2026年2月15日 日曜日

第270回(2026年2月) 嘘だらけの食事ガイドライン

 医者が言うことはいつも正しいとは限らない、ということは歴史をみれば明らかですが、たいてい医者はいつも上から目線で、どこかで聞きかじったばかりのにわかの知識をあたかもその道の大家のような口ぶりで説明します。おきまりの言葉「エビデンスがありますから……」を言い訳のように使いながら。

 1990年代、日本を含め世界各国の医者、公衆衛生学者、そして政府はパンやコメなどの炭水化物を多く摂り、肉や乳製品は減らすべきだと主張していました。「ワインは身体に良い」など、いまでは完全に否定されている突飛な主張をし、なかにはタバコはアルツハイマー病、パーキンソン病、そして潰瘍性大腸炎の予防になると言う珍説までありました。

 その一方で、砂糖や加工食品についての有害性はほとんど指摘されていませんでした。これらをまとめたのが1992年に米国で発表された「理想の食事のピラミッド」でした。

 ピラミッドの底部に重要で積極的に食すべき食物が記され、上に行くほど避けるべき食品が提示されました。「底部=最重要食物」にはパン、シリアル、パスタ、コメなどの炭水化物が並べられ、そのひとつ上に野菜や果物が置かれました。「一番上=最も避けるもの」は脂肪や甘いものとされ、その下に乳製品や肉類が置かれました。当時は、低脂肪・高炭水化物こそが健康的な食事であり、肉や乳製品、脂肪は避けるべきだと信じられていたのです。

 このピラミッドによる「推奨される食品」が大きく変えられたのは2011年1月でした。米国HHS(米国保健福祉省)とUSDA(米国農務省)が「2010年版食事ガイドライン」を公表したのです。そして同年6月、ミシェル・オバマ大統領夫人(当時)らが、この食事ガイドラインを分かりやすく視覚に訴えた「My Plate」を発表しました。

 1992年版のように穀物をたくさん摂って他を少なくするのではなく、皿を4分割し、野菜、果物、炭水化物、タンパク質を同じように並べ、横に乳製品が置かれました。「皿の半分を野菜と果物にする」というメッセージが一瞬で理解できるように工夫されたのです。そして、蛋白質は炭水化物(Grains)よりも少なく設定されていました。

 2026年1月、米国トランプ政権は、ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健長官(以下「ケネディJr保健長官」)が中心となり、HHSとUSDAによるガイドラインを大幅に改定しました。

 公表されたイラストはなんと逆ピラミッド、1992年のガイドラインに対抗しているのが明らかです。それぞれの食品カテゴリーは1992年版の真逆となっています。最も顕著なのがパンやコメなどの炭水化物で、1992年版のピラミッドでは最重要食品、2010年版のMy plateでは野菜や果物と同程度に格を下げられ、そして最新の2025年版ではついに最も格下とされました。一方、1992年版では「減らすべき」とされていた肉や乳製品が「最重要食物」とされています。ケネディJr保健長官は記者会見で、「食事にはタンパク質と良質の脂肪が不可欠だ。以前の食事ガイドラインは誤っていてこれらが推奨されていなかった。我々は飽和脂肪酸との戦いに終止符を打つのだ!」と宣言しました。

 これが世論の感情に火をつけ、世界中のインターネットやSNSで様々な論争が繰り広げられるようになりました。ここで、脂肪酸について簡単に復習しておきましょう。2013年のコラム「不飽和脂肪酸をめぐる混乱」で取り上げたように、健診で数値が高すぎると注意を受ける中性脂肪(別名トリグリセリド)は、脂肪酸とグリセロールからできています。問題はグリセロールではなく脂肪酸の方にあります。脂肪酸は飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸に分けることができます。おおまかにいえば「脂肪酸=悪」「不飽和脂肪酸=善」です。なぜなら飽和脂肪酸の方が多ければ中性脂肪がつくられやすくなるからです。つまり、不飽和脂肪酸からも中性脂肪はつくられるものの、血中に脂肪酸が多ければ簡単に中性脂肪が合成されてしまうのです。

 不飽和脂肪酸には体内で合成できない(食事から摂るしかない)「必須脂肪酸」と「必須脂肪酸でない脂肪酸」があります。さらに、必須脂肪酸はω3系とω6系に分けられます。

 一方、飽和脂肪酸も「すべての飽和脂肪酸が諸悪の根源」というわけではありません。例えば、乳製品にはペンタデカン酸と呼ばれる飽和脂肪酸が多く含まれていて、これは中性脂肪もLDLコレステロールも上昇させません。赤身肉に含まれるパルミチン酸は中性脂肪、LDLコレステロールの双方を増加させます。2021年に医学誌「JAMA」に掲載された論文によると、ヨーロッパ9カ国で数万人を調査した結果、赤身の肉やバターから飽和脂肪酸を多く摂取すれば(つまり、パルミチン酸を多数摂れば)心臓病を発症するリスクが高かった一方で、チーズ、ヨーグルト、魚から飽和脂肪酸を多く摂取している場合は(ペンタデカン酸を多く摂れば)心臓病のリスクが低いという結論が出ています。

 また、肉や乳製品をどれだけ摂るべきか、どれくらいまでにとどめるべきかについて議論をするなら客観的な「量」を提示しなければ意味がありません。米国の逆ピラミッドのガイドラインでは「飽和脂肪酸は1日の総摂取カロリーの10%以下に抑えるべきだ」と書かれています(3ページの真ん中あたり)。そして、実はWHOの2023年版の飽和脂肪酸に関するガイドライン(9ページの一番上)にも同じように「10%以下に抑えるべきだ」と書かれています。つまり、ケネディJr保健長官が「戦いに終止符を打つ」という言葉まで持ち出して主張している考えは、WHOのガイドラインとまったく同じものなのです。

 先述したように、現在米国の新しいガイドラインをめぐり飽和脂肪酸の対立がありますが、私がインターネットやSNSを覗いた限り、この2点をはっきりさせて述べているものは見当たりませんでした。つまり、知識人、あるいは専門家を自認する人たちでさえ、飽和脂肪酸の区別をせず、さらにWHOの見解に反対しているわけではないのです。こんな議論に付き合うのは時間の無駄でしかありません。飽和脂肪酸について言えることは「1日の総摂取カロリーの10%以下に抑えるべき」「飽和脂肪酸にもLDLコレステロールや中性脂肪を上昇させやすいものとそうでないものがある」の2点です。

 100歳以上の高齢者が最も多く居住するいわゆる「ブルーゾーン」は5つあるとされています。イタリアのサルデーニャ島、ギリシャのイカリア島、米国カリフォルニア州のロマリンダ、コスタリカのニコヤ半島、そして沖縄です。その沖縄には「ヌチグスイ」という言葉があり、これは栄養のある食べ物など美しいものが心身を健やかにするという意味だと聞いたことがあります。端的に言えば「食べ物は薬」と考えられているのです(最近の沖縄は米国から入ってきた食べ物の影響で古き良き伝統が失われていますがここでは深入りしません)。

  では、ヌチグスイに相当する薬にもなる食品とはどのようなものなのでしょうか。ここからは私見を述べます。蛋白質、脂質、炭水化物、野菜や果物をバランスよく摂ればいいわけですが、このなかで最も簡単に摂れる、というより摂り過ぎてしまうのが炭水化物、次いで脂質です。蛋白質は思いのほか摂取が困難です。簡単に良質の蛋白質が摂れるのは牛乳と豆乳で、これらはほとんどの人が積極的に摂るべきです。「牛乳が飲みにくい」という人がいますが、下痢をするならまず「A2ミルク」を試すのがいいでしょう。それでも下痢をするならラクトース不耐症(乳糖不耐症)の可能性がありますから、この場合はラクトースをあらかじめ分解した牛乳、すなわち「ラクトースフリーミルク」を選べばOKです。

 米国の新しいガイドラインではほとんど触れられていなくて、現代人の食生活で圧倒的に欠けているのは「プロバイオティクス」と「プレバイオティクス」です。

 プロバイオティクスとはありていの言葉で言えば「善玉菌を含む食品」もしくは「発酵食品」で、もう少し詳しく言えば、乳酸菌、ビフィズス菌、酪酸菌、納豆菌、酵母などを含む食品です。納豆やヨーグルト、漬物などが思い浮かびますが、ヨーグルトの場合は「生きた菌」が入っていなければプロバイオティクスには入りません。沖縄料理でいえば、 豆腐ようや魚や島野菜の乳酸発酵の漬物が相当します。少し想像すれば分かるように、実際にこれらを毎日相当量摂取するのは思いのほか大変です。幼少時から食べていなければこれらの臭いが隘路となります。臭いはさほど気にならないという人も、例えば、鮒寿司、なれずし、クサヤ、ホンオフェ(エイの韓国料理)、シュールストレミング(ニシンのスウェーデン料理)などを抵抗なく食べられる人はそういないはずです。私が子供の頃、発酵と腐敗は異なると習った記憶があるのですが、実際にはこれらに明確な区別はありません。結局のところ、食品からの完全な摂取は困難であることを認め、サプリメントに頼ることも検討すべきということになります。

 プレバイオティクスはプロバイオティクスよりは摂取しやすいと言えます。源となる食品が多数あるからです。理屈の上では「野菜+海藻+豆類」を毎食食べればある程度は摂取できます。しかし、実際にはこれらを毎食じゅうぶんな量を摂取するのは困難です。よって、食生活の内容によっては、サイリウムハスクやイヌリンなどのプレバイオティクスのサプリメントを考えた方がいいでしょう。

 また、今回は深入りしませんが、ビタミンDはサプリメントを摂らない限り、ほとんどの人は不足しています。

 反対に、ついつい摂り過ぎてしまうのが炭水化物です。そして、可能な限り減らすべきなのが、過去のコラム「『超加工食品』はこんなにも危険」で述べたように、加工食品、とりわけ「超加工食品」と呼ばれる食べ物です。また、過去のコラム「砂糖入りだけでなく『人工甘味料入りドリンク』もアルツハイマー病のリスク」「カロリーゼロでも太る? やせたいなら、食べてはいけない『人工甘味料』」「砂糖は『依存性薬物』? 摂取量を規制するあの手この手」で述べたように、砂糖や人工甘味料が入ったドリンクは可能なら生涯にわたり飲まないのが得策です。

 冒頭で述べたように、医者や政府が言うことが常に正しいとは限りません。新たな研究が出てこれまでの定説が覆される可能性もあります。そういう意味ではここに述べたことも絶対に正しいとは言えません。ではどうすればいいか。伝統を大切にしながら、最新の研究にもついていくようにして、それぞれに適した「理想の食事」をかかりつけ医と共に考えていくのが賢明でしょう。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2026年2月15日 日曜日

2026年2月15日 レッドライトセラピーで慢性外傷性脳症が防げる!?

 思わず声がでるほどビックリする論文が公開されました。なんと、単純なレッドライトセラピー(red light therapy)で慢性外傷性脳症(CTE)が治るというのです。常識的には考えられないようなこの論文を紹介しましょう。

 その前に、「レッドライトセラピー」と「慢性外傷性脳症」を簡単に振り返っておきましょう。

 レッドライトセラピーとは近赤外光(Near Infrared=NIR)を皮膚に当てて肌を若返らせるというエステティックサロンなどでおこなわれている施術で、誰もが有効性を認めている治療ではなく、むしろ胡散臭い民間療法とみる向きが多いものです。

 慢性外傷性脳症(以下「CTE」)は本サイトで繰り返し取り上げている、コンタクトスポーツなどで頭部に繰り返し衝撃を受けた結果、認知症や人格崩壊を起こす恐ろしい疾患です。オバマ大統領(当時)が「もし自分に息子がいたとすれば、フットボールの選手にはさせない」と発言したことでも有名になった疾患です。有効な治療法はなく、この疾患を避けたければ、初めからサッカーやアメリカンフットボールなどのコンタクトスポーツに手を出さないようにするしかありません。

 その恐ろしいCTEが民間療法のレッドライトセラピーで治るというのですから、驚く他ありません。では件の論文を紹介しましょう。医学誌「Journal of Neurotrauma」2026年1月20日号に掲載された「反復頭部加速イベントに曝露された現役大学アメリカンフットボール選手の神経学的レジリエンスを経頭蓋光バイオモジュレーションが促進(Transcranial Photobiomodulation Promotes Neurological Resilience in Current Collegiate American Football Players Exposed to Repetitive Head Acceleration Events)」です。

 研究の対象者は26人のアメリカンフットボールの大学生の選手です。うち13人の選手には、16週間のシーズンを通して、週3回、1回20分間、赤色光を発するヘッドセットを装着しました。残りの13人には、プラセボ群として、光を発しない同一のデバイスを装着しました。

 結果、プラセボ群の13人の脳をMRIで調べると、シーズン開始前のMRIに比べて、炎症の程度が増悪していました(シーズン中に頭部への刺激を繰り返し受け、その結果、脳内に炎症が生じたと考えられます)。

 他方、レッドライトセラピーを受けた13人は炎症が増加しませんでした。脳のほぼすべての領域で刺激による炎症から保護されていたのです。

************

 なぜこのような奇跡が起こったのか。じゅうぶんな強度の赤色光は頭蓋骨を通過して脳の表層に到達し、脳細胞を刺激します。脳の表層に到達したレッドライトが細胞内の「発電所」とも呼べるミトコンドリアを活性化し、細胞の働きを刺激するというメカニズムです。

 この論文を報じた米国メディアHealth Dayによると、この研究チームは現在、米国国防総省(Department of Defense)の資金提供を受け、外傷性脳損傷または脳震盪による持続的な症状を持つ300人を対象とした臨床試験を開始しています。

参考:医療ニュース2026年1月31日「頭部の外傷が自殺のリスクとなる」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2026年2月1日 日曜日

2026年2月 「最期の晩餐」への違和感と本当の幸せ

 数年前の、あれはたしか総合診療関連の学会だったと思うのですが、ある緩和ケア医が自身の経験について講演していました。その内容は「不要な医療をやめて人間らしい最期を看取るには」というような感じのもので、話の趣旨としてはまあまあ納得できるものだったのですが、その話のなかででてきた「最期の晩餐」の話に抑えきれない違和感を覚えました。

 その医者は担当する末期の患者全員に「最期の晩餐は何がいいか」と尋ねると言うのです。そこから話を広げてその人の人生観を共有するんだ、みたいなことを言っていました。話が巧みなその医者はその場にいた聴講者のひとり(おそらく医者)に、「あなたは何を選びますか」と問い、いきなり質問されたその(おそらく)医者は、たしか「家族旅行のときにみんなで食べたフランス料理が……」という感じのことを答えていました。するとその演者の医者は「やっぱり家族と過ごすのが幸せで……」というおきまりの幸せの方程式のような話に持ち込みました。

 次にその医者は、意外な展開に話を運ぼうとしたのか「かつてこのテーマで市民講演をしているときにある男性の聴講者に同じ質問をすると『吉野屋の牛丼』という答えが返ってきて驚いたことがあります」という話を始めました。聴衆も意外に感じたのか、会場の空気が「次に演者は何を言うか」に注目する雰囲気となりました。演者は「その男性は『若い頃に苦労していた頃の味がなつかしい』と言うのです」と、これまた感動のヒューマンドラマをなぞるような展開へと持っていきました。

 私がこの医師のこの話を聞いてまず不思議に感じたのは、「実際の終末期にはそんなもの食べられるはずがないのにそんなこと聞いてどうするんだ?」というもので、受け入れられず違和感が拭えなかったのは、私自身がこれまで看取ってきた大勢の患者さんたちを思い出したからです。

 私がこれまで大勢の患者さんを看取ってきた時期は2つあります。1つは研修医2年目から3年目にかけて複数の病院で当直のアルバイトをしていた頃です。医師のアルバイトはとにかく破格で一晩で5~10万円も稼げたので(本コラムとは無関係のためこの話題には深入りしませんが、この価格設定がおかしいのは自明です。まあ、もらっておいてから「おかしい」という私もおかしいわけですが……)、週に3~4回くらいはそういうアルバイトをしていました(昼間は複数の病院やクリニックで研修を受けていましたから、あの頃はほとんど寝ていなかったのですがその話はやめておきます)。

 忙しい病院では救急車をどんどん受け入れながら、病棟では旅立っていく人たちの看取りもします。たいていは点滴や酸素のチューブ、それに尿道の管(カテーテル)がつながれていて意識はすでにありません。モニタが示す心電図の波形や心拍数がおかしくなっていけば看護師が家族を呼び出して「そのとき」を待ちます。そのうち心電図の波形がフラットになり死の兆候を確認し、儀式のような「死亡宣告」をします。「最期の晩餐」を楽しんでいる患者さんなど見たことがありません。

 もう1つ、私が大勢の患者さんを看取ったのはタイのエイズホスピスでボランティア医師として働いていた2004年から2005年にかけてです。当時のタイではHIVの薬が使われ始めたばかりで、その待望の薬も副作用で使えないことが多々あり、まだHIVは「死に至る病」だったのです。そのため、大勢の患者さんを看取ることになりました。

 そのタイのホスピスでは日本とは異なる大きな点がありました。「末期では点滴や尿道カテーテルを使わない」のです。「タイでは」というよりも「欧米方式では」の方が正確かもしれません。私やタイ人の看護師が相談して点滴を始めようとしても、欧米の医師やボランティアが反対し、「点滴は自然な姿ではなく、最期は自然なコースをたどるべきだ」と言うのです。すべての欧米人が同じ考えではないでしょうが、彼(女)らは口をそろえてこれが我々の国では常識だと言います。

 そのホスピスにいた欧米人たちの終末期に対する考えは日本とは大きく異なっていました。あるとき若い日本人女性のボランティアが、末期の患者さんにスプーンを使って食事介助をし始めました。すると、米国人の医師は「そんなヘルプはすべきでない」と言ってやめさせたのです。たしかにその患者さんはあと何日も生きられないほど衰弱していて死を待っているのはあきらかでした。日本人女性は「食べれば少しでも元気になるかも」と考えて一生懸命食事介助をしていて、それは日本で見慣れた光景でしたから、私はその若い日本人女性を応援していたのですが、米国人医師は非情にも「終末期に食事を食べさせるのは虐待ともいえる」とまで言うのです。

 日本では、最期には食事どころか水分補給も自己でせずに点滴に頼ります。一方、欧米では食事がひとりで摂れなくなればそれは死への自然な道のりだと考えます。どちらがいいかという問題はひとまず置いておくこととしますが、最期まで点滴を続け死にゆく人はたいてい身体中がむくんでいます。他方、私がタイで診てきた点滴をしなかった患者さんたちは全身がエイズに蝕まれていても人間らしく旅立っていくように見えました。

 日本でも欧米でも死の直前に食事がとれなくなるのは事実です。ならば冒頭で取り上げた緩和ケア医がいうような「最後の晩餐」を患者さんに語らせることに何の意味があるというのでしょう。

 たしかに、食事というのは幸せを感じる瞬間ではあります。愛するパートナーや気の置けない友人との食事は人生を豊かにします。これは間違いありません。また、ひとりで摂る食事であっても、美味しいものを食べる瞬間には幸せを覚えます。食べ物だけでなく、たった一杯の紅茶を飲んだだけでリラックスできて安らぎを感じることもあります。それに、美味しい食べ物のことを考えただけでワクワクすることもあります。よって、食が人に幸せを与えるのは事実です。

 ですが、それは本当の意味での幸せでしょうか。あるいは人生において最も大切な幸せでしょうか。もしもあなたが今「最期の晩餐に何を食べたいですか」と問われたとして、食べたいものを想像してワクワクできるでしょうか。「死ぬ間際に〇〇が食べられれば幸せな一生で締めくくれる」と考えられる人は本当にいるのでしょうか。

 私にはそんな人がいるとは思えません。「幸せとは?」という問いに対する「答え」を私は物心がついた頃から考え続けています。本サイトでも幸せについては度々取り上げています。たいていいつも「幸せについて私は今もよく分かっていません」というような結末になってしまっていますが、それでも最近は少しずつ見えてきたような気がします。その見えてきたひとつが「最期の晩餐で幸せになれるわけではない」です。

 人間が本当の意味で幸せになれるのは「他者との関係」に他なりません。これは考え抜いて分かった答えではなく、谷口医院の患者さんたちが教えてくれたことです。例えば、ある50代男性の患者さんは「妻ははように出ていったし、残された娘には父親らしいことなんにもできひんかったけど、そんな娘から『お父さん、ありがとう』と言われたとき、自分はなんて幸せなんやろと思ったんです」と話していました。60代女性のある患者さんは「わたしの人生は辛いことばかりで死んでしまいたいと何度思ったか。けど今の店長がわたしを拾ってくれてコンビニで働きだして、それで初めて他人から感謝されて。店長はわたしの命の恩人です。残業代が出なくても働いているのは幸せだからなんです」とゆっくりと言葉を紡いでいました。

 死の直前にすべきことは「最期の晩餐」ではないはずです。では旅立つ直前には何をすべきか。そして本当の意味で幸せとはどのようなものなのか。それは「自分の人生を豊かにしてくれた人たちに感謝の気持ちを述べること」ではないでしょうか。上述の50代の男性なら死ぬ直前に娘に枕元に来てもらうことが最高の幸せでしょう。50代の女性の場合は、死ぬ直前にその「店長」を枕元に呼ぶことはできないかもしれませんが、まだ元気なうちに感謝の気持ちを述べておいて、そして旅立つ直前には心の中で改めてお礼を言うことがこの女性の「最期の幸せ」ではないでしょうか。そして、心の中でお礼を言うのなら、どのような宗教観を持っていたとしても、あるいは無宗教だったとしても、合わせた両手を胸の上に置きたくならないでしょうか。点滴のチューブに邪魔されずに。

 人生の最期に「最期の晩餐」を考えるという発想が私には理解できません。そして、点滴での水分補給についてもその必要性を考え直すべきではないでしょうか。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2026年2月1日 日曜日

2026年1月31日 頭部の外傷が自殺のリスクとなる

 「頭部への衝撃がその後の人生を滅ぼすことになる」が注目されるようになったのは、米国アメリカンフットボール界のスーパースター、マイク・ウェブスターの死亡がきっかけだと思います。繰り返し頭部への衝撃を受けた結果、奇妙な行動をとるようになり、妻から離婚をつきつけられ、最後にはホームレスとなって死亡するという、大変ショッキングな転機をたどりました。

 「慢性外傷性脳症(chronic traumatic encephalopathy)」(以下CTE)と呼ばれるこの疾患、世界的には関心が高く、オバマ前米国大統領が「もし自分に息子がいたとすれば、フットボールの選手にはさせない」と発言したことでも有名です。私自身は、本サイトや他のメディアで繰り返しこの疾患の重要性を指摘し、アメリカンフットボールだけでなくサッカーを含むコンタクトスポーツのリスクに警鐘を鳴らしているつもりですが、なぜか日本では今もあまり話題になりません。しかし、この疾患を知らなかったばかりに……、という悲劇は防がねばなりません。

 今回紹介するのはコンタクトスポーツに限ったことではなく「頭部への強い衝撃」が自殺のリスクになるとする研究です。結論は「頭部外傷を経験した人は、経験していない人に比べ自殺を企てるリスクが21%高くなる」です。医学誌「Neurology」2025年12月22日号に掲載された論文「頭部外傷後の自殺未遂リスク:英国におけるマッチングコホート研究(The Risk of Suicide Attempts After Head Injury A Matched UK Population–Based Cohort Study)」にまとめられています。

 この研究の対象者は英国で頭部外傷の治療を受けた389,523人で、対象者には年齢、性別、居住地域を一致させた頭部外傷歴のない(別の疾患の)患者1,489,675人が選ばれています。その後、各自の自殺を企てたエピソードについての調査が実施されました。 

 結果、頭部外傷歴の「あるグループ」では5,107件の自殺のエピソードがあり(1,000人・年当たり2.4件)、他方「ないグループ」では9,815件(同1.6件)でした。これらから頭部外傷歴の「あるグループ」は「ないグループ」に比べ、自殺を企図するリスクが21%高いことが示されました。

 ただし、実際に自殺を完遂させるリスクは上昇していないことも分かりました。つまり、頭部外傷の「あるグループ」では、致死的でない自殺を企てて未遂に終わるケースが多いということです。

 自殺未遂の危険因子としては、頭部外傷後12ヶ月以内、社会的貧困度の高さ、および精神疾患の既往が挙げられています。

************

 外傷を負ってから1年以内に自殺を企てるリスクが特に高いという結果ですが、その後長期間にわたりリスク上昇が持続することも示されています。頭部外傷を起こしたくて起こす人はいないわけですが、頭への強い衝撃は可能な限り避ける努力をすべきでしょう。

 こういう調査結果を踏まえた上で、自身や大切な人の職業選択やスポーツ、趣味を含めたライフスタイルを検討すべきだと思います。

参考:
はやりの病気第137回(2015年1月) 脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~
医療ニュース2021年4月27日 たった一度の頭部外傷で認知症リスクが上昇
医療ニュース2021年12月22日 サッカーは直ちにやめるべきかもしれない
医療ニュース2024年11月22日 アメリカンフットボール経験者の3分の1以上がCTEを自覚、そして自殺
毎日メディカル2025年3月31日 スポーツ界にとって「不都合な真実」? 日本では周知されない脳へのダメージ
日経メディカル2024年2月21日 コンタクトスポーツによる慢性外傷性脳症リスクの周知を!

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

月別アーカイブ

Translate »