2013年6月13日 木曜日

2008年12月号 駆け抜けた2008年

 一年間ってこんなに早かったかな・・・

 最近とみにそのようなことを感じます。2008年がスタートしたのがついこの前のような気がしてなりません。

 今年のクリニックの新年会のとき、スタッフのひとりが「患者さんの数も増えるだろうし今年は忙しくなるね」と言っていたのを覚えているのですが、結果はこのスタッフの予言どおり、クリニックは多忙極まりないものになりました。

 増えていく患者さんの人数に対応するため、スタッフを増やし、予約システムを何度も改良し、業務システムの見直し・改善を図ったため、昨年に比べると随分効率よく診察ができるようになったとは思いますが、毎日のようにイレギュラーが起こりますし、重症や緊急性を要する患者さんが来られることもありますから、なかなか思うようには業務が進行しないこともあります。(そのため患者さんの待ち時間が長くなってしまうこともあります。この場でお詫びいたします)

 新しいスタッフの採用、業務の見直し、毎日診察終了後に深夜までおこなわなければならないカルテ記載、経理業務、労務業務、レセプト業務、・・・・、とこのような日常の業務に追われていると時間がたつのがあっという間です。そして、診察がない日には、日々たまっている業務の消化、学会発表の準備、クリニック以外での診療の準備、など、これまたやらなければならないことが山ほどあります。

 目の前に現れる仕事を次々とこなしていくと、いつの間にか年の瀬だった・・・。そんな感じです。

 これまでの人生を思い出してみても、ここまで忙しい一年間があったかな・・・、と感じます。たしかに、医学部を受験する前の一年間はプレッシャーの中で勉強を強いられていましたからそれなりのストレスはありましたし、医学部の6回生の頃は、実習と卒業試験と医師国家試験がありましたからやはり時間のやりくりが大変でした。けれども、今年の一年間のように、次から次へと責任ある仕事が目の前に立ちはだかり息つく暇もない、という感覚はこれまでにはありませんでした。

 勤務医、特に研修医の頃は、病院に拘束される時間は今よりも長かったと思いますが(週に100時間以上は拘束されていました)、例えば、病棟の患者さんが安定しているときや、深夜の救急外来が落ち着いたときは、研修医室で比較的自由に勉強をすることができました。

 忙しくてあっという間の一年間だったことは感覚としては事実なのですが、では、私がおこなった仕事はどれほど”かたち”になったのでしょうか。我々の仕事は、モノをつくるような仕事ではなく、治療をして病気を治したり、あるいは研究や発表をおこなったりすることです。

 クリニックの診療は月にだいたい20日程度ですから、1日の平均患者数が70人として、月に1,400人、1年間では16,800人!となります。本当にこんなにも大勢の患者さんを診察したのかな、と信じられないような数字です。このうち新患の患者さんはカルテ上で4,102人(12月13日現在)で、今年新たに4千人以上の人と出会ったんだ・・・と思うと不思議な気持ちになります。

 一般のクリニックでは1日に100人以上診るところも珍しくなく、多いところでは1日あたりの患者数が200人を超えるそうです。しかも医師は1人で、です。太融寺町谷口医院では、1日およそ9時間の診察となりますが、患者数が70人を超えると2時間以上待ってもらう人がでてきます。けれども、一人当たりの診察時間を減らすようなことはしたくないので(これでも昨年に比べると一人当たりの診察時間は確実に短くなっています)、来年からはもっとたくさんの患者さんを診察させていただきます、とは言えないのです。

 クリニック以外での仕事を振り返ってみたいと思います。まず、他の病院や夜間救急外来の仕事は年明けから少しずつ減らしていき、9月以降はほとんどゼロとなりました。せっかく依頼をいただいてもクリニックの業務が多すぎて断らざるを得ないのです。

 産業医の仕事は2~3ヶ月に一度程度、医師会経由の依頼で労働者の面接をおこなっています。産業医の仕事については将来的には増やしたいのですが、現時点では時間の確保がむつかしそうです。

 それ以外の仕事としては、学会や研究会での発表(これは「仕事」になるとは思いますがお金をもらえるわけではありません。むしろ参加費が必要となるため「赤字」になります。医師の仕事というのはお金をもらうものばかりではないのです)が5回、講演が5回(うち1回は来週の予定)、論文執筆が1本(ただし現時点でほとんど未着手)です。

 これ以外にはGINA(ジーナ)の仕事がありますが、今年は他のスタッフにまかせっきりで本格的な活動は私自身としてはほとんどできませんでした。予定していた日本エイズ学会での学会発表も、クリニックの行政手続き上の関係で急きょ参加できなくなったほどです。

 私は2008年の自分のテーマを「バランス」としました。様々な仕事のバランスをとっていこう、そしてできればプライベートとのバランスもとろう、と考えたのです。プライベートが充実した、とはとても言えない1年間でしたが、仕事だけでみてみると、昨年末の行き詰っていた頃よりは少しはましかな、という気がします。今の自分にとって優先順位が低いと思われる仕事は、依頼をいただいてもお断りさせてもらいましたし、まずはクリニックの患者さんのことを優先的に考えて、できる範囲でその他の仕事に取り組みました。

 自分の仕事のことを考えるときにいつも思うことがあります。これだけ多忙のなかで、それほどストレスを感じずに仕事をおこなうことができるのは、やはり私を支えてくれるスタッフの存在があるからです。今年新たに加わったスタッフも昔からいるスタッフも全員が、クリニックに来られる患者さんの立場にたって一生懸命に仕事をしてくれているから私が全力で走ることができるんだなぁ・・・、と思うのです。

 日本漢字能力検定協会が発表した2008年を表す漢字は「変」だそうです。我々のクリニックではクリニックの名称が「変わり」、予約システムが「変わり」、スタッフの何人かが「変わり」ました。しかし、ミッションステイトメントにもある「患者さんの立場にたって・・」という我々の姿勢は「変わっていない」のです。

 来年からも、スタッフと意識を共にして患者さんと接していきたいと思います。患者さんはもちろん大切ですが、別の意識のところでスタッフはもっと大切・・・。この私の気持ちも「変わることはありません」。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月13日 木曜日

2008年11月号 クリニックの名前が変わりました!

医師になってから、私の場合、毎年10月から12月は忙殺されます。学会発表や参加が重なりますし、なぜか私の場合、講演の依頼が年末に集中するのです。あまりに集中するために、今年はせっかくいただいた講演依頼をお断りさせてもらっている状態です。

 学術的な活動や社会活動だけではありません。10月以降は風邪や腹痛の患者さんが急増するために、普段の診察も忙しくなるのです。

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 10月は、大阪プライマリケア研究会という研究会で、「プライマリケア医が担うべきアレルギー疾患」というタイトルで、日頃診察しているアレルギー疾患についての発表をおこないました。

 当院には、アレルギー疾患の患者さんが少なくありません。多い疾患は、花粉症、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、接触皮膚炎、アトピー性皮膚炎、気管支喘息、食物アレルギーなどです。なかでも、花粉症+アトピー性皮膚炎や、気管支喘息+アトピー性皮膚炎、といった、複数のアレルギー疾患を抱えた患者さんが多いのが特徴です。

 こういった複数のアレルギー疾患を抱えた患者さんは、これまでは、耳鼻科+皮膚科とか、呼吸器内科+皮膚科、というように複数の医療機関を受診されており、当院にかかるようになってからは1箇所でよくなったというわけです。そもそも、例えば、花粉症とアトピー性皮膚炎の場合、これら2つの疾患の薬は重なるものが多いので、複数の医療機関にかかっていると薬の変更や増量が容易ではないのです。

 今回の発表の趣旨は、「どこにでもあるアレルギー疾患を複数もっている人は少なくない。ならばそれらを総合的に診るプライマリケア医は重要な役割を担っている。ただし、症状が重症化したようなときは、直ちに専門医に紹介しなければならない」というものです。

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 11月1日より、クリニックの名称が「すてらめいとクリニック」から「太融寺町谷口医院」に変更されました。

 これは、2009年1月1日よりクリニックが医療法人になる予定なのですが、その前に名称変更をしておく必要があるからです。

 クリニックの名前は自由に付けていいというわけではありません。医療機関という公益性を有した機関である以上は決められたルールを守らなければならないのです。「決められたルール」というのは、「原則として院長の名前を名称に入れなければならない」というものです。実は、「すてらめいとクリニック」という名称で、クリニックをオープンさせたときも当局からこのように言われていたのですが、そのときは、「すてらめいとビル」(クリニックの入っているビル)の名前を使うことで院長の名前の代わりになるのではないか、という理由をつけて認めてもらっていました。

 しかし、個人事業主としてのクリニックではなく、医療法人としてのクリニックとなれば、社会的に公益性がより大きくなります。したがって、「原則として院長の名前を名称に入れなければならない」というルールは順守すべき、ということになるのです。

 ただし、「谷口医院」とか「谷口クリニック」では全国的には同じ名称の医療機関がたくさんあります。インターネットで検索するときなど、これでは大変分かりにくいですから、当院の住所である「太融寺町」を前に付けたというわけです。

 ところで、一般的にはあまり知られていないようですが、医療法人というのはほとんど公的機関そのもののようなものです。実際、クリニックの資産は(院長や理事長のものではなく)国のものになります。ですから、医療法人が何らかの理由で解散するときには、資産はすべて国が持っていくことになります。

 一方で、医療法人で働く従業員(院長も含めて)は、公務員のように身分や給与が保障されているわけではありません。医療法人で働く者は、経営的にうまくいかなければ給与をもらうことができないのです。しかし、利益がでれば解散するときにそれらを従業員がもらうこともできないのです。要するに「身分の保障されない公務員」のような存在です。

 では、なぜ、そんな”損”をするような医療法人化をするのかと言えば、個人事業主としてのクリニックのままでいると、なにかと「不安定」だからです。

 例えば、もし院長の私が病気や怪我で診察を続けられなくなると、個人事業主のクリニックであれば、その時点で「解散」ということになります。医療法人であれば、院長の私が医療を続けられなかったとしても医療法人そのものは存続します。もちろん、その場合、早急に新しい医師を探さなければ、結局は「解散」ということになってしまうのですが、それでも形の上では、私がいなくても組織は存続するのです。

 これは、患者さんにも安心してもらえるのではないかと思われます。「谷口恭が倒れれば終わり」、というかたちの個人事業の医療機関ではなく、「谷口恭が倒れてもクリニックは(少なくともかたちの上では)存続しています」、という医療法人の方が、患者さんは安心して長期で利用できると思うのです。

 「不安定」な理由はほかにもあります。個人事業主のクリニックであれば、クリニックの経常利益がそのまま私の年収ということに会計上はなってしまいます。今までこの状態できたのですが、開業以来、私の可処分所得はいくらになっているのかが分からないのです。公私混同を避けるためには、個人用に大きな買い物をするわけにもいきませんし、かといって、今年に入ってからは他院での勤務を大幅に減らしていますから、クリニックでの利益から少しくらいはもらわないと生活ができません。

 医療法人になると、院長の私も「給料」をもらうことができます。(ただし院長は「賞与(ボーナス)」を受け取ることはできません) 数字の上では(会計上は)、現在のように個人事業主としている方が私の(みかけの)年収は大きいのですが、医療法人にして給与をもらった方が、”安心して”お金をつかうことができるのです。

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 年末はただでさえ忙しい上に、クリニックの名称変更、医療法人化といった複雑な手続きや事務作業が必要になり(当局を指定の日に訪問しなければならないために、学会発表を1つキャンセルせざるを得ませんでした・・・)、レセプトの電子化などで時間をとられるようになり、ちょうど去年の今頃がそうであったように、生活の余裕がほとんどなくなってしまいました。

 今は、インフルエンザの流行が来ないことを祈るばかりです・・・

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2013年6月13日 木曜日

2008年10月号 あなたも寄付をしませんか?

先月からすてらめいとクリニックの待合室に小さなテーブルを置いています。このテーブルには、ユニセフやUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のパンフレットが置かれており、診察の待ち時間に患者さんに見てもらっています。

 これまでもNPO法人GINAの募金箱は受付に置いてあり、大勢の患者さんに貴重な寄附金をいただきました。この場でお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。(いただいた寄附金は、タイのエイズ孤児やエイズ患者さんを直接支援している複数の団体に全額寄付しています)

 先月から、クリニックの待合室に、GINAだけでなく他の団体のパンフレットを置いたのは、私個人が「少しでも多くの方に寄付に興味を持ってもらいたいから」です。

 言うまでもないことですが、世界には我々日本人の常識からは考えられないような苦痛を感じている人(子供たち)がいます。例えば、きれいな水が手に入らない環境にいる人は世界で4億5千万人もいると言われています。世界で20億人以上の人々は、清潔な衛生状態になく、水を原因とする病気は8秒に1人のペースで幼児の命を奪い、途上国の死因の80%を占めます。(このような情報はユニセフやUNHCRのウェブサイトに詳しく掲載されています)

 寄付するなんてカッコ悪くて・・・、とか、寄付なんていいカッコしてるみたいでイヤやわ・・・、とか感じている人もおられると思いますが、寄付をそんなに”敷居の高いもの”と思わずに、”気軽に”一度試してみればいかがでしょう。

 今回は「私が寄付をすすめる理由」についてお話したいと思います。

 まずひとつめは、寄付をすることによって「世界を知る」ことができます。寄付したくらいで広い世界の何が分かるんや!とお叱りの言葉を受けるかもしれませんが、少なくとも寄付をおこなう先の社会情勢や政治などに関心を持つことになります。現在ほとんどの慈善団体では、寄附金の用途を指定することができます。例えば、UNHCRなら、ミャンマー・サイクロン被害、イラク難民支援、グルジア・南オセチア紛争、・・・、などから自分の寄附金の用途を指定することができるのです。漠然と「UNHCRに寄付する」ならイメージが沸きませんが、「UNHCRを通してサイクロン被害にあったミャンマー人を支援する」なら、最近はめっきり報道されなくなったミャンマーの復興状態に興味を持つことになるでしょう。

 「世界を知る」ことが大切なのは、世界を知ることで自分のことが分かるようになるからです。例えば、自分自身のことを「負け組」と読んで、被害者意識を持っている日本人がたくさんいますが、世界のある地域からみれば、清潔な水が飲めること自体が幸せなのです。「格差社会」「負け組」と嘆いている人たちのなかには、インターネットができる環境に住んでいたり、なかには車を持っている人さえいたりします。こういう人たちのどこが「負け組」なのでしょう・・・。以前にも述べましたが、私に言わせれば「日本国籍を有していることがすでに勝ち組」なのです。

 「私が寄付をすすめる理由」の2つめは、税額控除が受けられるという点です。その年に支払った寄附金の合計額から5千円を引いた額が「寄附金控除額」として控除されるのです。ただし、税額控除が受けられるのは、認定NPO法人や自治体などに限られています。(したがって認定NPO法人であるUNHCRに寄付すれば税額控除が受けられますが、単なるNPO法人であるGINAに寄付されても控除は受けられません)

 ところで、この税額控除については、本来の寄付の趣旨から逸脱しており寄付の崇高な精神を踏みにじるものではないかと言われることがあります。例えば、野口悠紀雄氏は著書『円安バブル崩壊』のなかで、次のように述べています。

 (前略)自己犠牲があるからこそ、寄付は崇高な行為と見なされるのである。犠牲を伴 わぬ行為を「寄付」と呼ぶことにすれば、本来の寄付がこれまで獲得していた社会的な評価は希釈されてしまうだろう。

 野口氏の指摘している点はたしかにその通りでこれには反論の余地はありません。しかしながら、寄付の解釈を全面的に見直し、(これまで崇高な精神をもって寄付をされていた人には申し訳ないのですが)寄付とは崇高なものではなく、人間がおこなう自然な行動のひとつとは考えられないでしょうか。

 例えば、小銭ができたのでパチンコに行こうとするのと同じ感覚で、ミャンマーのサイクロン被害者に寄付するというのはどうでしょう。パチンコで浪費しても税額控除はされないけれど、寄付すれば控除されるというメリットもあります。税金が正当に使われているのかどうかはかなり怪しいと言わざるを得ませんが、UNHCRを通して寄付するのであれば目的ははっきりしていますし、どうせ手元に残らないお金なら、税金を払うよりもパチンコで使うよりも寄付をする方が個人に有益なのではないでしょうか。

 さて、「私が寄付をすすめる理由」の3つめは、寄附金が役に立つから、というものです。しかしこれには反論があるでしょう。ミャンマーの被災者やイラク難民にUNHCRなどを通して寄付をしたところで、実際に正しく使われているのかどうか分からないではないか、という反論です。

 たしかに、これはその通りで、適切に正しく使われていると信じるしかありません。(実際、こういった国際組織の職員のなかには不適切な行為をおこなっている者もいるのではないかとの「噂」もあります)

 ならば、もっと身近なところに寄付してみるのはどうでしょう。例えば、すてらめいとクリニックのテーブルには、UNHCRやユニセフのパンフレットに並び、「大阪市ボランティ情報センター」のパンフレットも置いています。ここに寄付をすると、大阪の障害者支援や子育て支援を間接的にサポートすることができます。寄附金が適切に使われているかという疑問はここでも完全に払拭することはできませんが、活動の場が身近なだけに、その気になればその活動を見に行くこともできるわけです。「大阪市ボランティア活動振興基金」に寄付をしても、もちろん税額控除を受けることができます。

 大阪市の他にも大阪府にも「ふるさと納税」の一環として、「福祉資金」というものがあります。ここに寄付をしても身近な人を間接的に助けることができるでしょうし、もちろん税額控除もあります。(大阪府のふるさと納税はウェブサイトが非常に分かりづらいのが難点です。トップページに「ふるさと納税」のバナーがないために一苦労します。ホーム→各室課でさがす→総務部→行政改革課→ふるさと納税、と飛ばなくてはなりません。このようにしないと辿り着けなくなっているウェブサイトは府民の立場に立ったものとは言いがたく行政の都合でつくられたウェブサイトだと言わざるを得ません。検索をかけると辿り着くことができますが、「大阪府はふるさと納税に積極的でないのかな」といらぬ心配をしてしまいます・・・)

 さて、クリニックのこれら寄付関連のパンフレットを置いているテーブルの上にはひとつの額がかけられており、そこには次のような言葉があります。

 奉仕とはこの地球上に住む特権を得るための家賃である

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2013年6月13日 木曜日

2008年9月号 産業医の仕事と過重労

昨年秋に「認定産業医」という資格をとったものの、すてらめいとクリニックや他院での仕事の忙しさを理由に(言い訳にして)、これまであまり本格的な産業医活動をというものをやってきませんでした。

 とはいえ、まったく何もやっていないというわけではなく、クリニックでは職場の環境から心身にトラブルを抱えた患者さんを診ていますし、ときには「過重労働」の労働者の面談をおこなうこともあります。

 「過重労働」という言葉は、現在の”労働”を考える上で非常に大切な言葉なので少し説明をしておきます。

 労働安全衛生法という法律があります。これは、分かりやすく言えば「労働者が不当に危険な目に合わされたり、心身に害を与えるような労働を強制されたりすることを防ぐ」ことを目的としており、もっと端的に言えば「労働者を守る法律」です。

 この労働安全衛生法が平成18年4月1日に改正され、そのなかで「過重労働」という言葉の存在が大きくなりました。

 改正後は、「労働者の月の残業時間が100時間を越えたとき、または2~6ヶ月の平均が80時間を越えたときには、事業者が産業医の面談を受けさせなければならない」という規則が設定され、産業医は、過重労働の確認、疲労の蓄積、心身の状態などを診察することになります。

 「産業医ってどこにいるの・・・?」と感じている人もいるかもしれないので少し説明を加えておきます。

 通常300人以上の労働者がいる事業所(1つの「事業所」に300人以上という意味で、その会社の他の営業所などを加えた「全従業員数」ではありません)、もしくは産業医学上危険を伴う業務内容(工場や化学品を扱う事業所)で従業員100人以上の事業所には常勤の産業医がいます。(この場合、産業医は通常その会社の従業員となります)

 従業員数が300人未満でも50人以上であれば、専属の産業医と契約をしなければならないことになっています。この場合、選任された産業医(病院の勤務医のこともあれば開業医のこともある)は、月に1~2度程度、その事業所に出向いて職場の巡視や従業員との面談をおこなうことになります。

 ひとつの事業所に50人以上の従業員がいれば(通常派遣社員は除く)、会社側としては必ず専属の産業医と契約しなければならないことになっています。この「50人以上」という数字は以前から度々議論されており、「(従業員を守るために)30人以上に引き下げるべき」という意見がある一方で、「50人以上としても実際に守れていない会社があるので、まずは産業医を選任していない会社を厳しく罰すべき」との意見もあります。

 では、49人未満の事業所はどうすべきかというと、この場合は、事業所側が地区の医師会などを通して労働者と面談をおこなう産業医を紹介してもらうことができます。医師会から依頼を受けた産業医は指定された日時に指定された場所に訪問し労働者との面談をおこなうことになります。また、事業所が医師会などを通さずに産業医の資格を有する勤務医や開業医に直接依頼することもできます。
 
 ところで、実際に面談を受けるのは、残業時間が該当し、かつ労働者本人が面談を受けることを希望した場合に限られます。ですから、日本中の月の残業時間が100時間を越える労働者全員が産業医の面談を受けているわけではもちろんありません。

 それに、もっと現実的なことを言えば、残業時間が100時間を越えた従業員に、「産業医の面談を受けますか?」などと聞いてくれるような会社ばかりではありません。さらに、もっと言えば、各従業員の労働時間をきちんと管理していない会社も多々あります。特に、タイムカードのない営業職や管理職ではその傾向が顕著でしょう。さらに、もっともっと言えば、はじめから、「産業医の面談なんてうちの会社には関係ない」と思い込んでいる企業もあるでしょう。実際には零細企業の大半がそうではないでしょうか。

 さて、私自身はすてらめいとクリニックで、「労働環境が原因で心身に不調をきたしている」患者さんを診ることもありますし(この場合は必ずしも「産業医」として診察しているわけではありません)、医師会からの要請で49人以下の事業所の労働者の面談をすることもあります(この場合は「産業医」として診ます)。

 労働安全衛生法が「月に100時間以上・・・」と決めているわけですから、労働者の方も「自分は先月の残業時間は○○時間で・・・」というような言い方をしますが、実際には疲労や心身の不調の程度と残業時間はそれほど関係がないように思えます。

 例えば、「職場の環境が自分にあっていないことが原因で不眠が続いていて・・・」と言う人の残業時間がそれほど多くなかったということがあります。逆に、「以前から疲労がたまって・・・」と言っていた患者さんから「仕事がかわって労働時間が長くなりましたが疲労感はほとんど感じなくなりました」と言われたことがあります。(参考までにこの患者さんは週に2回ほど泊り込みをし、休日は月に一度あるかないかだそうです。週に40時間労働を基準とすると月の残業時間は200時間を越える!計算になります)

 たしかに、例えば『蟹工船』の労働者の職場環境と、グーグル本社の労働者の環境ではまったく別のものでしょうから、単純に月の残業時間だけを指標とすることにはほとんど意味がありません。(グーグル社では、敷地内に広い芝生や無料のカフェがあり、従業員は自由な出勤スタイルをとれるそうです。従業員は与えられた仕事以外に”遊び感覚の”プロジェクトもおこなっていて、つい最近利用が開始されたインターネットの無料ブラウザーソフトもこうした”遊び”から誕生したそうです。もっとも、最近はグーグルにも大企業病が広がり始めたという噂もありますが・・・)

 月の残業時間がどうであれ、「疲労」が蓄積していたり「心身の異常」があったりすればひとりで抱え込まない方がいいでしょう。(そもそも、「疲労」は職場のせいだけではないこともありますし、「心身の異常」は仕事をしていなくても起こりうるものなのですから)

 しかしながら、「疲労」や「心身の異常」が職場に起因していることがよくあることは事実ですし、きっかけが他にあったとしても「疲労」や「心身の異常」に対して、労働環境が悪化因子になっていることもよくあります。

 ならば、心身の不調を自覚したときには、残業時間に関係なく気軽に産業医を受診してみればいかがでしょうか。産業医の敷居というのはそんなに高いものではありません。なかには、「産業医に自分の悩みを話したら上司にばれるんじゃないのか」と考えている人もいますが、この点も心配はいりません。医師には「守秘義務」がありますから、その人が望まない限りは上司や会社に話の内容を報告することはないのです。

 労働環境が疲労や心身の不調をきたしているかもしれない・・・。そう感じる方は、一度産業医との面談を考えてみてはいかがでしょうか。

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2013年6月13日 木曜日

2008年8月号 会議の醍醐味と相乗効果

すてらめいとクリニックは、開院して、早いもので1年半以上が経過しました。

 この1年半の間、患者さんが増え、スタッフが増えましたが、同時に対処しなければならない課題や問題も増えてきています。

 長い待ち時間をどうするか・・・、予約制度に見直しの余地はないか・・・、スタッフが現在優先的に勉強すべきことは何か・・・、クリニックとして参加すべき学会やイベントは・・・、保険制度の変更や新しい法律などには対応できているか・・・、

 これらは我々の前に次々と現れる課題の一部です。こういった課題や問題から逃げるわけにはいきません。我々はいつも最善の解決策を検討するようにしています。

 というわけで、クリニックを開院してから時間がたつにつれ、次第に会議の回数や種類が増えてきています。

 現在おこなっている会議をまとめてみると、まずは毎朝診察の前におこなっている「朝の定例会」があります。ここで前日の問題点を話し合い、その日来院予定の患者さんに関することなどをスタッフ全員で確認します。

 毎週金曜日の昼休み(午後2時半から3時50分)には、医師と看護師中心の、主に疾患や治療法に関する勉強会(定例カンファレンス)を開いています。この時間には、すてらめいとクリニックでよく遭遇する疾患について、医師(私)が疾患の原因や検査法、治療法などについて講義をおこないます。また、現在治療に難渋している症例を取り上げてみんなでディスカッションをおこなうこともあります。

 さらに、外部から専門家に来てもらって勉強会をおこなうこともあります。先日は、ある大学病院の感染症を専門とする先生にクリニックまでお越しいただき、院内感染についての講義をおこなってもらいました。現在、クリニックでは院内感染対策のマニュアルを作成中で、このマニュアルの監修もおこなってもらうことになりました。

 月に一度の会議としては、「ホームページ会議」「仕入れ会議」「業務改善会議」「院内感染対策会議」があります。

 「ホームページ会議」は、文字通り、すてらめいとクリニックのホームページについて検討します。ウェブサイトを作成してくれている外部の担当者にも来てもらって、毎回活発な議論が繰り広げられます。

 「仕入れ会議」は、現在すてらめいとクリニックが扱っている薬品について、何がどの程度処方されているかを確認します。毎月のように新しい製品が出ますから、それらを導入するかどうかを決めたり、後発薬品(ジェネリック薬品)の見直しをおこなったりします。

 すてらめいとクリニックには、様々な疾患を抱えた患者さんが来られますから、扱っている薬剤の種類が多く、(担当税理士によると)他のクリニックに比べると、会計的にみて在庫の額が多いそうです。医療機関は営利機関ではありませんが、税務上は一般企業と同じように会計をしなければならず税金が払えないとつぶれてしまいますから、健全な経営をしなければなりません。そのためには仕入れの量を減らさなければならないのですが、必要な薬剤はその場になければなりません(品切れさせてはいけません)。このバランスが非常にむつかしくて仕入れ会議ではそのあたりの議論が中心になります。

 「業務改善会議」は、日頃の診察のなかで生じる問題点について話し合います。例えば、「待ち時間の長さをどうしていくか」、「予約システムをさらに改善するにはどうすればいいか」、「待合室においている雑誌は適切か」、「電話回線を増やす必要はないか」、「次に募集するスタッフにはどのようなことを求めるか」、・・・といったことについて話合います。

 「院内感染対策会議」では、スタッフの手洗いが徹底されているか、採血・点滴や処置の仕方は万全か、現在使用している製品よりも安全性の高い製品はないか、新しいスタッフは(はしかやB型肝炎ウイルスなどの)ワクチンを接種しているか、などについて議論をおこないます。

 ところで、私はすてらめいとクリニックの会議を楽しみにしています。

 その理由は、「スタッフの意見を公正に聞けて相乗効果を発揮できるから」です。私はクリニックでの勤務時間の大半を診察室で過ごします。そのため、処置室では何が問題になっているか、受付にはどのような要望(あるいはクレーム)が寄せられているか、各スタッフが業務を遂行していくなかで新たに浮上した課題などについては分からないことがほとんどです。

 会議では、各スタッフがそれぞれの立場から自由に発言をおこないます。これが私には(そしておそらくスタッフ全員にとっても)大変貴重な意見を聞く機会になっています。
 
 すてらめいとクリニックの会議を「理想の会議」と私は考えていますが、それは「会議のルール」を全員が遵守しているからです。「会議のルール」にはいくつかあると思いますが、私が最も重視しているのは、「他人の意見を尊重する」ということです。会議によっては、声の大きな人の意見ばかりが通ったり、トップダウン形式で上の者の意見が絶対視されたりすることもあると思いますが、すてらめいとクリニックの会議はそうではありません(と私は思っています)。例えば、他人の発言をさえぎって意見をいうスタッフはいませんし、反論するときでも、まずは相手の意見を認めた上で(少なくともその意見の合理性を理解したことを相手に示したうえで)、自身の意見を述べるように全員がしています。

 こういった「会議のルール」を遵守した上で、会議に参加するのは本当に楽しいものです。一見どうすることもできないような問題でさえも、みんなで検討することによって改善策がみえてくることはよくあります。

 そして、これがすてらめいとクリニックのミッション・ステイトメントにもある「相乗効果」なのです!

 「相乗効果」とは、例えば会議の参加者が8人だとすれば、1+・・・1=8になることではありません。(これは単なる合算で「相加効果」と呼ばれるものです) 相乗効果とは、1+・・・1>8になります。しかも、実感としては8より少し大きい程度ではなく、16にも24にも、あるいはそれ以上になることもあるのです!

 大きな組織では、大きな組織なりの会議になってしまって、このような「相乗効果」は発揮しにくいのではないでしょうか。小さな組織で、なおかつスタッフ全員がミッションを共有しているときにのみ、真の相乗効果を発揮できるということを私は信じています。

 明日の朝の定例会ではどの症例をとりあげようか・・・。次の業務改善会議ではどのような問題を提起しようか・・・。最近の私はいつもこのようなことを考えています。

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2013年6月13日 木曜日

2008年7月号 研究会での発表(精神疾患編)

 マンスリーレポート4月号では、「研究会での発表」と題して、4月に開催された「大阪プライマリケア研究会」で私が発表した内容(演題のタイトルは「プライマリケア医が担うべきワクチン接種」)を簡単に紹介しました。今回は、6月に開催された「第19回大阪プライマリケア研究会」で私が発表した内容を紹介いたします。

 今回の演題のタイトルは「プライマリケアにおける精神疾患治療の限界」というものです。

 すてらめいとクリニックには、軽症、重症を問わず、様々な心のトラブルを抱えた患者さんが来院されます。すぐに入院が必要なケースや、そうでなくても直ちに専門医を受診した方がいいようなケースは適切な医療機関を紹介するようにしていますが、軽症の場合や、軽症ではないかもしれないけれども緊急性がなく、なおかつ患者さんがすてらめいとクリニックでの治療を強く希望される場合は、すてらめいとクリニックで治療をおこなうことがあります。

 まず、すてらめいとクリニックを受診する患者さんのなかで、どれくらいの割合の人が精神的ケアを必要としているかを調べてみました。

 6月のある日に受診した患者さん(初診・再診を合わせて)は70人でした。そのなかで、抗うつ薬や抗不安薬といった心の病に対する薬を処方した患者さんは12人でした。また、薬は処方していないものの、カウンセリングを含めた何らかの精神的ケアが必要な患者さんが4人いました。ということは、(12人+4人)/70人=23%の人がなんらかの心のトラブルを抱えていることになります。

 心のトラブルといっても内容は様々で、過労や超過勤務から心が疲れている人、家庭やプライベートのトラブルが発端となって不安症状や不眠に苦しんでいる人、ガンや感染症に罹患したに違いないと思い込んで(実際にはかかっていないことがほとんどですが)不安症状から抜けられなくなった人、また、特に思い当たる理由は見当たらないのだけれどうつ状態に陥っているといったような人もいます。

 このなかで、自殺願望の強い人、アルコールや(違法)薬物に強く依存している人、幻覚(特に幻聴)の強い人、などは初めから患者さんに話をして専門の医療機関を受診してもらうようにしています。

 そうでないケースは、すてらめいとクリニックで診ていくことになるのですが、治療によって症状が改善したケースもあれば、結果としてうまくいかなかったケースもあります。今回の発表では、うまくいったケースといかなかったケースをそれぞれ数例ずつ紹介し、さらにプライマリケアで診るべき(あるいは診るべきでない)精神疾患について考察をおこないました。

 個々の症例について詳しく紹介するようなことはここではしませんが、すてらめいとクリニックで上手くいったケース、逆に今も患者さんの精神状態がそれほど改善していないケース(大半は患者さんの同意を得た上で専門性の強い医療機関を紹介しています)の特徴をまとめてみたいと思います。

 まず、比較的短期間で改善するケースは、不安やうつになった原因がはっきりしている場合です。「過労」が最も多い理由で、この場合は、診断書を発行したり、場合によっては患者さんの上司や人事担当者に話をさせてもらったりすることもあります。また、過労が原因でうつ状態になるケースで意外に多いのが経営者の方です。特に責任感が強く真面目な性格を有している人に多く(そういう性格だから経営者になれたのかもしれませんが)、この場合は社内に相談できる人がいないためにひとりで苦しまれていることが少なくありません。

 原因がはっきりしている不安やうつの原因に、職場やプライベートでの人間関係があります。こういう場合も比較的短期間でよくなる場合がありますが、その理由は、医療行為が功を奏したというよりも、社会的に原因が解決したことによる場合の方が多いと思われます。例えば、「イヤな同僚が会社をやめてから元気を取り戻せた」、といったケースや、「前の彼氏に裏切られたことが原因でうつ状態になりカウンセリングに通っていたけど、すべてを理解してくれる新しい彼氏ができてすっかり元気になった」、というようなケースです。

 また、比較的時間がかかったけれど、うつや不安状態から抜け出せたというようなケースもあります。この場合も原因がはっきりしていることが多く、例えば、難治性の慢性疾患にかかってそのショックからうつ状態を発症したけれど、その病気と向き合うことができるようになって元気を取り戻したケースや、長い間憎み続けていた家族を許せるようになったことで精神状態が改善したという症例もあります。

 一方で、数ヶ月にわたり治療をおこなったけれど、結果としてあまりよくなっていないようなケースもあります。よくならないケースで多いのが、社会的に問題を抱えているようなケースです。代表的な例は、親や配偶者と憎しみ合っていてその関係性に修復の兆しがないような場合です。また、幼少児から他人と馴染めないような性格を有している場合もむつかしい場合が多いと言えます。小さい頃から「キレやすい」性格だったり、常に他人に全面的な依存を求めたりするような性格の場合です。こういうケースは治療に難渋することが少なくなく、専門の医療機関を受診してもらう場合もあります。

 都会で暮らしている人々は実に様々な悩みを抱えており、そのせいで心身に不調をきたす人は少なくありません。これからも、心のトラブルを抱えてすてらめいとクリニックを受診される人がおられると思いますが、まずは、その悩みをひとりで抱え込まずにお話いただくことが大切です。

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 学会や研究会などで発表する予定が今年はあと3~4回程残っています。すべてとはいかなくても引き続き機会があればマンスリーレポートで紹介していきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2008年6月号 風邪をひいてしまいました

 すてらめいとクリニックを始めてから、病気らしい病気はしていなかったのですが、先日ついに風邪をひいてしまいました・・・。

 医師という仕事をしている以上は、いつも感染症のリスクはあります。採血や手術(最近はほとんどしていませんが・・・)のときには血液感染のリスクがありますし、咳やくしゃみをしている患者さんからは飛沫感染のリスクがあります。特に子供ののどをみるときなどは大粒の唾液が自分の顔にかかることもあって、いつも予防に気をつけていなければなりません。私は、咳やくしゃみをしている患者さんを診察したときは、次の患者さんの診察にうつる前にうがいをするようにしています。もちろん、一日の診察が終わったときにも手洗い・うがいはおこなっています。

 けれども、先日はついに風邪をひいてしまいました。

 いつもは、少し寒気がする、少しのどに違和感がある、などといった風邪の初期症状のときには葛根湯を少し多めに飲むようにしています。これまでの経験で少々の風邪ならこの方法ですぐに治ることが分かっているからです。一方で、私は風邪薬というものは市販のものも含めてあまり飲みません。いわゆる「風邪薬」というものは、熱をさましたり、くしゃみや鼻水をおさえたりする成分をよせあつめたもので、風邪のそれぞれの症状を和らげることはできますが根本的に治すものではないからです。

 今回も少しのどが痛くて寒気があったので葛根湯を飲んで様子をみることにしました。

 ところが、です。喉の痛みはどんどん激しくなって身体の奥底から悪寒がでてきて体温まで上がってきました。しかし、この段階ではウイルス性の感冒だろうと思って、少量のアセトアミノフェン(風邪薬の主成分として使われることの多い解熱成分、海外では「パラセタモール」として薬局でも買えるものです)と、トラネキサム酸(最近は美白作用があるとのことで美容領域で使われることが多い薬ですが、のどの痛みにもよく効きます)を飲んで様子をみることにしました。実際、たいがいの風邪ならこの方法で症状がおさまります。

 しかし、私の症状は一向に改善しません。のどの痛みもどんどん強くなってきたので、「これはおかしい・・・」と思って、綿棒で自分ののどをぬぐって、それをスライドガラスにこすりつけ、特殊な染色液で染めてのどの様子を顕微鏡で観察してみました。

 すると、好中球(白血球の一種で一般的には細菌感染の際に増える)が大量に見つかり、さらにその好中球がとらえている細菌が多数見つかったのです。(これを好中球の貪食(どんしょく)作用と呼びます。簡単に言えば「好中球が悪い細菌を食べている」様子です)

 好中球の貪食作用が確認されたということは、私の風邪はウイルス感染ではなく、細菌感染であると言えます。病名で言えば「細菌性急性咽頭炎」ということになります。

 こうなれば抗生物質の出番です。私は院内に置いてある抗生物質を内服し、さらに別の抗生物質を看護師に頼んで点滴してもらいました。

 抗生物質の点滴まですればすぐに治るだろう・・・。

 このように考えたのですが、実際は抗生物質の投与を開始してから熱が下がるまでに丸二日もかかってしまいました。

 患者さんをみていると、若い人であれば細菌性の急性咽頭炎や扁桃炎の場合、抗生物質の点滴をおこなうと、半日くらいで嘘のように改善することがあります。当然、私の場合もすぐに治るだろうと期待していたのですが、丸々二日もかかってしまったのです。私はもう若くないということなのかもしれません・・・。

 さて、私は数年に一度このように高熱をだして寝込むことがあるのですが(といっても、クリニックを閉めるわけにもいかないので診療は続けていました)、高熱でダウンするといつも「健康のありがたみ」を実感することになります。

 当たり前のことですが、人間にとって何よりも大切なことは健康でいることです。いくらやりがいのある仕事をしていても、守るべき大切な人がいたとしても、あるいはたくさんのお金があったとしても、健康を害していればそれらのありがたみを実感することはできません。

 夜間高熱にうなされながら、ここしばらくの自分の生活のことを考えてみました。今年に入ってから、すてらめいとクリニック以外の勤務は月に2~3度に抑えており、睡眠時間は以前よりも取るようにしていましたが、事務的な仕事や学会発表などの準備に追われ、いつも期限を気にしながら仕事を続けていたため、「いつも追い込まれているような感覚」に囚われていたような気がします。けど、しなければならないことは山ほどあって、どれも手を抜くわけにはいかなくて、それに仕事が多いのはほとんどの日本人は同じでしょうし・・・、というわけで生活を抜本的に改めるような名案は思いつきませんでした・・・。

 今回風邪をひいて高熱でダウンして、とてもよかったことがあります。

 それはクリニックのスタッフのありがたみを再認識できたということです。スタッフ全員が私に気をつかってくれて、休憩時間に診察台で休んでいる私に毛布をかけてくれたり、飲み物を運んできてくれたり、なかには休日にクリニックにでてきて点滴をしてくれたスタッフもいました。(高熱があっても私は休日には事務作業をしなければならないのです)

 健康のありがたみを確認できて、スタッフのありがたみを実感できた私は、今ではほとんど治癒しており、軽い咳と痰を残すのみとなっています。

 今日は日曜日でクリニックは休みですが、これから来週の研究会で発表予定の資料(パワーポイント)をつくります。風邪が治ったからといってゆっくりしている暇はなさそうです・・・

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2013年6月13日 木曜日

2008年5月号 GINAを通して思う2つのこと

私は、すてらめいとクリニックで勤務すると同時に、NPO法人GINAの代表もつとめているわけですが、クリニックをオープンさせたと同時に、ほとんどタイに行くことができなくなりました。

 もちろん、このようになることはクリニックのオープン前から分かっていたことでしたから、オープン前にタイでの支援活動をある程度かたちのあるものにしたつもりです。

 GINAが支援している施設とはきちんとした関係を築いて、施設とかかわりをもつタイ人もしくは日本人とはいつでも連絡をとれるようにしました。そして、集めた寄附金を定期的に送付するようにしています。

 寄附金やその他寄贈品を現地に送ることはそれなりに満足感もありますし、現地からエイズ患者さんやエイズ孤児の声を聞くと(それが間接的なものだったとしても)、やりがいを感じることができます。

 つい先日も北タイのある施設から手紙が届き、それは大変嬉しいものでした。そういう手紙をもらうと、もっともっと寄附金を集めて患者さんに貢献したいという気持ちになります。(すてらめいとクリニックに置いてある募金箱にもたくさんの寄附をいただいています。この場でお礼申し上げたいと思います)

 ただ、長い間タイのエイズ患者さんやエイズ孤児と会えないことで、ときどき寂しくなるというか、初めから分かっていたこととはいえ、なんだか少し物足りなく感じることがあります・・・。

 今回は、GINAを通してタイのエイズに関して思う2つのことをお話したいと思います。

 まずひとつは、タイと日本の格差というか、エイズ患者(孤児)の置かれている状況の違いです。日本でもタイと同様、HIV陽性者に対する偏見は存在します。会社ではカムアウトできない人の方が圧倒的に多いですし、家族にさえも話せない人は少なくありません。更生医療が使えるため、医療費が馬鹿高いということはありませんが、それでも体力が低下して働くことができない人が月数千円の医療費を支払うのは大変です。

 私はタイのエイズ患者(孤児)に比べて、日本の患者さんは恵まれているというつもりはありませんが、タイでは日本ではあまりないような困難さが当たり前のように存在します。

 例えば、両親をエイズで亡くし、親戚がひきとってくれるようになったものの学校までの交通費を工面するのが大変な孤児が、北タイでは珍しくありません。タイでは小学校でさえも教科書は有料です。昼食代を捻出するのも大変です。(暑いタイでは弁当をもっていく習慣はありません)

 医療費は一応無料ですが、病院までの交通費がでるわけではありません。また、医療費が無料なのはタイ国籍を有する人だけです。ラオスやミャンマーから不法に入国してタイ国内でHIVに感染した人や、少数民族はタイの無料の医療を受けることはできません。

 このように、タイと日本の格差はエイズという視点からみてもあきらかですが、もっと広い視点から眺めてみても歴然とした格差があります。

 最近は日本でも「格差社会」という言葉が頻繁に使われるようになってきて、「ニート」や「ネットカフェ難民」などの言葉が一般的になっていますが、タイの貧困層と比べると、格差のレベルが違うというか、誤解を恐れずに言うならば、「日本ほど平等な社会はないのではないか・・・」とさえ思うのです。

 ネットカフェ難民は仕事がなくて困っているわけですが、一方では人手が集まらなくて倒産していく会社もあるのです。日本人の働き手がないために外国人に労働力を求めている企業もあります。職を選ばなければ、最低限の生活はなんとかできるのではないでしょうか。

 もしも最低賃金の仕事しか見つからなかったとしても、日本の最低賃金は東京や大阪なら時給700円以上、最低の沖縄でも時給600円以上はあります。(ちなみにタイの最低賃金は、地域にもよりますが日給で500円以下のところもあります)

 私の知人に、普段の生活をギリギリまで落として、ほとんど最低限の時給で働いている人がいますが、その人の楽しみは年に一度タイに旅行することだそうです。この人などは見る人が見れば”格差社会がもたらした負け組み”ということになるのでしょうが、”負け組み”であっても海外旅行できるのが日本人なのです。つまり、日本国籍を有していれば、日本のパスポートを取得できて、タイのような物価の安い国に旅行することができるのです。一方タイ人で、日本に来ることができるような人は人口の数パーセントもいないのです。

 タイと日本の格差の他にGINAを通してもうひとつ思うことがあります。それは、主にヨーロッパからタイに来ているボランティアのことを思い出したときに感じることです。

 ヨーロッパ人は日本人の大勢のボランティアとは異なり、長期にわたりボランティア活動をおこないます。母国で貯めたお金を元に長期滞在の覚悟をもってやって来るのです。といっても私の知るボランティア達は裕福ではありません。彼(女)らの年収は日本円で300万円以下です。国にもよりますが、一般的にヨーロッパでは日本よりも物価が高く、年収300万円の日本人よりも貧しい生活をしています。しかし、それでも長期でボランティアにはるばるタイまでやって来るのです。

 例えば、私がタイで仲良くなったノルウェー人女性は主婦です。普通の主婦がアルバイトで貯めたお金を持って1年間タイのエイズ施設にボランティアに来ているのです。私は彼女のボランティアに対する態度にも驚きましたが、さらに驚いたのはこの女性の大学生の息子が母親を訪ねてタイの施設にやって来たことです。異国の地でボランティアとして働く母親を一目見ようと、やはりアルバイトで貯めたお金でタイまでやって来たのです。

 日本も北欧に見習って福祉国家を目指すべきと考えている日本人がいますが、私は今の日本人では無理ではないかと思います。日本が北欧並みの福祉政策をとれば、働かずにラクをしようと考える人が現れるのではないでしょうか。もちろん、ヨーロッパ人のすべてが勤勉で他人に親切にするわけではありませんが、当たり前のようにボランティアに従事する人が大勢いる文化があるからこそ高福祉国家を実現することができるのでしょう。

 ヨーロッパからタイにはるばるやって来て長期に渡りボランティアに従事する人たちを思い出したとき、私は自分がいかに無力なのかを認識せずにはいられないのです。

 日本人とタイ人の格差、日本人とヨーロッパ人の奉仕に対する考え方の相違・・・。GINAを通してこれら2つのことが私の頭を支配することがあります。

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2013年6月13日 木曜日

2008年4月号 研究会での発表

医師の仕事には患者さんの診察以外にも、研究、学会や研究会での発表、論文作成、講演など多数のものがあります。私は、発表や講演などを月に一度くらいのペースでおこなうようにしています。先々月はあるNPO法人で、先月はある学校で講演をおこないました。

 今月は、「大阪プライマリケア研究会」という研究会で発表をおこないました。この研究会は、私が所属する医局である大阪市立大学医学部総合診療センターが中心となって運営されており、2ヶ月に一度くらいのペースで開催されます。

 私はこれまでも過去に何度かこの研究会で発表をしており、すてらめいとクリニックで経験した症例の報告をおこなったこともあります。

 今回は、私が今月から大学の非常勤講師となり、大学でおこなわれる行事にはより積極的に参加しようと思ったこともあって、第18回大阪プライマリケア研究会でひとつの演題を発表することにしました。

 発表した演題のタイトルは「プライマリケア医が担うべきワクチン接種」というもので、すてらめいとクリニックが取り組んでいるワクチン接種のなかでも特に重要と思われる麻疹(はしか)とB型肝炎ウイルスのワクチンを中心とした内容にしました。

 今回発表した内容をここで簡単に紹介しておきます。

 麻疹については、抗体陽性率がいかに低いかということを示しました。

 抗体はその感染症に罹患するか、あるいはワクチンを接種すれば形成されます。ところが、麻疹については、現在では一度のみのワクチン接種では抗体ができないことがあります。以前から世界的には麻疹のワクチンは二度接種するのが標準でしたが、日本は昨年になってようやく二度接種がおこなわれるようになったばかりです。

 「日本は麻疹の輸出国」と世界各国から揶揄されているということは、このウェブサイトでも過去何度かお伝えしたとおりです。そもそも先進国ではすでに麻疹という病気は過去のものです。お隣の韓国は2006年に「麻疹撲滅国」としてWHO(世界保健機構)から認定されています。

 すてらめいとクリニックで麻疹の抗体検査をおこなった全患者さんを調べたところ、全体の抗体陽性率はわずか40.7%でした。これを年代別でみると10代は約2割、20代は約4割、30代でも5割しかありません。

 日本では「はしかにかかったようなもの・・・」という言葉の存在が示すように、昔から麻疹が軽視されているように思われます。しかし麻疹は実際にはたいへん恐ろしい病気で命を奪うこともありますし、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)という神経の病気になることもあります。

 すてらめいとクリニックでは、麻疹の抗体検査及びワクチン接種を積極的におこなっていますが、こういった検査やワクチン接種の重要性を訴えていくべきなのは専門医ではなくプライマリケア医ではないかというのが私が主張したかったことのひとつです。

 今回の発表では麻疹以外にB型肝炎ウイルスについても報告しています。

 すてらめいとクリニックでは、B型肝炎ウイルスに罹患している人が見つかることも少なくありませんが(症状がある場合もありますが無症状の場合もあります)、抗体検査をおこなったところ、ワクチン接種をしていないのに抗体陽性がみつかる人がいます。

 麻疹とB型肝炎では抗体検査の意味が少し異なります。

 麻疹の場合は、過去に一度ワクチンを打っているから、あるいは過去にかかったかもしれないから「抗体があることを期待して」抗体検査をおこなう場合がほとんどです。最近では、麻疹抗体がなければ教育実習ができない教育機関が増えてきており、そのため実習に参加する学生は「抗体ができていますように・・・」と祈るような気持ちで抗体検査を受けにきます。

 B型肝炎の場合は、通常この逆になります。以前からこのウェブサイトでも何度か指摘しているように、日本人のB型肝炎ワクチン接種率の低さは”驚異的”ですらあります。先進国ではワクチン接種が当たり前なのに、日本できちんとB型肝炎のワクチン接種をしているのは、医療従事者や海外勤務の経験のある人をのぞけば、けっして多くありません。ちなみに韓国では、90年代初頭から幼少時に全員がワクチン接種の対象となっています。

 すてらめいとクリニックでB型肝炎ウイルスの抗体検査をおこなう人は、「ワクチンを接種する前提で」検査を受けます。「B型肝炎ウイルスは大変怖い感染症だから予防接種をうけておこう、けどその前に念のため抗体ができていないことを確認しておこう」、というのが抗体検査をおこなう理由です。

 つまり、B型肝炎ウイルスの場合は「抗体がないことを確認するために」検査を受けるのです。

 ところが、です。すてらめいとクリニックでB型肝炎ウイルスの抗体検査をおこなったところ、受検者の6.4%がすでに抗体を有していたのです。

 麻疹が簡単に空気感染するのに対し、B型肝炎では”日常生活”では感染しません。抗体陽性が判った人を詳しく調べてみると、母子感染は一例もなく、おそらく全員が性感染でうつっていたのです。

 B型肝炎ウイルスは、場合によっては感染後数ヶ月後に命を失うこともある大変恐ろしい感染症ですが、実は自然治癒もあります。なかには無症状でいつのまにか感染していていつのまにか治っていたという場合もあります。これら6.4%の人たちは”無防備”なことをした結果感染してしまったのだけれど自然治癒して抗体が形成された大変ラッキーな人たちなのです。大変な危険をおかしたものの、いわば天然のワクチンを無料で手に入れたようなものです。

 けれども、こういった人たちはたまたま運がよかったと考えるべきであって、最も大切なことは、できるだけ早いうちに(できれば性交渉を開始する前の年齢に)ワクチン接種をして抗体が形成されていることを確認するということです。

 B型肝炎ウイルスは”日常生活”ではよほどのことがない限り感染しないものの、性的接触があればごく簡単に感染することがあります。

 B型肝炎ウイルスについてもワクチンの重要性を患者さんに伝えるべきなのは、患者さんとの距離が最も近いプライマリケア医ではないだろうか、というのが私の伝えたかったことです。

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 これからも私がおこなう研究発表をマンスリーレポートでときどき紹介していきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2008年3月号 ”新聞が読める”という幸せ

以前にも書きましたが、私は今年に入ってから仕事を大幅に減らしています。去年の年末までは、すてらめいとクリニックが休診の木曜と日曜のほとんどは、別の病院で勤務をしていたのですが、今年に入ってからは、他病院での勤務は月に1から2回のみとしています。

 ただ、休みにしているとはいっても、大学病院(医局)の行事や、学会や研究会、他の会合などで丸一日休める日はほとんどありません。けれども、それでも去年までに比べれば自由になる時間がかなり増えたのは間違いありません。

 今年になってから、集中してやらなければならない事務仕事などを木曜と日曜に回して、平日の朝と勤務終了後(といってもカルテを書き上げる頃には日付が変わっていますが・・・)に少し自由時間をつくるようにしています。

 時間をつくることで、私が真っ先におこなったのは「新聞を読む」ということです。

 私は、おそらく20歳頃から、新聞を読む習慣があって、半年ほど前まではほとんど毎日読んでいました。医学部受験のときにも新聞だけは毎日読みましたし(受験生だからこそ新聞を読まなければならない理由は、拙書『偏差値40からの医学部再受験 実戦偏』にも書いたとおりです)、医師国家試験の前も、研修医時代にも、数日間遅れることがあったとしても夕刊も含めてできる限り読むようにしていました。

 GINAの活動などでタイに渡航しているときも、「Bangkok Post」、「The Nation」などの英字新聞、あるいはタイ語の「タイ・ラット」などを読むようにしていました。

 ところが、昨年の秋ごろからクリニックの仕事が多忙を極めるようになり、新聞を読む時間すら捻出できなくなってしまったのです。これが、私にとっては大変なストレスで、「時間を使う」のではなく「時間に追われている」といった感覚で毎日を過ごさなければなりませんでした。

 今年に入って、平日に時間がつくれるようになり新聞を読めるようになったことは私にとって大変”幸せ”なことだと感じています。

 ところで、最近は「インターネットで記事が読めるのだから(紙の)新聞は不要ではないのか」と言われることあります。

 しかし、私はそうは思いません。紙の新聞にはインターネットにはない長所がいくつもあるからです。

 まずひとつは、紙の新聞であれば、重要な記事とそうでない記事が、スペースの広さ、見出しの大きさ、などで簡単に分かるということです。時間のないときは、一面と二面だけ読むとか、各ページの大きな見出しだけ読む、といった調節ができます。これで、大きなニュースに付いていけなくなることが防げます。

 次に、紙の新聞には、コラムや社説、連載記事(コラム)、特集記事などが読めるというメリットがあります。これはインターネットの記事配信にはないサービスです。

 私は20年近く、日経新聞を愛読していますが、同新聞の連載コラムや特集は非常に充実していると感じています。私は(医学専門誌を除けば)週刊誌や月刊誌をほとんど読みませんが、これは日経新聞を読んでいるだけで充分と感じているからです。様々な分野の人がコラムやエッセィを書かれ、経済や金融などについては特集記事が充実していますから、毎日朝刊と夕刊を読んでいるだけでかなりの勉強ができます。しかも月4千円ちょっとの費用しかかからないのです。

 一方で、インターネットで新聞を読むメリットもたしかにあります。保存が簡単なことも理由ですが(新聞のスクラップはタイヘン!)、最大の利点は、「キーワード検索ができる」ということでしょう。各新聞を横断して検索できるサイトを使えば、多くの新聞の記事を一度に拾ってくることができます。

 紙の新聞を愛読する私も、検索機能と保存の便利さについてはインターネットを用いてその利便性を享受しています。いくつかの新聞記事配信サービスを申し込んでいますし、保存は(古典的な紙のスクラップではなく)インターネット上の記事をテキストファイルに変換してパソコン上に取り入れています。紙のスクラップだと、いったん保存したものを取り出すのに大変な時間がかかりますが、パソコンの中にテキストファイルで保存してあれば、その中身が煩雑になっていたとしても、再び「キーワード検索」をかけることで簡単に呼び出すことができます。ちなみに、この検索機能を発揮するのは、ワードなどのワープロよりも、エディタ(私は「秀丸」を使っています)の方がはるかに優れています。

 インターネットで新聞を読むもうひとつのメリットは「英字新聞の記事が簡単に入手できる」ということです。

 これは本当にすばらしいことだと思います。インターネットには様々な利便性がありますが、この「英字新聞の記事の入手」が私にとっては最大のメリットだと考えています。

 インターネットが普及していなかった頃、私は紙の英字新聞を買っていました。当時最も安かった「Daily Yomiuri」を購読していましたが、日本語の新聞と英字新聞の両方を購読するとそれなりのコストがかかります。それに、じっくり読もうと思えば必ず辞書が要りますから、新聞を読むのにちょっとした”やる気”が必要になります。

 インターネットを使えば、(新しい記事であれば)ほとんどは無料で読めますし、パソコン上の(またはウェブサイト上の)辞書を使えば重たい辞書を用意する必要はありません。(ちなみに翻訳ソフトは、現時点では私の知る限り役に立つものはなく、単語を調べる辞書が現実的です) さらに、検索機能を利用すると、実に世界中の新聞記事が瞬時に手に入るのです!

 今のところ、世界中の新聞の横断検索ができる検索サイトで使い勝手がいいものは、私の知る限りありませんが、いくつかの新聞のトップページからキーワード検索をかけると、必要な記事がごく簡単に手に入ります。参考までに、私がよく閲覧する新聞は、「Reuter」、「AP」、「CNN」、「BBC」、「China Daily」、「The Independent」(UKのタブロイド紙)、「News.Com.Au」(オーストラリアの新聞)、「Bangkok Post」(タイの英字新聞)、などです。

 もちろん、英字新聞は単にニュースを得るだけでなく、英語の勉強にもなります。英語の勉強を意識した英字新聞配信サービスでは、記事をネイティブ・スピーカーが読み上げてくれるものもあり、こういうサービスを利用して、聞き取りやディクテーションなどをおこなえばリスニングの上達につながります。ということは、インターネットで英字新聞を読むことで、かなり効率的な英語の勉強ができるということになります。しかも、コストはほとんど無料!なのです。

 さて、新聞を読むことで得られるメリットをまとめてみましょう。

 まず、社会・経済・政治・金融・科学技術・医療・文化など各領域の最新の情報についていけます。各分野で活躍する人のコラムなどが読めて、特集記事では様々な領域の勉強ができます。インターネットを用いれば、検索が容易にできて、保存と取り出しが簡単にできます。さらにインターネットで英字新聞を読めば、世界中のニュースを瞬時に入手することができて、英語の勉強がほとんど無料でできます。

 平日に少しの時間をとることで、このようなことが再びできるようになった私は、”幸せだな・・・”と思うのです。

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