メディカルエッセイ
第133回(2014年2月) スタチンの功罪とリンゴのことわざ
著名な医学誌『BMJ(British Medical Journal)』の2013年12月17日号(オンライン版)に「1日1錠のスタチンで医者知らず、ことわざとの比較研究」というタイトルの論文が掲載されました(注1)。(原題は「A statin a day keeps the doctor away: comparative proverb assessment modelling study」です)
スタチンというのは、コレステロールを下げる薬として有名なもので日本を含め世界中で多くの人が毎日内服しています。今回はこのスタチンについて効果と副作用について紹介したいのですが、BMJのこの論文の「ことわざ」とは何なのかについて先に解説していきたいと思います。
この論文でとりあげられている「ことわざ」は、「an apple a day keeps the doctor away」というもので、日本語にすれば「一日一個のリンゴで医者知らず」となります。これは大変有名なことわざで、英語を本格的に勉強したことのある人なら聞いたことがあると思います。(ちなみに私は、以前からthe doctorではなくa doctorにすべきではないのか、と感じているのですがtheが正しいようです。英語の冠詞は私にとって未だに本当にむつかしいものです。まあ、フランス語やドイツ語よりはましですが・・・。アジアの言語には冠詞という概念がほとんどありませんが特に問題はないわけで、冠詞って本当にいるのか、と思うことすらあります・・・)
話を戻しましょう。 原題のA statin a day keeps the doctor awayは、このリンゴのことわざに”かけている”のです。スタチンは高コレステロール血症の治療として用いる場合は、その人の状態によって1錠であったり2錠であったりそれ以上であったりしますが、ここでいっているのはスタチンの「予防的投与」です。イギリスでは高コレステロール血症の予防薬としてシンバスタチン40mgの1日1錠服用が認められています。(ちなみに、日本で高コレステロール血症の治療にシンバスタチンを使用するときは5~10mgが標準で重症例でも20mgまでです。40mgというのは日本人の感覚からすればかなりの高用量です)
今回の研究では、そのシンバスタチン40mg1日1錠を内服しているグループと、1日1個のリンゴを摂取しているグループとを比較し、どちらが心血管系疾患の死亡を減らせるかを検討しています。実際には、シンバスタチンを内服している人もリンゴを食べますし、リンゴ1日1個のグループも、ときには2個食べることもあるでしょうが、そのあたりは統計学的な処理をして調整されています。また総摂取カロリーも同等に調整されています。
解析の結果、もしもイギリスの50歳以上の全国民にシンバスタチンを投与すると年間9,400人の心血管疾患による死亡が回避できることが分かりました。一方、リンゴを摂取すると8,500人が死亡を回避できるそうです。
ただし、リンゴには副作用がなくスタチンにはあります。分析によると、スタチン摂取であれば年間1,200人が筋肉の障害を発症し、そのうち200人は横紋筋融解症というときに致死的になる重大な筋疾患に発展します。また、12,300人が糖尿病を発症します。
興味深いことに、この研究ではスタチンとリンゴの費用も算出されています。50歳以上の全国民にスタチンを投与するとなると、1億8000ポンド(約306億円)が必要になるのに対し、リンゴであれば2億6000ポンド(約442億円)がかかります。
お金のことは置いておくとして、スタチン、リンゴのどちらを選択すべきでしょうか。効果面だけをみればスタチンの方に軍配が上がりますが、副作用の問題は無視できません。特に、スタチンのせいで年間12,300人もの人が糖尿病を発症するなら意味がないのではないか、と思えます。
実は、スタチンは随分と長い間、副作用の少ない有効で安全な薬とされていましたが、最近は糖尿病のリスクを上げるのではないか、ということがしばしば指摘されています。これに反論する報告、つまりスタチンは糖尿病のリスクを上げるわけではない、とするものもありますが、世界的には、スタチンの糖尿病リスクは次第にコンセンサスが得られているように私は感じています。
ただし、一言で「スタチン」といっても様々な種類のものがあります。そして、スタチン間の比較検討をおこなった研究もあります。医学誌『Circulation』2013年7月9日号(オンライン版)(注2)によりますと、スタチンの種類によっては肝機能障害などの重篤な副作用のでやすいものもあり、安全性を総合的に評価するとシンバスタチンとプラバスタチンがより安全、という結果がでています。ただし、糖尿病についてはどのスタチンも同じようにリスクがあるようです。
リンゴが嫌いな人、あるいは嫌いじゃないけど毎日も食べられないという人はスタチンを1日1錠飲む方がラクと思われるかもしれません。しかし糖尿病を含めて副作用のリスクを抱えてまで、治療ならともかく予防的にスタチンを飲みたい、という人はそう多くはないでしょう。
ところで、なんでリンゴなの?と思う人もいるのではないでしょうか。リンゴでなくて例えばみかんとか桃はダメなの?と感じる人もいるでしょう。なぜリンゴなのか、それは先に紹介したことわざにあるからですが、なぜこのようなことわざがあるかというと、ヨーロッパ人にとってリンゴが国民的フルーツであるからに他なりません。
米原万里さんの『旅行者の朝食』 にこの話が少し出てきます。ウイリアムテルや白雪姫からもわかるようにヨーロッパ人にとってのリンゴというのは単なるフルーツ以上の意味があります。ニュートンが万有引力の法則を発見したのもリンゴがきっかけとされていますし、アダムのリンゴのことを考えれば、単にフルーツではなく「生命」に関する何かの象徴であるようにすら思えてきます。米原万里氏はこの本の中で日本人のリンゴに相当するものは「柿」ではないかと自説を述べられていますが、私は日本人の柿よりもヨーロッパ人のリンゴの方が遙かに果物以上の意味を持っているように感じています。
話をスタチンに戻しましょう。私個人としてはスタチンの予防投与には賛成していません。効果があるのは事実ですが、副作用のリスクもあるわけですし、リンゴを毎日食べられなければ他の果物などでコレステロールを上昇させないものを探せばいいわけですから無理にスタチンを摂取する必要はありません。
それにイギリスで予防的に摂取されているシンバスタチンには副作用以外にも「欠点」があります。それはスタチンの種類によっては「グレープフルーツを食べられなくなる(注3)」ということでシンバスタチンも該当します。実際には少量なら特に問題は起こりませんが、例えば毎朝コップ1杯のグレープフルーツジュースを飲むことを習慣にしているような人はシンバスタチンはやめておいた方がいいでしょう。この点では、シンバスタチンと同様に安全という結果がでたとされる「プラバスタチン」(注4)の方が安全です。
スタチンという薬は世界で最も処方量が多い薬のひとつであり、医学及び薬学の歴史に残る薬です。そしてスタチンが発見されたのは1973年で日本人の学者によるものです。生化学者の遠藤章博士が青カビの培養液から最初のスタチンを発見したのです。この発見はノーベル化学賞に値する功績だと私は考えていますが、なぜかマスコミなどはあまり遠藤博士を取り上げていないような気がします。
スタチンが医薬品として登場したのは1989年ですから、今年(2014年)で25年目ということになります。スタチンはコレステロールを下げること以外にも、最近は様々な利点や欠点が指摘されるようになり、例えば歯周病を減少させるという研究がありますし、欠点としては白内障のリスクを上げる可能性も指摘されています。
私自身の結論を述べれば(この手の話題は毎回同じような結論になっていますが)、心血管系疾患を含むほとんどの非感染性の疾患については、薬に頼るのではなく、バランスのいい食事と適度な運動、ストレス軽減、禁煙、早寝早起きなどをまずは心がけるべき、というものです(注5)。
注1:この論文は下記URLで全文を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/347/bmj.f7267
注2 この論文のタイトルは「Comparative Tolerability and Harms of Individual Statins」で下記のURLで概要を読むことができます。
http://circoutcomes.ahajournals.org/content/early/2013/07/09/CIRCOUTCOMES.111.000071.abstract
注3:グレープフルーツがダメなら他の柑橘系は?という疑問がでてくると思います。グループフルーツがスタチンに相性が悪いのは、果肉部分に存在するフラノクマリンという物質の特定のタイプのものが含まれているからです。これはピンクグレープフルーツにはあまり含まれていませんから、グレープフルーツを食べるならスタチンを内服している人はピンクグレープフルーツにしておくべきと言えるかもしれません。また、みかんやオレンジ、レモンなどにはこのタイプのフラノクマリンがほとんど含まれていません。一方、スウィーティー、ザボン、ハッサク、夏みかん、ブンタン、バンペイユ、ダイダイ、サワーオレンジには比較的多く含まれていますからグレープフルーツと同様の注意が必要です。
注4:プラバスタチンは一般名であり、商品名は先発品では「メバロチン」です。後発品も様々なものがあり、当院でも基本的には後発品を処方しています。
注5:このあたりについては下記メディカルエッセイを参照ください。
メディカルエッセイ第129回(2013年10月号)「危険な「座りっぱなし」」
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