2026年8月27日 木曜日

2026年8月27日 認知症、余暇の運動でリスク減少、仕事で身体を動かせばリスク増加

 「運動していますか?」と尋ねると「仕事で身体を使うのでそれが運動になっています(だからそれ以上運動する必要はありません)」と答える患者さんは少なくありません。実際、ホワイトカラーからブルーカラーに転向し(最近増えています)、給料が上がり、減量に成功し、血糖値や中性脂肪の数値が下がり、精神状態も良くなったったという人はいます。ですが、どうやら全員がそうではなさそうです。

 これは谷口医院でもしばしば経験することで、仕事で身体を使っているおかげで生活習慣病の数値はある改善したとしても、倦怠感が取れない、あるいはメンタルの状態が芳しくない人がいます。運動は生活習慣病の改善のみならず、中等症までのうつ病にも有効なはずなのですが……。

 興味深い論文が発表されました。医学誌「The Lancet Public Health」2026年9月号に掲載された「領域別の身体活動レベルと認知症リスク:システマティック・レビューおよびメタ解析(Domain-specific physical activity levels and risk of dementia: a systematic review and meta-analysis)」です。

 研究チームは、認知症やアルツハイマー病についての74件の研究に基づき、世界30カ国、計4,227,297人(女性52.8%、男性47.2%、年齢中央値67.3歳)のデータを分析しました。

 結果、自発的な運動量(余暇の運動量)が多い人は、活動量が少ない人に比べて認知症のリスクが24%低いことが明らかになりました。また、家事に伴う身体活動では15%低下していました。一方、仕事中の身体活動量が多い人では認知症のリスクが20%高く、通勤に伴う身体活動では10%高いという結果が出ました。

 自発的な運動量には「限界」もあります。用量反応解析では一定のレベルを超えると横ばいになります。

 

 職業上の身体活動については、正の相関が認められました(身体活動量が多ければ多いほど認知症のリスクが上昇することが分かりました)
 
 

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 ここまではっきりとデータが出ると、仕事の内容を検討しなおした方がいいかもしれません。身体を使う仕事からはいろいろと学ぶことも多いわけで、一律に控えるのはよくありませんが(全員が控えれば社会が成り立たなくなります)、一定の期間に区切るとか、将来的にはホワイトカラーに転職する、などといったことも検討してもいいかもしれません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2026年8月23日 日曜日

2026年8月23日 GLP-1で仕事とパートナーを手に入れる

 最近は医学論文のみならず一般の新聞雑誌でもリベルサス、オゼンピック、マンジャロといったGLP-1受容体作動薬及びGLP-1/GIP受容体作動薬(以下、単に「GLP-1」とします)の話題にあふれていて、関連記事を目にしない日はほぼありません。今回もGLP-1の話題です。「GLP-1で仕事がみつかり、新しいパートナーができる」という話をします。

 米国のNBER(National Bureau of Economic Research=全米経済研究所)が2026年6月に公表したワーキングペーパー(研究途中の論文を公開したもの)を紹介します。タイトルは「GLP-1による減量及び女性が直面する肥満の不利益(GLP-1–INDUCED WEIGHT LOSS AND THE FEMALE OBESITY PENALTY)」です。

 結論から言えば、「米国において肥満の女性は就職でも結婚市場でも不利を強いられていて、GLP-1を使って減量すればどちらも手に入りやすくなる」とするものです。NBERのこのレポートを解説した英紙The Economistはこれらを分かりやすいグラフにまとめています。

 

 これらグラフをみればGLP-1による利点はあきらかです。研究は15,000人を対象とした「Understanding America Study」と呼ばれる長期調査のデータが用いられています。減量目的でGLP-1を開始した女性と、使用を希望しつつもまだ開始していない類似の属性を持つ女性とが比較されています。
 
 それまで無職だった女性のうち、上のグラフが示すように、GLP-1を服用したグループでは就業率が27ポイント上昇しています。交際・結婚市場でも同様の結果がみられます。下のグラフが示すように、GLP-1を使用した独身女性が結婚したりパートナーと同居したりする確率は、使用しなかった女性と比べて29ポイントも高くなっています。

 興味深いことに、すでに職に就いていた女性がGLP-1を開始しても、その後昇進したり収入が増えたりすることはなかったようです。尚、男性についてはこの研究では調べられていません。

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 女性がGLP-1を使ってやせれば、なぜ仕事もパートナーも見つかりやすくなるのでしょうか。糖尿病が治って健康になったから、やせて自信がついたから、なども考えられると思いますが、NBERは「obesity penalty(肥満ペナルティ)」という言葉を使ってこの理由を説明しています。

 つまり、太っていること自体が就職市場においても恋愛市場においてもペナルティになっているということです。

 それが正しいかどうかは別にして、The Economistも指摘しているように、米国ではすでにGLP-1の使用経験者が女性22%、男性14%に達しています。

 

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2026年8月20日 木曜日

第276回(2026年8月) アトピー性皮膚炎と慢性じんましんのこれからの治療

 前回の「低用量ピル(OC/LEP)の歴史と今後の行方」では、低用量ピル(OC/LEP)が、谷口医院の過去20年間の歴史で大きく変わってきたという話をしました。そのコラムの冒頭で、治療方法がまったく変わっていない疾患もあれば、大きく変わったものもあると述べ、低用量ピルは「大きく変わった」ことに触れました。今回取り上げるのはアトピー性皮膚炎(以下、単に「アトピー」)と慢性じんましん(以下「じんましん」)で、アトピーは「大きく」、じんましんは「それなりに」変わったと言えます。まずはアトピーからみていきましょう。

 谷口医院がオープンした2007年、アトピーの治療はある意味とても単純でシンプルでした。「ステロイドを外用して改善すればタクロリムス(プロトピック)でいい状態を維持しましょう」、基本的にはこれだけでした。といっても、ほとんどの患者さんは「タクロリムスはピリピリして使えませんでした」と言います。そして、その原因のほとんどは「炎症があるのに塗っている」ことにありました。炎症が生じればタクロリムスの出番はなく、ステロイドを使うしかありません。ステロイドで炎症が取れればタクロリムスにバトンタッチするわけです。このように「いい状態を維持するために薬を塗ること」を「プロアクティブ療法」と呼びます(尚、ステロイドでプロアクティブ療法を実施する方法もあるのですがここでは深入りしないでおきます)。

 1999年から2020年までの長い間、プロアクティブ療法といえばタクロリムスしかありませんでした。つまり「いかにタクロリムスを上手に使うか」がほとんど唯一の鍵だったのです。皮膚の免疫抑制という副作用のリスクは伴いますが、ステロイドを長期で塗ったときに生じる、血管拡張、酒さ様皮膚炎、皮膚の菲薄化や萎縮などのどうしようもない副作用は起こりません。2018年にデュピクセント(デュピルマブ)という画期的な注射薬が発売されたのですが、極めて高価なことに加え(登場したときは年間約60万円もかかりました)、強力な免疫抑制作用が生じることから決して敷居の低い薬ではありません。谷口医院でも、後述するような理由でこの高価な薬を使用することはありますが、たとえこの薬を使ったとしてもタクロリムスによるプロアクティブ療法が最重要であることには変わりありませんでした。

 転機が訪れたのは2020年でした。コレクチム(デルゴシチニブ)と呼ばれるまったく新しい外用薬が登場したのです。コレクチムの薬価はタクロリムスの3倍もしますが、免疫抑制作用がタクロリムスよりも軽度で(ただし、谷口医院の経験でいえば、製薬会社が言うほどには軽度ではなく、副作用がないわけではありません)、少々炎症が生じていてもタクロリムスのようにピリピリせずその炎症を抑えることもできるので、使い勝手の良さが格段に上昇したのです。まさに「歴史を変える薬」となり、当時のコラム「アトピー性皮膚炎の歴史を変える「コレクチム」」でも取り上げました。

 次の転機はその2年後の2022年、モイゼルト(ジファミラスト)の登場でした。上述したように、コレクチムは確かに優れた薬ですが、長期で使用していると免疫抑制の副作用が起こり得ます(繰り返しますが、谷口医院の経験でいえば製薬会社の見解よりも高頻度で出現します。それでも全体でみればわずかであり、タクロリムスよりもずっと少ないのですが)。モイゼルトは免疫抑制作用がほぼなくて、副作用がほとんどありません。ただし、抗炎症作用はほとんどなく(製薬会社は「ある」と言いますが、少なくともコレクチムに比べるとわずかしかありません)、完全なプロアクティブ療法に用いるのなら非常に有効なのですが、少しでも炎症が生じれば効果は期待できません。このときにも当時のコラム「アトピーの歴史は「モイゼルト」で塗り替えられるか」でモイゼルトを紹介しました。

 さらにその2年後の2024年、ブイタマーが発売され、これでプロアクティブ療法に使用できる外用薬が4種(タクロリムス、コレクチム、モイゼルト、ブイタマー)そろいます。ブイタマーは非常にすぐれた薬ですが、薬価が高いのが欠点でタクロリムスの8倍もします。しかし、それでもブイタマー中心のプロアクティブ療法を実施している人は少なくありません。このときにはコラム「 「ブイタマークリーム」は夢の若返りクリームかもしれない」で紹介しました。

 慢性疾患の場合、治療は「薬を上手に使う」以外に、「原因を取り除く」が重要になります。アトピーの場合、最重要事項は「掻かない」で、次に「汗対策」、そして「アレルゲンを取り除く」が重要となります。アレルゲンとしてはダニ(刺すダニ=tickではなく、死骸や糞がアレルゲンになるダニ=mite)が最多で、花粉、動物(ネコやイヌ)、ガやゴキブリ(これらの死骸がアレルゲンとなる)などに反応している人も少なくありません。こういう場合、環境の見直し(じゅうたんなどを処分してフローリングにする、空気清浄機を導入するなど)が必須となります。

 食べ物が”アレルゲン”になる場合もあり、このケースは難渋することになります。特定の食べ物を食べてアトピーが悪化するのは(少なくとも狭義には)食物アレルギーとは呼びません。しかし、難治性のアトピーの患者さんからよく話を聞くと、食べ物によって炎症が悪化することがあると言います。そして血液検査(特異的IgE)を調べると、その食物で陽性となっています。(狭義の)食物アレルギーの場合、摂取直後にじんましんや喘息症状が出現し、これは危険です。こういう場合は原因食物を完全に避けなければならないのですが、単にアトピーが悪化するだけでは絶対に避けなければならないわけではなく、また、たいていの場合、複数の食物に反応しますから(コムギ、タマゴ、ミルク、ブタニク、多くの野菜や果物など)、すべてを避けるのは不可能です。

 こういう場合、まずはアレルギーの内服薬を試します。2~3種類の薬を合わせれば改善することもあるのですが、そううまくいくとは限りません。そして、こういうケースで劇的に効果を発揮するのが、先に「高すぎて使えない」と述べたデュピクセントです。先述したようにデュピクセントは高価な上、強力な免疫抑制作用があるためにハードルが高いのは事実です。ですが、その欠点を差し引いても、食物に、それも多くの食物に反応するようなケースではデュピクセントが劇的に症状を改善することがあるのです(注1)。

 次にじんましんの治療について述べていきましょう。じんましんの場合、外用薬は一切効かず内服薬で治していきます。ポイントは「症状をゼロまでもっていく。その後徐々に薬を減らしていく」です。ある程度改善したからといってそれで我慢していればいつまでたっても治りません。症状をゼロにするのが最重要事項なのです。そのため内服薬の種類をどんどん増やしていきます。5種類ほどを併用しても症状がゼロにならない場合、少々高くつきますがゾレア(オマリズマブ)という注射薬を使います。この薬は免疫抑制作用がほとんどなく副作用がほぼありません(厳密にいえば寄生虫感染に脆弱になりますが)。

 ゾレアは費用が高い(3割負担で月に13,000円ほどかかります)ことを除けば使いやすくて非常に優れた薬です。じんましん以外にも喘息や鼻炎にも有効で保険適応もあります。ただし、喘息や鼻炎は他にも優れた薬がありますからよほどの重症でなければゾレアの出番はありません。しかし、ゾレアにはこれら以外に非常にすぐれた威力を発揮する疾患があります。それは「食物アレルギー」です。先に、食物がアトピーを悪化させる場合があると書きましたが、これは狭義には食物アレルギーとは呼びません。真の(狭義の)食物アレルギーは該当食物の摂取直後に、激しいじんましんや喘息症状が出現します。こうなれば該当食物を口にすることはできず、偶発的に摂取してしまい発症した時にはネフィー(以前はエピペンが使われていましたが現在は谷口医院ではネフィーのみです)を使ってもらわねばなりません。

 しかしゾレアを使えば、具体的には月に一度注射していれば、食物アレルギーが非常に起こりにくくなるのです。たとえ該当食物を摂取したとしても、です。もちろん過信は禁物ですが、ゾレアが食物アレルギーの予防になるのは間違いありません。もしも食物アレルギーに対してゾレアが保険適応となればほとんどの食物アレルギーをもつ人たちは恐怖から解放されるのですが、残念ながら現時点では保険適応はありません。しかし、例外があります。それがじんましんを有している人です(重症の喘息か鼻炎を有している場合にも可能です)。じんましんが軽症でなければゾレアを保険で処方することができます。それだけでも症状が大きく改善し満足度は高いわけですが、もしもその人に食物アレルギーがあった場合、これまで食べられなかったものが食べられるようになるかもしれないのです。

 尚、似たようなケースに「円形脱毛症に悩むアトピー」があります。円形脱毛症はひと昔前まではいい治療があるとは言えなかったのですが、現在はオルミエント(バリシチニブ)という画期的な内服薬があります。こちらも強力な免疫抑制作用があるので気軽に使うような薬ではないのですが、円形脱毛症を抱えながら生きる苦しみに比べれば副作用のリスクを抱えることなど問題ではない、と考える人も少なくありません。ところが、円形脱毛症にオルミエントを保険診療で処方するには「重症」(少なくとも頭部全体の50%以上に広がる円形脱毛)でなければなりません。ここまではひどくないけれどオルミエントと使いたいという場合、もしもそれなりの程度のアトピー(か喘息)があればオルミエントの処方が可能になります(注2)。

 上述したデュピクセントも現在はじんましんにも保険適応があります。値段はゾレアの方が安く、繰り返し述べているようにデュピクセントにはそれなりの免疫抑制作用が伴いますから、じんましんにデュピクセントを用いるケースはあまりありませんが、もしもゾレアで効果が乏しければデュピクセントを使ってもいいでしょう。それに、実はデュピクセントも食物アレルギーを予防できるとする報告もでてきています。それから、じんましんに対して、まったく新しい機序の内服薬ラプシド(一般名はレミブルチニブ)が近日発売されます。かなり注目されている薬で、おそらくじんましんの治療の歴史を変えることになるでしょう。費用はかなり高いことが予想されますが……。

 以上、谷口医院の経験からアトピーとじんましんの過去20年間の治療の変遷を述べてきました。20年前からずっと通い続けられている何人かの患者さんを思い浮かべながらこのコラムを書きました。

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注1:現在はデュピクセント以外にも、本文後半で紹介した内服薬のオルミエント(バリシチニブ)、リンヴォック(ウパダシチニブ)、サイバインコ(アブロシチニブ)、さらに、ミチーガ注射薬(ネモリズマブ)、アドトラーザ注射薬(トラロキヌマブ)、イブグリース注射薬(レブリキズマブ)という有効性の高いアトピーの特効薬があります。ただし、繰り返しますが、これらには強力な免疫抑制作用があることに注意が必要です

注2:現在重度の円形脱毛症にはオルミエント以外にもリットフーロ(リトレシチニブ)という内服薬があり12歳以上から使用できます。この薬も有効性が極めて高いと言えます。ただし強力な免疫抑制作用はあります

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2026年8月2日 日曜日

2026年8月 「来てほしくなかった」なら「挨拶」はすべきでないのか

 2025年7月のコラム「『人は必ず死ぬ』以外の真実はあるか」で述べたように、「人は必ず死ぬ」のは間違いなく、私自身もそのうちに死にます。死が「良いこと」なのか「悪いこと」なのか私には今も分かりませんが、いずれにしてもそのうち死ぬのは確実です。では生きることは「良いこと」か「悪いこと」か。これも私には皆目見当がつかないのですが、とりあえずは「良いこと」と言っておかなければ社会からつまはじきにされそうです。

 「死をもって償う」という言葉があり、また日本を含む一部の国ではいまだに死刑制度があります。私には死刑制度の良し悪しが分かりませんが、「死ぬのはイヤなこと」という社会の成員の共通の認識があるからこそ「極刑=死刑」なのでしょう。もしも、死ぬことを心待ちにしている人がいたとして、その人に死刑を宣告すれば、その人は至上の幸福を感じることになります。これは皮肉で言っています。というのは、実際に「早く死にたい」と感じている人を私はたくさん知っているからです。

 谷口医院をオープンしてはや20年がたとうとしています。この間、私は多くの患者さんから「もう終わらせたい」とか「生まれてこなければよかった」という声を聞いています。反出生主義という言葉が公の場で語られることはあまりないと思いますが、この考えに関心を持つ人は確実に増えているような気がします。

 2017年に翻訳が出版された哲学者デイヴィッド・ベネターの『生まれてこないほうが良かった: 存在してしまうことの害悪』がどれだけ読まれているのか分かりませんが(私自身は海外メディアでベネターのインタビュー記事を読んでこの本に興味を持ちました)、この本に書かれていることを明確に否定することは困難だと思います。哲学者の森岡正博氏が著書『生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ!』のなかで、ベネターの考えに反論していますが、私にはその反論の理屈が分かりにくく、私個人としてはベネターの主張が間違っているとは思えません。おそらく私自身もいくらかは反出生主義の考えを持っているからかもしれません。

 ベネターは自殺を否定しています。哲学書というのは非常に読みにくく、ときに曲解してしまうことも多いのですが、ベネターが自殺を否定しているのは間違いありません。実際、ベネター自身が自殺をしていないことからもそれは明らかでしょう。しかし、人は必ず死にます。このことを最も適格に捉えているのはパスカルではないかと、私は昔から考えています。名著『パンセ』(中巻、岩波文庫)のなかに次のような文章があります。

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多数の人々が鎖に繋がれている。全員が死刑宣告を受けており、毎日何人かが他の者たちの眼前で喉首を切られる。残された者は自らの境遇を彼らの仲間の境遇のうちに眺め、苦悩のうちに、そして希望もなくお互いを見つめあい、自分の順番を待っている
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 17世紀の半ばにすでに、パスカルは「真実」を知っていたのです。「全員が死刑宣告を受けており、自分の順番を待っている」のです。自分の順番が多少遅くなろうが早くなろうが、死刑宣告を受けていることには変わりないわけです。生涯にわたり清く正しく美しく生きても死刑宣告、福祉施設に刃物を持って侵入し入所者19人を刺殺しても死刑宣告、同じ「死刑宣告」にどれほどの違いがあるのでしょう。

 しかし私は過去のコラム「私が安楽死に反対するようになった理由(後編)」で述べたように、人間には「自殺の自由」はないと考えていますし、他人の命を奪うようなことは許されてはいけないと思っています。なぜなら、それがこの世に生を受けてしまった者が背負う最低限のルールだと考えるからです。

 他の、私が最低限のルールだと自覚していることのひとつに「他者に感謝する」というものがあります。青年期くらいまでは己の欲望のみに従って生きてもいいかもしれませんが、そんな生活を通してでさえ、他者に感謝する機会に遭遇することになります。そういう機会を通して人は身勝手な考えを改めます。きっとこの社会ではそれを「成長」と呼ぶのでしょう。成長は自分の能力で遂げるものではなく、他者と触れ合い、他者によくしてもらって成長できるのだと私は考えています。

 そういうわけで私自身はこれまで多くの人に(特に、数人の濃厚な関係をもった人たちに)多大なる感謝をしています。しかし、「他者に感謝する」は最低限のルールだと言いながら、その感謝の気持ちをこれまでじゅうぶんに伝えきれていません。そもそも、あらたまって感謝の言葉を伝えるなんてこと、照れくさくてそう簡単にはできませんし、よほど気の利いた言葉を使わなければ言われた方もなんと返していいか分からないでしょう。

 では、その感謝の気持ちはいつどのように伝えればいいのか。数年前から私が温めていた構想は「自分が死期を悟ったとき、たとえば進行がんが見つかった、認知機能が低下してきたことを自覚したときなどに、これまでお世話になった人たちに会いに行って、そこで感謝を伝える」というものでした。

 ところが最近、この構想が朽ち果てました。私が「週刊新潮」を長年購読している最大の理由は五木寛之氏のコラムを読みたいからです。2026年7月29日号で、氏は、がんで余命数か月になり挨拶に来た元編集者に対して「来てほしくなかった」と断じます。「来てほしくなかった」というこの文字が視界に入ったとき、最初私は誤植ミスではないかと疑いました。ところが、五木氏は本心から、この編集者に「来てほしくなかった」と言っているのです。私自身もこの編集者と同じことをしようと考えていたわけですから、自分自身が否定されたような気持ちになりました。

 五木寛之氏の文章に魅力があるのは、私の勝手な推測ですが、「死」をタブー視せず、「生きる意味」をとことん追求しているからです。10代の頃から「人は何のために生きているのか」を考え続けている私にとって、氏の小説やエッセイはとても魅力的なのです。おそらく、終戦時、死を覚悟しながら、そしてたくさんの身近な死を目の当たりにしながら、北朝鮮から帰国した経験をお持ちであることと関係があるのでしょう。

 その五木氏が昔共に仕事をした知人に「来てほしくなかった」と言っているわけです。「死ぬなら勝手に死ねば?」と言われているようにも聞こえます。氏は続けます。

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人はみな、いずれ別れる。そして世を去る。当り前のことだが、目の前につきつけられるとつらい。心が萎えるところがある。(中略)悲しみを共有することなど、はたしてできるものなのだろうか
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 五木氏ほど、幼少時から死を間近にみてきた人物であっても「死を目の前につきつけられると心が萎える」というのなら、死を悟った人間は他人を避けて黙って消えていくのがいいのでしょう。しかし、その一方で、私自身が五木氏の立場だとすれば、その余命いくばくかの編集者との関係にもよりますが、人生で本当にお世話になった人であればその挨拶を嬉しく思います。共に思い出話をして、「来てくれてありがとうございました」と心の底から感謝すると思うのです。そして、私の空想にすぎませんが、それはどこかさわやかな感じすらします。

 ということは、よほど仲がよくなければ死期が迫っても会いに行かない方がよくて、お別れの挨拶をするならば本当にお世話になった人だけにすればいい、ということになるのでしょうか。ならば友達は少なくてよい。2026年8月時点の私の死に対する考えはこんな感じです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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