2017年10月25日 水曜日

2017年10月25日 認知症の治療にイチョウの葉は有効か無効か

 認知症の薬には保険診療で認められているものも4種類(先発品)ありますが(注1)、どれも劇的に効くわけではありません。ならばサプリメントに期待したいところですが、残念ながらこちらもいいものがありません。昔から「イチョウの葉」がいいのでは?と言われていますが、これはエビデンス(科学的確証)のデータベース「コクラン」で否定されています(注2)。

 ですが、そのコクランの見解を覆すような研究、つまり、認知症にイチョウが有効という研究が発表されました。医学誌『International psychogeriatrics』2017年9月21日号(オンライン版)(注3)に掲載されています。

 この研究では認知症の患者さんを2つのグループ(それぞれ814人)に分けて、一方にEGb761と呼ばれるイチョウ葉抽出エキス240mgを投与し、もう一方のグループにはプラセボ(偽薬)を投与しています。投与期間は22~24週です。結果、イチョウを投与したグループは有意にプラセボ群よりも認知症に関連するほとんどの症状が改善したそうです。

 さらに、患者さん本人だけでなく介護者の苦痛も改善したそうです。

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 これまでの見解を覆す興味深い研究ですが、これをもってしてイチョウに期待しすぎるのは時期尚早だと思います。副作用がないなら試してみてもいいのでは、という意見もあるでしょうが、私の経験上、イチョウのサプリメントはけっこうな頻度で頭痛を訴える患者さんがいます。特に片頭痛のエピソードがある人にこの傾向が顕著です。

 認知症は予防も治療も決定的なものがあるとはいえませんが、それでも食事、運動、学習、行動などでリスクが低減するとされているものもありますから、まずはそういった知識を集めるのがいいでしょう。このサイトでも追って新しい情報をお伝えしていきたいと思います。

注1:下記を参照ください。

はやりの病気第95回(2011年7月)「アルツハイマーにどのように向き合うべきか」

注2:コクランのレポートは下記で読むことができます。尚、ページ上方の「日本語」をクリックすれば日本語訳をも読めます。

http://www.cochrane.org/CD003120/DEMENTIA_there-is-no-convincing-evidence-that-ginkgo-biloba-is-efficacious-for-dementia-and-cognitive-impairment

注3:この論文のタイトルは「Treatment effects of Ginkgo biloba extract EGb 761R on the spectrum of behavioral and psychological symptoms of dementia: meta-analysis of randomized controlled trials」で、下記URLで概要を読むことができます。

https://www.cambridge.org/core/journals/international-psychogeriatrics/article/treatment-effects-of-ginkgo-biloba-extract-egb-761-on-the-spectrum-of-behavioral-and-psychological-symptoms-of-dementia-metaanalysis-of-randomized-controlled-trials/B4E1DCC0E7DDCD9898C0294DC437DB54

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2017年10月23日 月曜日

2017年10月23日 骨折予防にビタミンDやカルシウムは無効

 骨を丈夫にして骨折を防ぐためにビタミンDやカルシウムのサプリメントを摂取している人は少なくありませんし、処方薬としてビタミンDを内服している人もいます。ですが、これらの効果は疑わしく、米国予防医療作業部会(U.S. Preventive Services Task Force、以下「USPSTF」)は正式にそれを公表しました。USPSTFの詳細にわたる報告も無料で全文が公開されていますが(注1)、いくつかの米国のメディアが内容をまとめたものを報道しているので(注2)、ここではそちらをまとめたものを紹介したいと思います。

 まず、高齢者の骨折がどれほど重要なものかを数字でみてみましょう。2014年に米国で転倒で救急外来を受診したのは約280万人。そのうち約80万人が入院し、1年以内に約27,000人が死亡しています。また、数字には出ていませんが、死亡を免れたとしても寝たきり、あるいはそれに近い状態になる人は多数いるはずです。そして、米国では65歳以上の3人に1人は少なくとも年に一度は転倒していると言われています。
 
 これを聞くと、では転倒程度では骨折しない丈夫な骨をつくろう、と誰もが思います。そして、従来はビタミンDとカルシウムが有用と言われてきました。結論から言えば、USPSTFの見解はそれをほぼ否定するものです。つまり、それらを積極的に摂取した人に骨折が少ないわけではなく、USPTFとしては骨折予防のためのビタミンDおよびカルシウムの摂取を推奨しないとしたのです。

 もっとも、これらの骨折予防効果は以前から乏しいと言われており、エビデンス(科学的確証)のデータベースである「コクラン」も完全には効果を否定していないものの似たような報告をおこなっています(注3)。

 一方、米国医学研究所(National Academy of Medicine)とWHOは、健康改善を目的としたビタミンDとカルシウム摂取を推奨していますが、どちらの組織も骨折予防のためのサプリメントは推奨していません。

 ではどうすればいいのか。USPSTFが推奨するのは「運動」です。米国保健福祉省(The US Department of Health and Human Services)が提唱している次の運動メニューを勧めています。

・少なくとも週に150分の中~高強度の運動。または、週75分の激しい運動。
・週に2回の筋トレ
・週に3日以上のバランストレーニング

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 私が感じる日米の違いを2点指摘しておきます。

 ひとつは、日本では今でも医療機関でビタミンDやカルシウムが骨折の再発予防などに処方されていることです。エビデンスに乏しい治療がいけないわけではありませんが、運動の重要性が同時に説明されているか、あるいは説明されていたとしても実践できているかどうかを一度見直す必要があるでしょう。

 もうひとつは運動指導についてです。日本では多くの医療者が高齢者の骨折予防にウォーキングを勧めています。一方、米国で推奨されているのは中から高強度の運動(moderate-intensity exercise)ですから、通常のスピードのウォーキングでは不十分ということになります。もちろん運動は「続けること」が最重要ですから、できない運動の指導をすることには意味がありませんが、強度を上げなければ効果に乏しいことは知っておく必要があります。

注1:下記を参照ください。

https://www.uspreventiveservicestaskforce.org/Page/Document/draft-evidence-review/vitamin-d-calcium-or-combined-supplementation-for-the-primary-prevention-of-fractures-in-adults-preventive-medication

注2:この記事のタイトルは「USPSTF Draft Recommendations for Falls and Fracture Prevention」です。下記URLを参照ください。

https://www.medscape.com/viewarticle/886193

注3:コクランのウェブサイトで読むことができます。レポートのタイトルは「Vitamin D and related vitamin D compounds for preventing fractures resulting from osteoporosis in older people」です。下記URLを参照ください。尚、この報告はページ上部の「日本語」というところをクリックすれば日本語でも読めます。

http://www.cochrane.org/CD000227/MUSKINJ_vitamin-d-and-related-vitamin-d-compounds-preventing-fractures-resulting-osteoporosis-older-people

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2017年10月16日 月曜日

第170回(2017年10月) 最も難渋するアレルギー疾患~好酸球性食道炎・胃腸炎~

 最も重篤なアレルギー疾患は?と問われれば、医療者も一般の人たちもおそらく「アナフィラキシー」と答えるでしょう。アナフィラキシーをいったん起こせば、迅速に適切な治療がおこなわれなかった場合、数時間以内に帰らぬ人になってしまうこともあります。

 ですが、アナフィラキシーには必ず原因があります。食べ物、薬剤、蜂などで、これらを避ければ再発は防げます。ときどき原因不明のアナフィラキシーがあり、なかなか原因物質を特定できないことがありますが、そういった場合でも毎日症状に苦しめられることはありません。偶発的に発症した場合はアドレナリンの筋肉注射(自己注射も可能)をおこなえば助かります。

 一方、毎日のように苦しめられ、治療法も確立しているとはいえないアレルギー疾患があります。それが今回紹介する「好酸球性食道炎」と「好酸球性胃腸炎」です。どちらもあまり有名でない疾患でしょうし、罹患者数は喘息やアトピー性皮膚炎と比較すると圧倒的に少ないのは事実ですが、かなりの難治性であることから厚労省の指定難病にも入っています(注1)。

 さらに、難渋するのは治療だけではありません。診断をつけるのにも非常に苦労するのです。2つの疾患をひとつずつみていきましょう。まずは好酸球性食道炎です。

 好酸球性食道炎の症状は、吐き気、胸やけ、飲み込みにくい、などで逆流性食道炎の症状とほとんど変わりません。ですから、このような症状を医師に説明して、「あなたの疾患は好酸球性食道炎に違いない」と初診時に言われることはまずありえません。すぐに内視鏡(胃カメラ)をおこなうべきこともありますが、たいていは胃酸の分泌を抑制する薬をまずは処方されます。

 こういった薬で症状が改善しないときに内視鏡をおこないます。逆流性食道炎の場合は内視鏡をすれば「ただれた粘膜」が観察されますから、この時点で診断がつきます。一方、好酸球性食道炎は、ある程度重症化していないと「異常なし」または「軽度の炎症」と言われるだけで、この時点で診断がつくことはあまりありません。内視鏡で異常がない(または軽度)であり、逆流性食道炎と同じ症状がある場合「非びらん性胃食道逆流症」と呼ばれます。つまり実際には好酸球性食道炎であったとしても、軽度の逆流性食道炎または非びらん性胃食道逆流症と「誤診」されてしまう可能性があるのです。

 逆流性食道炎でも非びらん性胃食道逆流症であっても、症状がある程度進行するとプロトンポンプ阻害薬(以下「PPI」)と呼ばれる薬が処方されます。これである程度改善することがほとんどで、改善度に乏しい場合は手術が検討されることもありますが頻度は稀です。
 
 では好酸球性食道炎はどのようにして診断をつけるのか。それには、食道の一部の粘膜を採取し、生検(顕微鏡の検査)でたくさんの好酸球を確認しなければなりません。ここにこの疾患の診断の難しさがあります。理由は2つあります。

 1つは、生検というのはそれなりに大変な検査です。粘膜を採取するわけですから、出血は起こりますし、稀とはいえその出血が止まらない、あるいは食道の壁を穿孔してしまう可能性もゼロとは言い切れません。つまり危険が伴う検査なのです。ですから、内視鏡をおこなう術者としては、大きな異常が肉眼で確認できない限りはなかなか生検実施を考えにくいのです。そして、好酸球性食道炎の場合、肉眼での大きな異常があるわけではありません。

 もうひとつの理由は、好酸球性食道炎でもPPIがそれなりに効く場合があるということです。なぜ効くのかははっきりとわかっていないのですが、効くときは効くのです。すると「PPIが効いたんだから軽度の逆流性食道炎か非びらん性胃食道逆流症だろう」と診断されてしまいます。

 ですが、好酸球性食道炎であろうがなかろうがPPIで症状がとれるなら「幸運」と言えます。なぜならPPIがまったく無効な好酸球性食道炎の場合は、ほとんど「なす術がない」からです。一般に好酸球が関与した疾患にはステロイドが効くことがあります。好酸球性食道炎の場合も、ステロイド内服は有効ですし、また喘息で用いるステロイド吸入薬を飲み込むという方法もあります。しかしステロイドの副作用を考慮すると、このような治療は安易におこなえません。

 では好酸球性食道炎の診断がつき、PPIが効かない場合はどうすればいいのでしょう。それを述べる前に、もうひとつの疾患、好酸球性胃腸炎をみていきましょう。

 好酸球性胃腸炎の症状は、嘔吐、腹痛、下痢などです。患者さんは「特定のものを食べたときに起こる」と訴えることがありますが、食物アレルギーの腹部症状とは異なります。食物アレルギーの腹部症状は食後運動をしたときに起こることが多く、原因食物のIgE抗体が陽性となるのが普通ですし、プリックテストといって皮膚にその食物を注射する検査をすると陽性となります。一方、好酸球性胃腸炎の場合、血液検査でもプリックテストでも陽性とならないことが多いのです。尚、これは好酸球性食道炎の場合も同様です。

 確定診断を得るには、好酸球性食道炎と同様、内視鏡で粘膜を採取(生検)することになりますが、食道の場合と異なり、小腸の内視鏡というのは簡単ではなくなかなかおこなえません。胃や大腸の生検は比較的おこないやすいですが、採取した部位では好酸球が多くなかった、ということもあります。症例によっては腹水が貯まり、その腹水のなかに多数の好酸球が検出されることもありますが、腹水はある程度の量が貯留しなければ採取が困難です。

 血中の好酸球が増えていることは多いのですが(好酸球性食道炎の場合も同様)、他の好酸球が上昇する疾患(例えば喘息)のために増えている可能性もあり、これらを見分けることは困難です。そもそも、好酸球性食道炎も胃腸炎も、喘息を含むアレルギー疾患を合併していることが多く、好酸球の数値はこれら疾患の決め手にはなりません。それに血中好酸球が上昇しない好酸球性食道炎・胃腸炎もあるのです。

 治療はどうすればいいのでしょうか。食道炎の場合とは異なり、好酸球性胃腸炎の場合は吸入ステロイドの内服は効きません。経口ステロイドの内服は有効ですが、やはり副作用を考慮すると長期で使える方法ではありません。

 ではどうすればいいか。実は、好酸球性食道炎にも好酸球性胃腸炎にも極めて有効な”治療法”があります。しかもその”治療法”は「安全」で「低コスト」です。しかしおこなうのは極めて困難です。というより、その”治療法”が有効で誰もが簡単におこなえるなら、厚労省は難病に指定しません。

 その”治療法”とは「6種食品除去食」を実践するという方法です。先に述べたように、患者さんのなかには「特定のものを食べると症状が出やすい」という人がいます。ということは可能性のあるものをすべて避ければいいのです。それは6つあります。①卵、②牛乳、③小麦、④大豆、⑤ピーナッツ、⑥魚介類です。これらを完全に除去すると、症状が劇的に改善すると言われています。

 ですが、実際にこれらをすべて除去することができるでしょうか。蛋白源として、卵、牛乳、大豆、魚介類がNGだとすればあとは肉しかありません。小麦NGでも炭水化物は米で摂れますが、では米と肉、野菜だけの生活を一生続けることはできるでしょうか。

 今のところ好酸球性食道炎・胃腸炎の予防法はありません。ただ、難病指定されているわけですから有効な治療の研究はおこなわれていますし、診断がつけば治療費は無料となります。疑わしい症状がある人はかかりつけ医に相談してみてください。

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注1:厚労省の下記ページを参照ください。

http://www.nanbyou.or.jp/entry/3935

 

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2017年10月16日 月曜日

第177回(2017年10月) 日本人が障がい者に冷たいのはなぜか

 私がひとつめの大学に在籍していた80年代後半から90年代初頭にかけて、日本はバブル経済真っ盛りであり、世界からは「金持ちの国」と思われていました。1985年のプラザ合意以降、急激な円高が進んだにもかかわらず、自動車や電化製品を中心とする日本製品は当時流行していた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉を想起させ、世界一高品質の評価を得ていました。

 しかしながら、当時の日本人が世界から好かれていたかというと、残念ながらそのようなことはなかったと思います。お金を持っていてもその使い方に品がないとよく批判されていました。今でも語り継がれているのが、安田海上火災のゴッホ「ひまわり」4千万ドルでの落札、三菱地所のロックフェラーセンター買収、ソニーのコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメント買収などです。大企業だけではありません。日本人が一斉に海外旅行にでかけるようになり、ハワイやパリでは高級ブランド店の商品買い占めが問題になりました。これを思えばここ数年の中国人の「爆買い」などかわいいものです。

 このようなお金の使い方をする日本人が世界から尊敬されるはずがありません。では、以前から日本人の良き特徴と言われていた「勤勉」についてはどうでしょうか。残念ながら、家族や余暇などの私生活を犠牲にし、会社にひたらすら奉公する姿は尊敬どころかむしろ「嘲笑」の対象でさえありました。日本人自身もこのような仕事に対する態度を蔑むこともあり「社畜」という言葉も生まれました。

 バブル経済崩壊後は、企業の不祥事が相次いで発覚、倒産する企業も続出し、リストラという言葉が一般化し自殺者が急増します。90年代には日本を称賛する声は国内からも国外からもほとんどなく「日本は終わった」と考えられるようになりました。日本人の性格や考え方は依然世界水準からズレていることが指摘され、たしか90年代後半には「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組もありました。

 ところが、2000年代中頃からこの流れが一転します。ネット社会を中心に、東アジア諸国を蔑むような意見が増えだしたと同時に日本人や日本文化をほめたたえる風潮が出てきました。また、日本人を絶賛するものや、外国人が日本人をうらやましく思っていることを取り上げる書籍なども現れるようになり、ネット住民から知識人まで「日本人礼賛」の大合唱が起こりだしました。

 極めつけは東日本大震災でしょう。家屋が破壊され街が崩壊しても住民たちは取り乱すことなくきちんと列をつくり他人を尊重しました。暴力やレイプがまったく起こらなかったわけではありませんが、これほどまで静かに落ち着き地域住民を助け合う姿は外国ではありえないだろうと言われ、この様子が世界に伝えられると日本人を絶賛する声が集まり、また日本人もこれを誇りに感じました。

 その後「おもてなし」という言葉が流行し、コンビニやコーヒーショップまでもが、これでもか、というような笑顔いっぱいの過剰とも呼べる接客サービスをおこない始めます。「おもてなし」が日本の伝統や文化であると感じている若い人も少なくないのではないでしょうか。

 さて、ここで疑問を呈したいと思います。日本人は本当に「思いやり」があるのでしょうか。もちろんどこの国にもいい人もいれば悪い人もいて、個人によるのは事実ですが、国民全体をおしなべてみたときに日本人は思いやりがあると言えるのか。私の答えは「そうは言えない」です。理由を述べます。

 私が研修医の頃、勤務していた病院は脊髄損傷の患者さんをたくさん診ているところで専門病棟もありました。担当の患者さんが複数いたこともあり、私は頻繁にその病棟に行き患者さんから話を聞きました。家族や友達が見舞いに来ているときは、そういった人たちからも話を聞かせてもらい、また長年その病棟で勤務している看護師や薬剤師からもいろんなことを学びました。

 そこで私が気づいたことは「日本人は障がい者に優しくない」ということです。彼(女)らは車椅子で外に出るのにとても苦労すると言います。技術大国の日本は、車いすに乗ったまま運転できる自動車を開発しており、おそらく技術は世界一でしょう。また、最近はバリアフリーの駅やビルがたくさんつくられています。ですが”肝心の”人が優しくないのです。例えば、バリアフリーでないビルの前で呆然としているとき、声をかけてくれる人はほとんどいないそうです。海外ではこのようなことは考えにくく(注1)、これは日本の「悪しき慣習」と言えるのではないか、と私は考えています。

 また、日本を訪れる外国人からも「日本人は冷たい」というセリフを何度も聞いたことがあります。例えば、60代の米国人女性は、駅で重い荷物を運んでいるときに誰も手を差し伸べてくれなかった、と嘆いていました。20代のタイ人女性は妊娠中でバスのステップを上がるのが困難なのに誰も手を貸してくれず、また荷物を棚に上げる手伝いもしてもらえなかったと寂しそうに話していました。彼女らは共に「母国ではこんなこと考えられない」と言います。

 私自身の経験も紹介しておきましょう。2014年8月、頸椎症の手術を受けた数日後、リハビリの一環で病院付近を散歩していた私は自動販売機でジュースを買おうとコインを入れました。ところが首に大きなカラーを付けていた上に腕も自由に動かないためにジュースを取り出すことができません。そのときフランス人の家族づれが近くにいたのですが、両親に促されたわけでもないのに7歳くらいの男の子が私に駆け寄り「May I help you?」と英語で声をかけてくれたのです。さっきまで両親とフランス語を話していたのに、です。おそらくフランス人は、困っている人がいればすぐに近づき手を差し伸べることが「習慣」となっているのでしょう。しかも瞬間的に母国語から英語に切り替えることができるわけです。まだ小学1年生くらいの男の子が、です。ちなみに、このとき日本人の通行人は何人もいましたが私に気を留める人はひとりもいませんでした。

 ただ、日本人をひいき目にみると、他人に手を差し伸べたときに「余計なお世話です。かまわないでください」と言われるのを恐れているのかな、という気がしないでもありません。例えば、電車のなかで高齢者に席を譲ろうと声をかけると、ムッとされて「結構です!」と冷たくあしらわれたという話を何度か聞いたことがあります。私には同じ経験はありませんが、以前東京の山手線で高齢のご婦人に席を譲ると、なんでそこまで…、と思わずにいられないほど深くお辞儀をされ、さらに横にいたご主人にも何度もお礼を言われました。しかも私が電車を降りるときに、再びご夫婦でお辞儀をしてくれたのです。ちなみに、大阪では「おおきに!」と言われてそれで終わりです。

 もしかすると東京では「可能な限り他人と関わらない」が流儀なのかもしれません。ですが、先述した車椅子の話や、米国人とタイ人の話は大阪での話です。地域によって多少の差はあるかもしれませんが、日本全体でみても、海外諸国と比べて日本人が他人に「無関心」なのは間違いなさそうです。

 そして、穿った見方をすると、東日本大震災で被災者の人たちがきちんと列をつくり静かにしていたのも「他人と関わりたくない」ということの裏返しなのかもしれない…、と思えてきます。他人とぶつかることを避け、大人しく目立たないようにすることが習慣化しているから、結果として整然とした列ができたのではないか、他人に迷惑をかけてはいけないという気持ちが強すぎて他人と関わることに恐怖を覚えているのではないか、という気がするのです。

 米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは、1946年に上梓した『菊と刀』で日本を「恥の文化」と命名しました。この考えは今も賛否両論ありますが、私個人としては日本人の性質をよく現わしていると考えています。障がい者や困っている人に対する支援という観点でみれば、「恥の文化」があるから車椅子の人を見ても目立つことはしたくないと考え、一方、障がい者の方は、障がいを抱えて迷惑をかけることを一種の「恥」と考えてしまい、たとえ声をかけてくれる人がいたとしても遠慮してしまうのではないでしょうか。

 では、どうすればいいか。日本人のいいところはそのままおいておきながら、困っている人にだけは積極的に関わるようにすればどうでしょう。アメリカ人のように、初対面なのにまるで以前からの友達のように気軽に話しかける必要はありません。私が主張したいのは「障がい者や困っている人がいれば何かを考える前にまず駆け寄る」ということです。

 私は医師という立場上、こういったことをしないわけにはいかない、というか、いつのまにか身体が勝手に動くようになっていましたが、ぜひこれを読まれているすべての人に勧めたいと思います。特に海外でこういう行動をとると「日本人も捨てたものじゃないな」と思われるようになるでしょう。

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注1:最近、乙武洋匡氏がこのことについて興味深いコラムを書いています。ロンドンの駅で立ち往生したとき、通行人が集まって来て車椅子を運んでくれたというのです。是非下記を参照ください。

『クーリエジャポン』2017年10月2日号「乙武洋匡・世界へ行く|ロンドンで感じた心のバリアフリー」
 

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2017年10月10日 火曜日

2017年10月10日 認知症になりにくい性格とは?

 どのような病気ならかかってもいいか、どのような病気で死にたいか、という議論になったとき、一般の人たちからは理解しがたいかもしれませんが、「がん」を挙げる医療者は少なくありません。最大の理由は、死期が予想できるために身の回りの整理ができ時間を効率的に使えること、です。がんに伴う痛みは苦痛ですが、現在では痛みのコントロールはそうむつかしくはありません。

 世間では、「一瞬であの世にいける病気」で死にたい、と考える人が多いようで、例えば、つい先ほどまで元気だったけど心臓発作が起こり数分後には他界するという「ピンピンコロリ」が理想と言う人がいます。死の苦しみが一瞬で終わることが”人気”の理由でしょう。その他、「老衰」というのはよくある答えですし、「飛行機事故」などを挙げる人もいます。

 では、ほとんどすべての人が「なりたくない病気」に挙げるのは何でしょう。おそらく「認知症」ではないでしょうか。しかし認知症になる人は非常に多く、高齢になればなるほどその可能性は高くなります。長生きしたい、という人は大勢いますが、ほぼ全員が「認知症にならなければ」という条件をつけています。

 では、認知症を避けるために何をすべきなのでしょう。残念ながらがんの予防ほど確立した予防法があるとは言い難いのが現実です。がんであれば、例えば、胃がん→ピロリ菌除菌、肝臓がん→ウイルス性肝炎の治療・アルコール制限・肥満抑制、子宮頸がん→HPVワクチン、一部の乳がん→乳房切除、などがあります。一方、認知症の場合はここまではっきりとした予防法があるとはいえません。ですが、リスクが下がる可能性のあるものは知っておきたいものです。過去にいくつかお伝えしましたし(下記コラム参照)、こういった研究は頻繁に報告されますから、また改めてまとめてみたいと思いますが、今回紹介したいのは「性格」についてです。

「誠実」は認知症を予防する…。

 医学誌『Psychological Medicine』2017年9月6日号(オンライン版)にこのような研究が報告されました(注1)。米国の研究です。

 対象者は米国の11,181人。認知症の発症と性格の相関関係が分析されています。調査期間中に278人が認知症を発症、軽度の認知障害(CIND, cognitive impairment not dementia)の診断がついたのは2,186人でした。

 最も認知症のリスクを減少させたのは「責任感」であり、なんと35%もリスクが減少するという結果がでています。また、「自制心」「勤勉」もリスク低下に寄与していることがわかりました。

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 人の内面を現す単語はニュアンスを伝えるのがむつかしいので原語も紹介しておきます。上記の「誠実」「責任感」「自制心」「勤勉」はそれぞれ下記のとおりです。

Conscientiousness → 誠実
responsibility → 責任感
self-control  → 自制心
industriousness  → 勤勉

 このなかでなぜConscientiousnessが大文字で始まっているのか、私には理解できませんでした。責任感、自制心、勤勉は、すべて「誠実」の要素ということでしょうか。それはさておき、これらは人間社会の原則とも呼べるべきものであり、これらを実践していれば、他人と良好な関係を維持しながら結果としてストレスを減らすことにつながります。

 強すぎる責任感はストレス過多につながり精神を病むこともありますから、ほどほどにする必要がありそうですが…。

注1:この論文のタイトルは「Facets of Conscientiousness and risk of dementia」で、下記URLで概要を読むことができます。

https://www.cambridge.org/core/journals/psychological-medicine/article/facets-of-conscientiousness-and-risk-of-dementia/C5CED0073F06247D658E2D626DB1C70F

参考:

はやりの病気第151回(2016年3月)「認知症のリスクになると言われる3種の薬」
はやりの病気第131回(2014年7月)「認知症について最近わかってきたこと」
医療ニュース
2017年4月7日「血圧低下は認知症のリスク」
2017年6月26日「少量の飲酒でも認知症のリスク!?」
2016年6月30日「酒さが認知症のリスク」

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2017年10月6日 金曜日

2017年10月6日 歯科医院の半数は依然医療器具使い回し

 院内感染とは、医療機関内で不潔な医療器具などを通して感染症に感染させられることを言います。致死的な感染症になりうるB型肝炎(HBV)、HIV、C型肝炎(HCV)などに感染させられるようなことは絶対に避けなければなりませんが、日本の歯科医院ではいつ起こってもおかしくありません。

 なんと日本では、歯の治療で使われるハンドピース(歯を削るドリル)の滅菌をおこなっていない歯科医院が異常に多いのです。私はこれは大きな問題だと考え、過去に2回問題提起したことがあります(注1)。

 当たり前の話ですが、ハンドピースの使いまわしなど絶対にあってはならないことです。それが過去のコラムで紹介したように、2012年の時点で何と7割もの歯科医院がきちんと滅菌していなかったのです。そして、今回、厚労省が研究班の新たなアンケート結果を2017年5月に公表しました(読売新聞2017年9月27日)。

 結果は、半数が依然使いまわしをしていることが判りました。7割から5割に改善した!、と考えるわけにはいきません。きちんと滅菌する歯科医院が100%でなくては、一般市民が安心して受診できないからです。100%の歯科医院がきちんと滅菌していることが当然なのです。

 読売新聞の報道から数字を取り上げてみましょう。アンケートに回答したのは700施設。下記が回答です。

患者ごとに交換、滅菌: 52%
感染症患者の場合交換、滅菌: 17%
血が付いた場合などに交換、滅菌: 16%
消毒薬で拭く:  13%

 過去のコラムでも述べたように、「感染症患者の場合交換」と回答すること自体が信じられません。これも過去に述べましたがHIV陽性者が歯科医院を受診するとき、大半が感染していることを隠しています。また、HIV感染に気付いていない人も少なくありません。

「血が付いた場合などに交換」も呆れる回答です。血液は微量なら見ても分かりませんし、HBVは唾液にも含まれているからです。

 では、どのようにしてきちんと滅菌している歯科医療を見つければいいのでしょうか。実は、この答えは簡単です。滅菌してますか?と滅菌していない医療機関に尋ねても、真実は話さないでしょう。そこで、「この歯科医院ではHIV陽性者も診ていますか?」と尋ねればいいのです。きちんと対策をとっているところであれば「もちろん診察しています」という答えが返ってきます。

 私が患者として受診している歯科医院もHIV陽性の患者さんが受診し、もちろん滅菌は完璧におこなわれています。

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注1:下記の2つのコラムです。

毎日新聞「医療プレミア」2016年11月6日「歯科医院での院内感染を防ぐには」

GINAと共に第95回(2014年5月号)「HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院」

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2017年10月6日 金曜日

2017年10月 「何でも屋」vs「専門家」

 前回「ジェネラリストという表現は使う人によって意味するところが異なるため用いない方がいいのでは?」ということを述べ、さらに私の知人の話を引き合いに出し「一般社会でいうジェネラリストは、ルーチンワークをおこなう<一般職>」という話をしました。

 これに対し、複数の方から「そうではない。一般社会のジェネラリストとは、(前回私が述べたような)総合診療医のポジションに近く、幅広い知識を持ちどのようなことにも対応する者のことを言う。やはり医療界と同じようにスペシャリストの対極と考えられている」という指摘をいただきました。さらに、「ルーチンワークなどでは決してなく、積極的にアイデアを出し創造的なミッションをおこなう者」という声も複数ありました。

 そこで、改めて辞書を確認すべく私がよく用いる「Thesaurus.com」(これは正確には「類義語辞典」です。非常に使い勝手がよく発音もしてくれます。以前、英語の勉強についてのコラムで紹介したこともあるサイトです)をみてみると、なんとgeneralistは掲載されていません。載せられていないのはそれだけ使用頻度が少ないからです。(もちろんspecialistは多くの類義語が表示されます)

 これは面白い、と考え、ネット検索してみると、どうやら私と同じように「generalistという単語、ネイティブは使わないのでは?」という疑問を持っている人もいるようです。また、医療界と同じような意味で「ジェネラリスト」という言葉を用いて「ジェネラリストとスペシャリスト、有利なのはどちらか?」という観点から就職活動をする若者向けに書かれているコラムもありました。

 どうやらこれ以上の議論は不毛のようです。単なる言葉遊びになるからです。今回は、医療界で言う意味、つまり幅広く何でもおこなうという意味のジェネラリストとスペシャリストのどちらを目指すべきか、について考えてみたいと思います。ですが、ジェネラリストの本来の意味は、前回述べたように「多くの領域で”才能”のある人」となりますから、それを自分で言うのはこっ恥ずかしいので「何でも屋」としたいと思います。もう一方が英語であればおかしいのでスペシャリストは「専門家」としたいと思います。

 私の立場は「何でも屋」です。総合診療医(プライマリ・ケア医)ですから、風邪から精神症状まで何でも診ます。局所麻酔下の手術もおこないますが、実はここ数年間手術からは遠のいています。太融寺町谷口医院はもう手一杯で10年前のように手術時間を確保できないのです。離島や医師一人の村などでがんばっている医師たちは手術もおこないますが、数年間のブランクができてしまった私にはもう自信がありません。もう一度研修しなおして、というのも時間がとれず現実的でないので、今後私がメスを握ることはないでしょう。(そう考えると少し寂しいですが…)

 さて、私が医師として「何でも屋」を選択するようになった直接の契機は、研修医1年目のときから何度か訪れていたタイのエイズ施設でお世話になった欧米の総合診療医たちの影響です。どのような症状に対しても診察をおこない、幅広い知識を持つ彼(女)らをみて、「これが私の進む道だ!」と確信し、その後私は母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩くことになりました。ちょうどその頃が日本でも総合診療医を養成しようという機運が高まっていた時代だったのです。

 欧米の総合診療医が直接のきっかけになったのは事実ですが、実は私には随分前から物事を全体から眺める「クセ」がありました。それは最初の大学(関西学院大学)で社会学を学んでいたからです。社会学の定義や考え方は人それぞれで異なるかもしれませんが、他の社会科学系の学問、例えば経済学、法学、商学などに比べると、社会学の研究の対象は幅広く、ほとんど世の中の事象すべてと言っていいでしょう。人間の心や霊的なこと、神話や宗教も研究の対象となります。一時は社会学者への道を目指したことのある私は、ものごとを考えるときには、まず全体を俯瞰し、一見何の関係もないようにみえるものも同時に考察すべきではないか、というふうに考えていきます。

 医師として診察するときにこの「見方」は役立ちます。患者さんのなかには複数の訴えや悩みを持っていることもあり、これらは総合的に診ていく必要があります。一見関係なさそうに思える訴えも根がつながっていることがあります。例えば、ドライアイと微熱と皮疹からシェーグレン症候群が分かるといったように、です。このケースでは、皮膚だけ、あるいは目だけを診察してもなかなか正しい診断につながりません。

 それに専門医が自分の専門の臓器だけにこだわっていると思わぬ見落としが起こります。医師なら誰でも知っているエピソードに次のようなものがあります。ある循環器内科医が当直中、明け方に胃痛を訴える患者さんが来院しました。簡単な問診をしただけで胃薬を処方して帰宅させました。その後症状が悪化し同じ病院に救急搬送されることに。原因はなんと心筋梗塞。心筋梗塞の初期症状として心臓は無痛で胃痛が起こることがあるのです。この逸話はあまりにも有名で本当にあった話かどうかは分かりませんが、自分の専門の臓器だけをみていると失敗することを示唆したストーリーです。

 もちろん医療の専門家は必要です。心臓弁膜症の手術は何百例の症例を経験しなければおこなえません。一人前になるまでに十年以上の修行期間を経てようやく専門家になれるのです。脳外科医もそうですし、膵臓を専門とする内科医は初期の膵臓がんをみつけられるほどエコーの技術を上達させるにはやはり何百例もの経験が必要になります。
 
 ですが、弁膜症の難易度の高い手術ができる医師はそう多くいなくても問題ありません。人口十万人にひとり程度で充分でしょう。てんかんの外科手術の達人は地域に一人でいいでしょうし、1ミリの膵臓がんを発見できる膵臓内科医も同じです。

 医療界以外の専門家をみてみましょう。プロで活躍できるゴールキーパーは日本全国で数十人もいればポストが埋まってしまいます。リサイタルが開けて食べていけるピアニストのポストもせいぜい数百人くらいでしょう。ピアノのあるラウンジなどでアルバイトくらいはできるかもしれませんが、それで一生やっていくのは困難です。

 そして、これは一般社会でも同様でしょう。ギリシャ語のレベルが全国30番以内だったとしてもそれだけで食べていくのは困難でしょうし、アインシュタインの相対性理論とハイゼンベルクの不確定性原理がサクサクと理解できる人(ちなみに私は双方ともほとんど理解できません…)もそれだけでやっていける人というのはごくわずかです。

 つまり、「専門家」というのはトップレベルのほんの一握りに入らない限り、それだけでは生きていけないのです。そしてほとんどすべての領域において専門家になるには努力以外の「才能」が問われます。先述した医師の例でいえば、卓越した外科医は絶対に才能が入りますし、エコーの達人になろうと思えば瞬時に三次元のイメージができるセンスと才能が必要です。スポーツや音楽の世界では言わずもがなでしょう。

 しかし、世の中のほとんどの人(もちろん私も含めて)はそのような恵まれた「ギフト」を持っていません。「夢を壊すな」と怒る人がいるかもしれませんが、私は現実に目を向けるべきだと考えています。小学生の頃、先生が「誰でもなにか得意なことがあるはず。それを伸ばせばいい」と言っていました。これは小学生にはいい教育方法かもしれませんが、例えば「ゴム跳び」がクラスで一番うまい生徒がそれだけで生きていくことはできません。

「ギフト」に恵まれた人は「専門家」を目指せばいいと思いますが、(私のように)「何でも屋」として生きるという息苦しくない道があることも知っておいた方がいいでしょう。過去にも述べたように、若い頃は目の前に与えられた課題やミッションにひたすら取り組み、「何でも屋」には必須のコミュニケーション能力を上達させれば、たとえ「これだけは誰にも負けない」というものがなかったとしても、それなりに楽しく生きていけるものです。

 今日も私は、世界中の数ある医学誌から、臓器にとらわれず精神疾患や予防医学も含めて、興味深い論文を拾い読みしていきます。「専門家」ではありませんから「この領域だけは誰にも負けられない」などというプレッシャーはまったくありません。

「何でも屋」であるが故に日ごろの勉強も楽しくて仕方がない…、というのは偽りのない本音です。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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