなどをいただくと大変嬉しく思います。私も患者さんにもらった手作りのブローチや、子供が書いてくれた絵などは宝物にしています。
しかしながら、感謝の意を示すには、もっと簡単でもっと適したものがあります。
それは、「手紙」です。
患者さんからの手紙ほど嬉しいものはありません。医療従事者にとって、患者さんからの手紙というのはお金に代えることのできない価値のあるものです。私も患者さんからいただいた手紙は宝物にしています。小さな子供が覚えたての文字を使って色鉛筆で一生懸命に書いてくれた手紙など、何度読み直してもすがすがしい気分にさせてくれます。最近は、インターネットで私の名前を検索してメールをくれる方も増えてくるようになりました。
患者さんの手紙からは学べることもあります。例えば、「先生は最初は怖い人かと思っていましたが・・・」とか「あの検査があれほどしんどいとは思いませんでした」などと書かれていると、「ああ、もっと第一印象を大切にして丁寧に患者さんに接するようにしよう」とか「検査の苦痛についても勉強する必要があるな」とか、そういうフィードバックができるわけです。
それに、手紙というのは出した方も気持ちのいいものではないでしょうか。手紙なら、冒頭で紹介した患者さんのように後からグチを言いたくなることもなくなるはずです。
私は私生活で、人に親切にしてもらったり、助けてもらったりすると、できるだけ手紙や電子メールで感謝の意を伝えるようにしています。手紙や電子メールは、直接会って話したり電話で話したりするのとは違った表現ができるために、特に感謝の意を示したいときには最適ではないかと私は考えています。
手紙(や電子メール)がきっかけで、人間どうしの絆が太くなったり、お互いに理解し合えたりすることはよくあります。これはあらゆる人間関係で言えることだと思います。
そして、それは患者さんと医師の関係でも同じなのです。
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