2013年6月14日 金曜日

2012年4月号  セルフ・メディケーションのすすめ~花粉症編~

 どこの病院に行っても長時間待たされる・・・、医師不足は一向に解消されていないではないか・・・。これは多くの患者さんたちが感じていることだと思います。

 2009年8月31日の選挙で民主党が掲げたマニフェストには「医師の数を1.5倍にします」とはっきりと明記されています。民主党はこの選挙で政権与党となったわけですが、医学部の定員は少しずつ増やされてはいるものの、医学部新設となると案は出されても煮えつまらない議論が繰り返されるだけ、といった感じです。最近は、医師の数を1.5倍、などという言葉自体をすっかり聞かなくなりました。もっとも、医学部新設が現実化したとしても、実際に臨床をおこなえる医師が増えるのにはその後何年もかかるわけですが。

 いくら不景気になろうが、少子高齢化社会が進行しようが、病気が減るわけではありません。むしろ超高齢化と呼ばれる社会に突入すれば医療の需要は今後さらに増加するのは間違いありません。

 病気で困っているけれど病院に行く時間がない、というのは働く世代の多くの人が感じていることでしょう。やっと時間をみつけて医療機関を受診すると、今度は長時間待たされて、診察時間はほんの数分・・・。これが現実でしょう。長い待ち時間と短い診察時間を不満に思い医療機関に苦情を言う人がいますが、医療者の立場からすれば、患者さんを待たせたいと思っている者はいませんし、患者さんの不安がなくなるまでじっくりと話を聞きたいと誰もが思っているわけです。しかし、限られた時間のなかで大勢の患者さんを診なければならない、となると、どうしても診察時間を最小限におさえる努力をしなければならないのです。

 病気を治したいけれども医療機関で長時間待つことはできない、という問題を解決するひとつの方法がセルフ・メディケーションではないか、と私は考えています。つまり、その病気が軽症であれば、日頃から予防につとめ、医療機関を受診するのではなく、薬が必要であれば薬局で薬を買って対処するのです。自分で薬を選ぶことなんてできない・・・、と感じる人がいるかもしれませんが、薬局には薬剤師がいますから、まずは相談してみればいいのです。

 セルフ・メディケーションに取り組みやすい疾患のひとつに「花粉症」があります。

 もちろん花粉症といえども、重症化している場合は薬局ではなく医療機関に行くべきですし、他のアレルギー疾患、例えばアトピー性皮膚炎や気管支喘息が合併している場合も医療機関を受診すべきです。なぜならアトピー性皮膚炎や気管支喘息の治療薬と花粉症の治療薬は重なることが多く、これらはひとつの医療機関で総合的に治療するのが最も効率がいいからです。また、薬の飲み合わせには細心の注意が必要ですから、何か他の病気ですでに医療機関にかかっている人は、まずその主治医に花粉症の相談をすべきです。

 けれども、他に何の病気にもかかっておらず、花粉症以外の症状のない健康な人で、かつその花粉症が軽症であれば、必ずしも医療機関を受診しなくてもいいのではないか、と私は考えています。そのように考えるようになった理由は、眠くならない(なりにくい)抗ヒスタミン薬が、ついに発売になったからです。

 2011年10月、エスエス製薬株式会社は、従来は医療機関だけで処方されていた「アレジオン」(一般名はエピナスチン塩酸塩)という抗ヒスタミン薬を「アレジオン10」という商品名で薬局での発売を開始しました(注1)。花粉症の治療の第1選択薬は抗ヒスタミン薬ですが、古いタイプの抗ヒスタミン薬は眠くなったり、だるくなったり、集中力にかけたり、といった副作用が出るのが難点でした。このため、働いている人や学生・受験生にとっては大変使いにくいものです。医療機関では、眠くならないタイプの抗ヒスタミン薬を処方しますから、このタイプの薬を入手するために薬局ではなく医療機関を受診するという人が多いのです。

 しかし、これはよく考えてみると不思議な話で、副作用の出やすいものが薬局で簡単に買える一方で、副作用が出にくい安全なものは医療機関を受診しないと入手できないのです。ですから、我々医療従事者は、より安全なタイプの抗ヒスタミン薬が医師の処方箋なしに薬局で購入できるようになることを望んでいたわけです(注2)。

 さて、ではアレジオン10が薬局で「自由に」買えることになったことで軽症の花粉症の患者さんが手放しで喜べるかというと、実はそうでもありません。その理由は「価格」です。私はアレジオン10が発売となったと聞いて、これで花粉症は軽症なら医療機関を受診する必要がなくなるか、と思ったのですが、価格をみて唖然としてしまいました。

 アレジオン10の価格は、6錠で1280円、12錠で1980円(1錠165円)もするのです。花粉症が12日で終わるとも思えませんから、何箱かを買わなくてはなりません。2ヶ月間(60日)飲み続けるとすると、1980円x5箱=9,900円もします。

 一方、医療機関で処方される「アレジオン」の10mgは薬価が109.5円ですから、3割負担で1錠32.85円です。ただし医療機関での処方の場合、薬代以外に診察代や処方代もかかりますから単純に比較することはできません。しかし、実際の金銭負担は何倍にも(場合によっては10倍以上も)違ってきます。この内訳を説明したいと思います。

 まず、程度にもよりますが、アレジオン10mgで完全に症状がとれるという人はそれほど多くなく、太融寺町谷口医院を受診する患者さんでみてみると、少なくとも20mgが必要になることが多いといえます。さらにそれを1日2錠(合計1日あたり40mg)内服してもらうことも珍しくありません。そうなるとコストがかさむではないかと思われますが、実はアレジオンにはすぐれた後発品がたくさんあります。例えば太融寺町谷口医院で処方しているアレジオンの後発品は20mgで薬価が49.9円(3割負担で14.97円)です。もしも薬局で処方箋なしで買えるアレジオン10で同じ量(1日あたり40mg)をまかなうとすると、60日分でみれば、医療機関で処方される後発品なら1,796.4円(14.97円 x 2 x 60日)なのに対し、アレジオン10なら39,600円(165円 x 4 x 60日)となります。医療機関受診の場合、診察代や処方代がかかりますが、初診であったとしてもこれらはせいぜい1,000円程度です。つまり、「医療機関受診+アレジオンの後発品1日40mgで60日分」なら2,800円程度なのに対し、「アレジオン10で同じ量を購入」だと39,600円、実に14倍以上の開きとなります(注3)

 エスエス製薬がアレジオンを市販で発売することを決定したのは画期的なことであり高く評価されるべきだと思います。しかし価格が高すぎます。医療機関で処方されているアレジオン10mgの薬価は109.5円ですから、ここだけをみても高すぎます。花粉症のセルフ・メディケーションが普及するかどうかは、アレジオン10の値下げ、さらに後発品(ジェネリック薬品)のメーカーが積極的に市販化できるかが鍵を握っていると言えます。アレジオンの後発品を販売しているメーカーは約20社あります。この20社がいずれも市販薬の販売を開始し、さらに市場原理が働けば価格が大きく下がることになるでしょう。

 また、アレジオン以外の先発品のメーカーも市販化を検討すべきです。アレジオンよりもさらに眠くなりにくい「アレグラ」や「クラリチン」も、海外ではすでに薬局で処方箋無しで購入することができます(注5)。このため、海外出張によく行く人のなかには、現地の薬局で買える分だけ買って帰るという人もいます。

 日本の製薬会社はもっと医薬品の市販化(OTC化)に積極的になるべきだと思います。少なくとも海外では市販されているような薬品については議論を進めるべきです。医療機関は待ち時間が長いから受診したくない、という人は少なくありません。市販化できればこういった人たちの需要に応えることができて会社の増益にもつながりますし、セルフ・メディケーションが進むことにより医師不足が緩和されるかもしれないのです。

 話を花粉症に再び戻します。ごく軽症な場合、例えば天気のいい日に長時間外出したときだけ鼻水が少しでる程度、つまり抗ヒスタミン薬を必要なときだけ飲んで対処できる程度の花粉症という人は、一度アレジオン10を検討してみはどうでしょうか。まずは近くの薬局の薬剤師に相談してみてください(注4)。

注1 医療機関で処方される「アレジオン」はエスエス製薬ではなくベーリンガーインゲルハイムから発売されています。そのアレジオンには10mgと20mgがありますが、エスエス製薬が薬局で発売しているアレジオン(アレジオン10)は10mgだけです。このため軽症の人をのぞけばアレジオン10だけで花粉症のセルフ・メディケーションをおこなうのは現実的でないかもしれません。詳しくは本文を参照ください。

注2 より安全なものには処方箋が必要で、副作用のでやすいものが薬局で処方箋なしで買える薬剤の他の例として「鎮痛剤」があります。胃への副作用などが比較的おこりやすい鎮痛剤が薬局で(しかも簡単に!)買えるためその弊害が出ている一方で、副作用の起こりにくい比較的新しい鎮痛剤は処方箋が必要なのです。(下記メディカルエッセイも参照ください) 尚、眠くなりにくいタイプの抗ヒスタミン薬が薬局で買えるようになったことをすべての医療者が歓迎しているかというとそうとも言い切れないようです。実際、エスエス製薬の「アレジオン10」の発売に反対する声も一部の医療者から上がったそうです。

注3 この試算は話を簡略化するためのものであり、実際はいくつか注意が必要です。まず、市販のアレジオン10で改善しなければ医療機関を受診すべきであり、自己判断で20mgに増やすべきではありませんし、まして1日40mgなどにしてはいけません。また、本文の例では医療機関を初診で受診しアレジオンの後発品1日40mgを60日処方ということにしていますが、初診で40mgを処方することは通常ありませんし、初診で60日も処方することもありません。しかし再診の場合はありえます。例えば、例年アレジオンの後発品1日40mgで安定している人が受診した場合、再診扱いで40mgを60日処方することはあります。この場合、初診代でなく再診代となりますからさらに安くなり総費用が2,350円となります。(市販のアレジオン10で同じ量を入手するには16.85倍(!)のコストがかかることになります)

注4 本文では述べていませんが、花粉症には薬が必要になることもありますが、花粉を近づけないようにするための対策をとることでかなりの予防ができますし薬を使うことよりも重要です。詳しくは 「花粉症対策2012」 を参照ください。

注5(2012年12月付記) その後「アレグラ」は2012年11月に「アレグラFX」という名称で市販薬として発売されました。

参考:メディカルエッセイ第97回(2011年2月) 「鎮痛剤を上手に使う方法」

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2013年6月14日 金曜日

2012年3月号 震災から学ぶ帰属意識

世の中不況が続いています。

 新聞報道をみていると、2月14日に日銀が「中長期的な物価安定のめどを1%とする」と発表したことで株価が急上昇し、円高に歯止めがかかり、あたかも日本経済が息を吹き返したかのような印象を受けますが、診療室ではそのような景気のいい雰囲気を感じることはできません。

 太融寺町谷口医院の患者さんの大半は働く世代です。電子カルテの表紙には保険証の情報が表示されますから、保険証が変更になればそれが診察を開始する前にわかります。社会保険から別の社会保険に変わっていれば転職したんだろうということがわかりますし、社会保険から国民健康保険に変わっていれば仕事を辞めたことが推測されます。なかには、国民健康保険から生活保護の保険に切り替わって、という人もいます。

 患者さんたちから就職状況を聞いていると本当に大変なんだなということがよく分かります。面接までたどりつくのも苦労するという声もありますし、やっと新しい仕事が見つかったと思ったら、社員を使い捨てのコマのようにしか扱ってくれないようなところだったり、にわかには信じがたい話ですが、労働法をまったく無視して過重労働をさせたり、新人への暴言(ひどいときは暴力さえも)が日常茶飯事におこなわれているようなところもあるようです。患者さんからセクハラやパワハラの相談を受けることもあり、その結果精神症状が悪化しているような場合には精神科クリニックを受診してもらうこともあります。

 比較的長期で正社員として働いている人たちも、疲れきっているというか、疲労感を常に抱えているといった感じです。まあ、そういう人たちが病気を患い医療機関に来ている、ということなのかもしれませんが。

 私が最近とみに感じるのは、非正規社員の人は言うまでもなく、正社員の人たちでさえ、会社での人間関係が希薄なのでは?ということです。私が一般企業に就職した90年代初頭くらいは、まだまだ社員どうしの家族ぐるみでの付き合いというものが普通にありました。当時は社員旅行に家族を連れてくるということがごく当たり前でしたが、現在では社員旅行そのものが以前に比べて激減していると聞きます。社内の運動会などというのもほとんど聞きません。たまに、社内のクラブ活動に参加しています、などという話を聞くとなんだかほっとする感じがします。

 今思えば、90年代の初期くらいまでは、生活の大半を会社に依存するような日本人の会社との付き合い方は世論やマスコミから批判されていました。あるジャーナリストは「社蓄」という言葉を唱えたほどです。終身雇用や年功序列が非難され、人々は実力主義、年俸制などを求め、会社との深い結びつきを過去の産物とみなすようになりました。

 人々が日本式の会社との関係を見直しだした1992~93年あたりから、運悪く(という表現があたっていると思います)バブル後不況が本格的にやってきました。就職氷河期という言葉が使われだし、その後急激な円高に見舞われたこともあり、さらに就職状況は悪化、リストラという言葉が流行語になり、1997年には山一證券やヤオハンといった巨大企業が倒産(注1)、1998年からは年間の自殺者が3万人を超え、これは現在も続いています。

 終身雇用を批判していた世論は手のひらを返したように一転し、リストラを断行する企業を非難しだしました。しかし、時すでに遅しで、安心して定年まで働くことがもはやできない時代となり、誰もがリストラのリスクがあり、さらに大企業であっても会社そのものが存続するかどうか分からない、という時代になってしまいました。

 このような状況のなか、社内で濃厚なコミュニケーションをとり厚い人間関係を構築するのは相当困難なことなのかもしれません。昔に比べると、同僚や会社の先輩・後輩たちと飲みに行く、という機会も随分と減っているのでしょう。私の会社員時代を思い出してみると、多い週であればほぼ毎日のように飲みにいっていました。夜の9時10時まで仕事をして深夜まで飲んで、また早朝から仕事、といった感じです。私の場合は社外のネットワークも求めていましたし、当事は英語の勉強も毎日していましたから、寝る時間もあまりなかったのですが、それでも会社の人たちとの飲み会の席での語らいは重要なものでした。以前も述べたことがありますが、退社後の飲み会で仕事の話が盛り上がり、そこで決まったプロジェクトがいくつもあったのです。

 何のために仕事をするのか、という問いに対しては、生活費を稼ぐためというのが前提としてあり、さらに自己実現や社会貢献というものがあるでしょう。しかし、仕事をする大きな目的として「仲間を得るため」ということが大きいのではないかと私は考えています(注2)。安定した関係の、つまり嘘をついたりつかれたりすることのない、ある程度心を許せる他人との関係がなければ人間は生きていくことができません。

 現在は、これをネット社会で代用しようという考えがあるかもしれません。私はそれを全面的には否定しませんが、やはり顔をみない相手との関係は脆弱です。その逆に、相手のことをある程度プライベートまでよく知っており、仕事のことだけでなく何でも話せる関係を構築していれば、人間の心は安定するものです。

 私はこのことを東日本大震災の被災者から再確認できたと思っています。壊滅的な状況にあるなか、いくつかの被災地では、住民が行政に依存するのではなく、自分たちで瓦礫を片付け、住宅を建て、使えるものを探してきて、力を合わせて暮らし始めました。こういった様子は住民たちがつくったウェブサイトを通して知ることができます。例えば、宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区では、自分たちで復興している様子を日々ウェブサイトを通して伝えています(注3) 写真や文章から伝わってくる人々の様子は実にいきいきとしています。天災に合わず会社勤めをしているものの、人間関係に希薄な都会に住む人々とは対照的です。

 震災という状況に置かれれば、住民どうしが協力するしかなく、「復興」という共通の目標があるからみんなで力をあわせて頑張れるのであって、震災というアクシデントがあったからむしろ人間らしく充実しているのだ、という見方があり、そのような考えは確かに一理あると私も思います。

 では我々は、震災のような非常事態に見舞われなければ他人と協力しあうことはできないのでしょうか。

 そんなことはありません。では、どうすればいいかというと、働く人にとって会社とは生活の大部分を過ごす時空間ですから、まずは経営者が「社員を守るんだ」、という意識が必要でしょう。社員からみれば、経営者が尊敬できて信頼できる人物でなければ、心を許すことができないからです。大企業の場合は一社員から経営者の顔は見えないでしょうから、部署ごとに一体感が必要になります。やはり上司は部下から信頼されていなければなりません。そして同僚どうしはコミュニケーションを密にとりチームワークを大切にすべきです。誰かがリストラされることになるかもしれないという、いわば「いすとりゲーム」のような環境に置かれれば、安心して仕事をすることができず、腹をわって話せる同僚もできません。精神的に破綻をきたすのも時間の問題となるでしょう。

 ここ10年くらいの間「自己責任」という言葉が随分使われてきたような感じがします。この言葉は一見、理に適っており正しいような印象を受けますが、いきすぎると非常に生き辛い社会を生み出すことになります。このコラムの2012年1月号で、私は「昔の友達どうしで助け合う社会をつくるべき」ということを述べました。損得勘定なく付き合える昔の友達の存在は心の支えになるからです。そしてまた、現在の職場での人間関係を(昔の日本の企業がそうであったように)密にすることができれば、心の安定が得られるのではないでしょうか。社内旅行や社内のクラブ活動が復活することはないかもしれませんが、同じ部署の人たちと食事してプライベートな話をすることができれば、今よりもずっと会社の居心地がよくなることでしょう。

 ウェブサイトから伝わってくる馬場中山地区の人たちの笑顔は本当に素敵です・・・。

注1:私が就職したのは1991年4月で(在阪の商社に就職しました)、就職活動は1990年の夏におこなっていたのですが、山一證券もヤオハンも共に学生にとっての人気企業でした。山一證券は当事の証券会社では上位3位くらいに位置づけされていましたし、ヤオハンは、入社時に英語ができなくても希望すれば海外勤務をさせてくれると言われており、またいち早く週休3日制を導入した企業であったことを記憶しています。(当事は人手不足が深刻化しており、「週休3日制」を売りに新入社員を募っている企業が多くあったのです)

注2:社会学や心理学に馴染みのある人なら「マズローの欲求段階説」で考えてみると分かりやすいと思います。やりたいことをする、という意味において4つめの「自我の欲求」、もっと大きな意味で自己実現をかなえる、という意味で5つめの「自己実現」を仕事に求めるという考え方がありますが、私がここで言っているのは、3つめの段階、すなわち「集団に帰属したいという欲求」です。

注3:宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区の復興の様子は下記にURLで見ることができます。
http://www.babanakayama.jp

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2013年6月14日 金曜日

2012年2月号 医学部式暗記法のすすめ

昨年(2011年)のこのコラム(マンスリー・レポート)で、勉強に関するコツのようなものを何度か紹介しました。私は勉強に関する書籍を上梓していることで、受験の相談を受けることが多いため、勉強をしている人たちの役に立つことをしたい、と考えて、一時は専用のサイトをつくるとか、勉強カフェをつくるとか、そういった計画を立てたこともあるのですが、結局どれも時間不足で(というのは言い訳ですが・・・)何もできず、せめてこのサイトの「マンスリー・レポート」を利用して勉強のアドバイスを試みようとした、というわけです。

 今回のコラムもその一環で、今回は「効率よい暗記法」について紹介したいと思います。

 拙書『偏差値40からの医学部再受験』で述べましたが、暗記に関して最も大切なことは「暗記の能力にはそれほど個人差があるわけではない」ということをまずは認識することです。

 いきなり反論がきそうですが、これは事実です。もちろん、一度聞いたことは絶対に忘れない、という”特異な”人がいることは私も否定しませんし、「暗記が得意!」と豪語する優等生もたいていクラスにひとりくらいはいるものです。

 しかし、ごくわずかな”特異な”人をのぞけば、「暗記が得意!」と豪語するほとんどの人も含めて、彼(女)らは「暗記のコツを知っているにすぎない」のです。

 私はこのことを医学部の「骨学」という授業で強烈に体験しました。『偏差値40・・・』でそのエピソードを詳しく紹介したので、ここではごく簡単に述べるにとどめますが、学年でトップを争っていたような”超”のつく天才が連想法を使って骨の名前(ラテン語)を覚えていたことに私は大変驚きました。頭蓋骨を構成する骨はたくさんあり、これをすべてラテン語で覚えなければならない、というのは(私のような凡人には)とても大変なことなのですが、その同級生は、「オス・パリエターレ(頭頂骨)は人間の一番高いところに位置して、高いといえばエッフェル塔で、エッフェル塔はパリにあるからパリエターレだ!」、と覚えていたのです。

 私は彼女のこの発言にどれだけ驚いたことか・・・。まるで頭頂骨を何かで殴られたような衝撃を受けました。しかし、同じ班の私以外のメンバーは、彼女のこのコメントに別段興味を示していませんでした。なぜなら彼(女)らもまた、それぞれ連想法を駆使して暗記に努めていたからです。

 それまでの私は、医学部に合格するような勉強のできる人たちは、それほど努力しなくても、覚えるべきことが、スポンジが水を含むようにすぅっと頭に吸収されるものだと思っていたのです。一方、私は、(今思えばまったくばかげた考えですが)学問という神聖なものに連想法などは用いるべきではない、と思い込んでいて、何十回と紙に書く、などといった非常に効率の悪い方法で暗記に励んでいたのです。

 私の暗記に対する考え方はその日を境に一転しました。天才の同級生から衝撃的なインパクトを受けた私は、その後医学部の学生のほとんどが連想法や語呂合わせを使っていることを知りました。そして、それを知った私は、その後、「これは覚えよう」と決めたものは、覚え方を自分で編み出して何でも覚えるようにしています。(自信過剰と言われるかもしれませんが)今の私は暗記が苦手ではありません。少なくとも10代の頃よりは遥かに記憶が得意、と言っていいと思います。(ただし、これは「覚えよう」と意識したもののみの話であって、例えば何年も会っていない知人と再会したときに名前を思い出せない、などといったことはよくあります)

 それでは、私が実践しているその暗記法について詳しく紹介していきたいと思います。その暗記法には3つのコツがあり、医学部時代の先に述べたエピソードをきっかけにあみだしたことから「医学部式暗記法」と勝手に命名しています。

 ここで、化学ででてくる元素の順番の覚え方「水平リーベ僕の船、なな曲がるシップス、クラークか」を思い出してください。H、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Al、K、Ca、というのは現在化学にまったく縁のないという人でも、「水平リーベ・・・」と口ずさめば比較的簡単に思い出せるのではないでしょうか。

 実は、この「水平リーベ・・・」こそが、効率よい暗記法の3つの極意をすべて含んでいます。まず1つめは、「語呂合わせ」で、「水平」は水平線、「リーベ」はドイツ語でLOVE、「船」や「曲がる」などはいずれも日常の単語ですから簡単に覚えられます。もしも、例えば「すいへい」が「へいすい」であればかなり覚えにくくなるはずです。

 2つめのポイントは、この語呂あわせが「シーンを連想しやすい」ということです。「大好きな水平線を眺めながら僕は自分の船に乗っている。ななめに曲がってくる船が近づいてきた。あの船にはクラークが乗っているに違いない」、という感じで、それが映画のワンシーンのように想像できます。そして、思い出すときにはこのシーンを思い浮かべると簡単に記憶が戻るのです。

 もうひとつ、この語呂合わせには重要なポイントがあります。それは、リズムが、7(水平リーベ)→5(僕の船)→7(なな曲がるシップス)→5(クラークか)と、多少の字余りはあるにせよ、基本的には七五調になっているということです。日本人にはこの七五調のリズムが最も覚えやすいのではないか、と私は考えています。

 私は何かを覚えようと決めたときには、この3つに留意して覚え方を考えます。例をあげましょう。私はいまだハワイに行ったことがないのですが、ハワイ好きな人は大勢いますから話にはついていきたいものです。ハワイ諸島には、観光客が簡単に行くことができる大きな島が6つあります。北西から、カウワイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、ハワイ島の順番で、これらは、それらの島が太平洋上に姿を現した順番でもあります。

 これを覚えてしまいたいと考えた私は(そんなことは考えない人の方が多いかもしれませんが)、「顔もいらない、まぁハワイ」と記憶しています。 カ(カウアイ島)、オ(オハフ島)、モ(モロカイ島)、(イ)ラナイ(ラナイ島)、マ(マウイ島)、ハワイ(ハワイ島)となるわけですが、ポイントを述べていきたいと思います。

 まず、ハワイに行ったことのない私でも、オハフ島、マウイ島、ハワイ島の名前は知っていました。一方、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島は聞いたことがない名前であり、覚えるのに苦労しそうです。カウアイ島と覚えるのに「カ」だけを取り出してもおそらく覚えられません。そこで「顔もいらない、まぁハワイ」以外に、「かわいいカウアイ島」という別の語呂合わせ(これは簡単でしょう)も作りました。モロカイ島を覚えるのに「モ」だけではすぐに忘れそうです。そこで、「モロ解凍」と覚えて、ハワイの大型スーパーに売っている冷凍の大きな肉の塊を外に出して”モロに”解凍しているシーンを思い浮かべます。ラナイ島はモロカイ島の最後の「イ」とあわせて「イラナイ」とすれば簡単です。「顔もいらない、まぁハワイ」とつぶやきながら、例えば、ハワイに普段着で顔にもメイクなどせずそのままの格好で行く、といった感じのイメージをすれば、もう忘れることはありません。そして、暗記法の3つ目のポイントである七五調も、7(顔もいらない)→5(まぁハワイ)、と満たしています。

 もうひとつ例をあげておきましょう。必須アミノ酸の暗記で、私は「メイトと風呂、バリ」と覚えています。内訳は、メ(メチオニン)、イ(イソロシイン)、ト(トレオニン)、ト(トリプトファン)、フ(フェニルアラニン)、ロ(ロイシン)、バ(バリン)、リ(リジン)です(注)。連想は、友達(メイト)とサウナに入りながら「今度バリ島に行こうぜ」などと会話しているシーンです。リズムは、「メイト」を「メート」と発音し「ト」を「to」ではなく「t」で発音すれば、7のリズムになりリズミカルに覚えることができます。「ター(タ)タ、タタ・タタ」という感じです。(声に出せば簡単に伝えられるのですが、文章でこれを伝えるのはむつかしいです・・・)

 語呂合わせ、連想しやすいシーン、七五調、この3つを考慮して独自の覚え方をあみだしていけば、かなり多くのことが覚えられ、もしかすると今後の人生まで大きく変わるかもしれません。私が医学部学生時代に考えた(というか気づかされた)この「医学部式暗記法」は是非多くの人に試してもらいたいと考えています。

注:現在必須アミノ酸は、これら8つに加えてヒスチジンを含めることが増えてきました。私は「必須(ヒッス)アミノ酸のヒ」と記憶しています。

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2013年6月13日 木曜日

2012年1月号 古くて新しい「絆」

2011年の世相を1字で表す「今年の漢字」に「絆(きずな)」が選ばれたことが先月報道されました。これはもちろん東日本大震災を受けてのことでしょう。被災地では、震災をきっかけに地域社会のネットワークが強化されお互いの絆が改めて確認できた、という声を何度も聞きました。

 また、被災者とは面識がなく東北地方にこれまで縁がなかった人たちも被災地に入りボランティアに従事しました。現地に行けなかった人も寄附金を送り、世界中から応援のメッセージが寄せられました。これらは震災をきっかけに生まれた新しい「絆」と言ってもいいかもしれません。

 一方、放射線にまつわる諸問題は解決しておらず、風評被害に苦しんでいる人も少なくなく、瓦礫の受け入れをほとんどの自治体が拒否している現状を考えると、「絆」という言葉がむなしく響くようにも思われます。放射線が原因で差別的な扱いをされた人からすれば、「絆」などという言葉は偽善にしか聞こえないでしょう。

 しかしながら、震災をきっかけに「絆」というものを多くの人が考えるようになったのは事実だと思います。そして、2011年の「今年の漢字」に「絆」が選ばれたわけですから、我々は改めて「絆」というものについて思いを巡らせるべきでしょう。

 私は毎年、年の初めにミッションステイトメントの見直しとその年の「課題」を決めるという習慣があります。(2011年の課題は「与える」、2012年は「仲間との時間を大切にする」でした) 毎年12月になれば、来年の「課題」は何にしようかな・・、と考え出します。そんなとき「絆」という言葉を聞き、いいな・・、と感じはしたのですが、「今年の漢字」に選ばれた言葉をそのまま自分の「課題」にするのは、あまりにも安易というか、短絡的すぎるような気がしていったんは却下したのですが、結論を言えば結局私は2012年の自分の課題を「絆」にしました。

 それにはふたつのエピソードがあったからですが、ふたつともフェイスブックにまつわるものです。

 ひとつは私自身が参加した同窓会です。数年前から高校の同級生と集まる機会が増えていて(といっても年に1~2回程度ですが)、ここ数年間は忘年会が恒例となっています。今回もミナミのある居酒屋で忘年会が開催されたのですが、実に24年ぶりに再会した同級生もいて大変懐かしく感じました。同級生というのは不思議なもので、20年以上たっているというのに少し話をすればあの頃にすぐに戻れるような気持ちになります。そして、24年ぶりの再開のきっかけとなった忘年会の情報はフェイスブックを通して得た、という同級生もいたのです。

 また今回の同窓会には参加できなかったものの、フェイスブックを通して旧知とコミュニケーションをとるようになったという同級生もいます。そして、フェイスブックのユーザーである同級生からこういったことを最近よく聞くようになりました。(尚、私自身はフェイスブックをしていません。医師はフェイスブックをすべきでないということはメディカルエッセイ第103回「僕は友達ができない」(2011年8月)で述べましたが、その最たる理由は、患者さんからの友達リクエストを承認できないから、というものです)

 もうひとつのエピソードも私の友達の話です。長い間無職の状態が続いていて最近ようやく就職が決まったというその彼は、いわゆる引きこもりのような状態が2年以上も続いており、電話にも出ない状態で、気分がいいときにのみメールをする、といった感じで社会とのつながりがほとんどありませんでした。

 半年ほど前からその彼から頻繁にメールが届くようになったのですが、その理由は、mixiとフェイスブックを始めたことで新しい友達が次々とでき、さらに小学校以来という旧知と連絡がとれるようになり、精神状態が随分よくなったから、と言います。そして、規模はそれほど大きくないものの将来性のある優良企業に就職が決まり、現在は責任のある重要な仕事も次々と任されているといいます。半年前までは「生きる気力もない・・・」と言っていたのが嘘のようです。

 中高の同級生など旧知と再会し話をするということは、何にも変えがたい楽しみがあります。損得勘定や利害のまったくない関係というものを社会人になってから築くのは簡単ではなく、そういう意味でたとえ年に一度でも旧知に会えるということは有難いことです。

 私自身が同窓会で楽しむことができて、私の友達がフェイスブックを通じて旧知とコミュニケーションをとるようになりそれが社会復帰につながったという事実を考えたとき、これが「絆」の力ではないか、と思わずにはいられません。

 回顧主義が好きな人は、日本の古き善き時代には人の温かみがあったという話をよくします。まず大家族があって親戚関係があって、親族は助け合うのが当然だった、さらに近所との関係は「持ちつ持たれつ」であり、困っている人が近くにいれば皆で助けるのが当たり前で地域社会は大切なコミュニティであった。それに比べて今は・・・、という議論になります。

 あるいは現在50歳以上の人たちのなかに終身雇用制の崩壊を嘆く人がいますが、これは、失われた地域社会の絆を会社というひとつの”社会”が代替していた、という考えです。高度経済成長からバブル時代くらいまでの間は、終身雇用が当然であり、新入社員は独身寮に入り、社内結婚をおこない、社宅に住み、子供をつれて会社の運動会や慰安旅行に参加していました。これは人の生活の基盤となるコミュニティそのものと言っていいでしょう。

 地域社会や昔の会社がコミュニティとして機能していたというこういった考え方は間違っていませんし、私個人としても嫌いではありません。けれども、もはやそのような時代に戻るのは不可能です。都心では回覧板も公民館もなくマンションの隣に住む人の顔や名前すら知らない、ということが当たり前の時代です。どれだけ大企業に就職しようが、定年まで安泰というようなことは期待できません。

 では、人間が人間として生きていくために必要だった地域社会や昔の会社がなくなってしまっている現在、我々はどのようにしてコミュニティをつくるべきなのか・・・。

 私はその答えのひとつに「旧知との再開」があると思うのです。そして、再開するためのツールとしてフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が役立つのではないか、と考えています。

 もちろんSNSで新たな友達ができる、ということもあり、それはそれでいいことだとは思います。なかにはSNSで知り合った人の紹介で就職先が見つかった、結婚相手が見つかった、などという人もいます。もちろん私はそういったことを否定しませんが、一方で顔を見ない相手との関係性が脆弱なのも事実です。

 実は私が日頃診察している30~40代の男女にも、心身とも順調でない患者さんが少なくありません。彼(女)らの多くは、頼れる人がおらず安心してコミュニケーションのとれる友達がいない、と言います。しかし、彼(女)らとて、生まれたときからずっとひとりで生きてきたわけではありません。なかには、高校時代に生徒会の副会長だったとか、テニス部のキャプテンだったとか、そういった人もいるのです。

 地域社会や会社でのつながりがないのであれば、昔の友達どうしで助け合う社会をつくればいいのではないか・・・、年末年始の休暇を通して私はそのような考えにいたりました。まずは私自身がこれまでの人生で知り合ってきた人のなかに、力になれる人がいないかどうかを考え、改めて「絆」というものに思いを巡らせてみたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2011年12月号 僕が震災から学んだこと

2011年もあと1ヶ月を切っていると言われてもそのような実感がなく、今年は長かったような感じがしていたのですが、終わってみれば例年以上に短かった、というのが私の現在の印象です。

 2011年を振り返ってみると、やはり東日本大震災につきるように感じられます。もちろん私は四六時中震災のことを考えているわけではなく、仕事中は目の前の患者さんに集中しますし、私のプライベートな行動が直接震災に関係しているわけではありません。

 医師として患者さんに接しているとき、特にその患者さんの人生に大きな影響を与えるような疾患、例えばガンやHIVの告知をおこなうときには、震災のことは頭から完全に消えていますし、もっと日常的な疾患を目の前にしたときでも「今頃被災地では・・・」などと考えているわけではありません。寝ても起きても震災のことばかりが気になって・・・、というわけではないのです。

 しかしながら、改めて一年間を振り返ると、東日本大震災というものの存在は私にとっても極めて大きなものであり、これからの自分の人生に影響を与えるのではないかという気持ちになります。

 これは一見不思議なことです。

 そもそも私は自分自身が被災したわけではありませんし、被災者のなかに個人的な知り合いもほとんどいません。震災に関する情報の入手ルートは、一般の人と同じようにマスコミの報道が中心です。医師のメーリングリストからは情報が入ってきますが、メールでは文字だけですし、医学関連の学会や勉強会に参加したときは、直接被災地医療にかかわった(かかわっている)医師の報告が聞けて、スライド(パワーポイント)の写真をみることができますし、現地の様子が非常にわかりやすいのですが、このような機会はそれほど多いわけではありません。

 一方、1995年の阪神淡路大震災のときは、私は知人の何人かを亡くしていますし、まだ医学部に入学していなかった頃で医学の知識がないとは言え、被災地の近くに住んでいましたからマスコミからは伝わってこない現地の情報がよく入ってきました。

 私にとっては、今年の東日本大震災よりも1995年の阪神淡路大震災の方がずっと身近なものだったのです。けれども、私により大きなインパクトを与え、これからも与え続けるのは東日本大震災のように思えるのです。

 これはなぜなのでしょうか。

 ひとつには、単純に東日本大震災の方が規模が大きいというものがあるでしょうし、時間の問題もあるでしょう。阪神大震災は発生してから16年が経過しています。また、阪神大震災にはなかった「津波」、そして「放射線被害」というものの存在も大きいでしょう。

 しかし、私にとって東日本大震災が阪神大震災よりも強い影響を与えている最大の理由は、おそらく地震発生直後から国内のみならず海外からも伝わってきた「支援の精神」ではないか、と感じています。インターネット(特にYou Tube)を通して世界中から被災地に数多くのメッセージが寄せられました。「Pray for Japan(日本のために祈る)」「I love Japan」といったタイトルのメッセージが次々と作成されました。私はツイッターやフェイスブックはしていませんが、これらを通しても多くのメッセージが送られたと聞きました。

 あれほどの被害に合いながら秩序を保って助け合っていた被災者に感動したという声は世界中のマスコミで取り上げられ、「日本人に心を打たれた」という声が世界中で広がり、それを聞いた我々日本人はそのことを誇りに感じました。

 もちろん日本国内でも多数の支援活動がおこなわれました。大勢のボランティアが被災地に赴き、直接行けない人は寄附をおこないました。巨額な寄附をおこなった著名人も少なくなく、今後得ることになる生涯の収入を全額寄附することまで約束した大企業の社長も登場しました。

 私個人の周りにおこったことは、まず世界中から「お前は大丈夫か」というメールが届きました。その都度私は、大阪は東北地方から随分離れている、という説明をしなければなりませんでしたが、彼(女)らは、東北の被害というより「日本が大変なことになった」と感じたようです。クリニックでは震災の翌日から募金箱を置き、これは現在も続けています。しかし現時点でも私は直接被災地を訪問しておらず、寄附をするだけでいいのか、という葛藤は今もあり、これからも考えていくことになるでしょう。

 世界中から日本の被災者の力になりたい、という声が寄せられて、それに感動し、そして我々日本人も被災者のためにできることを考えました。そして、小さな金額であったとしても寄附をおこなうことや、数日間という短い期間でも現地に訪れ被災者を支援することで我々は「支援の精神」というものに触れることになりました。

 3月11日以降ずっと私はこのことについて考えてきました。世界中の人たちからメッセージが届けられたことに感動したのはなぜなのか。思えばこれまで日本人がこれほど世界から慈悲の目を向けられることはなかったのではないでしょうか。私自身が被災したわけではないのにもかかわらず世界から届けられるメッセージにこれほど感動するということが私にはある意味「意外」でした。そして、国内では多くの日本人がときには仕事を休職してでも被災地にボランティアをしに行っていることに深い感銘を覚えました。また、日頃お金がないと嘆いている人たちも精一杯の寄附をおこなっていることを知りました。こういったことにこれほどまで深い感銘を受けるのはなぜなのでしょうか。

 おそらくこれは「支援の精神」を感じることが人間の心の琴線に触れるからではないでしょうか。言い換えると、見返りを求めず純粋に困っている人を助けること、支援すること、力になることが、人間の本能であり真実であることを改めて認識できたがために感動を覚えるのではないでしょうか。

 残念なことに、地震が発生してから約9ヶ月がたち、美談の対極に位置づけられるようなエピソードも次第に増えてきました。例えば、被災地での窃盗やレイプをちらほら耳にするようになりましたし、全国で違法薬物約1億9千万円を売り上げ最近逮捕された密売グループの主犯は宮城県の被災者だそうです。最近は、少しでも時間をみつけてボランティアに行こう、という世間の空気は少し減ってきたように感じられますし、寄附金も以前ほどは集まっていないようです。(太融寺町谷口医院の募金箱は3月以降毎月月末で〆て日赤に寄附していますが、月ごとに額が減ってきています)

 私が言わなくても大勢の人が感じていることですが、被災地が復興し被災者が元気を取り戻すのにはまだまだ時間がかかります。ですから、我々は来年になっても再来年になっても我々のできることを考えていかなければなりません。「いかなければならない」という表現をとると面倒な義務のような印象を受けてしまいますが、決してそうではありません。

 支援すること、貢献すること、助け合うことは、人類にとって古今東西に存在する普遍の原理原則です。その原理原則が真実であることを東日本大震災が再認識させてくれたのではないか。今、私はそのように考えています。

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2013年6月13日 木曜日

2011年11月号 私の英語勉強法 その2

 前回は英語の勉強法について、私の個人的経験を踏まえてお話しましたが、どうも分かりにくいところがあったようで、数人の方からご指摘をいただきました。また、もっと英語の勉強のヒントを教えてほしい、という声もありましたので、今回は前回の「私の英語勉強法」の続編としたいと思います。

 まず、前回分かりにくく複数の方から質問を受けたのが、NHKのウェブサイトでどうやって英語を聞くのかわからない、というものでした。これは私の説明不足で、たしかに前回の話は不十分という指摘はもっともです。正確に言えば「NHK」でなく「NHK world」のウェブサイトです(注1)。このサイトでは、いくつものニュースのタイトルがリストアップされており、タイトルの横にビデオのマークがある記事をクリックすればキャスターがニュースを読んでいるビデオが見られます。そしてその右横にはキャスターの話す英語がそのまま文字になっているので勉強になる、というわけです。ただし、話す英語とその文字は、ニュースにもよりますが、一字一句同じ、とまではいきません。

 BBCのウェブサイトもニュースが音声で聞くことができて勉強になることを前回述べました。NHKに比べると、映像(ビデオ)自体が興味深いものが豊富で、見ていて飽きないのですが、書かれている文字とキャスターの話は一致していないことの方が多く(例えばニュースの概要が文字でまとめられており、ビデオはインタビューや現地特派員の音声のレポートといったケースが多い)、dictation(書き取り)の勉強には不向きかもしれません(注2)。

 dictationに推薦したいのは、Voice of Americaのサイトのなかの「learning English」(注3)です。これは、英語勉強用に英文が少しゆっくりとしたスピードで読み上げられ、話される英語と書かれている英語が完全に一致しています。ただし、キャスターが原稿を読み上げるビデオはないので(私の場合は)飽きてきます。しかし、インターネットがなかった頃は、英文の文字と音声を同時に入手するにはそれなりの費用と時間がかかりましたから、それを考えると「飽きる」などというのは贅沢な悩みです。

 前回は触れませんでしたがもうひとつ推薦したいのは「2パラ」という毎朝(月~木)メールで送られてくる英字新聞です(注4)。これは日本のサービスで、毎朝世界中の新聞からピックアップされた英文の記事が2パラグラフだけ送られてきます。音声は通常のスピードとゆっくり発音されたものの2種類がついていますし、英単語の解説もあります。私が個人的にこのサービスを気に入っているのは、英語の勉強になることにも増して、選ばれる記事の内容が大変興味深いからです。あまり日本のマスコミでは報道されていないような面白い記事が取り上げられていることも多く、音声がなくても毎朝読む価値があります。配信されるのは2パラグラフだけですが、元の情報源(URL)も記載されていますから、その記事についてもっと知りたければそちらを参照すればいいのです。

 英語を「読む」ということについては前回あまり触れませんでしたが、これは今さら私が述べるまでもないと思います。世界中の英字新聞がほとんど無料で読めるわけですからこれを使わない手はありません。分からない単語が出てくればその場で無料のネット上の辞書を使えばいいわけですし、それでも文意が理解できなければ、その分を「コピー+ペースト」して後でまとめて誰かに聞けばいいのです。

 あなたの友達のなかにもそのような質問にすすんで答えてくれる人がいるのではないでしょうか。またあなたが英語を使う仕事をしているなら上司は喜んで教えてくれるでしょうし、前回述べたように外国人にマンツーマンで教えてもらえる環境ならばそのときに聞けばいいでしょう。また、その逆に、あなた自身も友達からそのような質問をどんどん受けるようにすることをすすめたいと思います。英語を勉強する仲間がいるならお互いに分からないところを質問しあうのはとてもいい勉強法です。教える楽しさというのがありますし、教えることにより自分自身の理解も深まります。

 「役に立つ参考書や問題集を教えてください」という質問をときどき受けますが、私の答えは「自分で選んでください」というものです。無責任なように聞こえるかもしれませんが、私の言いたいことは「日本で出版されている参考書や問題集に劣悪なものはほとんどない」ということです。大学受験に関しても同じような質問を受けますが、日本の参考書というのはどれも大変工夫されていてよくできています。私が「自分で選んでください」というのは、参考書の良し悪しというのは「個人の好みの問題」と言っていいと考えているからです(注5)。

 問題集選びについて、しいて言うなら、資格試験を考えている人は過去問からおこなうべき、ということです。これは私が繰り返し主張していることですから「聞き飽きた」と感じている人もいるでしょうが、TOEICでもTOEFLでも英検でも勉強を開始するなら過去問集からやるべきです。

 「単語の本は何がいいですか」と聞かれることもありますが、私は単語の勉強はする必要がないと考えています。実際、私は中学、高校と振り返ってみても、社会人になってからの勉強内容を思い出してみても、英単語の勉強をした記憶がほとんどありません。「重要な単語は何度も見ることになるからそのうち覚えるだろう」というのが私の考えです。そもそも単語だけを覚えて実践に役立つことがあるとは到底思えないのです(注6)。

 しかし、たしかに何度見ても覚えられない単語があるのは事実です。そこで私は英単語のノートを自分で作成しています。このとき品詞別にページをつくるのがコツです。形容詞のページ、動詞のページなどと分類し、この単語帳に書くのは「覚えられそうで覚えられない単語」に限定します。限定するのはやみくもに数が増えるのを防ぐためです。このとき、形容詞、副詞、動詞については同じような意味の単語を確認していくと効果があります。例えば、manifest(明白な)という単語が覚えにくいとすれば、これを「clear」の仲間のひとつと考えて、obvious、apparent、distinct、evident、などといった単語の意味も確認しておくのです。このときシソーラス(類義語辞典)があれば大変便利です。シソーラスを使って、manifestを引けば、今述べたような単語が(実際にはこの何倍も)掲載されています。私が英語を集中して勉強していた90年代はシソーラスを入手するには大型書店の洋書のコーナーに行かねばなりませんでしたが、今はそんな苦労をする必要もなくインターネット上にいくらでも無料のものがあります(注7)。

 名詞については、ジャンル毎にわけてノートをつくるのが効果的です。私の場合、「法律関係」「政治関係」「植物の名前」「生活用品」「軍事関係」・・・、などで分類しています。しかし、これを本格的にしていたのは90年代で、まだウェブ上の辞書が使えなかった頃です。現在も、このノートはテキストファイルを用いて一応は作っていますが、語彙が増えていきません。この理由は、もちろんウェブ上の辞書、それはシソーラスも含めて、いつでも簡単に呼び出せるためにノートの必要性が低下したことにあります。インターネットの存在は90年代に私が考え付いた勉強法をも不要にしているのかもしれません。

 TOEICの受検を職場で義務付けられている人も少なくないようですが、TOEIC(TOEFLでもかまいませんが)は、多くの人が受けるべきだと私は考えています。英語が得意でない人ほど、勉強を続けていけばどんどん点数が上がっていきますからこれは面白いですし、勉強していなくて受検して点数が悪かったとしても、「明日からがんばろう!」という気持ちになりますし、受検すれば数時間集中して英語に取り組むことになるわけですから、受検自体が大変効果的な勉強になるのです(注8)。

 最後に、英語の勉強でスランプに陥っている人にアドバイスを送りたいと思います。英語は、勉強量と学力が正比例の関係にあるわけではありません。やってもやってもちっとも伸びない・・・、そんな状態が続くものです。しかしある日突然、実力が伸びた!と感じる日がくるものです。これはリスニングで顕著で、ニュースなど全然理解できなかったのに、ある日突然そのニュースの概要がつかめた、という経験は多くの人がしています。また、TOEICを受け続けているとあるとき突然点数が上がる、ということもよくあります。やってもやってもなかなか伸びない、しかしある日突然できるようになる、そして再びスランプに・・・、という道のりをとることが多いのです。

 だから諦めないことが大切です。私自身も英語は得意ではありませんが、ほとんど毎日何らかの勉強を今も続けているのです。

注1: NHK worldのウェブサイトは下記のURLを参照ください。
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/
 
注2: BBCのウェブサイトは下記のURLを参照ください。
http://www.bbc.co.uk/news/

注3: Voice of Americaの「learning English」は下記のURLを参照ください。
http://www.voanews.com/learningenglish/home/

注4: 「2パラ」についての詳細は下記のURLを参照ください。
http://www.two-para.com/index.php?FrontPage
追記(2014年10月):大変残念なことに「2パラ」は現在なくなっています。

注5: 日本で出版されている大学受験や英語に関する参考書や問題集がいずれも高品質というのは、例えばマイナー言語と比較してみればすぐに分かります。私はタイ語の勉強に随分苦労しましたが、その理由のひとつが「まともな参考書がない」というものでした。『間違いだらけのタイ語』というのは非常にすぐれたタイ語のテキストですが、これは初心者にはむつかしいですし、私の知る限りこれ以外に役に立った日本の参考書は皆無でした。以前私はタイ人からプライベートレッスンを受けており、そのときにプレゼントしてもらったのが『Thai for Beginners』という英文で書かれた教科書で、これは大変な良書で、何十回と読んで音声も(付属のカセットテープで)聞きました。この続編の『Thai: Intermediate Learners』も抜群であり、私はこの2冊と先にあげた『間違いだらけのタイ語』で一応の区切りをつけました。(現在は随分忘れてしまいましたが・・・)

注6: 例えば「毎日○○個の単語を覚える」と宣言してそれを実践し英語ができるようになった人は私の周囲には一人もいません。ですからこんな勉強法は無意味と思っていたのですが、先日(2011年11月7日)、日経新聞の「私の履歴書」で寺澤芳男氏が野村證券時代に「英単語を毎日50ずつ覚える」という勉強をおこない(もちろんそれだけではないでしょうが)、フルブライトの奨学金に合格した、というエピソードを書かれていました。

注7: ウェブ上のシソーラスは、例えば「英語」「シソーラス」で検索すればいくらでもでてきますが、下記のサイトが個人的にはおすすめです。(発音もしてくれます)
thesaurus.com/

注8: TOEICは問題が回収されますが、数ヵ月後には過去問が出回ります。これは受験者が少しずつ問題を覚えて帰ることによってつくられていると言われています。またその過去問がでるまで待たなくても、試験で分からなかった単語や解けなかった文法問題のいくつかは少なくともテスト終了直後には覚えているでしょうから、それを直ちに勉強するだけでも意味があります。

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2013年6月13日 木曜日

2011年10月号 私の英語勉強法

 このコラムでは過去2回に渡り勉強について述べてきました。今回はもう少し具体的な勉強法の話として「英語」を取り上げたいと思います。英語は大学受験を含む多くの試験で必要ですし、多かれ少なかれ大半の仕事で必要(少なくとも英語ができれば有利)と言えるでしょう。最近では楽天やユニクロ(ファーストリテイリング)のように英語が社内公用語となる企業も出てきました。

 すべての日本人が強制的に英語を学ばなければならないということはありませんが、あえて「英語を学ばない」という選択をすべき立場の人というのもまた多くはないでしょう。「英語ができることで得られるメリット > 英語を勉強することでかかる時間とコスト」、と考えられる人が実際は大半を占めるのではないでしょうか。

 私自身のことを振り返ってみると、英語には随分助けられている、というか、英語ができなければこれまでの人生は全然違うものになっていたでしょうし、これからの人生も大きく異なったものになるに違いありません。

 といっても、私は自分の英語の能力は「上手」とか「得意」と言えるレベルでは決してありません。発音は今でも自信がありませんし、英字新聞を読むときに知らない単語が出てくることがあり辞書は今でも必要です。映画を字幕なしで見ることはありますが、きちんと理解できているわけではありません。(そのため、後で字幕をみるとまるで違った理解をしていた、ということがしばしばあります)

 というわけで、私自身がまだまだ発展途上の段階にあるのですが、それでもこれまで、多少英語ができるようになって随分と得をしています。そもそも私は、英語が苦手で嫌いでしたから、1991年に企業(商社)に就職したときは、人事部に対して、「僕は英語が苦手ですから海外事業部ではなく国内営業を希望します」と言ったのです。しかし、配属されたのは海外事業部・・・。その発表を聞いたとき、人事部のH部長をうらんだことを今でも覚えています。

 しかし、入社早々、希望していない部署に配属になったからという理由で退職するというわけにもいきませんし、劣等感と抑うつ感を感じながらも新入社員として働く(というより先輩社員に迷惑をかけながら研修させてもらったというのが実情ですが)ことになりました。働き始めた当初は、回ってくるFAXや文書が英語ですから訳が分かりませんし、電話がなると恐怖におののいていました。

 企業が社員を採用する条件というのは、「その社員を雇うことにより企業に得られるメリット>その社員を雇うことによりかかるコスト」、となるときだと思いますが、私は少なくとも最初の2年間はいくらひいき目にみても、私がいることで企業に利益をもたらすということはありませんでした。
 
 今思えば、私にとって生まれて初めて真剣に長期間勉強したのがその時期でした。大学(関西学院大学)受験時は、直前2ヶ月でほとんど過去問を暗記するのみ、という勉強を、学校もさぼって1日15~16時間くらいしましたが、これはわずか2ヶ月間のことです。関西学院大学時代は、勉強はたしかに好きにはなっていましたが、それは「興味のある分野の本を読むのが好き」という程度であり、真剣に勉強したとは言えません。長期間に渡り毎日「勉強」を、つまり「強いられておこなう勉強」をおこなったのは会社員時代の英語が初めてだったというわけです。

 後で述べますが、現在と当時(1990年代前半)は英語の勉強に対する環境が随分と異なります。現在はお金をかけずに大変効率のよい勉強をすることができます。ここでは、当時の苦労話をしても仕方がないので、これから英語を勉強しようと考えている人の参考になるような勉強法を紹介したいと思います。

 まず、よくある質問が「英会話学校はいいですか」というものですが、結論から言えば私はすすめません。私自身も入社直後から就業後に英会話学校に週2~3回通っていましたがあまり効果はありませんでした。もちろん予習や復習もしましたが役に立った実感はありません。この最大の理由は、先生一人に生徒が複数だから、というものです。複数の生徒であれば英会話学校というのは時間をかけるほどの価値はないというのが私の考えです。(では、マンツーマンならいいのか、となりますが、これについては後で述べます)

 次に、CDを聴く、ラジオ(ニュースや英語講座)を聴くという方法ですが、通勤時間や車の中で聞くことは悪くはありませんが(注1)、自宅での勉強にはすすめません。なぜなら、テレビ(注2)やインターネットを使う方がはるかに有効だからです。

 1991年から現在も続けている私の勉強法のひとつはNHKのテレビ講座です。NHKはいつも初心者から上級者向けの複数の英語講座を用意してくれています。そして、これらはいずれのプログラムも非常によくできています(注3)。私は複数の英語勉強用のプログラムをテレビのハードディスクに録画して後から見るようにしています(注4)。

 これらNHKの英語勉強用のプログラムには、専用のテキストも販売されていますが、買う必要はないと思われます。(もちろん買ってもかまいませんが・・・) 話される内容のキャプションがでますから、必要あればそれを書き留めればテキストは不要というわけです。書き留めるときにも、まず英語を聴き取ってそれを書いてあとからテレビ画面をみて確認するという方法をとれば、大変有効な書き取り(dictation)の勉強になります。

 おそらく私はこれからも、日本に住んでいる限りは、NHKの英語勉強プログラムは一生見ることになると思います。それくらい、有効で楽しく勉強できるツールなのです。

 他にテレビを用いた英語の勉強で私が長年おこなっていたのは、NHKの夜7時のニュースを英語で見るという方法です(2ヶ国語放送ですから録画しておいて後から副音声でみるのです)。いきなりBBCやCNNは難易度が高いですし、これらは有料になります。NHKのニュースであれば、通訳者が日本語を聞いて同時通訳しているために、平易な英語が使われ、聴き取りやすいのです。

 しかし、現在私はこの勉強はしていません。もっと有効な方法があるからです。それは、NHKのウェブサイトで英語のニュースを聞くという方法です。この方法が有効なのは、キャスターが話す英語が、その横に記載されているからです。同じようなサイトはBBCでもありますからこちらもおすすめです。インターネットであれば無料ですから、私はわざわざ英語を勉強するためにお金を払ってBBCを契約する必要はないと考えています。(実際、私はBBCのウェブサイトが充実しだしてから有料のBBCの契約を解除しました) また、Voice of Americaのサイトは、英語をゆっくりと発音してくれますのでdictationを本格的に勉強するには適しています。

 これまで述べてきたNHKのテレビ、インターネットを用いたニュースでの勉強はほとんど無料でおこなえます。特にインターネットの登場は英語の勉強を劇的に変化させました(注5)。しかも、これがほぼ無料なのですから、英語の勉強法はわずか20年で革命的に進化したといってもいいでしょう。

 無料ではありませんが、もうひとつ英語の勉強におすすめしたい方法があります。それは、英語を母国語とする外国人をみつけてプライベートレッスンを受けるという方法です。インターネットを使えば簡単に講師がみつかります(注6)。

 以前私は1年間ほど週に一度のペースでオーストラリア人の講師からレッスンを受けていました。毎回喫茶店などを利用し、前半の30分はテーマを決めたディスカッション、あとの30分は、私が1週間で疑問に感じたこと(例えば英字新聞のわからないところ)を質問したり、英作文の添削をしてもらったりしていました(注7)。講師への授業料は、私の場合は1時間2,000円でしたが、実感としてはこの何倍もの価値がありました。 

 勉強は楽しんでおこなうもの、というのが私の持論ですが、私の英語に関しては振り返ってみれば、最初の頃はほとんど強制的にさせられたというのが事実です。しかしそのおかげで人生が大きく変わり視野が広がり今の自分があるのもまた事実です。もしも、あのとき英語を勉強させられていなかったら・・・、と考えるとぞっとします。

 新入社員の配属発表のその日、不本意な辞令を受けた私はH部長をうらみましたが、今では「私の人生を変えた運命的なメンター」として感謝しています。

 最後に、私の英語勉強法をまとめておきます。

   ・ ほとんどの日本人に英語は必要。少なくとも英語ができると人生がより楽しめる。したがってよほどの理由がない限りほとんどの人は英語を勉強すべき。

   ・ テレビとインターネットを使えばほとんど無料で効果的な英語の勉強ができる。ラジオやCDは悪いわけではなく、通勤時間などを利用すれば効果的な勉強ができるかもしれないが、自宅での勉強はテレビやインターネットがおすすめ。

   ・ニュース番組はテレビをみるよりインターネットがおすすめ。NHKやBBCのサイトで、キャスターの話す英語を聞くことができ、その内容が文字で読める。また、その場でネット上の辞書がひける。

  ・お金と時間に少しの余裕があれば、プライベートレッスンもおすすめ。その際は会話だけでなく英作文の添削が非常に有効。

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注1: 「CDなどで英語の歌を聴くのはどうですか」と尋ねられることがありますが、「英語の勉強にはまったく意味がない」というのが私の考えです。娯楽として聞く分にはもちろんかまいませんが、英語の歌を聴いて英語が上達する人というのはごくわずかです。しかし、英文法などの知識はほとんどなく英語が読めないのに、英語の歌を聞くとそのまま同じ発音で歌える人(なぜかほとんどが女性です)がときどきいて驚かされます。このような人が真剣に勉強すればとてつもないレベルになると思うのですが、私の知る限り、このような人はなぜか文法を勉強せず、読む英語は苦手なことが多いようです。

注2: 「映画を観るのは英語の勉強になりますか」と尋ねられることがありますが、「あまりすすめられない」というのが私の考えです。DVDでは英語の字幕も見ることができますから、映画の種類によってはいい勉強ツールとなるかもしれませんが、時間をかけるだけの効果があるか、と考えたときに疑問です。少なくとも仕事で英語が必要な人は、ニュースの方がはるかに勉強になるのは間違いありません。

注3: 私は拙書『偏差値40からの医学部再受験・実践編』で、NHKをほめすぎたことで数人の人から「NHKと何かやましい関係があるの?」と聞かれましたが、そのようなものがあるわけではありません。何かと批判されがちなNHKですが、多くのプログラムのレベルは(BBCには負けるかもしれませんが)相当高いと私は感じています。英語勉強のプログラムに関しては、すべての人に推薦したいと思います。

注4: 私も含めて多くの人が、複数の番組をみる時間的な余裕がないと感じているでしょう。そこで私は日本人講師の日本語での解説などは、1.5倍にして見ていますし、英語のシーンも簡単なところは1.5倍にしています。ちなみに現在私が観ているのは「トラッドジャパン」「ニュースで英会話」「3ヶ月トピック英会話」です。(「リトルチャロ2」は前回のクールでみましたので今回はみていません)

注5: インターネットの登場により紙の辞書も不要になりました。インターネットでNHKやBBCを読んで、聞いて、分からなければその場でネット上の辞書を引けばいいのです。辞書のサイトによっては発音もしてくれます(例えばGoo)。しかも無料なのです! 

注6: たとえば、「英語」「家庭教師」などのキーワードで検索をかければいくつもサイトがでてきます。講師のプロフィールをみて、気に入った講師がみつかれば、サイト運営者に数千円を支払うとその講師のメールアドレスが送られてきます。あとは直接その講師にアクセスすればOKです。このとき注意したいのは、英語教師にはある程度の「学力」を求めることです。学歴だけがすべてではありませんが、正しい文法の知識を持っていて語彙がある程度豊富で教え方がうまいのは(例外もありますが)大卒以上と考えるべきでしょう。

注7: プライベートレッスンというと英会話が中心と考える人が多いようですが、英作文にも非常に有効です。聞く、話す、読む、書く、のなかで私は「書く」が一番得意(といってもたいしたことはありませんが)なのですが、これは会社員時代に、カナダ人の同僚に徹底的に添削してもらったおかげです。「書く」が苦手という人は、ぜひプライベートレッスンで添削を受けてみてください。英作文は何もむつかしい文章を書かなくても、電子メール(それは友達へのものでも仕事上のものでも)の添削をしてもらえばいいのです。

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2013年6月13日 木曜日

2011年9月号 楽しい勉強を自分のものにするために

 前回のこのコラムでは、試験勉強についてお話しました。最大のポイントは「過去問を繰り返し解く」ということだったわけですが、この勉強はお世辞にも楽しいものとは言えません。初めのうちは、最初は解けなかった問題が解けるようになると多少は気分がいいかもしれませんが、そのうちに必ず飽きてきます。しかし、飽きてしまう程に過去問を解けば合格はすぐそこにある、とも言えるわけです。試験勉強に楽しみがあるとすれば、過去問を解く過程のなかで自分の知らなかった世界がみえたときでしょうか。しかし、解答が要求されるのは面白さとは別のところにあることが多いものです。模擬試験で高得点を取れたときに嬉しくなるのは事実ですが、これは学問本来の楽しみではありません。

 さて、今回お話したいのは、試験勉強とは異なる勉強についてです。そして、これが「本来の勉強」であり、「知識を増やすことを目的とする楽しんでおこなえる勉強」です。「試験を受ける必要のない勉強」という言い方でもいいでしょう。

 ところで、私のところにメールで勉強の相談をしてくる人は全員が何らかの試験を受けることを前提としています。これは当たり前のことで、試験を受ける必要のない勉強のことで悩みを相談しようとする人などいるわけがありません。なぜなら楽しんでおこなえる勉強は各自が勝手に楽しめばいいわけで、他人に相談するような性質のものではないからです。

 例えば、日本史に興味がある人は、本屋に行くか、インターネットで検索して他人の書評や本の売れ行きを参考にして面白そうな本を買えばそれで済む話です。これからの世界経済に興味があって最新の考えを知りたいなら、インターネットで情報を集めたり、新聞社主催のセミナーにでかけたり、専門家のブログを参照したりすればいいだけの話です。

 では、今回私は何を話したいのかというと、それは「得た知識や情報をいかにして忘れないようにするか」ということです。あなたには、次のような経験がないでしょうか。

・あのときのあの先生の講義はすばらしかった記憶があるのだけれど、今ではその内容をほとんど思い出せない・・・

・あのときに読んだあの本は感動して何度も読み直すことを誓ったけれど、一度も読み直していない。何が書いてあったかさえもうろおぼえになっている・・・

・数ヶ月前に新聞で面白い記事を見つけた。役に立つからと思ってその記事を切り抜いたけれどどこかに紛失してしまった・・・

 いかがでしょうか。多少なりとも似たような経験があるのではないでしょうか。実はここに挙げた3つの悩みはいずれも私自身が経験しているものです。私はこのような体験をすると「もったいない」という気持ちに襲われて自分がイヤになるために、なんとか得た知識を効率よく整理する方法はないか、ということを長年考えてきました。これまでに試みた方法は多数あり、例えば大きめの手帳にポストイットを貼りまくったり、クリアファイルを使って新聞や雑誌のスクラップをつくったり、ノート整理の時間をつくるようにしたり、少し高級なキャビネットを買ってみたり・・・、と様々な方法を試して、そして併用して、また自分なりの改良を加えて悪戦苦闘してきました。しかし、残念ながら結果に満足のいくものはありませんでした・・・。「でした」と過去形なのは、現在はかなりこの問題を克服することができていると考えているからです。

 というわけで今回お話したいのは、私が日々おこなっている「知識や情報の整理術」についてです。といってもこの方法は何も奇をてらったようなものでも意表をつくようなものでもなく、ごく簡単な方法で、コストも安く、誰にでもできる方法で、読む人によっては「なんだ、そんなの自分が前からやっていることじゃないか」と感じる人もいるかもしれません。

 では、その方法をお話したいと思います。それは「パソコンのテキストファイルで情報を整理する」というものです(注1)。あまりにも幼稚な方法に愕然とした人がいるかもしれませんが、もう少し読んでもらえると嬉しいです。例をあげて説明したいと思います。

 私は職業柄、学会で講演やセミナーを聞いたり、勉強会に出席したりする機会が多く、これらは私にとって効果的な勉強のチャンスです。その道の専門家が話をし、その場で質問をすることだってできるわけです。私は時間の許す限りこのような機会をつくるようにしています。最近のスケジュールを話せば、8月28日(日)は東京で開催されたアレルギー専門医セミナーに出席し、9月4日(日)は大阪でおこなわれたプライマリケア関連の勉強会に出席しています。これらは大変貴重な経験であり得たものは少なくありませんでした。もちろんメモを取りますが、このメモを見直さなかったとすると、半年もすれば、そのセミナーに出た価値もなくなる程に記憶があいまいになります。そこで私はセミナーなどに出席した場合は原則24時間以内に、テキストファイルでメモ(ノート)を整理することを習慣にしています。そして適当なタイトルをつけパソコンに保存しておきます。

 本を読んで有益なものがあったときは、それをやはり24時間以内にテキストファイルでメモをつくります。本は最後まで読むと、どこに何が書いてあったかが分からなくなりますから、気になったところには折り目をつけておきます。そして読み終えてから、パソコンに向かいながら折り目のついたページのみを読んでいき、必要と感じたことをメモするのです。

 新聞については国内外のものをインターネットで多数読むようにしています。しかし「読む」のは記事ではなく見出しです。見出しに興味があれば「出だし」(英語ではleadと言います)を読み、面白ければ続きを読みます。そして後から参照する価値があると判断すれば、文章をコピーしてテキストファイルに貼り付けます。もしもその記事に図表や写真があれば、それをコピーするのではなく、その記事のURLのみを貼り付けておきます。図表や写真はファイルが重たくなるために何かと不都合があるからです。ファイルはあくまでも「テキストファイルのみ」としておくのがポイントです。

 海外の新聞に比べると日本の新聞はオンライン版のグレードは相当低いと言わざるを得ません。しかし、日経新聞は有料ですがかなり充実しています。私は日経の現在の有料のオンラインサービスが始まるまでは、新聞記事を切り抜いてそれをスキャナーで取り込んでファイルに保存していました。すると、検索ができないだけでなくファイルが重くなるために何かと不都合だったのですが、オンラインサービスが始まってからこの問題が一気に解消されました。現在私は日経については従来の紙媒体とオンラインサービスの両方を申し込んでいるためコストは高くつきますが、そのコストに見合う価値があると考えています。

 論文については、著名な医学誌に掲載されている論文が少なくとも概要(abstract)についてはインターネット上で無料で読めますし、最近は全文が無料のものもあります。また有料のものも通常は5~10USドル程度で購入できますから、必要なものはクレジットカードでその場で決済して読むようにしています。そして、やはりテキストファイルで文章を保存しておきます。

 自分で作成した講義やセミナーのノート、本を読んだ後に作成したメモ(注2)、新聞や雑誌のオンライン版や論文のコピーなどは、すべてテキストファイルに変換し、これを月ごとのフォルダーに入れていきます。このときのポイントは「どのような内容であれすべてその月のフォルダーに入れる」ということです。講義ノートも新聞記事も論文もすべて同じフォルダーに入れるのです(注3)。

 さてこの方法が本領を発揮するのはここからです。私のような凡人でなくても多くの人はファイルを作ってから半年もたてば、どのファイルに入れたかの記憶が曖昧になるのではないでしょうか。例えば、新聞で、「葉酸の取りすぎに注意」というような記事をみたときに「たしか2~3年前に、葉酸は積極的に摂取しなければならないという話を聞いた気がする・・・」と感じたとしましょう。このとき、パソコンの検索機能を使って調べるのですが、どのフォルダーにその情報が入っているのかを思い出すのは大変困難です。しかし、「2~3年前」というのはまあまあ当たっているものです。自信がなければ「過去4年間」に検索条件を変えればいいだけの話です。せっかく検索をかけるなら過去4年間で自分が葉酸について興味深いと感じた記事を全部みてみようと思ったとします。検索条件を「過去4年間」としキーワードを「葉酸」とすればそれらがすべてでてきます。これをグーグルやヤフーを使って「葉酸」で一般的な検索をすると莫大な情報が出てきますから、過去に自分が興味深いと感じたファイルだけが検出されるのとは天と地ほどの差があります。

 テキストファイルでの保存とその検索、という方法で私の勉強法・整理法は随分と変わりました。「革命」と言ってもいいでしょう。なにしろ、「あの情報(あの記事、あの講義ノート)はどこへ行った?」と悩む必要がもはやないのです。私のイメージでは、パソコンのファイルは私の「第2の脳」となっているのです(注4)。

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注1 テキストファイルの管理にはWordなどではなくエディタを使うべきです。エディタであれば、立ち上がりが早く余計な機能が一切ついていませんから検索も非常に早いのです。文書の整理にはエディタに勝るソフトはないと私は考えています。エディタには様々なものがありますが、私は「秀丸」を14年間ほど使い続けています。

注2 新聞記事や論文の整理、講義やセミナーのメモ作成などは、私は職場でおこなっていますから職場にあるパソコンに保存しています。しかし、本を読んだ後につくるメモは自宅であったり、出張先であったり、旅行先であったりします。しかしこれらのメモも他の情報と一緒にしておいた方が便利です。そこで私は、読書後のメモは、例えば出張先に持っていたノートパソコンで作成し、【書評】という文字を入れたタイトルをつけて、自分宛にメールをして、後から職場のパソコンにうつしています。この作業は少々面倒くさいですが、忘れたとしても後からメール検索をすればすぐに見つかりますから実際には問題になることはありません。

注3 フォルダーは基本単位を「2011年9月」といった月単位にするのが便利です。この下に下位レベルのフォルダーをつくってもかまいません。私は「医療関連」「社会関連」「GINA関連」の3つの下位フォルダーをつくっています。「2011年9月」の上位レベルのフォルダーとして「2011年」というものをつくります。あとから「あの情報はたしか2011年に得たものだ・・・」と考えれば、「2011年」のフォルダーを対象として検索をかければどの下位フォルダーに入っていても検索されます。

注4 パソコンが壊れたとき、あるいは火災などにあったときにすべての情報が失われてしまうというリスクがあります。そこで私は、月に一度程度、これらファイルを圧縮して(テキストファイルだけですから容量はわずかです)自分の複数のメールアドレス宛に送信するようにしています。このことにより私の「第2の脳」は、例えばグーグルが倒産しない限りは永遠に失われることはないのです。

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2013年6月13日 木曜日

2011年8月号 勉強、してますか?

 このコラム(マンスリーレポート)の1月号で、今年は勉強に関するアドバイスをしっかりとおこなっていきたいという私の今年の目標を公表したわけですが、恥ずかしながらもう2011年も半分以上過ぎているのに、ほとんど何もできていません・・・。

 私の元に直接届く相談メールに対しては、身元が明らかで内容がしっかりしたものであれば返信するようにしていますが、それは以前からしていたことであり、今年の目標を踏まえておこなっているわけではありません。

 実は年初から、様々なアイデアを考え、ウェブサイトをつくろうか、とか、どこかで「勉強カフェ」のようなものがつくれないか、とか、アイデアだけは次々と出てくるのですが、どれも実際に実行するとなるといくつもの壁が立ちはだかり・・・、と、つまらない言い訳のオンパレードとなってしまっています。

 そこで、苦し紛れの対策として・・・、とは思いたくないのですが、この「マンスリーレポート」のなかで、少しずつ勉強に関する私の考えを紹介していきたいと思います。

 初めに基本的な点についておさえておきたいと思います。(いくつかは拙書『偏差値40からの医学部再受験』などで述べたことと重複してしまうことをお断りしておきます)

 まず、勉強に関する基本中の基本事項を確認しておきましょう。それは、「試験勉強と本来の勉強は全く異なる」ということです。ここで言う「試験勉強」とは「試験に合格することを目的とした勉強」であり、「本来の勉強」とは「知識を増やすことを目的とする楽しんでおこなえる勉強」ですが、便宜的に「試験を受ける必要のない勉強」としておきたいと思います。

 試験勉強であれば、最も大切なのは「過去問を繰り返し繰り返し解く」ということにつきます。特に大学受験であれば、過去数年間の過去問は簡単に入手できるでしょうから、暗記するほどにまで過去問を解くことが最も大切です。過去数年間の問題を、最初の問題文を2~3行読んだだけで、解答がすっと出てくるようになれば、もう合格はすぐそこにあります。

 大学受験以外の試験でも、過去問の入手できるものであればどんどん解いていって暗記するほどになるのが合格への最短距離です。拙書でも述べましたが、初めのうちは、まったく理解できなかったとしてもその難解さを”感じる”だけでかまいません。その後、その難解な過去問を(例えば1年後に)すべて解けるようになるにはどうすればよいか、ということを考えていけばいいのです。そして、試験が近づいてくれば、解き飽きた(はずの)過去問をさらに何度も解くのです。

 以前も述べたことがありますが、「いい問題をつくろうと思えば必然的に過去問と似たような問題になる」のです。過去に紹介したのは、静岡県の県立高校の試験問題で「35問中33問が前年度のものと同じだった」という事件で、これはさすがに試験が無効となり再試験になったそうですが、問題作成者のコメントは「完成度の高い問題を集めるとそのようになってしまった」というものでした。(詳しくは下記メディカルエッセイを参照ください)

 大学受験では、「絶対に合格すると誰からも思われていた受験生が不合格となった」という話がきっとあなたの周りにもあるのではないでしょうか。これは医師国家試験でも同様です。医師国家試験というのは合格率がおよそ9割の、いわば”普通に”勉強していれば合格する試験ではあるのですが、学年1位2位を争うような”天才”が不合格となることがあるのです。

 私の分析では、そのような”不運な”人たちの共通点は「過去問をおろそかにしていること」です。確かに、彼らは(なぜかこのタイプは男性に多い)、最新の医学に精通し、最先端の論文を英語で読んでいます。ときには、若い医師の知らないことですら熟知していることもあります。学生からだけではなく先生たちからも一目置かれていることもあります。けれども、このような人たちの一部は医師国家試験で不合格となるのです。これが何を意味するかというと、合格率9割の試験では、「他人が知らないことは知らなくていい」のです。もっと言えば、「正解を導くというよりも大多数の人が考えるのと同じように考えることが大切」なのです。そのためには過去問が最も有益なことは容易に理解できるでしょう。

 さて、これを読まれている人のなかには、医師国家試験のように合格率が9割となるような試験ではなく、せいぜい1割、あるいは数パーセントしか合格できない試験を考えている人もいるでしょう。そのような人たちからは、「他人が知らないことを知っていなくては合格できません!」と反論がきそうです。

 しかし、そうともいえません。志望者のごく一部しか合格せずに難関と言われている国公立大学医学部の受験で考えてみましょう。まず医学部に合格するにはセンター試験で最低9割はほしいところですが、苦手分野をつくらずに標準的な問題を解けるようにしておき単純なミスをしなければ得点することは可能です。センター試験の全科目の問題をひとつひとつみても、得点率が例えば1~2割しかないような問題というのはないはずです。(あれば不適切問題とみなされ無効になります)

 二次試験でも、多くの大学では合格者の平均点が7~8割程度になっているでしょう。やはり二次試験でも、先に述べたセンター試験と同様のことがいえるわけです。

 ただし、この点については少し補足しておく必要があります。というのは、実は二次試験の合格平均点が極端に低い大学があるからです。代表は東大の数学です。東大の数学は極めて難問が出題され、1問でも完答できれば医学部でも合格できると言われています。実際、合格者の多くは1問も完答できず、部分点だけで得点しているとも聞きます。また、東大ほどではないにせよ京大の数学も極めて難問が出題され、合格平均点はかなり低いことが予想されます。こういった大学受験では、たしかに「他人が解けない問題を解く能力」が必要となるかもしれません。少なくともそのような”能力”があれば有利になるでしょう。

 東大と京大という2つの大学が”別格”であることは大勢の人が認めるところであり凡人には解けない難問が出題されるということは納得しやすいと思われます。しかし、医学部受験に限っていえばもう少し注意が必要です。それは、「医学部単科大学では難問が出題される傾向にある」ということです。このため、偏差値は東大や京大ほど高くなくても、医学部単科大学の受験は、(塾などで)特別な訓練を受けていないと、特に数学と理科ではそれなりの苦労を強いられる、といったことが起こりえます。

 では、特別な才能もなく、特別な訓練も受けていない人が医学部に合格するにはどうすればいいのでしょうか。そのひとつの対策として、東大と京大をのぞく総合大学の医学部を受験する、ということを提案したいと思います。総合大学の理系には、医学部以外に、理学部や工学部などがあり、そういった他の理系学部と医学部の入試問題は同じになっているはずです(例外はあるかもしれませんが)。そしてこういった総合大学の医学部合格者の平均点は軒並み高くなっているはずです。このような大学が「特別な才能もなく特別な訓練も受けていない」(医学部受験当時の私のような)凡人には最も合格しやすいのです。これを逆に「合格平均点が高いところは難しい」と考えている人がいますが、少なくとも凡人にとっては正しくありません。

 というわけで、本日のまとめとしては、次のようになります。

   1、 試験勉強に最も有効なのは過去問を繰り返し解くこと。

    2、良問は過去に何度も出題されており、良問を作成しようと思えば過去問と似てしまうのは必然である。

    3、自分が受ける試験の合格率と合格者の平均点を意識することが大切。
    合格率もしくは合格者の平均点のどちらかが高ければ”凡人”でも充分合格可能。

    4、合格率と合格者の平均点の双方が極めて低いような試験では、特別な才能か特別な訓練が必要となることもある。

参考:メディカルエッセイ第10回(2005年3月)「過去問やってますか?」

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2013年6月13日 木曜日

2011年7月号 運命が決める医師の道

去る2011年7月2日、3日、札幌で日本プライマリ・ケア連合学会の第2回学術大会が開かれました。この学会は昨年(2010年)に第1回の学術大会が東京で開催され、かなりの盛り上がりをみせたのですが、今年も昨年と同様、来訪者が多く、かなり広い会場を使っているのにもかかわらず、シンポジウムによっては立ち見でも入れないほどでした。

 この学術大会では、プライマリケアに関する多くのことが学べて大変勉強になるのですが、今年私が一番注目していたのは、個々の疾患に対する講演やシンポジウムではなく、東日本大震災に関連した報告や発表でした。

 日本プライマリ・ケア連合学会は、震災の発生2日後の3月13日に「東日本大震災支援プロジェクト(以下PCAT)」を立ち上げました。翌14日には第1回本部会議を開催しています。そして17日には先遣隊として1名の医師が被災地に派遣されています。

 一般的に災害発生の初期には、自衛隊や災害救助隊などの活動が中心となり、医療者で言えばDMATと呼ばれる災害急性期の医療を担うチームが活躍することになります。しかし、亜急性期から慢性期にかけては(そして慢性期はかなり長くなるのですが)、急性期の災害医療に長けた医療者よりも、慢性疾患や生活習慣病、心のケア、公衆衛生、介護などの分野で活躍できるプライマリケア医の出番となります(注1)。そこで、日本プライマリ・ケア連合学会は社会的な使命を担ってPCATを立ち上げたという次第です。

 PCATがどのような活躍したかを、私が聞いた報告を元に簡単に紹介しておきたいと思います。PCATがまずおこなったのは、現地で被災した医師の支援をおこなうことでした。そして次のステップとして、医師、歯科医師、看護師、介護師、薬剤師、栄養師、理学療法士、作業療法士などのスタッフを全国から集めて医療チームとして現地に派遣しています。このとき、現地の医療者と常に連携を取るようにし、被災者にとって最良の医療ケアを供給するよう努めています。

 また、PCATは、妊婦さん、あるいは産褥期の女性に対するケアも重視しました。今回の震災では、様々なルートから大勢のボランティア医師が被災地に集まったのは事実ですが、出産のケアができる産科医はほとんどいなかったそうです。それだけ日本全国で産科医が不足しているということです。一方、海外の医療救護隊、例えばイスラエルの医療チームは、被災地での産科ケアが必要になることを自明と考えており、分娩台や新生児の蘇生台を持参してきていたそうです。

 そこでPCATは、出産時及び産後のケアのできるプライマリケア医を全国から被災地の分娩施設に集めました。日本では出産については産科専門医がおこなうのが一般的で、プライマリケア医がお産に立ち会うケースというのはまだまだ少数なのですが、世界的にはプライマリケア医が出産を担うことが多いのです。

 さらにPCATは、避難施設で医療行為をおこなうだけではなく、避難施設に来ることができず家庭で持病を患っている患者さんの自宅訪問も開始しました。そして他の医療スタッフと協力して、栄養改善や環境改善にもつとめています。

 PCATのスタッフの報告によりますと、被災地ではこれからのケアも重要になると考えており、最低でも2年、できればあと5年は現地で活動を続ける予定だそうです。

 さて、札幌での学術大会では複数の医師によるPCATの報告があったのですが、どの医師の発表も非常に興味深いもので、現地で活躍している医療者に対し、私は少しうらやましく感じたのと同時に、多くのところで共感しました。

 私はタイのエイズ施設でボランティア医師として働いていた経験がありますが、そのときに感じたのは、「エイズを診る医師はエイズという”病”だけを診るのではなくエイズを患っている”人”を診なければならない」、というものでした。

 私がボランティアをしていた頃は、まだ充分に抗HIV薬が普及しておらず、エイズとはまだまだ「死に至る病」だったのです。その施設には軽症の人から、数日後には他界するだろう、という人まで様々な状態の患者さんがいました。同じエイズと言っても、下痢で困っている人、皮膚の痒みに悩まされている人、熱が下がらない人、結核を発症したかもしれない人、前日に自殺未遂をした人、HIV脳症を発症し夜間に徘徊する人、進行性多巣性白質脳症(PML)という病気を発症しすでに意識のない人、などいろんな患者さんがいるわけで、当然ひとりひとりに対するケアの内容は異なります。薬もしくは点滴ですぐによくなる場合もあれば、まったく何もできないようなこともあります。ときには患者さんの手を握ってうなずくだけ・・・、ということもあります。

 さらにエイズを発症してその施設に入所している人の多くは社会的な問題を抱えていました。具体的には、違法薬物に依存していたり、10代前半で親に売られ売春を強制させられていたという過去があったり、幼少児に男性からレイプをされたことで自分の性がいまだによくわかっていない男性がいたり・・・、といった感じです。また、エイズを発症したことで、地域社会から、病院から、そして家族からも追い出されてこの施設にたどり着いたという人は想像を絶するほどの心の苦痛を有しています。医師にできることが限られているのは事実ですが、こういったことに対するケアも必要になってきます。(この施設での私の経験で言えば、心のケアに対しては医療者よりもむしろ僧侶や牧師といった宗教家の方が患者さんの支えになっていたように思えます)

 タイのエイズ施設での経験を通して、私のその後のたどる道を決定付けたのは欧米から来ていたプライマリケア医の存在でした。私がタイの施設で出会った医師たちは、いわゆる専門医ではなく日頃から多くの疾患をみて患者さんに最も近い位置にいるプライマリケア医だったのです。実際、彼(女)らは、エイズを患っているどんな患者さんのどのような悩みにも応えるようにしていました。私がいた施設ではエイズ専門医は月に1~2度施設にやってきて我々と会議をおこない、必要な患者さんに抗HIV薬の処方を検討するというもので、実際に患者さんに長い時間接するのはエイズ専門医ではなくプライマリケア医だったのです。

 タイから帰国した私は、プライマリケア(総合診療)を本格的に学ぶことを決意し、母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩くことになります。

 PCATのメンバーとして活躍している医師の講演を聴いて私が感じたのは、「研修医を終えた時点で私はタイのエイズ施設に行くことを決めていたわけだが、もしも東日本大震災が研修医時代に、あるいは研修医を終えた直後に起こっていたとしたら、私はPCATに参加していたかもしれない。そして、エイズという疾患を通してではなく、震災医療を通してプライマリケア医を目指すことを決意していたかもしれない・・・」、というものです。

 PCATで活躍している医師達のことを想うと、現地で活躍できるということに対してうらやましい気持ちが増してくるのですが、現在の私は太融寺町谷口医院がありますから、クリニックを閉めることはできず、現地に行くべきではないと考えています。(被災地での医療も含めて、「プライマリケアは長期で」、というのが私の基本的な考えです) 

 よく考えてみると、私がタイに行くことができたのは様々な偶然やいくつかの幸運なことが重なったからであり、タイ渡航とエイズに直面した経験からプライマリケア医を目指すことになった道のりは、あらかじめ私に定められた運命だったのかもしれません。そういう意味では、PCATに加わり現在被災地で活躍されている医師たちもまた、そのような運命なのかもしれない、と思えてきます。

 私の現在の生活の中心は、太融寺町谷口医院での日々の診療とNPO法人GINAの活動ですが、これらは運命が与えてくれた私のミッションということなのかもしれない・・・。最近の私はそのように考えています。

 
注1 慢性期のケアはプライマリケア医が担うべき、という私の考えを、最近「LAZAR(ラゼール)」というタブロイド紙で述べました。近いうちに、その内容をこのサイトもしくはGINAのサイトで紹介したいと思います。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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