メディカルエッセイ

4 forget-me-not 2004/6/9

2004年4月、それまで1年間研修医として勤務していた星ヶ丘厚生年金病院(以下、星ヶ丘)を退職しました。この一年間で数え切れないほどのことを学んだように思います。これまでの人生を振り返って、これほどたくさんのことを学んだ一年間はなかったように感じます。

 あらためてこの一年間を思い返してみると、本当に数々のドラマがありましたし、医師としての知識や技術も大幅に向上したように思います。私は何とめぐまれていたのか、こう感じてやみません。

 知識の習得という観点だけで考えてみると、医学部受験を目指した一年間や、医師国家試験の勉強に従事した一年間の方が得たものが大きかったかもしれません。また、ドラマという点からみれば、私が18歳から20歳まで経験した旅行会社でのアルバイトの方が大きかったかもしれません。

 けれども、生と死の狭間にいる患者さんやその家族、不治の病におかされた患者さんらと接したことで得られたものは計り知れません。また星ヶ丘の先生方や看護師さん、その他のスタッフの方々からも多くのことを学ばせていただきました。本当にいくら感謝してもしきれないように思います。

 私は医師としての最初の一年間は大学で研修を受けました。大学病院には、大学病院でしかみることのできない疾患を経験することができますし、多くのスタッフの方に丁寧に指導していただいたのも事実です。しかしながら、結果として言えば、医師二年目の一年間、すなわち星ヶ丘で過ごした一年間の方がずっと心に残るものが多かったといえるように感じます。

 大学病院を去るときは、それほど感慨深いものはなかったのですが、星ヶ丘を去るときには感謝の気持ちと同時に、さみしさで胸がいっぱいになりました。いま、星ヶ丘を去って一ヶ月がたちましたが、毎日のように星ヶ丘での出来事を思い出します。指導していただいた先生方、一緒に喜びや虚しさを語り合った研修医の先生たち、いつも患者さんの立場にたって優しく患者さんと接しておられた看護師さんたちやその他のスタッフの方々、そして、本当は私がしっかりしないといけないのに、逆に私に生命の尊さを教えてくれたり励ましてくれたりした患者さんたち・・・、このような人たちとめぐりあえた私は何と幸せなのでしょうか・・・。
 
 今私が思うのは、いつかこの星ヶ丘に何らかのかたちで恩返しがしたいということと、私のような研修医が、一年間というわずかな期間だけだけれど、多くのことを学ばせてもらったということをスタッフの方々がときどき思い出してくれたらな・・・、ということです。

 そんな思いを込めて、私は星ヶ丘を去る前日に、体育館の横の草木が茂っている場所に、12株の忘れな草を植えました。12という数は、私を含めた研修医の数です。忘れな草は多年草となることもありますが、多くは一年で枯れてしまいます。けれどもこの生命力の極めて強い草は、きっと一年後にも芽が出るものと思います。

 この前久しぶりに病院を訪ねて、こっそりとその忘れな草を見てきました。花は枯れているものもありましたが、まだ葉は堂々と元気な様子を見せてくれました。

 現在私は、大学の医局を離れ、大好きだった星ヶ丘も退職し、昼間は大阪市内のクリニックで無給で修行を重ね、夜は当直のアルバイトで当面の生活をしのいでいます。収入も減り、医師免許は持っているとはいえ、いわばフリーターの生活です。この夏にはタイ国に医療ボランティアに行きます。こんな生き方、自分の好きで選択したこととはいえ、ときには不安になることもありますし、同級生のように安定した医師の生活がふとうらやましくなることもあります。

 けれども、私が自分で植えた忘れな草を見て感じました。この草のように、力強く生きていこう。夏の暑さに負けていったん枯れてしまったとしても、翌年にはまた芽を出す。そんな生き方がしたいな・・・と。

 そしてこのようにも思います。もし私がくじけてしまったら、一年間お世話になった星ヶ丘の患者さんやスタッフの方々に合わせる顔がない。あの忘れな草が芽を出し続ける限り、私も頑張らなければ・・・と。

 私の本の読者の多くは医学部を目指している方々だと思います。学力や年齢、その他の環境のために、周囲から医学部受験を反対されている方も少なくありません。そんな方々に今ひとつアドバイスをさせていただくとするならば、街に出て自然を見つけてほしいと思います。周囲の環境に負けず、堂々と生命力を披露している草木を見て感じて、自分を鼓舞してほしいのです。きっとからだの奥底から生命力があふれてくるはずです。