マンスリーレポート
2025年10月 私が安楽死に反対するようになった理由(前編)
前回述べたように、私は以前から自殺を奨励こそしないものの、人間には「自殺の自由」があって然るべきだ、と考えていました。医師になってから、というより2007年に谷口医院を開院してからは、多くの若者から、そのうちに若者だけでなく中年男女から、そして最近は高齢者からも自殺の相談をされるようになってきました。
他方、親や子供、あるいはパートナーなど身近な人に自殺をされた、という患者さんも少なくありません。「ある日家に帰ると、風呂場で母親が首を吊って死んでいた」、「喧嘩別れしたカレシがそのまま勢いでビルから飛び降りた」、「娘が海外で自殺したことを現地の警察から知らされた。自殺の理由は今も分からない」など、身近で大切な人を失った悲しみを聞く経験も積み重なってきました。
残された人は「大切な人が自殺した」という事実を受け入れなければならないものの、この悲しみはとても背負いきれるものではありません。もちろん「愛する人が病気や事故で他界した」ときの辛さも絶筆に尽くしがたいものですし、比較することに意味はないわけですが、それでも「大切な人が自殺した」悲しみは生涯消えることはありません。
数年前から、少しずつ「安楽死」に関する相談を、それは世間話的な軽いノリのものから深刻な相談まで、聞く機会が増えてきました。患者さんがそのような話をするきっかけは様々ですが、最終的には「安楽死を希望している。先生(私のこと)に力になってほしい」という内容に収斂していきます。
話を進める前に、ここで似た言葉の「尊厳死」と「安楽死」の違いを整理しておきましょう。
尊厳死を英語にすれば「death with dignity」(他にも様々な表現がありますがこの表現が代表的だと思います)。「尊厳」という日本語が分かりにくいならdignityを「品格」と訳せばいいかもしれません。つまり、尊厳死とは「品格ある死」のことです。イメージとしては、「人工呼吸をつけない」「点滴をしない」など「延命治療を中止し、自然な死を迎えることを選択する行為」です。
他方、安楽死の英語は「mercy killing」つまり「慈悲的な(mercy)」という形容詞はついていますが列記とした「殺人(killing)」です。「品格ある死」と「殺人」がまったく異なる概念であるのは明らかでしょう。人の殺し方には様々な方法がありますが、銃殺や絞殺などによる安楽死はもちろんありません。基本的には心臓が止まる薬を投与して、痛みの伴わない方法でその人を「死に導く」方法がとられます。
安楽死が認められている国として最も有名なのはスイスでしょう。なにしろ合法化されたのが1942年と”歴史”があります。ただし、スイスでも医師が毒薬を投与するのは違法であり、希望者が致死薬を服用するのを見守るのが医師の役割です。言い換えれば「自殺ほう助」です。具体的には「毒薬が入ったドリンクを患者自身が飲み干すのを見守る」「毒薬が入った点滴のクレンメ(スイッチのようなもの)を患者自身が動かすのを見守る」といった感じで、目の前の患者が自ら体内に毒を注入するのを見届けるのが医師の役割です。
これに対し、医師自らが致死薬を投与する方法は「積極的安楽死」と呼ばれ、実施している国ではおそらくカナダが最も有名だと思います。欧州ではオランダとベルギーで積極的安楽死がおこなわれています。最近はスペインでも一部実施されていると聞きます。他にはニュージーランド、コロンビアでも報告があります。カナダで積極的安楽死が合法化されたのは2016年とまだ10年も経っていないのにもかかわらず、全死因に対する積極的安楽死の割合が4.7%にも上昇しています。従来、安楽死の適応となるのは死期が短い不治の病に苦しめられている人だけですが、カナダではそういった終末期でなくても積極的安楽死が認められていることは特筆に値します。
オランダでは2024年に約1万人が安楽死で命を落とし、これは前年比10%の増加、国内総死亡者数のなんと5.8%を占めます。しかも、16歳から18歳のうつ病を患う自閉症の少年も含まれていて、これはさすがに国内外から批判の声も集まっています。
安楽死で必ず出てくる議論が「終末期以外の人にも認められるか」で、誰もが納得する答えがないのにもかかわらず、カナダやオランダではすでに実行されているのです。
この議論でよく引き合いに出されるのが、仏国の映画監督リュック・ゴダール氏の安楽死です。ゴダール氏は2022年9月、スイスで安楽死を遂げました。当初ゴダール氏の安楽死は「特に病気がないけれど人生に疲れたから」あるいは「人生でやり残したことがないから」などと報道されましたが、実際にはこれは誤りで「multiple invalidating illnesses(複数の障害を伴う病気)に罹患していた」と、本人の弁護士により発表されました。
さて、実際の問題として、私の立場で谷口医院の患者さんから「安楽死に協力してください」と言われればどうすべきでしょうか。日本では違法ですし、カナダやオランダでは外国人は現時点では対象外です。スイスでは外国人も可能ですが「治癒する見込みのない疾患に罹患していること」が条件ですから、単に「生きることに疲れたから」では安楽死の対象となりません。ですが、この先法律が変わる可能性もあるでしょうから、ここでは「希望すれば外国籍であっても、そしてどんな理由であっても安楽死ができる国がある」と仮定しましょう。
以前私は、自身が引退した後に「安楽死希望の人の海外渡航にアテンドするボランティア」をしようと考えていました。その人の片道の飛行機代と現地のホテル代は自分で出してもらって、私自身の往復の飛行機代とホテル代は私自身が出して、書類作成や現地でのアテンドや通訳は私自身が無償でおこなうことを考えていたのです。引退前に安楽死を希望する人からの申し入れがあった場合は、私自身が無償で書類作成や現地の安楽死を担当する医師とのやり取りをして、一人で渡航できる人には一人で行ってもらい、一人では自信がないという人には通訳のアルバイトを探して安楽死目的の渡航に付いていってもらうことも考えていました。
そして、実際そのようなリクエストをする人たちがチラホラと出てきました。もっとも、彼(女)らは現時点では差し迫って「一刻も早く安楽死を遂げたい」と考えているわけではありません。「いずれそのときが来れば、先生(私のこと)お願いしますね」という感じで話をされるのです。
元々「自殺の自由」が認められるべきだと私は長い間考えていました。自殺の自由を認める立場でありながら安楽死に反対するのは、理論的に一貫性を欠いています。安楽死も広義には自殺の一種だからです。厳密には安楽死(=mercy killing)は狭義の自殺とは呼べず、広義には殺人になるかもしれませんが、死にたい意思を遂行する、という意味で同じ類のはずです。ですから、「あなたは安楽死に賛成ですか反対ですか」と問われれば、私はこれまで何のためらいもなく「賛成」の立場を表明していました。
では、いよいよ谷口医院の患者さんから「先生、そろそろXデイが近づいてきました。準備に入りましょう」と言われれば、具体的にはどのようなことから始めればいいのでしょうか。それを考え始めると、まず脳裏をよぎるのは、その患者さんが自身の家族に、もし家族がいなければ友人に対して、「どのように別れを告げるか」です。安楽死を実行するなら先に「お別れの挨拶」をしなければなりません。ですが、「わたし、そろそろ安楽死しますね。谷口先生に現地に連れていってもらいます。今まであなたには本当にお世話になりました。ほな、さいなら」と言われて、「いってらっしゃい!」と笑顔で送り出せる人がいるとは思えません。早くも私の”計画”は挫折してしまいました。
では、安楽死はまったく身寄りのない人に限定すればいいのでしょうか。
次回に続きます。
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