メディカルエッセイ

第158回(2016年3月) 「がん検診」の是非

 がん検診を受けるべきか受けるべきでないか、というのはここ数年間よく話題になりますし、患者さんからもよく質問されることです。今回は、私なりに、この「がん検診は是か非か」についてここ10年ほどの「歴史」を振り返ってみて、ではどうすればいいのか、というところまで述べていきたいと思います。

 がん検診の是非については両極端な考えがあり、患者間のみならず医療者の間でも意見がまとまっていない、というのがひとつめのポイントです。

 両極端な考えの1つは近藤誠先生の「がんもどき理論」です。がんもどき理論とは、「本物のがんは検診では発見することができず発見されたときには助かる術がない。検診で見つかるのは治療不要な<がんもどき>だけ。だから検診は不要」、とするものです。

 近藤誠先生の「がんもどき理論」に全面的に賛成し、この理論を広めようとしている医師を私は知りません。しかし、この理論は世間一般にある程度受け入れられています。ここが近藤先生のすごいところで、同業者の医師にこれだけ批判されながら世間では受け入れられている点は注目に値します。

 がんもどき理論に対し私の見解を述べておくと、少なくとも甲状腺がんの大半についてはがんもどき理論で説明がつくと考えています。(これについては過去のコラムで述べたことがあります)。また、前立腺がんについてもその可能性があるのではないかと考えています(これについては後述します)。

 しかしがんもどき理論を受け入れられないがんもあります。代表は子宮頚がんです。子宮頚がんは定期検診でほぼ100%早期発見できて、早期発見できればほぼ100%助かります。早期発見ができて早期治療をした患者さんに対して「そのがんはがんもどきだから無駄な治療をしましたね」と近藤先生は言われるのかどうか、機会があれば聞いてみたいものです。(これについても過去のコラムで述べたことがあります)

 両極端な考えのもう一方は「腫瘍マーカー」に対する”信仰”です。総合診療(プライマリ・ケア)の現場では、「人間ドックでがんの値が少し高いと言われて心配になって来ました」という訴えが少なくありません。ここで患者さんが言っている「がんの値」というのが腫瘍マーカーです。腫瘍マーカーに対する誤解は過渡期に比べれば少しましになりましたが依然根強くあります。

 腫瘍マーカーとはがんを早期発見できるものではありません。腫瘍マーカーを測定する目的を一言でいえば「がんを発症して治療を受けた人の再発がないかを調べること、または治療できない状態まで進んだ人の重症度を調べること」です。しかも、これらもあくまでも「参考」であり、絶対的なものではありません。そして、がんの早期発見にはまったく無意味です。もしも検診で腫瘍マーカーが高く、その原因が本当にがんであるなら、治療できない状態まで進んでおり「早期発見」とは呼べないのです。

 それだけではありません。「弊害」も少なくないのです。そもそも人間ドックを受ける人というのは健康に対する関心が強く、さらに「もしもがんが見つかればどうしよう・・・」と不安を感じやすい人が多いのです。そして、腫瘍マーカーはあくまでも参考にすぎず、高い値が出てもがんになっているわけではなく(これを「偽陽性」と呼びます)、逆に正常値であったとしてもがんがないとは言えません(これを「偽陰性」と呼びます)。

 不安な人が腫瘍マーカーを調べて高い値がでたとき、それは偽陽性であり心配不要ですよ、ということをいくら説明しても納得してもらえないことがあります。強くなった不安感が冷静な判断を妨げているのです。ひどい場合は、この医療機関で見つからなかったけれど別のところを受診すれば見つかるかもしれない、と考えドクターショッピングを始める人もいます。人間ドックで何気なく受けた不適切な検査がその後の生活に大きな影響を与え、無駄なお金と時間を費やすことになるのです。

 ではすべての腫瘍マーカーががん検診で否定されるのかと言えば、ひとつだけ受けてもいいかもしれないものがあります。それは前立腺がんの「PSA」という腫瘍マーカーです。PSAは長い間、がんの早期発見につながる”唯一の”腫瘍マーカーと呼ばれてきました。しかし、現在ではこの見方も変わりつつあります。
 
 きっかけは2007年9月、厚生労働省の研究班が「PSA検査は集団検診として推奨しない」とするガイドライン案を発表したことです。研究班は、推奨しないとした理由を「PSA検査による死亡率の減少効果が不明であり、さらに精密検査による合併症の危険が高いこと」としています。これに対し泌尿器科学会は反対の声明文(注1)を発表しました。

 そして2012年5月、今度はUSPSTF(米国予防医療サービス対策委員会)が見解を発表しました。「PSA測定は不利益が利益を上回る」として前立腺がんの早期発見にPSA測定をおこなわないように勧告したのです。すると、日本と同じようにやはり米国泌尿器科学会がこの見解に対し反対の意見を公表しました。

 つまり、日本でも米国でも前立腺がんの早期発見にPSA測定が有効か否かというのは政府と泌尿器科学会で意見が正反対ということです。なぜこのようなことが起こるかというと、厚労省やUSPSTFは「国民全体」を見ているのに対し、泌尿器科医は「目の前の患者」を見ているからです。泌尿器科医からすれば、早期発見できれば助かったのに・・・、という症例を経験すると、多くの人にPSA検診をしてほしいと思います。一方、国民全体をみている厚労省やUSPSTFは、全体として死亡率が下がっていないどころか過剰診療につながり、手術の合併症や治療の副作用に苦しむこともあるため推薦できないと考えるのです。

 実際PSA検診が盛んにおこなわれた1990年代の米国では急激に前立腺がんの患者が増えています。以前から、前立腺がん以外の死因で亡くなった死体の解剖をおこなうと約半数に前立腺がんが見つかるということが指摘されています。これは、前立腺がんの多くは治療する必要がない、ということを示しています。前立腺がんは先に紹介した韓国の甲状腺がんの状況と似ていると言えます。

 さらに最近PSA検診の否定につながるかもしれない研究が発表されました。医学誌『Journal of Clinical Oncology』2015年12月7日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、前立腺がんに対するアンドロゲン遮断療法がアルツハイマー病の発症リスクになるというのです。治療する必要のなかった前立腺がんに治療をおこない、その結果アルツハイマー病を発症することになれば目もあてられません。そもそもPSAなど測定しなければこんなことにならなかったのに・・・、と考えたくなる人もでてくるでしょう。

 現在世界中で物議を醸している論文があります。医学誌『British Medical Journal』2016年1月6日号(オンライン版)に「がん検診はなぜ生存率を上げないのか」という内容の論文(注3)が掲載されました。この論文では、ほぼすべてのがん検診が結果として死亡率を減らせていないことを示しています。従来有効とされていた子宮頚がんや乳がん、胃がんでさえも検診が死亡率低下に寄与していないことをデータが示しているのです。

 ではどうすればいいのでしょうか。私個人の意見を言えば、現在厚労省が推薦している検診は受けるべきです。人間ドックのようにお金をかけるのではなく、市民健診や職場の健診のオプションを利用するのがおすすめです。厚労省が推薦しているのは、大腸がんの便潜血、胃がんのX線(バリウムの検査)及び内視鏡(胃カメラ)、肺がんのX線と喀痰検査、子宮頚がんの細胞診、40歳以降の乳がん(マンモグラフィー)です(注4)。

 ここで注意すべきなのは、先にも述べたように厚労省は「国民全体をみているのであってひとりひとりに注目しているわけではない」ということです。厚労省としては、全体としての費用対効果を最重視します。ごく少数のがん患者を早期発見できたとしても、莫大な費用がかかればその検査は推薦しないわけです。厚労省の推薦している検診以外に、我々ひとりひとりがどのような検査を受けるべきか、また受けるべきでないかという点については、かかりつけ医の意見を聞くのが賢明です。いきなり人間ドックに行って高額な費用を払うのではなく、日頃から目の前の患者さんの医療費を下げることを考えているかかりつけ医にまずは相談するのが一番いいというわけです(注5)。

注1:詳しくは、「「厚生労働省がん研究助成金による「がん検診の適切な方法と評価法の確立に関する研究」班(濱島班)の「有効性評価に基づく前立腺ガイドライン案(2007.9.10)」に対する声明文」を参照ください。

http://www.yokosukashi-med.or.jp/kenshin/psa.pdf

注2:この論文のタイトルは「Androgen Deprivation Therapy and Future Alzheimer’s Disease Risk」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://jco.ascopubs.org/content/34/6/566.abstract?sid=7102d39e-0583-443f-9854-937b6d10ed88

注3:この論文のタイトルは「Why cancer screening has never been shown to “save lives”–and what we can do about it」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.bmj.com/content/352/bmj.h6080

注4:詳しくは下記を参照ください。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/0000104585_3.pdf

注5:近い将来、がん検診が劇的に変わる可能性があります。現在注目されているのが、国立がん研究センターがすすめている「体液中マイクロRNA測定技術基盤開発」というプロジェクトです。これが実現するとわずか1滴の血液で13種のがんの早期発見が可能となり、2018年度末までに実用化すると言われています。また、ガン独特の臭いに注目した研究も期待されています。ひとつは東京医科歯科大学がおこなっている臭いを感知するセンサーを使って手のひらの臭いからガンの早期発見をおこなう方法、もうひとつは、九州大学理学部がおこなっている線虫に人の尿の臭いをかがせてがんの早期発見をおこなう方法です。これらが実現化すれば現在のがん検診は歴史的転換を迎えるかもしれません。