2022年2月20日 日曜日

2022年2月21日 歯周病が身体も精神も蝕んでいく

 歯周病が心疾患を中心とする様々な疾患のリスクになることは随分前から指摘されています。日本の多くの歯科医院のウェブサイトにもそれが掲載されていて「Floss or Die」という言葉はそれなりに人口に膾炙しています。「フロスをするか、死か」というこの標語は、デンタルフロスをしっかりと実践して歯周病を予防しなければ、死に至る病を起こすことになるという意味です。

 では、(フロスを怠るかどうかは別にして)歯周病を起こせば身体疾患、あるいは精神疾患に対するリスクがどれくらい上昇するのでしょうか。

 医学誌『BMJ Open』2021年12月19日号に掲載された論文「歯周病の慢性疾患への関わり:英国のプライマリ・ケアでのデータを使用した後向きコホート研究 (Burden of chronic diseases associated with periodontal diseases: a retrospective cohort study using UK primary care data)」を紹介したいと思います。

 研究の対象者は英国在住者で、かかりつけ医で歯周病の記録がある64,379人と、歯周病の記録のない対照者251,161人です。調査開始時点の平均年齢は45歳、調査期間は1995年1月1日から2019年1月1日までで、追跡期間の中央値は3.4年です。

 調査開始時点(ベースライン時点)の解析では、歯周病があるグループは対照グループに比べて、各疾患の罹患率が次のように上昇していました。

・(狭心症などの)心血管疾患:43%上昇
・(糖尿病などの)代謝疾患:16%上昇
・(関節リウマチなどの)自己免疫疾患:33%上昇
・(うつ病などの)精神疾患:79%上昇

 次に、調査開始時点ではなかったけれど追跡期間中に歯周病ができた人が、対照グループ(追跡期間中も歯周病にならなかった人)に比べて各疾患の罹患率がどれだけ上昇したかをみてみましょう。

・(狭心症などの)心血管疾患:18%上昇
・(糖尿病などの)代謝疾患:7%上昇
・(関節リウマチなどの)自己免疫疾患:33%上昇
・(うつ病などの)精神疾患:37%上昇

************

 この論文を読んで、私がまず驚いたのは英国のプライマリ・ケア医(私のような総合診療医)は患者さんの歯の状態に関心を払い、カルテにその旨を記載していることです。私の場合、患者さんからの訴えがあれば簡単な(とても簡単な)歯のチェックをおこなって歯周病や齲歯(虫歯)がひどければカルテに記載しますが、ほとんどの患者さんに対しては訴えがなければ歯科疾患に関しての話をすることもあまりありません。

 次に驚いたのが精神疾患の高さです。歯周病と心疾患との関係は昔からよく指摘されていますし、糖尿病の患者さんに歯周病が多いことにはなんとなく気付いていましたが、精神疾患は考えたことがありませんでした。

 精神疾患の場合、気分が落ちることにより、フロスどころかブラッシングすらできなくなり口腔内の衛生状態が悪化して歯周病になるのでは、と考えられますが、これだけ高い数字をみると、もしかすると、歯の不衛生でなく精神疾患が先なのかもしれません。精神状態が悪くなることで免疫能が低下して、その結果歯周病をもたらす細菌が増殖するという理屈です。

 いずれにしてもすべての人が歯周病の予防をすべきなのは自明です。ちなみに、私の場合、フロスが苦手で歯間に入れることができないために歯間ブラシを使っています。ブラッシングは30年前から電動歯ブラシを愛用しています。しかし、最近歯科医院を受診すると歯肉炎があることを指摘されました……。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年2月20日 日曜日

第222回(2022年2月) ポストコロナ症候群に有効な治療薬はあるか

 前回は新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)に感染した後に生じるポストコロナ症候群(以下、PCS)に劇的に効く可能性があるのがコロナワクチンであるが、コロナワクチンでPCSが余計に悪化することもあり「両刃の剣」であることを紹介しました。

 他の薬としては、海外では、deupirfenidone(日本未発売)、抗血栓薬のアピキサバン(エリキュース)、高コレステロール血症薬のアトルバスタチン(リピトール)などがよく用いられているものの必ずしも有効性が認められているわけではないこと、日本では、ビタミン剤、プレガバリン(リリカ)、イベルメクチン(ストロメクトール)、ステロイドなどが用いられるがどれもエビデンスがないことを述べました。また、一部の医療機関で実施されているBスポット療法(EATとも呼ばれます)は術者に差があることに加え「無効だった」という声が多いことも述べました。

 結局、「自信を持って勧められる薬はない」が現時点で言えることです。しかし、それでもPCSで苦しんでいる患者さんを見捨てるわけにはいきませんから、我々は手探りで有効な治療方法を探し求めているわけです。

 今回はそんな薬のなかでも、比較的期待度の高い2つ、すなわちビタミンDと亜鉛について現時点で分かっていることを紹介したいと思います。

 しかし、その前にイベルメクチンについて触れておきましょう。この薬は、2020年の春には期待する声が上がっていました。副作用が少なく廉価であることから、世界各国で試験的に使われました。一部には有効とする研究もありましたが、大規模研究(例えばこのメタアナリシス)では効果が否定されています。また、イベルメクチンが有効とする研究には不正が複数みつかっており、BBCはこれを指摘し、やはり有効性を否定しています。

 過去のコラム(はやりの病気第146回(2015年10月)「疥癬(かいせん)と大村先生のノーベル賞」)で述べたように、イベルメクチンは疥癬に対しては驚くほどよく効きます。それまでの疥癬に用いる薬はどれもあまり効きませんでしたから、イベルメクチンの登場は画期的でした。ところが、コロナに対しては、たしかにコロナウイルスを入れた試験管にイベルメクチンをふりかけるとウイルスが死ぬことは分かっているのですが、感染した人に飲んでもらっても効果がないのです。

 そんななか、2022年1月31日、興和株式会社が「興和 イベルメクチンの「オミクロン株」への抗ウイルス効果を確認」というタイトルのプレスリリースを公表し、これが物議を醸しました。タイトルには「抗ウイルス効果を確認」とありますから、あたかも臨床試験で(つまり人に投与して)効果があったような印象を受けますが、内容をよく読めば試験管の中の話であることが分かります。これでは多くの人が勘違いするに違いありません。実際、Reuterはこのプレスリリースを受けて「臨床試験で効果あり」といった内容の誤報をおこない、後に訂正記事を出しました。これについての検証記事はAFPが発表しています。

 世界的にはイベルメクチンは「効かない」とされているのにもかかわらず、日本にはいまだに効能を信じる「イベルメクチン信者」がいます。そして、彼(女)らは「イベル」と呼び「イベル、置いてますか」と毎日のように問い合わせをしてきます。さらに興味深いのは、海外の「イベルメクチンがコロナに有効」とする研究でも後遺症に効くとしているわけではいことです。それが、日本のイベルメクチン信者の間では、いつのまにかコロナにだけではなく、コロナ後遺症も、さらにはコロナワクチン後遺症にも有効な薬だとされているのです。

 なぜ、このようにイベルメクチンが有効であると盲目的に信じる人がいるのかはよく分かりませんが、そろそろ目を覚ましてPCSに効果のある薬をきちんと探すべきです。

 ビタミンDの効能を振り返ってみましょう。ビタミンDは、コロナが流行し始めた頃から注目されていて、「有効」とする小規模な研究もありました。しかし、現在は重症化を予防する効果は「ない」とされています(例えば医学誌「JAMA」2021年3月16日号に掲載された論文「中等度から重症のコロナ患者の入院期間についてのビタミンD3の単回高用量の影響:無作為化臨床試験 (Effect of a Single High Dose of Vitamin D3 on Hospital Length of Stay in Patients With Moderate to Severe COVID-19: A Randomized Clinical Trial )」)。感染予防については有効とする研究もあるのですが(例えば医学誌「Aging Clinical and Experimental Research」に掲載された論文「コロナの感染症と死亡率予防におけるビタミンDの役割(The role of vitamin D in the prevention of coronavirus disease 2019 infection and mortality)」、エビデンスレベルの高い研究は見当たりません。

 PCSに対するビタミンDの効果については、残念ながら否定するものが目立ちます(例えば医学誌「Nutrients」2021年7月15日号に掲載された論文「コロナ感染後のビタミンDと持続する症状との関係の研究 (Investigating the Relationship between Vitamin D and Persistent Symptoms Following SARS-CoV-2 Infection)」。ビタミンDは正常な免疫能を維持するのに必要なものであり、昔に比べて紫外線にあたらなくなった日本人は不足しがちですから、日ごろから食品から(またはサプリメントから)積極的に摂取すべきですが、PCSの治療薬としては期待できなさそうです。

 次に亜鉛をみてみましょう。亜鉛がコロナに有効と考えたくなるのは、感染すると味覚障害が起こるからです。亜鉛欠乏でも味覚障害が起こりますから、誰でも「コロナ感染+亜鉛不足→味覚障害」と一度は疑います。ところが、「医療基盤・健康・影響研究所」は亜鉛の有効性を否定しています。一方、海外の研究のなかには「亜鉛欠乏者はコロナで重症化しやすい」とした論文もあります(例えば医学誌「International Journal of Infectious Diseases」2020年11月号に掲載された論文「コロナ、亜鉛欠乏症患者は重症化しやすい (COVID-19: Poor outcomes in patients with zinc deficiency)」)。

 「亜鉛は効果がなかった」とする研究もあります。医学誌「JAMA」2021年2月12日号に掲載された論文「コロナ患者の症状の長さと改善に関する高用量の亜鉛とビタミンCと通常治療の効果 (Effect of High-Dose Zinc and Ascorbic Acid Supplementation vs Usual Care on Symptom Length and Reduction Among Ambulatory Patients With SARS-CoV-2 Infection)」では、亜鉛摂取、ビタミンC摂取、両方摂取、どちらも摂取しない、の4つのグループで、症状の長さや改善度にまったく差を認めませんでした。

 結局のところ、亜鉛はコロナにもPCSにも有効とするエビデンスはありません。しかし、「日本人は日ごろから亜鉛不足」という意見があります。ならば亜鉛をコロナ感染予防のために、あるいは感染してからPCSを防ぐために摂取した方がいいのでしょうか。私は安易には摂取しない方がいいと考えています。それは、本当に亜鉛不足かどうかが分からないからです。過去の「医療ニュース」(2015年7月21日「危険な亜鉛サプリメント」)で述べたように、私自身が自分の血中亜鉛濃度を計測してみると、不足しているどころか正常範囲をオーバーしていました。この状態でサプリメントなどから亜鉛を摂取すると大変なことになっていたかもしれません。

 亜鉛にはまだ問題があります。それは上述の「医療ニュース」で述べたように亜鉛の摂りすぎで銅欠乏症を招く恐れがあるからです。私は銅を意識して食事をしたことがありません。そこで不足していないかどうかを確認するために血中銅濃度を測定すると、132ug/dLと基準値(70~130ug/dL)をオーバーしていました。

 ちなみに、私の血中ビタミンD濃度についてはたいてい基準値より低く出ます。そこで医薬品の(サプリメントでなく)ビタミンD(正確には「活性型ビタミンD」)をしばらく毎日摂取していたことがあるのですが、ほとんどビタミンDの値(この場合は1,25-(OH)2ビタミンD)は上昇しませんでした。以前「ビタミンDのサプリメントの効果を知りたいから血中ビタミンD(25-OHビタミンD)の濃度を調べてほしい」という患者さんの採血をおこなうと充分に高い数値を示していました。ということは、ビタミンDについては医薬品よりもサプリメントの方が、効果が高いのかもしれません。

 話を戻しましょう。コロナにもPCSにも、もちろんポストコロナワクチン症候群にも今のところビタミンDや亜鉛が有効とする質の高いエビデンスはありません。また、これらの血中濃度を調べるのは保険診療上困難で、自費であれば高くつきます。結局のところ、日ごろからバランスのとれた食事をしましょう、といったことくらいしか言えません。

 ビタミン、ミネラルの適正摂取は意外に難しいのかもしれません。ならば、定期的にこれらの値を測定して不足しているものはサプリメントで補えばいいのでは?と考えたくなりますが、これはなかなか困難です。保険適用がなく、しかも通常の採血で計測するような項目に比べると、ビタミンやミネラルの測定はかなり費用が高いからです。ただし、私自身も関心があるので、これから自分でお金を出して調べてみようと思います。近いうちに報告したいと思います。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年2月13日 日曜日

2022年2月13日 カレーライスは身体も精神も健康にする!

 数年前から「カレーが健康に良い」ということがしばしば指摘されます。香辛料のおかげで塩分摂取が減ること、タンメリックに含まれるクルクミンをはじめ、各スパイスには抗酸化作用があること、漢方薬にも使用されるクローブやナツメグは様々な健康増進効果があること、などがその理由でしょう。

 ですが、「カレーが健康に良い」とされている記事を最後までよく読むと、たいていはご飯を食べると(つまりカレーライスにすると)、炭水化物を摂りすぎることになり(日本のカレールーにはコムギがたっぷり入っています)健康に悪いために、「一緒にご飯を食べるのは避けてカレールーだけで食べましょう」と書かれています。

 では、カレーはよくてもカレーライスは身体によくないものなのでしょうか。実は、「カレーライスは身体にも精神にも良い」とする研究が発表されました。

 医学誌「Diabetes & Metabolic Syndrome」2021年12月号に掲載された論文「カレーライス消費と高血圧、2型糖尿病、うつ病との関連:2012~16の調査結果 (The association between curry-rice consumption and hypertension, type 2 diabetes, and depression: The findings from KNHANES 2012-2016)」を紹介します。

 研究の対象者は18歳以上の韓国人17,625人。カレーライスの消費量と心血管障害、2型糖尿病、うつ病などとの関連が解析されました。結果は、カレーライスをよく食べる人は、食べない人と比べて次のような違いがあることが分かりました。、

・中性脂肪上昇のリスクが11%低い

・糖尿病の指標であるHbA1C、血糖値がそれぞれ19%、14%低く、2型糖尿病の発症リスクが18%低い

・高血圧のリスクが12%低い

・うつ病のリスクが18%低い

************

 驚くべき結果ですが、この結果を信用していいのでしょうか。嗜好品を対象とした調査は、得てして研究者の”好み”が反映されます。喫煙者はタバコの害が小さくなったデータを大切に扱うどころか、タバコが健康にいいとするデータをなんとか出そうとします。アルコールでも赤身肉でも同じです。

 カレーライスがこれだけ健康に良いとするデータを算出したのはおそらく「カレー好き」の学者でしょう。

 そして、その「カレー好き」が執筆した論文を食い入るように読んで、このようにまとめたものを公開する私もまた「カレー好き」であることはすでに本サイト読者の方にはお見通しでしょう。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年2月11日 金曜日

2022年2月 「絶望」から抜け出すための方法

 前回は昨年(2021年)12月に起こった西梅田精神科クリニック放火事件を取り上げ、こういった犯罪を実行する人間は「絶望」を抱えていて、その絶望を阻止するには社会の一人一人が草の根レベルで他人を慮り信頼されるように努めることだ、という自説を紹介しました。

 今回はその後新たに生じた不幸な2つの事件を振り返り、絶望を感じそうになったときや感じてしまっているときには何をすればいいのか、について私見を述べたいと思います。

 まずは1つめの事件です。

 2022年1月15日午前8時半ごろ、東京大学近くの路上で、名古屋の17歳の高校生が、大学入学共通テストを受験しにきていた高校生2人(男子1名女子1名)及び70代の男性の合計3人を刃物で刺傷。さらに犯行現場の最寄り駅「東大前」で放火事件も起こしました。刺傷被害の高校生2人は意識があり助かりましたが70代男性は重症(その後の報道は不明)。加害者の17歳男子は「勉強していても上手くいかず、大きな事件を起こして自分も死のうと思った」と供述したそうです。

 次は2つ目の事件です。

 2022年1月27日午後9時頃、ふじみ野市在住の66歳の男、渡辺宏が44歳の男性医師を含むクリニックの関係者7人を自宅に呼びつけ、散弾銃で医師を殺害、さらに41歳の理学療法士も銃撃しました。報道によると、渡辺の母親がこのクリニックによる在宅医療を受けており事件前日に他界。医師を含むクリニックの関係者7人を弔問に呼びつけ「死んだ母を蘇生せよ」と迫りました。犯人は日頃からクリニックに不満を抱えており、過去15回に渡り医師会に苦情の電話を入れていたとのこと。さらに、複数の医療機関にも抗議しており、治療方針や病院対応に不満を感じると院内で大声を出して怒っていたことが報道されています。

 ふじみ野市のこの銃殺事件は、特に訪問医療に従事する大勢の医療関係者を震撼させました。当然のことながら、犯人の渡辺を非難する声は医療者からだけでなく一般の世論からも挙がっており、簡単に銃所持を許可した行政にも批判の矛先が向いています。

 後になってから、実情を知らない無責任な立場から「~たら、~れば」と論じるようなことは避けるべきではありますが、それでもこの事件について「私だったら」という視点で私見を述べておきます。

 医師は基本的に患者さんの立場に立ちます。疾患を抱えている場合、少々矛盾したことを言っていたとしてもあくまでも患者さんの「味方」となります。患者さんが会社や家族と争っている場合、「医学的な観点から」という条件はつきますが、できる限りのことをして患者さんを守ります。

 ただし、患者さんの味方になるのも「限度」というものがあります。「患者さんよりも大切な人たち」を守らねばならないからです。そして、その「大切な人たち」とは共に働くスタッフです。

 医師の前では腰が低いのに、看護師や受付スタッフに対しては横柄な態度をとる患者がいます。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にもたまにそういう患者がやってきます。もちろん、谷口医院のスタッフ側に問題があるような場合は別ですが、そうではなく言いがかりとしか考えられないようなとき、つまり「限度」を超えた場合には、私自身がその患者の目を見ながら「当院では診られません。二度と来ないでください」と「出入り禁止宣告」をおこないます。この「宣告」は平均すると年に1人くらい、つまり過去に十数名に対しておこなっています。

 ただ、これ以上は大切なスタッフに言葉の暴力の被害を負わせるわけにはいかないと判断して「出入り禁止宣告」をおこなうわけですが、それでも「この患者にも何らかの事情があるに違いない」とは考えます。これまでこの社会で生きてこられたわけですから、それなりの常識や節度も持っているはずです。ふじみ野市の渡辺も、報道によれば過去には銀行員として勤めていたそうですから、まったく社会に適合できないわけではないでしょう。

 では、なぜ「暴走」する患者がいるのか。それは社会や他者への怨恨などから「絶望」が取返しのつかないところまで大きく膨れ上がったからであり、その絶望を抑制するためには周囲の人間が草の根レベルで他者を慮らねばならない、というのが前回のコラムで述べたことです。

 では、運悪く周囲にそういった気遣いをしてくれる他者がいなかった場合は防ぎようがないのでしょうか。

 報道によれば、渡辺は病弱する母親のために1つ1万円もする魔除けの「塩」を2つも購入していたそうです。宗教的なパワーに期待することは決して悪いわけではありません。宗教に救われたという話は古今東西どこの社会にもいくらでもあります。では、魔除けの塩を販売した宗教には何か問題があったのでしょうか。自分がよく知らない宗教を悪く言うべきではありませんが、この宗教は困窮した人(渡辺)に対するコミュニケーションが不十分だったのではないでしょうか。

 現代日本に住む我々はもはや宗教に頼ることができないのでしょうか。その答えは簡単には出せませんが、私なら宗教よりも別のものを探し求めます。それは何かというと「人、本、旅」です。この「人、本、旅」という言葉は私のオリジナルではなくて、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として述べられていますが、私はもっと根源的なレベル、すなわち「人が人として絶望せずに生きていくために不可欠なもの」と捉えています。ちなみに、出口さんは私の出身高校の大先輩(ちょうど20年先輩)です。

 世の中の何もかもがイヤになり、手を差し伸べてくれる人がまったくいなければ「人、本、旅」から「人」は消えますが「本」「旅」は残ります。本は申し訳ないくらいに安く手に入るものですし、旅もさほどお金をかけずにすることもできます。もちろんお金があるに越したことはありませんが。

 本は何を読んでも救われるわけではありませんが、私の”独自調査”によると、いわゆる「古典」を数多く読んでいる人はたいてい心が安定しています。古典とは聖書など宗教に関わるものから、歴史書、シェークスピアなどの古典文学、夏目漱石や志賀直哉といった日本の名著も含めてのことです。

 旅についてはやはりお勧めは「一人旅」です。最も推薦したいのはスケジュールを決めずにバックパッカーとして海外を放浪することですが、国内1泊旅行でも自分と向き合って心を豊かにすることは可能です。ちなみに私は、コロナ前までは学会参加にかこつけて全国各地を訪れることを趣味にしていました。

 もしもこれを読まれている方が、人生に行き詰っていたり、やりたいことやすべきことが見つからなかったり、あるいは絶望を抱えているのであれば、「人、本、旅」の大切さを思い出し、周囲に適当な人がいなければ「本」をもって「旅」に出てみませんか。それだけでも心が平和になります。さらに旅先では、新たな「人」との出会いが待っているかもしれません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

月別アーカイブ