2015年6月29日 月曜日

2015年6月30日 減らない「まつ毛エクステ」のトラブル

 太融寺町谷口医院は都心部に位置していることもあり、美容関係のトラブルに合ったという患者さんがしばしば受診されます。脱毛時の熱傷と並んで多いのがまつ毛エクステンション、「まつ毛エクステ」の被害です。

 2010年2月、独立行政法人国民生活センターはまつ毛エクステの被害が相次いでいることを発表し、当院の「医療ニュース」(下記参照)でも報告しました。

 同センターの発表でトラブルが減少することが期待されたのですが、危害はむしろ増加傾向にあるようです。

 2015年6月4日、同センターは「後を絶たない、まつ毛エクステンションの危害」と題した報告をおこないました(注1)。
 
 同センターによりますと、まつ毛エクステンションの施術を受けたことにより目が痛くなったなどの危害情報が2010年度以降599件に上り、毎年100件以上で推移しているそうです。

 まつ毛エクステは法的に「美容行為」であり、施術者には美容師の免許が必要です。しかし無免許の者が施術することがあるようで、警察庁によりますと、美容師法違反での検挙数、つまり無免許でまつ毛エクステを実施したことでの検挙数が2013年に18件、2014年は12件に上ります。

 同センターでは報告書のなかで次の呼びかけをおこなっています。

まつ毛エクステンションは美容行為であり、業として行うに当たっては美容師の免許が必要です。美容師ではない人が施術をしていると思われたら、最寄りの保健所や都道府県の衛生担当部署へ情報提供してください。

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 ちなみに法律では「美容師は、美容所以外の場所において、美容の業をしてはならない」と定められています。(美容師法第7条) またこの法律では美容所の開設には都道府県知事への届出が義務づけられています。(同法第11条)

 以前当院にまつ毛エクステのトラブルで受診された患者さんは、「施術を受けたエステティックサロンは美容室とはまったく違うし、届出しているとも思えない。エステティシャンが美容師の免許を持っていたとも思えない。そもそも危険性についても説明はまったくなかった」と話していました。

 ちなみにこの患者さんは、このトラブルを国民生活センターや保健所に届けていません。おそらく、同センターが報告としてあげている数字は「氷山の一角」で、実際にはこの何倍、何十倍の被害者がいるのでしょう。

 法律にはたしかに「かたちだけ」で現実的でないものもありますが、まつ毛エクステのトラブルは接触皮膚炎(かぶれ)や感染症(細菌性結膜炎)も多くあり、早期治療が必要な被害です。

 トラブルが生じた場合、責任は加害者にありますが、後遺症が残ってからでは遅すぎます。「自分の身は自分で守る」という原則を思い出し、国民生活センターが呼びかけている「美容師ではない人が施術をしていると思われたら、最寄りの保健所や都道府県の衛生担当部署へ情報提供してください」という忠告は覚えておくべきでしょう。

注1:国民生活センターのこの発表は下記URLで全文を読むことができます。

http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20150604_1.pdf

参考:医療ニュース2010年2月22日「まつ毛エクステのトラブルが急増」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2015年6月29日 月曜日

2015年6月29日 ピーナッツアレルギー予防のコンセンサス

 ピーナッツアレルギーに対する考え方が変わってきている、ということを以前お伝えしました。(下記「医療ニュース」参照)

 以前の考え方では、妊娠中はナッツ類の摂取を避けて、出生後も早い段階でナッツを食べるべきでない、とされていましたが、これを完全に否定する研究が相次いで発表されました。つまり、母親は妊娠中にナッツを積極的に食べるべきで、出生後は、早期に積極的にナッツを食べさせた方がアレルギーが起こりにくいという考えが注目されているのです。

 従来のこととまったく正反対のことが主張されると当然混乱を招きます。「ピーナッツを食べるな!」が、一転して「早く食べろ!」となったわけですから、いわばコペルニクス的な展開です。

 現場の混乱を抑えることを目的として、世界のアレルギーに関する10の学会が共同でコンセンサスを発表しました(注1)。10の学会は、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリアなどのアレルギー関連の大きな学会で、「日本アレルギー学会」もその1つに入っています。

 コンセンサスでは、最近の研究(注2)を引き合いに出し、重症の湿疹や卵アレルギーのある乳児が早期にピーナッツを摂取すると、ピーナッツアレルギーの発症を大幅に減らすことができるとしています。

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 このコンセンサスを受けて「すべての乳児がピーナッツを早期に食べる」のは危険です。この共同声明が引き合いに出しているのはLEAPと命名された大規模研究ですが、すべての乳児がピーナッツを食べてよい、と言っているわけでは決してありません。

 ピーナッツアレルギーというのは、一気に重症化する可能性もありますから、安易に食べさせると取り返しの付かないことになりかねません。ですから、すでにピーナッツアレルギーの可能性がある小児の親御さんは、まず主治医に相談すべきです。

 ピーナッツアレルギーかどうかを知りたいので血液検査をしてほしい、という依頼がときどきありますが、血液検査のデータは、特に小児の場合はあくまでも「参考」です。問診及び食物負荷試験(入院してもらい実際にピーナッツを摂取してもらう試験)が必要になります(注3)。

 今回のコンセンサスとこれまでの研究などから考えて現段階で言えることは次のとおりです。

・母親にピーナッツアレルギーがなければ妊娠中にピーナッツを積極的に食べて問題ない。

・乳児自身にアレルギー疾患を疑うエピソードがなければ早期にピーナッツを積極的に摂取してもよい。(むしろ積極的に摂取すべき)

・何らかのアレルギー疾患を有している小児は、ピーナッツを摂取すべきかどうかまず主治医に相談すべき。

 また、このサイトで過去に何度か紹介している「Dual Allergen Exposure Hypothesis」(2通りのアレルギー曝露仮説)を考慮すると、次の2つも重要です(注4)。

・湿疹や傷があった場合、保湿をしっかりおこなうなどして、ピーナッツのエキスが皮膚に触れないようにしなければならない。

・ピーナッツオイルを皮膚に塗るべきではない
 
 ピーナッツアレルギーはいったん発症すると治りにくく、重症化しやすく、アーモンドやカシューナッツなど他のナッツ類なども食べられなくなることもあります。一方では、ナッツ類は非常にすぐれた健康食でありますから、できることなら何としてでもアレルギーは避けたいものです。

 乳児期のピーナッツアレルギー対策がその後の人生に大きな影響を与えると言っても過言ではないでしょう。

注1:このコンセンサスは下記URLで全文を読むことができます。

http://www.jacionline.org/pb/assets/raw/Health%20Advance/journals/ymai/Consensus_Communication_Submission_Unmarked.pdf

また日本アレルギー学会のサイトにも和文で掲載されています。

http://www.jsaweb.jp/modules/news_topics/index.php?page=article&storyid=232

注2:このコンセンサスで最も重視している研究の概要は下記URLで参照することができます。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1414850

注3:入院施設のない医療機関ではこの試験はできませんし、実施できる医療機関は現時点で多くなく今後対応できる病院が増えることが望まれます。太融寺町谷口医院では、アレルギー検査については現在は成人のみを対象としています。

注4:これについて詳しくは下記「メディカルエッセイ」を参照ください。

参考:
メディカルエッセイ第136回(2014年5月)「免疫学の新しい理論」
医療ニュース(2015年3月30日)「変わってきたピーナッツアレルギーの予防」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2015年6月19日 金曜日

第149回(2015年6月) 世界で最も恐ろしい生物とは?

 マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは『gatesnotes』というタイトルのブログを運営しています。そのブログの2014年4月25日に「The Deadliest Animal in the World」というタイトルで、人間を死に至らしめる動物のランキングが掲載されています(注1)。

 このブログが公表されたとき、いくつかのマスコミにも取り上げられましたからこの話はすでに有名になっているのかもしれませんが、まだ聞いたことがないという人は、答えを聞く前に自身で考えてみて下さい。

「The Deadliest Animal」、つまり、「人を殺す動物」ですが、ビル・ゲイツのこのランキングでは、年間に何人の人間が殺されたかを基準にしています。トップをいきなり紹介するよりもランキングを下からみていきましょう。

 第14位は「サメ」と「オオカミ」で年間死亡者は各10人、12位は「ライオン」と「象」で死亡者は各100人ずつです。ライオンはともかく象は意外な気がしないでもないですが、たとえばタイでは「象に踏まれて死亡」という記事が現地の新聞にときどき載っています。

 第11位は「カバ」で年間死亡者は500人、10位は「ワニ」で1,000人です。9位が死亡者数は2,000人で動物の名称は英語でtapewormとされています。英語が得意な方はtapewormと聞くと「サナダムシ」を思い出すと思うのですが、ここでいうtapewormはサナダムシのことを指しているのではなく生物学でいう「条虫」全体のことを指しています。条虫には人間にあまり有害性のないものから治療法のない死に至る病まで様々なものがあります。サナダムシは正式には「無鉤条虫」という名称で、昔の日本人の腸のなかにはよくいましたし、今でも自らサナダムシを飲み込んで腸内で”飼育”しダイエットをおこなうという変わった人もいます。

 最近ブタの生食が危険であることが頻繁に指摘されるようになり、今月(2015年6月)からブタの生肉の飲食店の提供が法律で禁止されることになりました。この原因はE型肝炎ウイルスの感染が急増しているからですが、有鉤条虫という条虫の一種に感染することもあり日本のブタからの感染報告は多くはありませんが死に至ることもあります。

 第8位は「回虫」(蛔虫)で年間死亡者は2,500人です。回虫はヒトの糞便を口にする機会がなければ感染しませんから、上水道がきれいで肥料に糞便を使わなければ感染はなくなるはずです。実際日本では衛生状態がよくなってからはほとんど消失しました。しかし水がきれいな国というのはあまりありませんから、今も世界では数億人のヒトが回虫に感染しています。また、日本でも有機栽培のブームが原因で感染者の報告も散見されます。

 第7位は「住血吸虫」で年間死亡者は10,000人です。医学部で勉強しない限り「住血吸虫」などという生物の名前を聞くことはほとんどないと思いますが、住血吸虫のなかには「日本住血吸虫」というものもあり、文字通りかつての日本で多い感染症だったのです。住血吸虫は川で水浴びをしたときなどに皮膚から浸入してきます。症状としては感染してしばらくすると発熱や下痢を生じ、その後肝硬変をきたすこともあります。

 現在の日本では心配することはないと思いますが、世界では熱帯地方の川には様々な住血吸虫がいます。たとえばメコン川流域にはメコン住血吸虫がいますし、南米やアフリカにはマンソン住血吸虫がいます。川の水には充分に注意しなければならないのです。また日本住血吸虫は現在の日本にはまず存在しませんがフィリピンにはいます。

 さてここからがトップ5の発表です。6位がないのは5位が2つあるからです。ひとつめの第5位は「サシガメ」で年間死亡者数は10,000人です。サシガメといわれてもピンとこないと思いますが、これは南米に生息するカメムシです。カメムシ(サシガメ)自体に毒があるのではなく、このカメムシに寄生しているクルーズ・トリパノソーマと呼ばれる原虫が原因です。この原虫が体内に入ると発熱や倦怠感をきたしますが、この時点で診断がつくことはあまりありません。その後10年以上経た後に心臓、消化管、脳などに症状が出現します。この病名を「シャーガス病」と呼びます。長い潜伏期間を経たのちに致死的な状態になることから南米では「もうひとつのエイズ」と呼ばれることもあるそうです。

 もうひとつの第5位は「ツェツェバエ」と呼ばれるサシバエの1種でこちらは南米ではなくアフリカに存在します。トリパノソーマと呼ばれる原虫がツェツェバエに寄生し、ツェツェバエに刺されたときにその原虫が人の体内に侵入します。この病気は「アフリカ睡眠病」と呼ばれ、文字通り傾眠状態から昏睡に至ります。

 5位のふたつは似ていますので整理してみましょう。どちらも昆虫に寄生しているトリパノソーマという種類の「原虫」が真の病原体であり、一方は刺すカメムシの「サシガメ」、もう一方は刺すハエの「サシバエ」、一方は南米でもう一方はアフリカ大陸です。症状はどちらも緩徐に進行し死に至る病です。日本でカメムシやハエに遭遇しても怖くはありませんが、こういった地域では死に至る病がすぐ身近にあるということです。

 第4位は「イヌ」で年間死亡者数は25,000人です。アジアなどではときどきイヌに噛み殺された幼児の記事がでていますがそのような例はさほど多くありません。ここで言っている「イヌ」は狂犬病のことです。狂犬病は過去に詳しく述べたことがあるので(注2)ここでは繰り返しませんが、発症すると100%死に至る病であることと、ワクチンで完全に防ぐことができることを繰り返しておきたいと思います。

 第3位は「ヘビ」で年間死亡者数は50,000人です。私はこのビル・ゲイツのブログをみたときに知人何人かに「世界で最も恐ろしい生物は?」と尋ねてみたのですがヘビをあげた人が何人かいました。今も奄美諸島や沖縄ではハブは恐怖の生物ですし、マレーシア、カンボジアあたりのジャングルなどにはキングコブラがいます。私は経験したことがありませんが、突然何メートルもの巨大なコブラが首をあげたまま襲ってくるシーンは想像するだけで身の毛がよだちます。もろに咬まれると死を逃れることはできないでしょう。

 私は現在大阪に住んでいますが、高校までは三重県伊賀市(当時は上野市)に住んでいました。中学生になってからはあまり草むらにはいきませんでしたが、小学生時代は草木の生い茂った野山で遊ぶことが多く、大人からは「マムシだけには気をつけろ」と言われていました。アオダイショウなどの普通の(害のない)ヘビとマムシはまったく異なります。マムシは人に出会っても(私が子供だからなのかもしれませんが)逃げることはありません。むしろ立ち向かってこようとします。咬まれたことはありませんが、私には今もマムシの恐怖心が消えません。それに現在の日本でも毎年数人はマムシに咬まれて死んでいます。

 第1位と第2位は3位以下とは死亡者数の桁が違います。第2位の生物には年間475,000人もの人命が奪われています。そして第1位の生物にはなんと年間725,000人もが殺されているのです。

 さてその第2位ですが、これは私の知人に尋ねたところ最も多かった回答で、シニカルな人ほど世界で最も危険な生物としてこの生物を選びました。その生物とは「ヒト」です。大規模な戦争などはなくとも、民族紛争、テロなどで50万人近くの尊いヒトの命が奪われていることに注目すべきでしょう。

 さて、そのヒトを差し置いて第1位となった生物は何かわかりますでしょうか。答えは「蚊」です。ダントツの1位が「蚊」ということを意外に感じた人は少なくないのではないでしょうか。私は自分が考える前にランキングの表を先に見てしまったのですが、このようなクイズを出されて蚊とは答えられなかったと思います。

 実際、ビル・ゲイツのこのブログの文章も、いかに蚊対策が重要かということばかりが述べられており、蚊の重要性を言いたいがためにこのようなランキングをつくったのだと思われます。

 さて、蚊に刺されて死ぬのは蚊そのものに有害性があるわけではなく、蚊に寄生している病原体が原因です。最も多いのはもちろん「マラリア」ですが、デング熱(デング出血熱)やチクングニア熱でも死亡することはあります。

 日本脳炎も現在の日本にはほとんど存在しませんが、アジア諸国では死に至ることのある病です(注3)。フィラリアについても、現在の日本国内での発生はほとんどありませんが、熱帯地方では今でも年間1億人以上が感染し死亡することもあります。ブラジルでワールドカップが開催されたときに話題になった黄熱もネッタイシマカが媒介しますし、米国でときどき報告のあるウエストナイル熱も蚊が媒介するウイルス感染です。

 海外の論文を読んだり、熱帯医学の情報収集をしたりしていると、いかに日本人が蚊に無頓着でいるか、逆に言うと、蚊の心配がほとんど不要な日本とは何といい国か、ということを思い知らされます。しかし、日本でも過去には九州地方を中心にフィラリアで命を落とした人が少なくありませんでしたし、日本脳炎は今も日本に渡航する外国人からは恐れられていると聞きます。

 現代の日本人にとって、海外旅行が身近なものになり、帰国後のデング熱やマラリア感染も増加傾向にあります。昨年(2014年)国内で150人以上が感染したデング熱のことを忘れないようにして、これからは国内外で蚊の対策を各自がおこなう必要があるでしょう(注4)

 
注1:このサイトは下記URLで読むことができます。

http://www.gatesnotes.com/Health/Most-Lethal-Animal-Mosquito-Week

注2 狂犬病については下記も参照ください。
はやりの病気第130回(2014年6月)「渡航者は狂犬病のワクチンを」

注3 日本脳炎については下記も参照ください。
はやりの病気第63回(2008年11月)「日本脳炎を忘れないで!」

注4 蚊の具体的な対策については下記を参照ください。
トップページ「旅行医学・英文診断書など」のなかの「その他蚊対策など」
はやりの病気第141回(2015年5月)「マラリアで死んだ僕らのヒーロー」

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2015年6月19日 金曜日

第142回(2015年6月) E型肝炎対策と生肉の楽しみ方

 2011年に集団食中毒を起こし5人の子供の命を奪った北陸の焼肉チェーン店「焼肉酒家えびす」に対し今も否定的な気持ちを持っている人は少なくないでしょう。

 この事件を受けてこの焼肉屋は倒産しましたが、事はそれで終わりませんでした。2011年10月1日、生食用牛肉の処理に関する厚生労働省の基準が改正されました。ここまではいいのですが、2012年7月にはこの事件のせいで生レバーが禁止されました。

 生レバーが大好きという日本人は少なくなく、提供禁止となる直前には焼肉屋での需要が急増し、生レバーを惜しみながら食べる人が大勢いたそうです。その後は、あからさまに生レバーを提供する店はなかったでしょうが、こっそりと「裏メニュー」のようなかたちで客に出している店があり摘発されたところもあります。

 法律のなかには「形だけ」のものもありますが、摘発が相次いだことから、今ではほぼすべての焼肉屋で生レバーを食べられなくなっています。生レバーを提供し、スタッフや客の誰かひとりが裏切って通報すればその店は即つぶれることになりますから、このようなリスクを背負う店はほとんどありません。

「焼肉酒家えびす」の事件さえなかったら・・・。このように考えている人は少なくないはずです。その後、生レバーを諦めきれない人たちがどうしたかというと、牛から豚にシフトしました。法律で決められたのは「牛の生レバー」ですから、豚や鶏など他の肉では規制がないわけです。

 そこで、豚肉を提供する焼肉屋では積極的に豚の生レバーをメニューに加えるようになりました。豚のレバーも牛に劣らないくらい美味しいらしく(私は食べたことがありませんが)、「牛生レバー禁止令」が出てからすぐに豚生レバーの知名度が上がりました。

 しかし落とし穴がありました。豚肉は牛肉と異なりE型肝炎ウイルスのリスクがあるのです。

 国立感染症研究所の報告によりますと、E型肝炎ウイルス感染の報告数は2012年以降に急増し、2014年は146人となりこれは過去最多となります。これを受けて今月(2015年6月)から、豚肉の生肉提供が法律で禁止されるようです。

 全国でたった146人と聞くと、なんだそんなものか、と思う人もいるでしょうが、実際に感染している人はこの何十倍もいるはずです。というのは、E型肝炎ウイルスは不顕性感染といって感染しても発症しない人が多く、また発症したとしても一過性で、しばらく倦怠感と微熱が続いたけどいつのまにか治った、という人も少なくないからです。このようなケースでは医療機関を受診しないことが多いでしょうし、受診したとしても軽症のまま治ってしまえば医師が感染に気付きません。

 治ったのだからいいではないか、と感じる人もいるかもしれませんが、もしも体内に入ってきたウイルス量がもっと多ければ、あるいは、体調が悪く免疫力が正常でなかったとしたら、場合によっては重症化したかもしれません。

 E型肝炎には慢性化はありません。食べ物から感染するということ、慢性化がないということ、特効薬がないということ、劇症化があり死に至ることもあること、などはA型肝炎と似ています。潜伏期間も6週間程度で、A型肝炎の場合は4週間程度ですから少し差はありますが同じような感染症と考えていいでしょう。

 教科書的な話を補足しておくと、E型肝炎の不顕性感染はA型肝炎よりは少なく、また劇症化(重症化)する確率もA型肝炎よりは多いとされています。特に妊婦さんが感染すると高率に劇症化します。この点は大変重要で、私は妊娠の可能性のある患者さんがアジア方面に旅行に行くと話された場合は、屋台での食事を控えるように助言しています。(もっとも、妊娠初期は搭乗事態が流産のリスクになりますから海外渡航は可能な限りやめてもらっていますが)

 ワクチンは現在海外で開発中で、一部はかなり実用化に近づいているという情報もありますが、日本国内で接種できるようになるにはまだ当分かかりそうです。

 肉の生食に話を戻しましょう。E型肝炎ウイルスのリスクがある豚の生肉摂取が禁止されるのは当然と私は考えていますが(注1)、他の肉にも注意が必要です。最近は「ジビエ」と呼ばれる野生のイノシシやシカを食すのがブームのようですが、こういった肉にもE型肝炎ウイルスが感染していることが知られています。火を通せば問題ありませんがユッケやタタキなど生で食べることは慎まなければなりません。

 あれも食べるな、これも食べるな、と言われると、寂しくなるというよりは反発したくなります。個人的なことを言えば、牛の生レバー禁止は解除してもらいたいと私は考えています。もちろん危険性は周知させるべきですし、一定の基準を設ける必要はあります。また、行政の抜き打ち検査のようなものは取り入れるべきでしょう。しかし、完全禁止は「食文化の否定」に他ならず、私の意見は「昔から食べていたものを安易に禁止すべきでない」というものです。

 牛肉の生レバー禁止賛成という人たちが安全衛生以外のことでよくいう理由に「生レバーを食べるのは日本人くらい」というものがありますが、これはおかしな理屈です。この理屈に従うならそのうち牛肉のタタキも食べられなくなるかもしれません。何を食べるかというのは伝統に従ってその地域の人々が決めるものであり、今回のコラムの趣旨とは異なりますが、現在話題になっているクジラやイルカを食べることを外国人が非難するのも私はスジ違いだと思います(注2)。

「グリーンピース」を代表としたNGOは日本のクジラやイルカを目の敵にしていますが、ではイヌはどうなのでしょう。よく知られているように韓国や中国ではイヌを食べる食文化がありますし、タイでも東北地方のサコンナコン県などでは今もイヌを食す人がいます。ネコについては私自身は食べたという人に会ったことはありませんが、中国の一部の地方では今もネコを食べる文化があると聞きます。イヌやネコは食べてもよくてクジラはいけない合理的な理由があるなら是非聞いてみたいものです。もしも日本が一部の環境団体からの圧力に屈しクジラを食べなくなってしまえば、おおらく次の日本食のターゲットは馬になるでしょう。馬刺しが過去の産物となりヤミ市場でしか手に入らなくなるかもしれません。

 話を感染症に戻します。大切なのはどのような法律をつくるべきかではなく、安全に美味しく食事をするにはどうすればよいか、です。法律がなくても鮮度の落ちた鶏肉や魚介類を生で食べてはいけませんし、何分以上火にかけなければならないという規則ができたとしてそれに秒単位でこだわるのはナンセンスです。

 安全に美味しく生肉を食べる方法、それは「昔からその地域で食べている方法で食べること」です。わかりやすい例を紹介したいと思います。

 タイのイサーン(東北地方)では、発酵させたサワガニの入った「ソムタム・プー」と呼ばれるパパイヤサラダがあります。「発酵」といっても実際の臭いは生のサワガニそのものであり発酵臭というよりは腐敗臭にしか日本人には感じられません。私はこの料理を初めて出されたとき、どうしても口にすることができなかったのですが、その後も何度も勧められついには食べられるようになりました。当初食べられなかった一番の理由は「臭くて吐き気を催すから」ですが、もうひとつの理由は「肺吸虫は大丈夫なのか?」というものです。生のサワガニが肺吸虫という寄生虫のリスクになることは医学を学んだものであれば常識ですから、いくら現地の人たちが毎日食べていると聞かされても躊躇するのです。

 今では私はこのソムタム・プーを抵抗なく食べられるようになりましたが(注3)、私が危惧していた事故は日本で起こりました。九州に滞在している複数のタイ人が、日本のサワガニを用いてソムタム・プーをつくり、これを食べてウエステルマン肺吸虫に罹患したという報告がおこなわれたのです(注4)。

 ところで、海外にしばらくいると無性に日本食が食べたくなることはないでしょうか。日本人の大好きな定番メニューに「卵かけご飯」があります。ほとんどの国では鶏卵は比較的簡単に入手できますが、では日本にいるときと同じように卵がけご飯を食べてもいいのでしょうか。答えは「否」です。

 現地の人が食べていないものを食べるのは原則として慎むべきです。ちなみに私は以前バンコクにいるときにどうしても生卵が食べたくなりそのために日本料理店に行ったことがあります。生卵ひとつの値段がたしか150バーツ(当時のレートで約450円)もしました。そのときは、近くの屋台で売られているゆで卵を5つ串にさしたものが20バーツ(つまり1個4バーツ)でしたから生卵は驚異的な価格です。普通にスーパーなどで売られている卵は生で食べられないのです。

 もっと分かりやすい例をあげましょう。日本では全国どこにいっても水道水が飲めますが、こんな国はほとんどありません。海外に行けば多くの国ではペットボトルの水を携帯しなければなりません。

 日本のいいところとして、四季、風景、工芸品、日本食、古典芸能、きれいな街並、日本製品、新幹線、アニメなどいろんなものが挙げられますが、私が日本がすばらしいと思う3つの点は「鶏卵を生で食べられること、水道水がどこへ行っても飲めること、トイレに紙を流していいこと」です(注5)。これら3つを適えた国は、おそらく日本以外には存在しないのではないでしょうか。

 まとめです。危険性を考えて法律で肉の生食を規制するのはある程度は必要なことではありますが、牛の生レバーを完全禁止するようなことを続けていれば、そのうちに卵がけご飯が禁止されてしまう時代がくるかもしれません。これまで食してきた文化を尊重し、いきすぎた規制には反対すべき、と私は考えています。

注1:ここでは述べませんが豚の生肉にはE型肝炎ウイルス以外に、様々な寄生虫や細菌感染のリスクがあります。寄生虫では有鉤条虫が、細菌ではサルモネラが有名です。

注2:ただし日本は「科学調査目的」と言い張って捕鯨し、実際にはクジラの肉を食べているわけで、これはおかしいと思います。かつてオーストラリアに指摘されたことがありますが、日本が科学調査目的と言い張るならキャッチ&リリースすべきです。食用として捕鯨したいのですから、アイルランドが昔から言っているように「漁民の生活のために一定の捕獲を認めてほしい」と言えばいいわけです。

注3:ただし私は今でもソムタム・プーを含めたイサーン料理を現地の人と毎日食べるとそのうちに下痢をします。また私はA型肝炎ウイルスのワクチンを接種しているから、現地の人と同じものや屋台での食事がおこなえるのです。このコラムを読んでイサーンの現地料理を食べたいと思った人がいれば渡航前にかかりつけ医に相談してください。

注4:国立感染症研究所のウェブサイトに記載があります。興味のある方は下記URLを参照ください。

http://idsc.nih.go.jp/iasr/25/291/dj2916.html

注5;少し補足しておきます。まず鶏卵の生食ですが、日本のように食べる国はないと思います。ヨーロッパでは私の知る限り鶏卵を生で食べる国はほとんどありません。アメリカやオセアニアでは「サニーサイドアップ」と呼ばれる半生の目玉焼きはありますが完全に生のものは聞いたことがありません。韓国ではユッケに生卵の黄味が使われますが卵がけご飯はないと思います。

水道水が飲める国、さらに全土で飲める国というのはあまりないはずです。UKではロンドンでは飲めるようですが、地方に行くと飲めないと聞いたことがあります。アジアで水道水が飲める国は皆無です。ただ、ニュージーランドと(たしか)オーストラリアでは日本と同じように全土で飲めると聞いたことがあります。

トイレに(便器に)紙を流していい国は、先進国では増えているようですが、それでも全土で流せる国はそう多くはないと思います。アジアではその国のどこへ行っても紙を流すことのできる国は(私の知る限り)ありません。この点については『マンスリーレポート』2012年9月号「トイレの使い方、間違ってませんか?」も参照ください。

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2015年6月10日 水曜日

2015年6月号 医療機関での暴言と暴力~2つの重要なこと~

「ハード・クレーマー」という言葉が一般化したのはいつからでしょうか。レストランやショップなどで客が店員に理不尽な要求をしたり、些細なことで土下座まで要求したり、といったことがときどき報道されていますが、このようなことが頻繁に起こりだしたのは2000年代に入ってからでしょう。ちなみに「ハード・クレーマー」という表現は完全に和製英語で日本人にしか通用しません。

「モンスター・ペアレント」という言葉も和製英語で、私自身はこの表現に抵抗がありますが、おそらく理不尽な要求を学校に突きつける親が急増したのは2000年代になってからではないでしょうか。

「モンスター・ペイシェント」という言葉が生まれたのは、おそらく「モンスター・ペアレント」という表現が一般化してからでしょう。もちろん、これも和製英語で私自身は好まない表現なのですが、医療現場ではすでに一般化しており、医療者どうしの日常の会話でもしばしば登場します。

 些細なことでクレームをつける輩が昔に比べて増えているということは多くの人が感じているに違いありません。また、その逆にレストランやショップ側は丁寧すぎる応対をしていると感じているのも私だけではないでしょう。「おもてなし」もけっこうですが、あまりにも丁寧な対応はこちらが”ひいて”しまいます。

 すべての顧客に対し、まず目を見て両肘を少し外に突き出すかたちで両手をおなかの前で合わせ「かしこまりました」と丁寧にお辞儀をする店員が増えましたが、このような対応は五つ星クラスのホテルではさまになるでしょうが、コンビニやチェーン店のコーヒーショップの店員にされてもかえって不自然で気持ち悪い、と感じます。

 先日タクシーに乗ったとき、ドライバーが「最近横柄な態度の客が増えて困っているんですよ」と言っていましたが、私に言わせれば、丁寧すぎる対応をするドライバーにも原因があります。いちいちタクシーを降りて乗客のために後部座席のドアを開けるサービスなどやめてしまえばいいと思うのは私だけでしょうか。私に言わせれば、自動でドアが開くサービス自体がすでに過剰なものであり、タクシーのドアは乗客が開けるようにすべきだと思います。

 話をすすめましょう。今回お話したいのは医療機関での患者の暴言・暴力についてです。先日「m3.com」という医療系のポータルサイトに「8割が患者・家族から暴力や暴言」というタイトルの記事が掲載されました。同サイトの調査によると、患者から「暴言のみを受けたことがある」医師が61.3%、「暴力のみ受けたことがある」0.6%、「暴言と暴力の両方を受けたことがある」16.6%で、合計78.59%の医師が患者から暴言・暴力を受けたことがあると答えていることになります。

 こう聞かされると、これから医師を目指している人は、常に暴言や暴力に怯えながら仕事をしなくてはいけないのか・・・、と医師になるのを躊躇してしまうかもしれないので、私の経験を通して実態を説明したいと思います。

 まず、この数字、つまり約8割が患者からの暴言・暴力の経験があるということについて補足しておくと、どこからが「暴言」で「暴力」かという定義にもよりますが、何らかの暴言・暴力を受けたことがある医師は、例えば大阪の夜間救急外来をしている病院での勤務経験があればほぼ100%になります。

 大阪人が暴力的だとは言いませんが、おとなしい人ばかりでは決してありません。私はこれまでに10以上の大阪の医療機関で夜間の救急外来での勤務経験がありますが、どんな症例でも積極的に受け入れる病院では、急性アルコール中毒、けんかでの外傷、自殺未遂などが次々とやってきます。

「わしは酔ってないんや!」と叫びながら救急車で搬送されてくる酩酊した中年男性、外傷を負ったためにやむなく病院に来たけれどもけんかの怒りがおさまらない若い男性、睡眠薬を多量に飲んだ後リストカットをおこない家族に救急車を呼ばれ目が覚めると「なんで助けたんや!」と泣きわめく若い女性・・・。日によってはこのような症例のオンパレードになることもあり、救急治療室の中では老若男女の罵詈雑言が飛び交い、スタッフに暴力をふるおうとする患者は人手を使っておさえこまなければなりません。ときには警察を呼ぶこともあります。

 ただ、このようなケースの多くはあらかじめ暴言・暴力を前提として我々は対処しますし、翌日になれば自分が暴言・暴力をはたらいたことをまったく覚えておらず、シュンとして深々と頭を下げて帰って行く患者さんも少なくありません。こういうケースではさほどストレスになりません。

 一方、日頃の外来や病棟での暴言・暴力は、それなりに対策を講じる必要があります。よくあるのが、治療が上手くいかなかったときです。医療機関にかかればすべての病気が治るわけではありません。しかし、一部の患者は「医療機関では100%治せて当たり前」と思っています。例えば、手術をしたが機能が回復しなかったとき、検査入院をおこなったが診断がつかなかったとき、などに小さなクレームが暴言に移行することがあります。いつのまにか「親戚」を名乗る反社会性を帯びたような人たちがやってきて「胸ぐらをつかむ」くらいの脅しが始まることもあります。「訴える!」とすごむ人もいれば、「ここまで来たタクシー代を出せ」、「仕事を休んで来たのだから給料保証をしろ」、とかそういう無茶なことを言う人もなかにはいます。

 いつも患者さんの立場に立ち誠実な対応をしているつもりでも、運が悪ければこのように患者からの暴言・暴力に悩まされることもあります。こういったときどうしていいか分からない・・・、という若い医師から相談を受けたときに私が伝えていることは次の2つです。

 ひとつは「最優先事項は自分の身を守ること」ということです。暴力に屈してはいけませんが暴力の犠牲になるのはもっといけません。身の危険を感じれば、逃げる、大声を出すなどを躊躇なくすべきです。そして、他のスタッフや上司に直ちに報告しなければなりません。もしも暴力を受けたなら警察を呼んだり、法的手段に訴えたりするということを患者か家族に宣言してもいいと思います。

 実は、私は医師になりたての頃は、「どんなに怒り心頭の患者さんでも誠意を持って話しをすれば理解してもらえる」という考えを持っていました。しかし、なかには話の通じない人も少数ではありますが存在することを知るようになりました。世の中には、わずかではありますが、良心を持たない人が存在するのです。そのような人には何を言ってもムダです。
 
 もしも患者から暴言・暴力を受けるかもしれないという空気を察したときは「最優先事項は自分の身を守ること」というルールを思い出すのです。日頃から誠実に一生懸命やっていれば、職場のスタッフのみならず、社会全体があなたを応援してくれます。

 患者の暴言・暴力で忘れてはならないもうひとつは、「医師よりも看護師や他の医療スタッフの方が暴言の被害に合い、暴力の危険に晒されている」ということです。先に紹介した夜間の救急外来でわめく人たちは、誰が医師で誰が看護師で、ということを考えていませんが、日中に外来や病棟でクレームをつけてくる患者や家族は人物をみています。

 気の弱いクレーマーほど立場の弱い者をターゲットにします。医師には言えない文句を看護師に言い、看護師にも言えないことは受付にぶつけるのです。ですから、患者からの暴言や暴力のリスクに晒されているのは、医師よりも看護師、看護師よりも受付なのです。そして人の良い看護師や受付スタッフほど、多忙な医師を気遣ってそれを報告せずにいるのです。医師は患者さんの健康に貢献するために存在していますが、ある意味で患者さん以上に大切なのは共に働いている看護師や他のスタッフといった同僚です。

 ですから、もしもあなたが医師で、患者からの暴力・暴言の危険を感じたなら、一度他のスタッフにも相談してみるべきです。他のスタッフからの意見も聞いて上司にも相談し、みんなで対策を立てればいいのです。

 そして、もしもあなたが看護師や受付スタッフなどの医療従事者であれば、一番大切なのは「最優先事項は自分の身を守ること」であること、次に大事なのが「自分ひとりでかかえずに他のスタッフに相談すること」であることを覚えてもらいたいと思います。

 さらに、これからすべきこととして私が提案したいのは「過剰なおもてなし文化の見直し」です。今の日本は顧客へのおもてなしがいき過ぎており、その結果ハード・クレーマーが増えている、という私の仮説にあなたが同意されるなら、日常でできることを考えてみてください。

 タクシー乗車時にドライバーがわざわざ車から降りて後部座席のドアを開けようとしたとき、私はそれを制して「自分で開けます」と言っています。

 

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2015年6月5日 金曜日

2015年6月6日 フェイスブックで「うつ」になる理由とは

 フェイスブックのサービスが「うつ」を誘発する・・・

 このようなユニークな研究が医学誌『Journal of Social and Clinical Psychology』に掲載されました(注1)。

 なぜ、フェイスブックでうつになるのでしょうか。論文のタイトルがその答えを物語っています。そのタイトルとは、「Seeing Everyone Else’s Highlight Reels: How Facebook Usage is Linked to Depressive Symptoms」、日本語にすると「フェイスブックでうつ状態になるのは他人のいいところを見るから」くらいになるでしょうか。

 ここで興味深いのが、「他人」という表現が「someone else」でなく「everyone else」が使われていることです。おそらく、フェイスブックで他人の情報をみていると、自分以外の「他人全員」に何やら素敵なことが次々と起こり、自分だけが取り残されているという感覚になることを差しているのでしょう。

 Highlight reelsという表現も、ワクワクすること、ドキドキすること、素敵なことなどが、あたかも釣り糸に次々とかかってくるようなイメージを伴います。

 この論文の執筆者は米国ヒューストン大学のMai-Ly Steers氏です。氏は、研究によりうつ状態とフェイスブックの長時間の利用に相関があるとしています。その理由として、通常なら知ることのできなかったプライベートな情報が入ってくることで他人と自分を比較する機会が増える、といったことを指摘しています。

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 この研究についてはヒューストン大学のホームページでも別の学者(著者の指導者でしょうか)により紹介されており、こちらの方がオリジナルの論文を読むよりもわかりやすくまとめられています(注2)。

 私自身はフェイスブックをしていませんが、している友達に少し見せてもらったことが何度かあります。きれいな写真と共に近況報告がなされているわけですが、この論文を読んだときに、そういえば自慢話のようなものが多いな、ということを思い出しました。実際、この論文の著者も、フェイスブックへの投稿は悪いことは取り上げずに良いことを選択する傾向にある、といったことを述べています。

 他人の近況なんか無視すればいいんじゃないの?、と私などは思ってしまいますが、たしかに他人の行動が気になって仕方がない、他人と比較せずにはいられない、という人が多いのは事実です(注3)。私はこのような性格の者は、アメリカ人よりも日本人に多いのではないかと思っていたのですが、この研究はアメリカでおこなわれたものです。日本ではアメリカ以上に、「フェイスブックで他人と比較してうつ状態」が多いのではないでしょうか。

注1:この論文のタイトルは「Seeing Everyone Else’s Highlight Reels: How Facebook Usage is Linked to Depressive Symptoms」で、下記URLで全文(PDF)を読むことができます。

http://guilfordjournals.com/doi/pdf/10.1521/jscp.2014.33.8.701

注2:このニュースのタイトルは「UH Study Links Facebook Use to Depressive Symptoms」で、下記URLで全文を読むことができます。

http://www.uh.edu/news-events/stories/2015/April/040415FaceookStudy

注3:他人のことを気にしない、という考えに興味のある方は下記コラムも参照ください。

マンスリーレポート2015年3月号「競争しない、という生き方」

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2015年6月5日 金曜日

2015年6月5日 12歳アイドル、ヘリウム吸引意識障害報道の”誤解”

 テレビ番組の収録中に、12歳のアイドルが声が変わるヘリウムガス入りスプレーを吸い込んで意識消失で救急搬送された、という事件が数ヶ月前にありました。

 2015年5月22日、日本小児科学会は事故の発生状況や治療経過をまとめ、同学会のウェブサイトに掲載しました(注1)。

 これを受けて、一般のマスコミやネット上でもこのことが話題になっているようですが、どうも問題点がずれているように思えてなりません。この”ズレ”をここで指摘したいと思いますが、まずは事故(事件)の経過を振り返ってみましょう。

 2015年1月28日、12歳の女子アイドルは、ヘリウムガス入りのスプレー缶(ヘリウム80%、酸素20%)を吸入しました。アイドルは吸引後に右手を震わせその後後方に倒れ、後頭部強打により痙攣(けいれん)を起こしたそうです。救急車が到着した頃には意識障害と低酸素血症が出現しており、搬送先の病院ではICU(集中治療室)に入ったようです。精査の結果、意識障害は「脳空気塞栓症」といって脳の血管に空気が入り込んだことが原因であることが判明しました。2015年2月5日の時点では、高次脳機能障害を残す可能性が指摘されています。

 この事件の報道をみていると、目に付くのが「ヘリウムが危険」という主張です。一部の報道では(小児用でなく)成人用のスプレー缶が使用されたことが問題だとされています。

 しかし「ヘリウムが危険」というのは誤解です。ヘリウムは空気より軽いことから風船を膨らませるときに用いられていますがヘリウム自体に有毒性はほとんどありません。

 ここでややこしいのは、たしかにヘリウムが「自殺」に使われることがあるからです。ただし、ヘリウムで自殺できるのは、ヘリウムに毒性があるからではなく、頭からビニール袋をかぶってヘリウムをその袋に送り続ければ低酸素状態になるからです。低酸素が進行すると意識混濁となり、やがて死に至ります。

 日本ではあまり報じられませんが(あえて報道していないのかもしれませんが)、海外では、ホテルにヘリウムガスを持ちこんで自殺した、というニュースがときどき報道されています。例えば2014年10月にはチェンマイのホテルでイギリス人の62歳の男性旅行客がこの方法で自殺したことがタイの現地新聞で報道されました。

 ですから、「ヘリウム=自殺のツール」「12歳の少女がヘリウムで意識消失」とくれば、「ヘリウム=危険」と考えてしまうのも無理もないかもしれません。しかしこれは正確ではありません。

 精査の結果、脳空気塞栓症が確認されたということは、スプレー缶を吸うときに強く吸い込み過ぎたことが原因です。つまり、スプレーの中身がただの空気であったとしても同様のことは起こりうるのです。

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 実は私がこの事件を初めて知ったのは日本のマスコミではなく、タイの英字新聞『The Nation』です(注2)。記事のタイトルは「日本のテレビ番組でヘリウム吸入後に子供の歌手(child singer)が意識消失(coma)」とされています。

 この記事を読んで私が最も驚いたのは、記者は完全に日本のテレビをバカにしているということです。その部分を日本語訳してみると次のようになります。

 日本のテレビ番組のサイケデリックな幼稚な世界では、ほとんどがたいして才能のない有名人たちが危険で恥辱的なことで競っている・・・。

 サイケデリックという単語は、芸術を語るときにはいい意味で使われることが多いですが、ここでは否定的な使い方をされています。また、この記事では2012年に日本のタレントがプールに飛び込んで背中を骨折した事故が引き合いに出されています。

 これは極めて私的な意見ですが、私が個人的に付き合いのあるタイ人はほぼ全員が日本人を尊敬してくれています。日本製品の素晴らしさや日本人の勤勉さを称賛するだけでなく、多くのタイ人は日本のアニメが大好きで日本の文化にも一目を置いてくれています。日本で桜と雪を見るのが夢、という話をこれまでどれだけ聞いたことか・・・。

 そのタイの新聞で、日本のテレビ番組が蔑まれていることが私には大変複雑です。

 日本のマスコミはこの番組をつくった制作会社を非難するのではなく、自分たちがつくっている番組も海外から卑下されるようなものではないかどうか今一度見直してもらいたいと思います。

注1:日本小児科学会の発表は下記URLで全文を読むことができます。

http://www.jpeds.or.jp/uploads/files/injuryalert/0053.pdf

注2:『The Nation』のこの記事は下記URLで全文を読むことができます。

http://www.nationmultimedia.com/breakingnews/Child-singer-in-coma-after-inhaling-helium-on-Japa-30253469.html

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