メディカルエッセイ

15 私が怒らせてしまった患者さん 2005/5/22

先日、外来を受診された患者さんを怒らせてしまいました。これまでも、院内で医療従事者に対して怒りをあらわにする患者さんを何度かみたことがありましたが、ひとりの患者さんが私ひとりに怒りをぶつけられたのは初めてでした。

 怒りの内容は、「どうしても点滴をしてほしい」という患者さんに対して、「点滴は必要ない」という旨を私が話したのですが、私の説明に納得されず、結局「点滴をしてくれないなら薬も要りません! 診察代だけ払って帰ります!」と言って帰られたというものです。

 もう少し詳しくお話しましょう。

 患者さんは、40代の女性で、数日前から喉が痛くて熱があるという理由で来院されました。診察すると、おそらく細菌性の急性扁桃炎であることが分かりました。発熱と喉の痛み、それに軽い咳以外は症状がなく、水分摂取も可能なため、抗生物質と解熱鎮痛剤を内服し数日間安静にしていれば充分に治癒が見込めるという状態でした。
 
 診察を終える前に、何か言いたそうにしている患者さんに私は尋ねました。

 「何かお聞きになりたいことはありますか。」

 「先生、熱が出てしんどいので、熱を下げる点滴をしてください。」

 「通常、熱を下げるために点滴をおこなうことはしません。薬が飲める人には内服薬を飲んでもらいます。飲めなければ坐薬を使うこともあります。坐薬も使えないような場合は、注射をすることもありますが、注射の場合、副作用もありますから、安易にはおこなわないことになっています。」

 この患者さんには、注射の解熱薬が使えない理由がありました。患者さんはピリン系の薬剤に対してアレルギーがあるのです。現在、日本で使用できる注射可能な解熱剤はピリン系のものしかありません。私はそれを説明しました。

 「点滴ではなく、普通は筋肉注射をしますが、解熱薬はあります。しかし、それはピリン系の薬剤で、あなたのようにピリン系の薬剤にアレルギーがある人には使えません。もし使うと、危険な状態になることも予想されるからです。」

 患者さんはあきらめません。

 「でも、先生。点滴をするとすぐに治るんです! とにかく熱を下げる点滴をしてください!」

 「細菌性の感染症に対して、抗生物質の点滴をすると、たしかに劇的に治癒することもあります。しかし、あなたはピリン系の薬剤にアレルギーがありますし、花粉症も軽いものではないようです(問診で花粉症のあることが分かっていました)。アレルギー体質の方に、抗生物質の点滴をおこなうと短時間で危険な状態になることもあるのです。そんな危険なことをするよりも、飲み薬で様子をみた方がいいと思いますよ。」

 「いえ、どうしても点滴をしてください!」

 「そこまで言われるなら、点滴をしましょうか。ただし、薬剤は入れないでおきましょう。水と電解質のみの点滴になりますが、それでもいいですか。」

 「水と電解質だけなら意味ないでしょ! せめてビタミン剤などの栄養剤を入れてください!」

 「あなたは、栄養剤が必要な状態ではありません。それにあなたのような状態の人に栄養剤を保険診療で供給することはできないのです。どうしてもと言われるなら、自費診療で点滴をすることは可能ですが、栄養剤の点滴が、高額なお金を払ってまでやるべきものではないと思いますよ。」

 「けど、先生。熱を下げるのに飲み薬では効果がないんです!」

 このままでは納得してもらえないと思って、私は薬の本を取り出して、注射の解熱剤のところを見せました。
 「ここに書いてある通り、現在日本で使われている注射の解熱薬はこれらだけで、これらはいずれもピリン系なのです。あなたには使うことができないのです。」

 「こんな本見せられても分かりません! どうしても点滴をしてくれないならもういいです! 帰ります! 飲み薬も要りません! 診察代だけ置いて帰ります!」

 と言って、バタンと大きな音を立ててドアを閉め、その患者さんは診察室を去っていきました。

 我々医療従事者は「点滴神話」と呼ぶこともありますが、患者さんのなかには、点滴をすれば、たちまち病気が治ると思っている人がいます。

 たしかに、点滴をすれば劇的に症状が改善する場合があります。この患者さんに私が述べたように、抗生物質が劇的に効く場合もありますし、嘔吐や下痢が数日間続いていて脱水の状態にあるときに、点滴をするとみるみるうちに元気になることもあります。この場合は特別な薬剤は必要でなく、水と電解質のみのもので充分です。水と電解質のみの点滴とは、要するにポカリスエットのようなものです。

 嘔吐が続いているときには、「吐き気止め」を点滴の中に入れると数時間でよくなりますし、喘息の場合もある薬剤を使うことで劇的に改善します。また、低血糖で意識を失っているときにブドウ糖の注射をすると、まるで何事もなかったかのように意識が戻ります。

 しかしながら、この患者さんのように、細菌性の急性扁桃炎が疑われたものの、その様態はさほど重症ではなく、飲み薬で充分と思われるようなケースには点滴は必要ありません。診察する医師によっては、飲み薬すら必要ないと言うかもしれません。

 私は、この「点滴神話」を持っている患者さんに対しては、点滴が必要でない理由を説明し納得してもらうようにしています。これまでも、「どうしても点滴をしてほしい」という患者さんに何度も遭遇してきましたが、必要ない理由を説明し納得してもらうか、あるいは同意を得た上で、水と電解質のみの点滴をするようにしていました。

 今回のように、水と電解質のみの点滴では納得されずにどうしても薬剤を入れてほしいという患者さんは初めてでした。しかも、「それができないなら飲み薬も要らない」と言って怒って帰られた、という体験も初めてです。

 この患者さんに最も必要なのは安静にすべきことだったのですが、このように怒りをあらわにして不快な気分を持てば治る病気も治りにくくなります。また、私からみても、患者さんに利益を与えられなかったわけですから気分のいいものではありません。結局、医師からみても患者さんからみても結果的にはマイナスになってしまったのです。

 では、この症例ではどちらが悪いのでしょうか。おそらく、医療従事者に話をすれば、「それは仕方ないよ。」とか「お前は悪くないよ。」という意見も出てくるでしょう。

 しかし、私としては、やはり自分に非があったのではないかと考えています。

 「ナラティブ・ベイスド・メディシン」という言葉をご存知でしょうか。「ナラティブ(narrative)」とは、「物語」という意味で、患者さんはそれぞれ自分の症状に対する自分だけの物語を持っていて、それを医療従事者が察知し、その物語を解決するようなアプローチをすべきであるという考え方です。

 例えば、頭痛がするといって診察室を訪れた患者さんに、「それは片頭痛だから薬で様子をみてください」と言っても、「片頭痛じゃなくてもっと怖い病気かもしれないから徹底的に検査をしてください」などと言われることがあります。なぜ、そんなに怖い病気を心配しているのかと思い、詳しく話しを聞いてみると、実は自分の父親が脳腫瘍で発見が遅れ命を落としたというエピソードを持っていた、などといったことがあります。

 この場合は、なぜ脳腫瘍を疑う必要がなく、片頭痛という診断がつけられるのかということをじっくりと説明する必要があります。ただ、むつかしいのは、患者さんが、この例の「父親が脳腫瘍」というようなエピソードをなかなか話してくれないことがあるからです。

 さて、話を戻しましょう。「ナラティブ・ベイスド・メディシン」の立場から、私が怒らせてしまった患者さんのことを考えたときに、やはりこの患者さんにも、どうしても点滴にこだわる理由があったのでしょう。それが科学的あるいは理性的でないこともありうるでしょうが、患者さんにとっては非常に重要なことであるために、数分間の私の説明では納得できなかったのかもしれません。

 「自分のことを理解してもらう前に相手のことを理解する」というのは、あらゆる人間関係の鉄則ですが、私にはその鉄則が守れていなかったのです。

 最後に偉人の名言をご紹介いたしましょう。

 「心には理性で分からない理屈がある」(パスカル)