マンスリーレポート

2022年4月10日 日曜日

2022年4月 「社会のため」なんてほとんどが偽善では?

 1995年、オウム真理教が一連のおぞましい事件を起こしたとき、メディアのプレゼンテーターや知識人たちは「最初は世の中をよくしようと考えていた真面目な若者が……」という論調で語っていました。私には、その言葉に何かひっかかるものがあり、それは今も続いています。

 オウム真理教の話題でよく引き合いに出されるのが60年代から70年代にかけての左翼活動、なかでも「よど号ハイジャック事件」と共に頻繁に取り上げられるのが「あさま山荘事件」です。

 1972年2月、軽井沢にて日本の歴史に残るその凄惨たる事件が起こりました。今年の2月で事件発生から50年が経過したこともあり、この事件を振り返った記事を掲載したメディアがいくつかありました。今回のマンスリーレポートはそのあさま山荘事件を取り上げ、私見をふんだんに取り入れながら人間の心理を紐解くことに挑戦してみたいと思います。

 あさま山荘事件がどのようなものなのか、私がはっきりと把握したのは18歳、大学に入学した直後です。事件が起こったのは1972年ですから68年生まれの私にとってはまだ4歳になっていない頃で、リアルタイムでの記憶はありません。ですが、若者が仲間を殺し合うという凄まじい事件であり、機動隊が現場に踏み込むときの視聴率は90%もあったのですから、その後、繰り返し取り上げられ大勢の人が話題にしていてもおかしくありません。

 にもかかわらず、ぼんやりとしか私が理解していなかったのは、おそらく学校の先生も含めて周囲の大人たちが口を閉ざしていたからではないかと思います。単に、子供に殺人の話をするべきでないという道徳的な配慮というよりも、触れてはいけないタブーのような雰囲気があったのではないでしょうか。

 社会をよくしたいという思想を持った若者が徒党を組み、やがて集団リンチで仲間を次々と殺した、というこの事件に対し、当時18歳で大学生になったばかりの私はとても惹き付けられました。2ヶ月の間で12人もが殺されたのです。しかし、一連の学生運動についてうまくまとめられた書籍は見つからず、断片的な知識は得られるものの、結局よく理解できないまま月日が過ぎていきました。

 それから15年後の2002年、『突入せよ! あさま山荘事件』という映画が公開されました。研修医になったばかりだった私は日曜日のある日、病棟業務を終わらせてから大学病院のすぐ横にある映画館に公開されて間もないこの映画を見に行きました。映画でなら当時の時代背景も含めて全貌が理解できると考えたのです。

 結論から言えばこの映画は期待外れでした。なにしろ、主人公が警察の人間ですから、なぜ理想を抱いた若者たちが仲間殺しに向かったのかがまるで理解できないのです。事件を起こした若者たちはたしかに罪人ですが、この事件で(私にとって)大切なのは、人質を盾に籠城した犯人を追い詰める警察の奮闘ではなく、理想に燃えた若者がなぜ仲間を次々に殺していったのかを解明することです。

 そして、その6年後の2008年、ついに私が待ち望んでいたこの事件の全貌を解明した映画が公開されました。若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』です。これほど衝撃を受けた映画は私は他にはありません。ならば、生涯に観た映画トップテンに入るか、と問われればそれは答えにくく、もう一度この映画を観るには相応の勇気が必要です。

 この映画を観てからしばらくは「総括」とか「自己批判」といった言葉をたまたま見聞きすると、それだけで「思い出したくないシーン」が頭のなかに蘇り、吐き気と動悸がしたほどです。ともあれ、あさま山荘事件について何の知識もない人がいたとしても、私はこの映画を一度は観ることを強く勧めたいと思っています。

 この映画の主役、そしてこの事件そのものの最重要人物が誰になるのかは見方によって変わるでしょうが、永田洋子は外せないでしょう。「革命左派」のリーダーだった永田については過去に複数の書籍が発行されていて、私は何冊か手に取ったことがあります。永田自身が書いた書籍もあったと記憶しています。

 私がこの映画を観る前に抱いていた永田のイメージと映画の永田はほとんど一致していました。美しさからはほど遠く(実際、「美しくない」という理由で好意を持っていた左翼の男性に交際を拒絶されます)、実力者には盲目的に従う一面があり、革命左派の当時の実力者からレイプされています。

 永田は少なくとも大学生の頃には理想の社会を求め、それを追求していました。だからこそ、「自己批判」を繰り返し、さらに「相互批判」を重ねたわけです。理想を求めるが故に、美しく男性からちやほやされていた仲間の遠山美枝子に対し「革命に化粧も長い髪も必要ない」と忠告し、自分で自分の顔面を殴らせ、丸刈りにし、そして他の仲間に死ぬまで暴行を加えさせたのです。

 逮捕から10年後の1982年、永田には死刑が宣告されました。「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を有していた」というのが裁判官の読み上げた言葉です。「女性特有の…」という表現は今なら大きな問題になるでしょうが、82年当時は許されていたのでしょう。

 この言葉だけを取り出すと、大柄で冷酷な犯罪者のイメージが浮かび上がるかもしれませんが、実際に永田に面会に行った人の話では(随分前に、女性のジャーナリストだったか作家だったかが、面会に行った様子をどこかに書いていたのを読んだのですが詳しいことは忘れてしまいました)、小柄で声も小さく大人しい印象しかなく、このか弱き女性があのような事件の主犯格だとは到底思えなかったそうです。

 では、最初は理想の社会をつくることに情熱をもっていた永田を変えたのは何なのか。私はこのことについて18歳の頃からもう35年も考え続けています。オウム真理教の事件が起こったときにも考えました。オウムの幹部たちは優秀な大学に入学し、社会を理想に近づけることを目指したのになぜ道を踏み外したのか。

 当時のメディアは「麻原彰晃という悪魔に洗脳されたのだ」というようなことを言っていましたが、私はそうは感じませんでした。テレビによく登場していた一部のオウム幹部は視聴者から人気がありましたが、私は上から目線のその話し方に不快なものを感じていました。
 
 その後私はいろんな経験をしました。医師になってからも「社会のため」「正義のため」に活動しているという人の話も聞きました。コロナ禍となり「社会のために……」などと宣う人たちもいます。

 永田洋子を初めとする革命左派や連合赤軍の”戦士”たち、地下鉄サリン事件など一連のオウム事件の犯人たち、さらには現在「社会のために」という言葉を口にしている人たちのいくらかが共通して持っているもの、それは「自分が正しいということを他人に認めさせたいという欲求」、一言で言えば「強すぎる承認欲求」ではないでしょうか。

 「社会のために」「社会を良くしたい」といった言葉は、一見すると正しくてきれいに聞こえます。しかし本当は、自分を認めさせたいという身勝手な欲望をこういったきれいな言葉でカモフラージュしているだけではないでしょうか。と、いつの頃からか思うようになりました。

 しかし、私のこの仮説が正しいとすると、多くの政治家は承認欲求の強い偽善者ということになってしまいますし、きれいごとを言うのが好きな経営者、さらには「患者さんのために」などと大衆の前で宣っている医師も同じ穴のムジナとなるでしょう。

 おそらく真相はもっと複雑であり、別の視点からも考えていかなくてはなりません。ですが、私がこの仮説を考えるようになってから「社会のため」という言葉を聞くと、うさん臭さを拭えなくなったというのが正直な気持ちです。スポーツ選手や何らかの努力をしているタレントがよく言う「みなさんのために頑張ります」という言葉にも嫌悪感を抱くようになりました。「社会のため、みなさんのためではなく、あんたが目立ちたいから、あるいはええかっこがしたいからそんなきれいごとを言ってるだけやろ」と思ってしまうのです。

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2022年3月10日 木曜日

2022年3月 『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』上梓にあたり

 2022年3月5日、『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』という本を上梓しました。一応、医学書というカテゴリーにはなりますが、太融寺町谷口医院をオープンして15年が経過した今、人の身体と精神を診察する上で、そして人間そのものを考える上で「性」がいかに大切かという観点からまとめた本です。

 私の文章を昔から読んでくれている人はもう聞き飽きたと思いますが、私自身が医師を目指すようになったのは医学部の4年生になってからという遅さで、医学部入学時には医師ではなく研究者を目指していました。研究したかったのは「人間の思考、行動、感情」といったもので、一言で言えば「人間とは何か」を知りたかったのです。

 私は10代の頃からこの「疑問」に取りつかれていて、高校生の頃は「人は何のために生きているのか」「自分はどこに行くべきなのか」「自分が生涯をかけてやるべきことはあるのか、あるとすればそれは何なのか」といったことを四六時中考えていました。その時に出た「とりあえずの結論」は、「ここにいてはいけない」でした。

 つまり、「こんな田舎にいても自分の人生を無駄に過ごすだけだ」と考え、都心部に出ることだけを夢見るようになったのです。高校生の頃、大学に(少なくとも偏差値の高い大学に)行けるような学力はなく、このまま卒業して地元の工場で働いて、ささやかな楽しみは車をいじることとパチンコと週末のスナック通いと……、とそんな生活を想像すると耐えられなくなったのです。

 なにしろ、ファストフードは1軒もなく(私が卒業してからマクドナルドができたようです)、喫茶店が数軒あるだけ、映画館はときどきできてもすぐにつぶれ、貸しレコード屋が1軒のみ、とそんな田舎です。高校を卒業すれば、堂々とパチンコ店に入れることと、スナックとやらに行けることくらしか娯楽は増えません。

 その数年後には「勉強が好き」になった私ですが、高校生の頃、勉強は最も嫌なもので楽しいと思ったことなど一度もありません。模擬試験の偏差値が50を超えることはほとんどなく、英語と数学のクラスは成績別でしたが、私はついに最後まで上のクラスには行けませんでした。高3の12月に返って来た河合塾の全統記述模試では総合で偏差値が40です。

 しかし後がない私は「都会に出る」ことだけを心の糧に高3の12月から猛勉強を開始しました。高3の夏休みに見学に行った関西学院大学(以下「関学」)のとても綺麗なキャンパスを思い出し、時計台の前の芝生で寝そべっている自分を想像し、勉強に嫌気がさしてくると関学のパンフレットを取り出してやる気を奮い立たせ、そして、勉強する内容は関学の赤本過去9年分のほぼ丸暗記です。

 この方法で合格できた私は、「やればできる」という感覚をつかんだような気がしました。その後、関学時代も就職してからも「やればできる」をモットーに、苦手だった英語を克服し、一見無理にみえる仕事にも取り組むようになりました。会社員時代は新しいプロジェクトを自分で提案し、キーパーソンへの根回しなど人間関係でも「やればできる」の精神で突き進みました。医学部受験も「やればできる」を信じました。

 「やればできる」は使い古された表現なので、いつしか「no pain, no gain」を口癖のようにしていました。この言葉も受け売りですが、韻を踏んでいるところが気に入ったのです。きっかけは、たしかリチャード・ブランソンの自叙伝だったと思います。

 「医学部受験など真剣になれば誰にでも可能だ」、と当時の私は言い続けていました。そして、その考えをまとめたのが『偏差値40からの医学部再受験』という本で、2002年、私が研修医1年目のときに出版しました。この本はよく売れて改訂版も3度ほど出版され、全国から多くの手紙やメールをいただきました。なかにはこの本を持って私の職場まで会いに来られた人もいました。本を持ってきて「サインをしてください」と言われるのです。

 こういうときはたいてい「何か一言書いてください」と依頼されるので、私はいつも「no pain, no gain」と書いていました。

 さて、冒頭で述べたように最近新しい本を上梓しました。現在谷口医院に勉強に来ているある医師にこの本をプレゼントしたとき「何か一言書いてください」と言われました。本にサインをするのは久しぶりだったので、以前のように「no pain, no gain」と書こうと一瞬思ったのですが、同時に心のなかから「やめておけ」という声が聞こえてきました。

 なぜか。それは現在の私がもはや「no pain, no gain」が正しいと思っていないからです。今年54歳になる今となって思うのは、「人生は努力だけではどうにもならないことがある」ということで、より正確に言えば「努力できること自体が幸運だ」となります。

 過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」でも述べたように、私はこれまでの人生で、不幸としかいいようのない運命の人たちに出会ってきました。もちろん、私が直接知らない人のなかにも「不幸」以外に言葉が見つからないような境遇の人は世界中にたくさんいます。ある日突然、戦争が始まり難民になることだってありますし、肌の色が原因でいきなり暴力の犠牲になったり、突然不治の病を宣告されたり、自分に責任のない交通事故の犠牲となり障害を負ったり……、とそういったことはいくらでもあります。そのような運命に遭遇した人に向かって「no pain, no gain」などと言えるわけがありません。

 その過去のコラムで述べたように、「努力ができるのも幸運に恵まれたから」であり、「ならば与えられた境遇で精一杯のことをやる」のが正しい生き方ではないかといつしか考えるようになりました。シェークスピアの名言「All the world’s a stage」が示すように「この世のすべては舞台だ」と考え、与えられた役割を演じるのです。

 私が総合診療医を目指すようになったのは、研修医の頃に訪れたタイのエイズホスピスで出会った欧米の総合診療医たちの影響です。彼(女)らは、患者さんの訴えをすべて聞き入れ、日本の専門医がよく口にする「それはうちの科じゃありません」というセリフを決して言いません。たいていの訴えはきちんと聞いて診察・治療をおこない、自身で診られない症状や疾患についても何らかの助言をおこないます。そういった診療の姿をみるにつれ、「これが医師が患者を診るべき姿だ」と直感した私は帰国後、総合診療医になることを決意しました。

 その後は決意が揺らぐことなく総合診療医の道を進んできました。どのような患者さんのどのような訴えも聞くように努めています。患者さんとの距離は近くなり、家族や親友にも話していないようなことを聞く機会もよくあります。もちろん話を聞くだけでは意味がなく、その患者さんにとって最善の治療をおこなわなければなりません。そのための知識と技術の吸収をやめることはできません。

 そういった診療を15年以上続けてきて思うことのひとつに「<性>は人間にとってとても大切なこと」があります。患者さんの訴えの”裏側”には「性」が隠れていることが多々あるのです。また、生活習慣の改善にはパートナーの協力が得られるか、パートナーのために治療に前向きになることはできるか、そもそもパートナーはいるのか、性的指向は同性か異性か、もしかすると性自認が揺らいでいるということはないか、リビドーがその人の行動に影響を与えていることはないか、といったことを考えるべきこともあります。

 医学部入学、研究者から医師への進路変更、タイでの総合診療医との出会い、帰国後の大勢の患者さんとの出会いなどの運命を通して、培ってきた経験を他人に伝え、そして与えられた”舞台”で役割を演じるのが今の自分の運命だと思っています。

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2022年2月11日 金曜日

2022年2月 「絶望」から抜け出すための方法

 前回は昨年(2021年)12月に起こった西梅田精神科クリニック放火事件を取り上げ、こういった犯罪を実行する人間は「絶望」を抱えていて、その絶望を阻止するには社会の一人一人が草の根レベルで他人を慮り信頼されるように努めることだ、という自説を紹介しました。

 今回はその後新たに生じた不幸な2つの事件を振り返り、絶望を感じそうになったときや感じてしまっているときには何をすればいいのか、について私見を述べたいと思います。

 まずは1つめの事件です。

 2022年1月15日午前8時半ごろ、東京大学近くの路上で、名古屋の17歳の高校生が、大学入学共通テストを受験しにきていた高校生2人(男子1名女子1名)及び70代の男性の合計3人を刃物で刺傷。さらに犯行現場の最寄り駅「東大前」で放火事件も起こしました。刺傷被害の高校生2人は意識があり助かりましたが70代男性は重症(その後の報道は不明)。加害者の17歳男子は「勉強していても上手くいかず、大きな事件を起こして自分も死のうと思った」と供述したそうです。

 次は2つ目の事件です。

 2022年1月27日午後9時頃、ふじみ野市在住の66歳の男、渡辺宏が44歳の男性医師を含むクリニックの関係者7人を自宅に呼びつけ、散弾銃で医師を殺害、さらに41歳の理学療法士も銃撃しました。報道によると、渡辺の母親がこのクリニックによる在宅医療を受けており事件前日に他界。医師を含むクリニックの関係者7人を弔問に呼びつけ「死んだ母を蘇生せよ」と迫りました。犯人は日頃からクリニックに不満を抱えており、過去15回に渡り医師会に苦情の電話を入れていたとのこと。さらに、複数の医療機関にも抗議しており、治療方針や病院対応に不満を感じると院内で大声を出して怒っていたことが報道されています。

 ふじみ野市のこの銃殺事件は、特に訪問医療に従事する大勢の医療関係者を震撼させました。当然のことながら、犯人の渡辺を非難する声は医療者からだけでなく一般の世論からも挙がっており、簡単に銃所持を許可した行政にも批判の矛先が向いています。

 後になってから、実情を知らない無責任な立場から「~たら、~れば」と論じるようなことは避けるべきではありますが、それでもこの事件について「私だったら」という視点で私見を述べておきます。

 医師は基本的に患者さんの立場に立ちます。疾患を抱えている場合、少々矛盾したことを言っていたとしてもあくまでも患者さんの「味方」となります。患者さんが会社や家族と争っている場合、「医学的な観点から」という条件はつきますが、できる限りのことをして患者さんを守ります。

 ただし、患者さんの味方になるのも「限度」というものがあります。「患者さんよりも大切な人たち」を守らねばならないからです。そして、その「大切な人たち」とは共に働くスタッフです。

 医師の前では腰が低いのに、看護師や受付スタッフに対しては横柄な態度をとる患者がいます。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にもたまにそういう患者がやってきます。もちろん、谷口医院のスタッフ側に問題があるような場合は別ですが、そうではなく言いがかりとしか考えられないようなとき、つまり「限度」を超えた場合には、私自身がその患者の目を見ながら「当院では診られません。二度と来ないでください」と「出入り禁止宣告」をおこないます。この「宣告」は平均すると年に1人くらい、つまり過去に十数名に対しておこなっています。

 ただ、これ以上は大切なスタッフに言葉の暴力の被害を負わせるわけにはいかないと判断して「出入り禁止宣告」をおこなうわけですが、それでも「この患者にも何らかの事情があるに違いない」とは考えます。これまでこの社会で生きてこられたわけですから、それなりの常識や節度も持っているはずです。ふじみ野市の渡辺も、報道によれば過去には銀行員として勤めていたそうですから、まったく社会に適合できないわけではないでしょう。

 では、なぜ「暴走」する患者がいるのか。それは社会や他者への怨恨などから「絶望」が取返しのつかないところまで大きく膨れ上がったからであり、その絶望を抑制するためには周囲の人間が草の根レベルで他者を慮らねばならない、というのが前回のコラムで述べたことです。

 では、運悪く周囲にそういった気遣いをしてくれる他者がいなかった場合は防ぎようがないのでしょうか。

 報道によれば、渡辺は病弱する母親のために1つ1万円もする魔除けの「塩」を2つも購入していたそうです。宗教的なパワーに期待することは決して悪いわけではありません。宗教に救われたという話は古今東西どこの社会にもいくらでもあります。では、魔除けの塩を販売した宗教には何か問題があったのでしょうか。自分がよく知らない宗教を悪く言うべきではありませんが、この宗教は困窮した人(渡辺)に対するコミュニケーションが不十分だったのではないでしょうか。

 現代日本に住む我々はもはや宗教に頼ることができないのでしょうか。その答えは簡単には出せませんが、私なら宗教よりも別のものを探し求めます。それは何かというと「人、本、旅」です。この「人、本、旅」という言葉は私のオリジナルではなくて、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として述べられていますが、私はもっと根源的なレベル、すなわち「人が人として絶望せずに生きていくために不可欠なもの」と捉えています。ちなみに、出口さんは私の出身高校の大先輩(ちょうど20年先輩)です。

 世の中の何もかもがイヤになり、手を差し伸べてくれる人がまったくいなければ「人、本、旅」から「人」は消えますが「本」「旅」は残ります。本は申し訳ないくらいに安く手に入るものですし、旅もさほどお金をかけずにすることもできます。もちろんお金があるに越したことはありませんが。

 本は何を読んでも救われるわけではありませんが、私の”独自調査”によると、いわゆる「古典」を数多く読んでいる人はたいてい心が安定しています。古典とは聖書など宗教に関わるものから、歴史書、シェークスピアなどの古典文学、夏目漱石や志賀直哉といった日本の名著も含めてのことです。

 旅についてはやはりお勧めは「一人旅」です。最も推薦したいのはスケジュールを決めずにバックパッカーとして海外を放浪することですが、国内1泊旅行でも自分と向き合って心を豊かにすることは可能です。ちなみに私は、コロナ前までは学会参加にかこつけて全国各地を訪れることを趣味にしていました。

 もしもこれを読まれている方が、人生に行き詰っていたり、やりたいことやすべきことが見つからなかったり、あるいは絶望を抱えているのであれば、「人、本、旅」の大切さを思い出し、周囲に適当な人がいなければ「本」をもって「旅」に出てみませんか。それだけでも心が平和になります。さらに旅先では、新たな「人」との出会いが待っているかもしれません。

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2022年1月9日 日曜日

2022年1月 他人を信頼できない日本では「絶望」するしかない

 2021年の最大の出来事は?と問われれば、ほとんどの人は一昨年(2020年)に引き続き「新型コロナウイルス」と答えるでしょう。なにしろ、この病原体のせいで、世界中のほぼすべての人が生活に何らかの制限を加えられているのですから。もちろん、我々医師にとっても「コロナのせいで……」と思わずにはいられない場面がかなり多くあります。

 ですが、2021年にはある意味でコロナ以上の事件がありました。12月17日に起こった「西梅田精神科クリニック放火事件」です。そのクリニックの患者でもあった61歳の男、谷本盛雄がガソリンでクリニックに放火し、自身も院長も含む合計26人(1月3日現在)が死亡しました。

 私の記憶にある範囲で言えば、一度の大量殺人事件としては京都アニメーション放火殺人事件の死者36人に次ぐ規模です。2016年に相模原で起こった障害者施設殺傷事件での死亡者は19人ですから、西梅田の事件はこれを上回ったことになります。尚、相模原の事件についても事件直後から何名もの方(患者さんよりも本サイトの読者の方)から意見を求められていましたので、いずれどこかで取り上げたいと考えています。

 さて、西梅田事件のこの犯人について、私が診察したわけではありませんから、どのような精神疾患を持っていたかなどについて精神医学的な所見を私が述べるのは適切ではありません。一部の情報では、このクリニックは発達障害を中心に診ていたために犯人の疾患も発達障害ではないか、とされていますが定かではありません。ここでは、犯人は「(疾患名はともかく)他人を巻き添えにして自殺をしたかった男性」であることを確認しておきましょう。

 この点で、殺害された女性の兄が妹のパソコンから犯人にたどりついた2017年の「座間9人殺害事件」の白石隆浩とは犯行の性質がまったく異なりますし、死刑を避けて無期懲役を求め、2018年に東海道新幹線内で1人を殺害、2人に重症を負わせた小島一郎とも異なります。先述の相模原事件の犯人である植松聖は死刑を覚悟していたものの、犯行動機は「障害者を殺すのが公益」との信念の元に実行したとされていますからやはり異なります。その場で自殺していないという意味で、2001年に8名を殺害した附属池田小学校事件の宅間守(2004年に死刑執行)、2008年に2名を殺害した土浦連続殺傷事件の金川真大(2013年に死刑執行)、2008年に7人を殺害した秋葉原通り魔事件の加藤智大(死刑が確定しているが現時点で未執行)とも異なります。2019年の京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司は放火後逃走していることと「自分の作品をパクられた」と被害妄想的な証言をしていることから別のタイプと考えられます。

 犯人もその場で自殺したという意味で似ている事件は、2019年に2名の小児が殺害され18名が負傷した「川崎通り魔事件」の岩崎隆一、また、2015年に一人の乗客を巻き添えにして新幹線内で焼身自殺した林崎春生が該当するかもしれません。

 しかしながら、こうやって21世紀になってから起こった集団殺人事件を改めて見直してみると、白石は金銭と性欲という自己の快楽のために、植松は”公益”のために実行していますが、それ以外の犯人の動機には、(それぞれの精神疾患名は別にして)「絶望」があるように私には思えます。

 谷本、小島、宅間、金川、加藤、青葉、岩崎、林崎に共通して言えること、それは「周囲に頼れる人がいなかった」ということではないでしょうか。もちろん、私はこれらの誰一人として知り合いではありませんし、想像の根拠はすべて報道や犯人についてジャーナリストが書いた書物などに限定されます。ですから、医師でしかない私がこのような推測を述べるのは無責任であり、それは承知しています。ですが、無責任であることを認めた上で、彼らは「周囲に頼れる人がおらずそのため絶望していた」のではないかと思わずにはいられないのです。

 もちろん、周囲に頼れる人がいない人全員が事件を起こすわけではありませんし、親から勘当されても立派に生きている人がいることも知っています。ですが、父親からの絶縁(宅間、小島)、引きこもり(岩崎、金川)、孤立(加藤、林崎)といったことが報道されており、谷本も元家族から距離を置かれていたことを考えれば、やはり共通するのは「絶望」だと思うのです。

 このなかの全員がまったくの孤立無援ではなかったのも事実です。例えば、小島は報道を見る限り、祖母と母親からは(おそらく今も)愛されています。加藤も話ができる友人がいなかったわけではなさそうです。ということは、単に「犯行前に誰かひとりでも親身になって話を聞く者がいれば……」とも言えないことになります。では、もしも2人以上、あるいは3人以上の信頼できる者がいれば……、などと考えるのはナンセンスでしょう。人数の問題ではないからです。では、どのような社会であればこういった事件が起こらないようになるのでしょうか。

 2022年1月1日、日経新聞に「成長・満足度、両輪で活力 閉塞感打破、北欧にヒント」という記事が掲載されました。日経新聞が、国連やWHOなど世界の権威ある統計をもとにして、日本、米国、英国、フランス、ドイツ、デンマーク、フィンランド、スウェーデンの8国について、労働生産性、所得格差、男女平等、幸福度、他者への信頼度などを点数で表しています。この表、眺めれば眺めるほど興味深いのですが、ここで取り上げたいのは「他者への信頼度」です。

 「他者への信頼度」のトップはスウェーデンの522.2点、2位はデンマークで521.3点です。先進国平均は214.1点、米国223.0点、英国376.8点です。では、日本の点数は何点かというと、なんとマイナス62.0点なのです。「他者への信頼度」は表で示されているだけで記事の本文に説明がなく、記者のコメントもないのが残念なのですが、この数字には驚かされます。

 そもそも「他者への信頼度」がマイナスとはどういう意味なのでしょう。スウェーデンでは周囲に1000人集めると522人は信頼できて、日本では1000人集めると信頼できる人はゼロで自分を貶めようとしている人が62人もいる、という意味なのでしょうか。マイナス62.0というこの数字が間違いであってほしいと願いたいですが、日経新聞が元旦の朝刊に載せているわけですから何度も数字に誤りがないことが確認されているはずです。

 ということは、我が国においては「渡る世間は鬼ばかり」が真実ということになります。では、スウェーデンに行けば、周囲の人たちを無条件で信頼できるのでしょうか。あるいは行政が手を差し伸べてくれるのでしょうか。同国を訪れたことのない私にはそれは分かりません。ですが、私がある程度知っているいくつかの国との比較でいえば、たしかに日本ほど他人に冷たい国はありません。

 過去のコラム「マンスリーレポート2015年9月 お金に困らない生き方~4つの秘訣~(後編)」で紹介したように、タイは日本よりも遥かに格差社会、あるいは身分社会ではありますが、他人には優しくホームレスの人たちが救われているシーンもしばしば目にします。他方、日本に長年住む外国人たちからは日本人の冷たさについて聞かされたことが何度もあります。

 では日本人はこんな国をとっとと捨てて海外に新天地を求めればいいのでしょうか。私の答えは「イエス」でもあり「ノー」でもあります。「イエス」と言いたいのは、海外で楽しく過ごし「日本よりずっと幸せ」と話している日本人を何人か知っているからです。一方「ノー」とも言いたいのは、たとえ海外に出た方が幸せになれたとしても、そう簡単に日本にいる大切な人を放ってまで海外に行ける人はそんなに多くないからです。

 では、この日本に残る我々(私も含めて)はどうすればいいのでしょうか。それは、たとえ他人が信頼できなかったとしても、一人一人が草の根レベルで他人のことを慮り、他人から信頼されるように努めることです。

 犯人をかばうような発言は殺害された方のご遺族に失礼であることは承知していますが、谷本を含むこのような犯罪者を生み出したのは「他人を信頼できない」この日本社会に原因があるのではないかと思わずにはいられません。事件を起こす前に話をし、その絶望から生まれた苦しみを共に分かち合いたかった、とついつい私は考えてしまうのです。

本文一部訂正:2022年1月31日

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2021年12月12日 日曜日

2021年12月 やりたいこと vs 役割を演じること

 今からちょうど3年前、2018年12月のマンスリーレポート「人生は自分で切り拓くものではなかった!?」で、私が相当奇妙な発言をしたと思われた読者の方も多いと思います。なにしろ、それまで私が書籍などで言い続けてきた「医学部受験などたいていの人は努力をすれば可能だ」という主張を全否定したと解釈されてもおかしくないようなことを述べただけでなく、私自身は「〇〇」という目に見えない存在に”監視”されていて、「生きているのではなく生かされているのだ」という、まるで新興宗教の教えのようなことを突然言い放ったわけですから。

 さらに私は、2020年7月のマンスリーレポート「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」で、医学部受験は誰にでも可能なわけではなく、「人生を決めるのは99%の運と1%の努力」という考えを主張し、「運も実力のうち」という言葉を完全に否定しました。このコラムではシェークスピアの名言を引き合いに出し、「人生とはそれぞれの役割を”演じる”こと」と述べました。

 「奇妙なこと」を言い始めて3年が経過した今、改めて私が感じていることをここに披露したいと思います。

 まず「役割」についてです。もしも、生まれてから死ぬまでの間、与えられた宿題だけをやって、与えられた試験だけを受け、与えられた仕事だけをやり、あらかじめ決められたパートナーと生活を共にする、という人生があったとすれば、これほどつまらない人生はないでしょう。

 では、次のケースはどうでしょうか。それはかなり前、新聞か雑誌で読んだある有機化学者の話です。たしか日経新聞の「私の課長時代」だったと思うのですが、記憶が定かでなく、その人の名前もどのような研究をしたのかもまったく覚えていません。私が覚えているのは、大学院時代に研究室の教授から与えられた、特に興味のなかった研究に従事したと書かれていたことです。その教室ではメンバー全員が教授から課題を与えられてそれをやるしか選択肢がないとのことでした。

 それを読んだときの私の感想は「こんな人生、絶対にイヤだ」です。その有機化学者はその研究で成功して博士号を取得し、その後も大企業の研究室で働いて出世もし、その記事では当時の教授に感謝している、というようなことが書かれていたわけですが、私が同じ境遇なら、この教授に感謝することはおそらくできません。

 私はこの有機化学者と正反対のことをしています。有機化学者も私も同じ「理系の者」ですが、そもそも私は上司の言うことを聞いたためしがありません。研修医1年目のときは、大学病院での研修が物足りなくて教授に「土曜日は他の病院に見学に行かせてほしい」とお願いし、2年目のときは本来の人事に逆らって予定外の別の研修をさせてもらいました。さらに、大学の人事に従わずタイにボランティアに行くことを実行しました。このため当時の教授からは「お前とは絶縁ではないが破門だ」と言われました(ただし、この教授には今も慕わせてもらっています)。

 欧米からタイの施設に来ていた複数の総合診療医(general practitioner)に影響を受け、教えを乞い、帰国後は大学の総合診療部の門を叩き、大学病院で学ばせてもらうことになりました。しかし、大学病院での経験では物足らなくなり、いくつもの病院や診療所で研修を受ける私独自のやり方を半ば強引に認めてもらい、さらに、自分のやりたい医療を実践するには自分でクリニックを立ち上げるしかないと判断し、まだ医師になって丸5年もたっていないのに開業に踏み切ったのです。

 この当時の私はまだ「人生は自分で切り拓くものだ」と考えていましたから、こういった道を選んだことにまったく後悔はありませんでしたし、今も後悔しているわけではありません。当時の(今も)愛読書には小田実の『何でも見てやろう』 (名著です)や大前研一氏の『やりたいことは全部やれ!』 (これも良書です)があります。そして、この当時は、私がやりたいことをやって、上手くいっているのは自分が努力したからだと”勘違い”していました。

 冒頭で紹介したコラムで述べたように、私がやりたいことをできたのは単に運がよかったからです。そして、「運も実力のうち」では決してありません。運がいいのは単に運がよかった、ただそれだけの話です。自分の努力を卑下しなくていい、という意見もあるかもしれませんが、努力できること自体が運がいいわけです。もしも私が脳に障害を負ったり、若年性認知症を発症したりすればこういった努力はできません。脳に障害を持った人は努力しなかった結果なのか、というとそんなはずはなく、運が悪かったわけです。

 ならば私は自分の運の良さに感謝すべきです。そして、感謝すべきなのは運だけではありません。件の有機化学者のように課題を与えてくれた教授のようなエピソードは私にはありませんが、それとは違ったかたちで私を導いてくれた先輩や、指導してくれた上司がいます。そういった人たちへの感謝の念を忘れてはいけないことは言うまでもありません。

 また、これまでの人生で出会った私が尊敬している人たちは、例外なく「誠実」であり、また「謙虚」なことを知り、これらが人生の原則であることを悟ることができたのです。ということは、私は自分の運や私を導いてくれた人たちへの感謝を忘れることなく、また自分自身も「誠実」でかつ「謙虚」であらねばなりません。

 そして、次にすべきことは他者を思いやることです。幸運なことに、私は臨床医という立場にあります。日々の仕事がそのまま他者への思いやりにつながるありがたい環境に身を置いています。ということは、プライベートの生活のみならず、仕事を通しても他者を思いやるという行為が実践できるわけです。やはりこの幸運にも感謝しなければなりません。「職業に貴賤はない」ことは認めますが、それでも私は、一日中同じネジを延々と回す業務や、アマゾンの倉庫で1日中出荷をするような仕事は耐えられません。ならば、私は今の仕事を「させてもらっている」と考え、感謝の念を忘れてはいけません。

 さらに、ここまで良い運に恵まれたわけですから、ここで自分の人生を終えるわけにはいきません。家族や友人に加え、目の前の患者さんを支援することの次は、社会への貢献です。といっても、私には大それたことはできませんから目の前の患者さんや、遠方からメールなどで相談してくる患者さんの力になれるよう努力すること、あるいは私が設立したNPO法人GINAを通して海外の(特にタイの)困窮している人々を支援することなどでおこなう草の根レベルの貢献です。

 今さら「他にやりたいことが見つかった」と言って、これまでの人生を否定するような生き方は許されません。つまり、運や人に「感謝」し、「誠実」かつ「謙遜」であり、他者への「思いやり」、社会への「貢献」を続けていく、これが私の生きる道であり、それができているかどうかを、例の「〇〇」が監視していると思うのです。そして、日々目の前に立ちはだかる問題、それは病気を含めた他者の悩みや苦しみであることが多いわけですが、これらを解決するのが私の「役割」であり、その役割を演じ続けていかなければならないと考えているのです。

 ちなみに、「感謝」「誠実」「謙虚」「思いやり」「貢献」は、Appreciation(感謝)、Being sincerity and modesty(誠実で謙虚であること)、Consideration and Contribution(思いやりと貢献)と反芻しています。

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2021年11月11日 木曜日

2021年11月 「人に好かれる」よりも大切なこと

 「承認欲求」の話を書くと質問・相談のメールが増えます。それだけ世間の関心が高いテーマなのでしょう。私が一貫して主張しているのは「承認欲求など捨ててしまえばいい」ということです。こう書けば反論もたくさん届くわけですが、この世のすべての人から承認を得ることなどできるはずもなく、また求める必要もないわけです。

 では、私自身は「すべての人から嫌われてもいいのか?」と問われれば、そうは言っておらず、「自分にとって大切な人からはやはりその人からみて大切な人間になりたい」わけです。しかし、では「その大切な人のためにお前は何でもするのか?」と問われれば、そういうわけではありません。「それが身近な人や大切な人であったとしても他人に振り回されるべきではない」と考えています。

 ちょっと抽象的な話になってきましたからここで例を挙げましょう。

 それは私が医学部の学生の頃、あるイベント運営会社でアルバイトをしていたときの話です。

 そのアルバイトを始めて数か月がたったある日、その会社の社長から直接電話がかかってきました。

 「おう、谷口か。お前、かげで俺の悪口言うてるらしいな。俺はお前が思てるような人間やないんや。俺はな……」

 声のトーンがいつもの社長のそれとは異なっています。そして、延々「言い訳」のような話が続きました。もちろん、私はこの社長の悪口など言っていません。話をよく聞くと、社長は前日にアルバイトの女性と飲みに行き、そこでスタッフの話題となって、私が社長の悪口を言っていることになっていたようです。しかし、その悪口の内容がどうもおかしいのです。被害妄想的というか、それって悪口?、と言えるようなものでした。しかし、こういうときは理屈で反論してもいいことは一つもありません。「社長、僕は社長の悪口を言っていません。明日からまたよろしくお願いします」と言って電話を切りました。

 数日後、社長と飲みに行ったというそのアルバイトの女性と話す機会がありました。社長からの電話の話をすると、案の定「私は谷口君が社長の悪口を言ったなんて言っていない。なんであの社長、そんなふうに受け取るのかな……」とのことでした。

 この社長、学生時代に起業(今で言うスタートアップ)し、しっかりと利益を上げて大勢のアルバイトを雇用し人望もあります。話もおもしろく、人を惹きつける魅力があります。何もしなくても人が寄って来るようなタイプだと私は思っていました。それだけに、「自分が悪く言われているのではないか」と過剰な心配をしていることが奇妙に思えました。

 尊敬していた社長だっただけに、私としては「他人が何を言おうが自分は自分」という態度でいてほしかったのです。私が悪口を言ったというのは完全に誤解ですが、たとえ本当に悪口を言ったとしても「谷口が何を言おうが放っておけ」くらいの態度をとってほしかった……、と今も思っています。

 続いて当院の患者さんの話をしましょう。ただし、プライバシー保護の観点から詳細にはアレンジを加えていることをお断りしておきます。

 その女性は現在28歳。派遣会社経由でコールセンターに努めています。関西の私立大学を卒業した後、いったん大企業に入りましたが、1年もしないうちに退職し、その後は転々としています。幼少時から勉強はよくでき、いつも優秀な成績をおさめており、学生の頃はどんなアルバイトをしても仕事ができていつも重宝されていました。おまけに人あたりも良く、さらに容姿も端麗。周囲からは「理想の女性」とみられています。

 そんな彼女がなぜ仕事を続けられないのか。この答えは彼女自身が分かっていました。それは「男性」です。彼女は「恋愛依存症」なのです。恋愛依存症という正式な病名はありませんが、交際相手に依存してしまい、世の中の何もかもがその男性を中心に回り始め、やがて日常生活にも影響が出てきます。こうなると、その男性が電話に出なかっただけでパニックになり、それだけで会社に行けなくなるのです。

 この女性、たしかにメンタルが脆弱なところがあるのですが、うつ病や不安症と呼べるほどではありません。谷口医院を受診したきっかけは不眠と抑うつ感でしたが、薬は使うべきでないと私は判断しました。問診を繰り返しているうちに、どうやらパートナーとの関係がうまくいっているときは何もかもが調子よくなり、そうでないときに症状が出てくることが分かりました。

 しかし、24時間相手のことを考えて日に何度も電話で愛を語り合うようなハネムーン期はたいてい数か月で変化を迎えます。情熱が冷めたわけではなくても、数時間電話に出られないことくらいあるでしょう。しかし、彼女にとっては、それが「まるで世界を失ったかのような感覚」になってしまいます。毎日何十回の電話やLINEがなければ愛を確認できないのです。

 さて、この女性は「異常」でしょうか。私は女性からこの話を聞いたとき、以前あるタイ人女性と交わした会話を思い出しました。当時の私はタイ語を勉強していて、教材として使っていたあるタイポップスの歌詞のなかに「何十回と電話しているのになぜあなたは出てくれないの?」という歌詞がありました。私は、そのタイ女性に「何十回も電話されると冷めるよね」ということを言うと、その場の空気が白けてしまいました。そのタイ人から「これが女心なの。あなたは冷たい人ね」と言われてしまいました……。

 その後、韓国人女性と交際したことがあるという日本人男性にこの話をすると、まさにこのことを経験したと言われました。交際時にはその韓国女性から毎日何十回と電話がかかってきたというのです。電話に出なければ激怒されたそうです。また、韓国人男性と付き合ったことのあるという日本人女性に聞いてみたときに、やはり同じことを経験したと教えてくれました。韓国では好きな相手への愛情を示すために日に何十回も電話することが珍しくないようです。

 では、仕事が長続きしない先述の女性は韓国やタイなどアジアに行けばうまくやっていけるのでしょうか。私の答えは「NO」です。

 話をタイ人女性との会話に戻します。「冷たい人ね」と言われた後、私が「電話に出ない男との関係はどうなるの?」と尋ねてみると、「また新しい男を探す」という答えが返ってきました。要するに、電話にも出てくれないような男にはさっさと見切りをつけて新しい男を探せばいい、と考えているのです。

 恋愛依存の女性とタイ女性(や韓国人)の違いはどこにあるか分かるでしょうか。それは、タイ女性は男性に依存していないことです。一時的に依存したとしても「この男は信用できない」と思えばさっさと捨ててしまう強かさを持っています。

 他方、谷口医院の患者さんは、すでにその男性が女性にとってのすべてになってしまっていて「男性が自分の思い通りにならない=世界を失うこと」なのです。もちろん、タイ女性のなかにも恋愛依存症の女性はいます。(元)交際相手のペニスを切断、という事件がタイのローカル紙にときどき報道されますが、タイ人にとっては「またか」という感じで新鮮味がないようです。そういえば、日本人女性にも阿部定という、愛した男性を殺害し切断したペニスを持ったまま逃亡していた女性がいましたが……。

 今回の話をまとめましょう。まず繰り返しますが、赤の他人からの承認欲求は初めから持たないのが一番です。一方、あなたにとって大切な人からの承認を求めるのは当然ですが、行き過ぎた承認欲求はときにあなたの人生を狂わせます。あなたにとって大切な人がどのような言動をとろうが、あなた自身が<変わらざる自身>を持ち続けることが大切なのです。

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2021年10月10日 日曜日

2021年10月 「承認されたい欲求」と「承認したくない欲求」

 2年前のコラム「「承認欲求」から逃れる方法」で、太融寺町谷口医院の患者さんの実例を示し(ただし詳細はアレンジを加えました)、「承認欲求なんて捨ててしまえばいい。そもそも万人から愛される必要はない」と述べました。

 この私の意見に対し「同感です」という声も届いたものの、「そうは言っても仲間外れにされたくない」という感想もいただきました。そのコラムで私は「<変わらざる自身>を持ち他人が自分のことをどう思おうが気にしなければいい」と言いました。私の考えに同意できない人はこの点に賛成できないようです。いくら<変わらざる自身>を持っていても孤立するなら意味がない、というわけです。

 もちろん孤立して生きていかねばならないほど辛いこともないでしょうから、この意見は理解できます。今回は、私の考え「承認欲求なんて捨ててしまえばいい」を「誰からの承認欲求か」という観点から改めて考えてみたいと思います。

 たとえば、人口100人の離れ小島にあなたが住んでいるとしましょう。食料は基本的に自給自足で、他の地域への定期船はありません。おまけにインターネットは使えない環境で、電話は島の中でしか通じません。さて、もしもこの島で家族も含めて誰からも嫌われて孤立してしまえば、つまり誰からも「承認」されなければどのようなことが起こるでしょうか。おそらく生きていけなくなるでしょう。唯一の生き残る道は「島を出て別の世界を探す」となります。

 他方、上述のコラムで取り上げたキャバクラ勤務の女性と美容師の男性を考えてみましょう。彼(女)らには家族があり、友達がいて、さらに(全員ではないにせよ)同僚の何人かとは仲良くしています。お客さんと深い関係になることはめったにありませんが、それでも彼(女)らを目当てに定期的にキャバクラ/美容院に通っている人も少なくありません。つまり、彼(女)らは決して社会的に孤立しているわけではありません。しかし、ネット上の悪意ある書き込みに心が傷ついてしまったのです。

 ネットの書き込みなど無視せよ、というのが私の意見ですが、そんなことを言っていられないケースがあることも承知しています。自殺した女性(木村花さん)や人生を狂わされたタレント(スマイリーキクチさん)の存在もメディアの報道から少しは知っています。人の人生を左右するような悪意ある書き込みをする輩がいるのは事実ですが、その一方で、見ず知らずの人や知り合ったばかりの客の全員から賞賛されることなどあり得ないのもまた事実です。

 ここまでをまとめると、「ネットやSNSの書き込みには悪意がある許せない犯罪行為もあるのは事実だが(特に有名人の場合)、他人から悪口を言われることは(特に成功している人たちにとっては)当然のことであり、誰からも賞賛されることなどあり得ない。自分にとって大切な人たちから認められていればそれで十分。承認欲求は「身内から」だけにしておくべきだ」、となります。

 ところで、ここで言っている承認欲求は「承認されたい欲求」です。本来承認されるべきなのは身内からだけで十分なはずなのに、(私のようなひねくれ者でなければ)一人でも多くの人から承認されたいと思ってしまうのが人間のサガなのかもしれません。

 では、「承認したくない欲求」はどうでしょうか。

 秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんが2021年10月26日に結婚することが報道されています。私自身は「皇族制」については賛成の立場ですが、実はどのような方々がおられて、どのようなことをされているかなどについてはまったくと言っていいほど関心がありません。ですから、眞子さまが誰と結婚されようがまるで興味がなく週刊誌の報道もほとんど見ません。もしも、眞子さまのフィアンセが外国人なら海外メディアがどう報じるかは気になりますが、海外メディアにとっては日本人の小室さんが相手ではニュースバリューはほとんどないでしょう。

 と思っていたら、興味深いニュースが飛び込んできました。Washington Post 2021年9月28日に「英国ハリー王子とメーガン妃を彷彿させる。日本を混乱させている眞子さまと小室圭さん(You’ve heard of Harry and Meghan. Now meet Mako and Kei, who have Japan in a tizzy.)」というタイトルの記事が掲載されました。

 私がこのタイトルを見て驚いたのは、眞子さまと小室圭さんのご結婚がハリー王子とメーガン妃と同列の扱いを受けていることです。英国が日本よりも格上といっているわけではありません。ハリー王子とメーガン妃は、そもそもメーガン妃のルーツ、離婚歴などスキャンダラスな話題が豊富にあるわけです。にもかかわらずWashington Postほどの超一流紙が日英の皇室を同じようにみなしたタイトルをつけているわけですから記事の中身がとても気になります。

 私の率直な感想を言えば、Washington Postのこの記事は、小室さんが皇室にふさわしいか否かをメーガン妃の場合と同じように考察しているのではなく、小室さんを嫌う日本の世論を暗に皮肉っているだけです。小室さんの髪型を揶揄して一面に載せたスポーツ新聞についても記事は触れています。そして、最後のパラグラフでは、二人の結婚を「祝福する」と答えたのはわずか5%、「祝福しない」が91%とされた日本の世論調査を取り上げています。

 例えば、(メーガン妃のように)小室さんの出生が日本以外の国とか、お母さんがアフリカ系だとか、離婚歴があるとかであれば、日本の世論が結婚に反対するのは分からなくもないのですが(それでも私自身は反対しませんが)、お母さんが元婚約者からの借金400万円を返済していないことでなぜこれほどまで結婚に反対されるのか、私にはまるで理解できません。これは、私が91%の日本人と”感覚”が合わないということなのかもしれません。

 さて、私が言いたいのはここからです。多くの日本人が小室さんの結婚に反対する理由、それは小室さんを「承認したくない」からで、日本人は「承認したくない欲求」が強いのではないか、というのが私の立てた仮説です。

 そして、「承認したくない欲求」は「承認されたい欲求」と表裏の関係にあるのではないでしょうか。言葉を変えれば「自分がいつも世界の中心。自分は誰からも好意を持たれたい。一方、他人が幸せになるのは許せない」というのが大勢の日本人の心の奥に潜んでいる本心なのではないかと思えてくるのです。

 「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。進化生物学的にみても、他人を蹴落とし自分が多くの子孫を残せた方が遺伝子にとっては有利になります。大勢(の異性)から好感を持たれれば自分の遺伝子を残すチャンスが広がります。そして、ライバル(の同性)を蹴落とすことができればさらにそのチャンスは増えます。

 ということは「承認されたい欲求」も「承認したくない欲求」も進化生物学的には理にかなった”欲求”、つまり自分は承認されたくて他人は承認したくないのは生物にとってごく自然な欲求だということになるのかもしれません。

 ここで話を再び人口100人の離れ島に戻します。仮にあなたが男性で、島一番の美女と結婚したいと考えていたとして、突然ライバルが出現すればどうなるでしょう。なんとかしてそのライバルを蹴落とそうとするのではないでしょうか。もしもそのライバルの親にスキャンダルがあればそれを”武器”にするのではないでしょうか。私自身もそうするかもしれません。

 翻ってここは21世紀の日本です。インターネットで世界中につながることができます。今の職場があなたに合わなければ転職すれば済む話です。ネット社会で生きていれば、特に希望しなくてもどんどん知り合いが増えます。客商売をしていればあなたが顔を覚えていない他人からもいろんなことを思われて”書きこまれ”ます。そんな名前と顔が一致しない他人全員から承認されることにどれほどの意味があるでしょう。また、あなたのことを知らない有名人が誰と何をしようがあなたには何の関係もないはずです。

 承認されたい欲求も承認したくない欲求もその対象は身内だけで充分なのです。

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2021年9月10日 金曜日

2021年9月 雨の中を走ろう(Running in the rain)

 私の古い記憶をたどると「規則正しい生活をしましょう」と初めて言われたのは、何年生だったかは忘れましたが小学校の夏休み前。要するに、夏休みに入ってもこれまでどおり早く起きなさい、夜更かしはいけません、と担任の先生は言いたかったわけです。

 一方、小学生時代の私の最大の楽しみは「朝寝坊」でした。日曜日の朝、いったん目覚まし時計に起こされても、「今日は日曜日、あと1時間は眠れる」ということに気付いて、二度寝に落ちるあの瞬間が幸せなひとときだったのです。ちなみに、小学校低学年の頃は「ムーミン」が始まる9時まで布団から出られず、パルナス提供のアニメで私の日曜日が始まりました。今でも「日曜の朝」というキーワードを耳にすると、反射的に頭のなかにパルナスのCMソングが流れてきます。

 話を進めましょう。「規則正しい生活を……」と言われても初めから従う気持ちのない私は、夏休みの間も地域社会のラジオ体操や野球やサッカーなどのイベントがなければ毎日のように朝寝坊を楽しんでいました。

 小学6年生になった頃にはラジオの深夜放送にはまりだし、布団に入ってからもイヤホンでラジオを深夜まで聞くようになりました。深夜放送を聞き出したことから、世の中には深夜にも起きている人たちが大勢いて、都会にはなにやらワクワクするエキサイティングな世界がありそうだ、ということが分かり始めました。

 中学に入ってからも深夜放送好きは変わらず、この頃の私の将来の夢は「ラジオのDJになりたい」というものでした。気の利いた話をして、リスナーからのハガキを読んでときには身の上相談に乗って、適度なタイミングで洒落た音楽を紹介する……、と、そういうスタイルのDJに憧れたのです。

 今の私は大勢の人たちから医療に関する質問メールをもらって、返信するのに毎日それなりの時間を費やしています。当院をかかりつけ医にしている患者さんだけでなく、全国から相談メールが寄せられます。医療に関係のない人生相談のようなものも届きます。考え方によっては今の私がやっていることは、中学の頃に憧れていた深夜放送のDJに似ているかもしれません。

 話を進めます。大学(医学部でなくひとつめの大学)に進んだ私は「自由」を手に入れました。規則正しい生活などつまらない人間のすることだ、と考え、ショートスリーパーであることを自負し、毎晩のように街に繰り出していました。社会人になってからも、睡眠は時間の無駄遣いと嘯き、仕事を終えた金曜の夜は、いったん帰宅しドレストアップ、とまではいかないにせよ、仕事時とはまったく異なるファッションに身を纏い街に出ました。朝まで騒ぎあかし、土曜日の夕方に目を覚まし、そして再び夜の街に……、といった生活を続けていました。

 医学部受験を決意したときからそのような生活とは縁を切って、早朝に起床して勉強するようになりましたが、医学部入学後は、勉強が中心とはいえ、規則正しい生活からはほど遠いものでした。自宅での勉強が集中モードに入ると、深夜、ときには明け方までそのまま勉強を続けていました。医師になってからは、当直業務が多くなり、生活のリズムは滅茶苦茶になり、わずか15分でも眠れる時間があれば眠るという「細切れ睡眠」の生活になりました。太融寺町谷口医院を開業してからも、最初のうちは夜間の救急病院にもアルバイトに行っていましたから、やはり細切れ睡眠を続けていました。

 しかし、そのような生活スタイルに終止符を打ち、毎日同じ時刻に起きる規則正しい生活を開始しました。その理由は2つあります。1つは、患者さんに「規則正しい生活をしましょう」と言わねばならなくなったことです。

 このサイトで何度も紹介し、当院をかかりつけ医にしている患者さんには嫌がられるほど繰り返し話をしているように、規則正しい生活をするだけで大きく改善する疾患はたくさんあります。片頭痛や不眠症がその代表ですが、高血圧や糖尿病などの生活習慣病、不安感や抑うつ感といった精神症状、月経痛や月経不順などの婦人科疾患、胃炎や過敏性腸症候群などの消化器疾患なども相当します。おそらく規則正しい生活を続けることによって、バイオリズムが安定化し、自律神経のバランスが整うのでしょう。

 規則正しい生活によって大きく改善する患者さんを診るにつれ、他の患者さんにも積極的に勧めるようになり、そうなると自分自身が実践しないわけにはいきません。ちなみに、私が禁煙に成功できたのも、患者さんに禁煙指導をするうちに「自分が喫煙するのは”詐欺”のようなものだ」と考えて禁煙に取り組んだからです。

 私が規則正しい生活を始めた理由はもう1つあります。ある時、知人のひとりが「毎日同じ時間に同じことを繰り返すのが気持ちいい」と言いだしたことです。人生は何が起こるか分からないから楽しいのではないか、初めから決まっている予定通りの人生など何が面白いのか、と考えていた私は、この人が言うこの意見を最初は理解することができませんでした。しかし、この言葉が心のどこかにひっかかっていたのか、ときおり思い出すようになっていました。

 今も私は「毎日同じ時間に同じことを繰り返すのが気持ちいい」という境地には達していません。むしろ今でも「この世にはハレとケ、日常と非日常の双方が必要だ」という考えを持っていて、「同じことを繰り返すだけのハレのない生活」ほどつまらないものはない、という気持ちがあります。

 ですが、「毎日同じ時間に同じことをするのが幸せ」と考える人は案外多いようです。最近、この幸せを世界一実感しているのではないかと思える人の記事を読みました。

 記事は英国紙「The Guardian」2021年4月16日に掲載された「私の経験~私は10年間同じ夕食を食べています(Experience: I’ve had the same supper for 10 years)」で、取り上げられているのはウエールズの羊飼い、72歳の男性です。ロンドンなど都会に出たことはほとんどなく、毎日71頭の羊の世話をするのが仕事、食事は10年間同じものを食べていると言います。クリスマスでも特別な食事は摂らず、昼食は洋ナシ、オレンジ、ペースト入りサンドイッチ、夕食は魚2キレ、タマネギ1個、卵、ベイクドビーンズ、ビスケット数枚だそうです。毎日同じ時間に羊にエサをやり、予定通りに買い物に行き、毎回同じものを買うと言います。男性は「自然と同じように、私は決まった生活をしている(I have a routine, just like nature.)」とコメントしています。

 私の場合、居住区から出たくないと考えるこの男性とは正反対で、旅が好きで、新たな出会いにワクワクし、旅先のハプニングも楽しもうとします。ですが、現実にはここ10年くらいは国内外どこに行っても起きる時刻は同じですし、起床後最初にするのは同じメニューの運動です。週に4回ジョギングをし、残りの3回は室内でワークアウト(筋トレ)をしています。

 過去20年で私が最も多く訪れている海外の都市はバンコクです。スクンビットの定宿を利用し、ジョギングはベンジャキティ公園を3周というのがいつものパターンです。ちなみに、以前はバンコク滞在時には様々な道を走っていて、2015年8月17日の朝6時半ごろにはラチャプラソン交差点を通りました。その約12時間後の午後7時前、その交差点で爆発テロ事件が発生し20人が死亡しました。

 4時45分に起床、最初にするのはランニングかワークアウト、という生活がいつの間にかパターンとなりもう7年になります。ランナーのなかには、雨の日はランニングを休むという人がいますが、私の場合、怪我をしているときを除けば、7年間のうち予定を変更して休んだのは台風で警報が出ていた1日だけです。帰宅後は、シャワー、出勤、だいたい同じ時間に帰宅、シャワー、読書、就寝という生活をずっと続けています。

 あれほど単調な日常生活を嫌っていた私が、いつのまにか毎日同じことを繰り返す魅力を知ってしまったのかもしれません。雨が降っても走る、と他人に話せば、そこまでしなくてもいいのでは、とたいていは呆れられます。そんなとき私は次のように答えています。

 雨が降る中いつものようにランニングをして後悔したことは一度もないんです……。

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2021年8月9日 月曜日

2021年8月 「絶対悪」の基準は「ずるい行為」か否か

 いつ、どこで、誰から聞いたのか、あるいは何かに書かれていたものを読んだのか、そのあたりの記憶がはっきりしないのですが、私には「人を裁いてはいけない」という言葉が20代の頃からずっと頭の片隅にあります。たしか、このような言葉は聖書にもあったはずですから、関西学院大学時代にキリスト教学の授業で聞いたのかもしれませんが、はっきりとした記憶はありません。

 「人を裁いてはいけない」というこの言葉がなぜ私の頭から離れないのか。おそらく「人を裁くのはみっともないことだけれど、えてしてやってしまう可能性がある」という恐怖が私の心にあるからだと思います。

 「人を裁く」という行為が実に恥ずかしく醜い行為にうつることがあります。「人間は平等だ」「人の上に人をつくらず」といったきれいごとを言いたいわけではありません。自分の価値観のみを信じ他人の意見を聞き入れない行為や、正義感に酔いしれた独りよがりの行動に遭遇したときには、思わず目を伏せたくなります。

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)の関連で言えば、私は「マスク警察」を気取る人が愚かに思えます。「自粛警察」も自らの正義感に酔った人たちのやることだと冷めた目でみていますが、私の感覚で言えば「マスク警察」の方がみっともないのです。

 なぜでしょうか。私自身は実際に「マスク警察」をしている人たちを直接見たことがないのですが、目撃者の話によると、どうも弱々しい若者や女性がマスクをしていないときに近づいていって上から目線で注意をするのが実態のようです。一方、例えば100kgを超える巨体の西洋人や黒人がマスクをしていなくても何も言わないそうです。要するに、マスク警察というのは単なる「弱い者いじめ」なわけです。

 もうひとつ例を挙げましょう。「子供の教育に悪いから」という言葉を金科玉条のように掲げて、性を取り上げたテレビ番組に抗議をしたり、アダルト本を置いているコンビニに苦情を言ったりする人たちがいます。しかし、そういったテレビ番組やアダルト本は本当に子供の教育に悪いものなのでしょうか。悪いものだったとしても、子供にも自分で考える頭と行動力がありますから、そういった情報を入手しようと思えばいくらでも手に入れることができるわけです。抗議をしたり苦情を言ったりする本当の理由は、子供のことを思っているのではなく、本人が不快に思っているからに他なりません。

 要するに、マスク警察は「自分の考え(マスクは全員がすべき)と異なることをやっている他人が憎いから」、アダルト番組や書籍に苦情を言う人は「そのようなものが視界に入るのが苦痛だから」正義や正論を振りかざして他人を攻撃しているだけではないのか、と私には思えるのです。しかも、弱々しい若年者や女性、テレビ局や店舗(コンビニ)など、絶対に反撃を加えてこない対象を攻撃しているのです。

 さて、ここまでの私の文章を読まれて何か矛盾を感じられたでしょうか。そう、「人を裁くなと言っているお前が人を裁いているではないか」という矛盾です。では、私自身は自分の行動を棚に上げて、自分本位な理屈で好きなことを言っているだけ、つまり「同じ穴のムジナ」なのでしょうか。

 この問題を検討するために、次の場面を考えてみましょう。

    ****
小学生のA君が、B君とC君にいじめられている。そこにD君が通りかかった。D君は弱い者いじめをしているB君とC君が許せないと考えて、B君とC君に殴り掛かってやっつけた。そしてA君を助けた。
    ****

 この状況で、「D君はA君を助けたいという自分勝手な欲望でB君とC君を裁いた」と考えてD君を非難する人はいないでしょう。

 では、D君の行動とマスク警察やアダルトを非難する人たちの違いはどこにあるのでしょうか。まず私が用意したい答えは「その欲望は<絶対悪>に対抗するものか」を基準にするというものです。

 A君をいじめているB君とC君の行動は「絶対悪」です。マスクをしていない弱々しい若者や女性に詰め寄る行為も「絶対悪」です(私はそう思います)。「子供の教育に悪い」を言い訳にアダルト情報の苦情を言うのも「絶対悪」です(私はそう思います。理由は後述します)。

 ですが「絶対悪」などというものは簡単に定義できるわけではありません。いじめが絶対悪であることには同意が得られるでしょうが、マスク警察やアダルト情報の抗議を「絶対悪」と言えば違和感を覚える人の方がずっと多いでしょう。

 実はそこがポイントで、だからこそ、「絶対悪」の”認定”には慎重にならねばならないのです。自分と異なる意見を持っている人がいたとすれば、自身の価値観でその人を裁くのではなく、その人は「絶対悪」と呼べるほどの間違った主張をしているのかを見極めなければなりません。絶対悪を簡単に”認定”してしまえば、歪んだ正論や正義が生まれてしまいます。戦争はその最たるものでしょう。

 コロナワクチン肯定派の人は、反対派の意見を聞くとき、その反対の根拠が「絶対悪」と呼べるようなものかを吟味しなければなりません。反対派の人も同様です。こういう視点を常に持つようにすれば、そう簡単には自分と異なる意見の人のすべてを否定できなくなるはずです。

 私自身も、もしもマスク警察の人たちが、巨体の外国人や暴力団の人たちに「マスクを着けてください」と詰め寄るならむしろ応援したいと思いますし、アダルト情報に反対する人も「子供の教育に悪い」などと言わずに、「子供ではなく私が不快だから控えてください」という抗議の仕方をするのであれば支援するかもしれません。

 ここまでくれば理解いただけるかと思いますが、私自身が「絶対悪」と考える基準はそれが「ずるい行為」かどうかです。いじめはもちろん、強い者には何も言えないくせに弱者にだけマスクをしろ!と強制する行為は「ずるい行為」です。「子供の教育に…」を盾にして自分の欲求を正当化するのも「ずるい行為」です。 

 20代の頃から私の心のなかにある「人を裁いてはいけない」についてずっと考えてきました。この命題を文字通り実践するなら、極悪人を目の前にしても何も言えず何もできなくなってしまいます。ですが、「善」「悪」「正義」などは簡単に判断することはできません。どの立場に立つかによっても異なります。しかし、「ずるい行為」なら判別は比較的容易です。もちろん、厳密に決めることはできず人によって判断がずれることもあるでしょうが、私自身にとっては「ずるい行為」を基準に考えるとたいていのことがすっきりします。

 私が連載している日経メディカルのコラムで、2回連続で医師を非難しました。最初の回はわいせつ医師に対して、後の回では金儲けを企んだ悪徳医師を糾弾しました。医師が医師を非難するのはタブーという考えが根強いのですが、私がこういった医師について書くことを決めた最大の理由は、「ずるい医者を許してはいけない」という気持ちがあるからです。

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2021年7月6日 火曜日

2021年7月 「相手の立場に立つ」を再考する

 2021年6月1日、東京都立川市のホテルで性風俗店勤務の31歳の女性が19歳の少年に殺害されました。この事件は「初対面の女性を70か所もメッタ刺しにした残虐さ」と「未成年の加害者が法律上匿名とされる一方で、被害者のセックスワーカーが実名を報道されたこと」が注目されました。

 これだけ残虐な事件が起こると、週刊誌は加害者の人物像を過去にさかのぼり取り上げます。そんななか、私が最も驚いたのは週刊新潮と週刊文春が報道した中学の卒業アルバムに掲載された加害者の文章です。一部を抜粋します。

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僕はいつか、僕を支えてくれた人たちを支えられるような人になりたいと思います。だから、そのためには、まず自分自身が成長し、自立することです。そして、相手の立場に立って一緒に考えてあげる力を身に着けていきたいです。そして、苦しい思いをしている人たちを支えられるような大人になりたいです。
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 話は変わって、2021年6月30日、大阪府下のある大学の看護学部の授業で、私は「在日外国人の健康問題」というタイトルで講義をおこないました。日本(特に大阪)では、外国人が適切に医療を受けられていない現状があります。それを、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の経験も踏まえて、外国人医療に関する諸問題を話したのです。

 その講義で、外国人医療の問題を解決するために最も重要なのは「相手(外国人患者)の立場に立つことだ」と強調しました。講義では、「相手の立場に立つこと」が外国人医療の最重要事項であるだけでなく、すべての医療問題の最重要事項であるという私見を紹介しました。

 実際、患者・医療者間のトラブルのほぼすべての原因が「相手の立場で物事を考えていないこと」と言っても過言ではありません。逆に言えば、そのトラブルは「相手の立場に立てばたいていは解決する」のです。

 そして、私自身はこの「相手の立場に立つ」を(後述するように)あるときから実践するよう心がけています。医師になってからも、例えば「救急外来で患者が怒っている」などという話を聞くと「自分の出番だ」と考えて駆けつけていました。なぜ、多くの人が嫌がる仕事を率先して引き受けるかというと、それまでの人生でいくつもの成功体験があるからです。

 争いごとは、たいていは、「私があなたのことを理解していることをあなたに理解してもらうまでは私の言い分を言わずあなたの話を聞きます」という態度で臨めば一気に進展します。このときに絶対にやってはいけないことは、「相手の意見を聞く前にこちらの言い分を主張すること」と「正論の押し付け」です。

 例えば、外来で「長時間待たされたのにCTも撮ってくれへんのか!」と騒いでいる人がいたとしましょう(実際こういう人は多い)。このときに「この状態ではCTは不要です。不要な検査はあなたのためになりません」などと言ってしまうと、理屈の上ではそれは正しいわけですが、これは医療者側の見方です。こういうときには、「なぜあなたがCTが必要と考えているか聞かせてもらえますか?」という切り口で話を聞くことから始めます。

 もっとも、実際の現場では、全体の状況を考えた上で、あえて怒らせたままにしておくこともあります。例えば、暴言を浴びせられて委縮している医療者に対して、いかにも殴り掛からんばかりの態度で威圧してくるような人に対しては、「それは恫喝です。お引き取りください!」と(ちょっとだけ)強い口調で迫ることもあります。

 谷口医院でもだいたい年に1人くらいは「お帰りください」と言わねばならないことがあります。理由として多いのは「スタッフへの暴言」と「金払うから〇〇を出してくれ、△△の検査をしてくれ」と威圧的に言ってくる場合です。

 コロナ禍以降は、通常の診察時間に「コロナかもしれへんから診てくれ」と言ってやって来るケースも該当します。そういう場合、直ちに外に出てもらい、「いったんお帰りいただいて発熱外来にお越しください。あるいは当院が紹介する医療機関を受診してください」と説明するのですが、「どうしても今ここで(谷口医院で)診てくれ」という人がいます。院内感染を起こすわけにはいきませんから、こういうケースでは強い口調で「お引き取りください!」と言わざるを得ません(当院が今も「コロナ院内感染ゼロ」を維持しているのはこういうことも実施しているからです)。

 話を戻します。過去のことを言い出せば私には失敗例がものすごくたくさんあるのですが、少なくとも医師になってから20年近くの間、こちらから訣別することを決めたとき以外は、患者さんとトラブルになったことはほぼありません。仕事ではなくプライベートなことでも、信頼していた人から裏切られたことは何度かありますが、それほど人間関係で苦労したことはありません(注)。裏切られたのならそれは苦労じゃないのか、との指摘はあるでしょうが、こういうときは「あの人はその程度の人だったんだ」と思って以降関わらないようにすればそんなにストレスにはなりません。

 「相手の立場に立つ」というのは一見当たり前のようですが、過去の私にとってはそうではありませんでした。私がはっと気づいたのは1997年のある日、このサイトでも何度か紹介した『7つの習慣』を読んだときでした。「7つの習慣」の第5の習慣が「理解してから理解される(Seek first to understand, then to be understood)」です。この本にはこの「習慣」が真実であることを示すエピソードがいくつも紹介されています。

 私はこの本を読んで、それまでの人生でいかに自分が正論の押し付けをしていたか、そして議論に勝つことを目標にしていたかを思い知りました。今となっては常識中の常識と認識していますが、過去の私は「議論に勝ったときは内容ではたいてい負けている」ということが分かっていなかったのです。

 さて、本題です。冒頭で紹介したように19歳の加害者は、中学の卒業論文で「相手の立場に立って一緒に考えてあげる力を身に着けていきたい」と書いています。「考えてあげる」は上から目線のおかしな表現ですが、それを除けばものすごく大切な人生の真理を述べています。これを常に心がけていれば他者や社会に貢献できることは間違いありません。

 私は週刊誌で加害者のこの文章を読んだとき2つの点で大変驚きました。一つは、この部分だけでなく、文章全体に整合性があり、中学生の作文にしてはかなり優秀な内容だということです。なにしろ、私が20代後半になって『7つの習慣』のおかげでようやく理解できるにいたったことが書かれているわけです。そしてもうひとつの驚きは、言うまでもなくこの文章を書いた張本人がこれほど残虐な事件を起こし一人の女性の命を奪ったことです。

 ではなぜこの加害者はこれほどまでに身勝手で残虐な事件を起こしたのでしょうか。「中学の卒業アルバムに書いたこの言葉のことなどすっかり忘れていた」と信じたいのですが、それで済ませていいのでしょうか。「忘れていた」にしても、これを書いた中学生時代にはそう思っていたのは事実でしょう。

 我々はこの事件とこの卒業アルバムから何を学べばいいのでしょう。常に相手の立場に立って物事を考える人物でも残虐な事件を起こす、ということでしょうか。あるいは、正しく生きるために相手の立場に立つことを忘れてはいけない、ということでしょうか。

 いずれにしても、私の場合、残りの人生、命が尽きるまでこの「習慣」を維持していくつもりです。

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注:ただし現在、医師になってから初の、というよりも人生初のトラブルを抱えています。2020年12月に谷口医院の階上に入居したボクシングジムが日々耐え難い振動と騒音をつくりだし、当院の患者さんを苦しめています。ジムのオーナーと話し合いをして「4月末に防音・防振対策の工事をする」との約束をもらったのですが、まったくそのような工事を実施した気配がなく、「本当に工事をしたなら証拠を見せてほしい」と依頼すると、意味不明の写真を送ってきただけでその説明をお願いしても無視されました。5月以降に振動・騒音が悪化していることを伝えると「6月20日を目途にちゃんとした工事をする」と約束を取り付けたのですが、7月5日現在、工事を開始した様子は一切なく説明も求めてもやはり無視です。「工事をする、と言っておけばいいだろう」と思っているのでしょう。「苦しんでいる患者さんに、恐怖と苦痛を与えていることをどう思いますか?」と尋ねると、「ウチは客に”ユメ”を与えなあかんからやめられへんのですわ」という回答が返ってきました。こういう問題は得てして被害者が泣き寝入りすることになると聞きましたが、これ以上、患者さんに苦痛と恐怖を与え続けるわけにはいきません。ときに「理解しようと努めてもまったく理解できない相手」も存在するのです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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