2025年11月30日 日曜日
2025年11月30日 運転時のカフェイン多量摂取は危険
車の運転時に眠くなれば濃いコーヒーなどカフェインがたっぷりと入った飲み物で目を覚ます、という人は多いのではないでしょうか。しかし、この方法は行き過ぎると危険です。
カフェインは適量であれば頭がすっきりとして運転しやすくなります。眠気を吹き飛ばし、眠気は事故のリスクを2倍にすると言われていますから、運転中のカフェイン摂取は理にかなっているのです。しかし、摂り過ぎは危険です。
少し古い研究ですが医学誌「Safety Science」2020年6月号に掲載された「トラック運転手におけるカフェインの大量摂取、運転安全指標、睡眠および健康行動との関連性(Associations between high caffeine consumption, driving safety indicators, sleep and health behaviours in truck drivers)」を紹介しましょう。
研究の対象者は、カフェインを少量摂取(1日1杯のカフェイン入り飲料)しているトラック運転手1,653名と高摂取量(1日5杯以上のカフェイン入り飲料)のトラック運転手1,354名で、運転安全指標、健康状態、睡眠に関する様々な変数が比較されました。結果、次のことが分かりました。
・カフェインを大量に摂取する人は、睡眠の質が悪く、平均睡眠時間が短い。また、日中に眠気を自覚しやすい
・カフェインを大量に摂取する人は、睡眠時無呼吸のハイリスク者が多い傾向にある
・カフェインを大量に摂取する人は、喫煙、アルコール摂取、不健康な食生活、運動不足といった健康に悪影響を与える行動が多い
・カフェインを大量に摂取する人は、ネガティブな感情や攻撃的な運転といった運転安全指標の悪化、さらに過去の事故歴も多い
カフェインがこういったよくないことの原因になっているのか、これらよくない要因がある人がより多くのカフェインを摂りやすいのかは分かりませんが、いずれにせよカフェイン摂取量の多い人は運転時に注意した方がいいでしょう。
次に、ロンドンの自動車購入者に対する金融会社「Carmoola」の調査を報告しましょう。
調査の対象は16歳以上の英国在住者2,000人で、調査期間は2025年8月1日から5日まで。カフェイン摂取習慣、日常の運転行動について、カフェインと交通安全に関する意識などが調査されました。下記の結果が導かれました。
・調査から、英国のドライバーおよそ1100万人が1日の安全なカフェイン摂取量(400mg)を超えていることが分かった
・ドライバーの4人に1人が、カフェイン摂取により運転中に落ち着きがなくなる、不安になる、注意散漫になるといった経験がある。17~24歳のドライバーでみれば48%に上昇していた。このような自覚のある男性は女性の2倍
・カフェインなしでは「まともに運転できない」と考えるドライバーが20人に1人(5%)で、25~34歳ではその割合は9%に上昇していた。また、ロンドンでは約3倍の14%に上っていた。
厚労省によると、成人のカフェイン上限は1日400mgです。コーヒー1杯で約100mgですから、1日4杯程度なら問題ないことになります。ただし、カフェインは紅茶にも日本茶にも含まれていますからこれらを合算しなければなりません。
最近、トラブルが多いのがいわゆるエナジードリンクです。大量のカフェインに加え、大量の砂糖が加えられていますから危険なことこの上ありません。絶対に飲んではいけないとまでは言えませんが、様々な健康被害のリスクを承知しておかねばなりません。
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2025年11月27日 木曜日
2025年11月27日 「コーラ1本で寿命が12分縮まる」は本当か
コーラを代表とする加糖飲料が非常に危険であることが次第にクローズアップされるようになってきました。もっとも、1970年頃には虫歯を起こしやすいことや、1980年代には骨が脆くなることも繰り返し指摘されてきました。しかし、そのような警告にも関わらず甘い飲み物は若い世代のみならず、高齢者の一部の人たちにも支持されてきました。
ところが数年前から、加糖飲料の危険性を指摘する声が次第に大きくなってきています。これはおそらくコカ・コーラ社が多大な金額を投資して、コーラは有害であることを隠蔽していたことが明るみに出たことと関係しています。同社はお抱え学者に巨額の資金を渡し、同社にとって都合のよい研究報告をさせ、甘い飲み物の有害性を隠すための学術団体もつくっていたことが発覚したのです。
(このあたりについては毎日メディカルのコラム「がん、認知症、心血管疾患のリスクが上がる!? 虫歯、肥満だけじゃない砂糖の有害性」にまとめました)
最近、「コーラ1本で寿命が12分縮まる」という噂がまことしやかに広がっているようです。これが事実かどうかを調べてみると、エビデンスと呼べるようなものはありませんでした。しかし、有害性を指摘する調査は複数存在します。
医学誌「nature medicine」2025年1月6日号に掲載された論文「184か国における加糖飲料に起因する2型糖尿病および心血管疾患の負担(Burdens of type 2 diabetes and cardiovascular disease attributable to sugar-sweetened beverages in 184 countries)」を紹介しましょう。
2020年には、世界中で新たに2型糖尿病を発症した220万人、新たに心血管疾患を発症した120万人は加糖飲料が原因であることがわかりました。これは全発症例の、それぞれ9.8%、3.1%に相当します。加糖飲料でこれら疾患を発症するのは、女性より男性、高齢者よりも若年者、低学歴者よりも高学歴者、地方在住者よりも都心部居住者に多いことがわかりました。特に「低学歴者よりも高学歴者」は注目に値します。一般に、高学歴者の方が健康に関する知識量が多いと考えられているからです。
次に、AAAS(American Association for the Advancement of Science=米国科学振興協会)が発信するニュースサイト「EurekAlert!」に掲載された記事「人工甘味料入り飲料と加糖飲料は、いずれも肝疾患のリスク増加と関連していることが研究で明らかに( Artificially sweetened and sugary drinks are both associated with an increased risk of liver disease, study finds)」をみてみましょう。
研究の対象者は英国のデータベース「バイオバンク」に登録された123,788人で、食事質問票を用いて人工甘味料いり飲料と加糖飲料の摂取量が評価され、脂肪肝や肝疾患での死亡リスクが検証されました。結果、人工甘味料いり飲料と加糖飲料の摂取量が多い場合(1日250g以上)、脂肪肝(正確にはMASLD=Metabolic dysfunction-associated steatotic liver disease=代謝機能障害関連脂肪性肝疾患)の発症リスクがそれぞれ60%、50%上昇していました。中央値10.3年間の追跡調査期間中、1,178人が脂肪肝を発症し、108人が肝臓関連の原因で死亡しました。
では、加糖飲料の何が問題なのでしょうか。まずカロリーはさほど高くありません。
350mL1本のカロリーは150キロカロリー程度です。例えば、カフェ・オ・レ1杯(150mL)で100キロカロリー以上あることを考えると、単純計算でコーラはカフェ・オ・レの同量の4割程度しかありません。人工甘味料飲料ならカロリーはほぼゼロです。ですから、カロリーが問題ではありません。
加糖飲料の問題はカロリーではなく砂糖です。350mLのコーラ1本に含まれる砂糖は約40グラム、角砂糖13.5個に相当します(角砂糖1個は約3g)。尚、英国NHS(National Health Service)は、成人の1日の砂糖許容量を30g(NHSは角砂糖7個としていますが、これは日本とサイズが異なるからでしょう)。
日中に身体がだるくなる人は加糖飲料が原因かもしれません。これだけ大量の砂糖を一気に摂取すると、血糖値が急上昇し、このときには気分がよくなりますが、その後急降下します。このときにだるさや眠気、あるいはイライラや不安感が生じるのです。そして、一気に大量に吸収された砂糖は肝臓に運ばれ、脂肪肝を形成することになります。
コーラに依存性があるのはその過剰な糖分だけではありません。カフェインが急激に吸収されることも原因です。過剰な糖分+カフェインのコンビネーションが脳の報酬系、あるいは「快楽中枢」とも呼ばれる側坐核を活性化させます。これが、単なる砂糖水にはないコーラに強い依存性がある理由です。カフェインといえばコーヒーを思い出す人が多いでしょうが、たいていコーヒーはゆっくりと飲まれます。コーラとの大きな違いです。
人工甘味料には砂糖は使用されていませんが、上述したように、脂肪肝のリスクは加糖飲料よりも高くなります。砂糖であろうが、人工甘味料であろうが、甘い飲み物は可能な限り控えるべきであることが分かります。どうしても飲みたいときには食事と共にゆっくりと味わうのがいいでしょう。
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2025年11月21日 金曜日
第267回(2025年11月) 子宮内膜症、子宮筋腫、子宮腺筋症
私が総合診療医になることを決意したのは研修医1年目の夏休み、タイのエイズ施設にボランティアに赴いたときでした。その施設を訪れた目的は「エイズについて学びたい」と「エイズを患った人たちになんらかの貢献をしたい」でした。当時のタイではまだ抗HIV薬が使われておらず、「感染=死へのモラトリウム」だったのです。1週間足らずの滞在はその後の私の人生に大きな影響を与えたわけですが、それはエイズという病を知ったことだけでありません。ベルギーから来ていた総合診療医から総合診療の真髄を学ぶことができたのは私にとって大きな収穫でした。
日本の医療について、私が医学生の頃から気になっていたのは「医師から(病院から)見放される患者さんが少なくない」ということでした。「専門外だから」「それはうちの科ではありませんから」などの言葉で体よく診察を断られることが少なくなく、「どこの科を受診していいか分からない」という声を多数聞いていました。また、「科ごとに主治医を持たねばならない」「財布のなかの診察券がどんどん増えてくる」といった苦情もしばしば聞いていました。
ところが私がタイで指導を受けたベルギーの総合診療医は「欧州では総合診療医がまずはすべてに対応する。自分で診られない特殊な事例や重症例だけを専門医に紹介する」と言います。これは、当時の私にとってかなり衝撃的なコメントで、まだ総合診療という言葉がほとんど知られていなかった2000年代前半の日本ではこのような姿勢で診療をしていた医師はほとんどいませんでした。少なくとも私自身はその当時日本の総合診療医を一人も知りませんでした。
そのエイズ施設に入所していたのは若い男女が大半で小児も少なくありませんでした。日本の内科医は「小児は診ない、女性疾患も診ない」というタイプの医師も少なくないのですが、そのベルギーの総合診療医はそんな区別は一切しません。その施設では診察に使える機器がさほどそろっていませんでしたが、それでも可能な限り自身の力で診察をおこなっていました。
そのベルギーの総合診療医から多大なる影響を受け、帰国前にはすでに総合診療医を目指すことを決意していた私は、その後、小児科、婦人科を含む多くの科で研修を受けました。女性は男性よりも、おそらく中年期頃までは医療機関を受診し治療が必要となるケースが多く、男性しか診ない診療スタイルではふじゅうぶんだと考えるようになりました。そこで、なんらかのかたちで婦人科での研修は研修医終了後も続けていました。この考えは今も変わっておらず、「総合診療に興味があるなら、初期研修の間に婦人科の基本的な知識と技術はマスターすべきだ。特に内診と経腟超音波は絶対に履修しておくように」と言い続けています。実際に実行する若い医師は残念ながらあまりいないのですが……。
例えば「若年から中年にかけて、男性の8割が患っている病気」は存在するでしょうか。おそらくないでしょう。ですが、子宮筋腫は小さいものも含めれば(文献によっては)女性の8割が有していると言われています。子宮内膜症もおそらく1割以上の女性が持っています。子宮腺筋症も、超音波所見でどこまでを腺筋症とみなすかによりますが、軽症も含めれば3割くらいはあります。これら3種は合併していることもあります。よって、若年から中年期の大半の女性がこれら3種の疾患のいずれか、または複数を有していることになります。また、これら3種のいずれかがあれば、月経に関連して月経痛、月経過多、精神症状などなんらかの症状が出現し、頭痛、めまい、便秘、むくみ、肌荒れ、……、といった持病が悪化することもあります。つまり、これら3種について、さらに月経に関連する症状や疾患についても理解し、研修を積み重ね、そしてある程度の経験がなければ若年から中年期の女性の診察はできないと考えるべきです。
そういうわけで、谷口医院では開院以来、積極的にこれら3つの疾患や月経関連疾患について治療してきているわけですが、経験を積めば積むほど「女性と男性はまったく異なる」ことを認識するようになってきます。複雑なことに、人間は女性と男性の2つにクリアカットに分類できるわけではありません。性分化異常があれば、染色体がXYの女性となることもありますし、その反対の染色体がXXの男性となることもあります。私はその後タイに繰り返し渡航し、エイズに関する諸問題に関わり、セクシャルマイノリティが抱える苦悩を次第に深く知ることになっていきました。日本のマイノリティの知人も増えていきました。男性、女性のステレオタイプがいかに馬鹿げているか、何度も痛感しています。
しかし、(染色体がXXで子宮も卵巣も正常に発育している「男性」がいることも理解していますし、そのような知人もいますが)「男性」と呼ぶか「女性」と呼ぶかは別にして、子宮や卵巣があれば病気や辛い症状に苛まれる機会が増えることは間違いありません。
子宮内膜症、子宮筋腫、子宮腺筋症の3つの疾患の特徴を簡単にまとめてみましょう。まず、3種とも症状は似ています。月経痛、月経過多、腹部膨満、嘔気、頭痛などです。経腟超音波を実施すれば診断をつけられますが、ときに困難なこともあります。どうしても診断をつけたい場合はMRIを撮影します。ただし、経腟超音波は決して気持ちのいいものではありませんし、MRIは費用が高くつきます。そこで、谷口医院では、まず腹部超音波検査を実施することもあります。経腟超音波に比べると精度は下がりますが、典型的な子宮筋腫ならすぐに分かります。
治療はいずれの場合も重症化すれば手術です。教科書的にはGnRHアゴニストと呼ばれるエストロゲンの分泌を低下させるような治療も有効で、実際に受けてもらうこともあるのですが、更年期障害のような症状がでたり、いわゆる「女性らしさ」が失われていくこともあって、谷口医院ではあまり人気がありません(尚、「女性らしさ」という表現はほとんど死語ですし、フェミニズムの視点からは許されない言葉であるのは承知しているのですが、例えば「エストロゲン起因の雰囲気」などと言えば、分かりにくい上に、かえって偏見に満ちたニュアンスを含むような気がしますので、ここでは「女性らしさ」とします)。
これら3種の疾患の治療として谷口医院で最もよく使うのがLEP(Low dose Estrogen Progestin)と呼ばれるいわば「保険適用のピル」です。正確にはLEPは内膜症のみに適用があり、筋腫や腺筋症は保険適用外となりますが、月経痛や月経過多などの「月経困難症」があれば保険適用となります。LEPを投与しても筋腫や腺筋症自体が小さくなるわけではありませんが、月経に伴う不快感が大きく改善することが多く、患者さんの満足度は高いと言えます。尚、LEPという表現はおそらく日本だけのもので、英語ネイティブの外国人にもまず通じません。
ただし、LEPを使っても症状が変わらない場合や、出血量がかえって増加する場合もあります。その場合は、エストロゲンを含まない黄体ホルモン単独の薬剤を使います。エストロゲンが供給されないことになり、やはり「女性らしさ」が低下することもあるので、そのあたりは個別に検討しますが、谷口医院の例でいえば「手術はイヤだし、これで症状が取れるから続けたい」という人も少なくありません。
重症化すると手術を検討することになります。例えば、筋腫があまりにも大きくなりすぎて腸管を圧迫し便秘が起こったり、膀胱を圧迫して頻尿になったりしている場合は、一度は手術を考えます。また、LEPや黄体ホルモンを使っても出血が減らない場合はやはり手術を検討します。これら3種の疾患は悪性疾患ではありませんから、できるだけ手術は避けたいという人も少なくないのですが、やはりこの時点までくれば手術が選択肢となります。そして、総合診療医の”役割”はここまでです。
「手術を検討した方がいいかも」と思える事例には紹介状を渡して大きな病院の婦人科を受診してもらいます。そこで手術が決まることもあれば、「見合わせましょう」とされることもあります。なかには患者さんが手術を嫌がって戻って来て、そこで別の病院を受診してもらうと「手術しなくてもいい」と言われたり、あるいはその逆に、1つ目の病院で「手術不要」と言われ、2つ目を紹介して手術に至ることもあります。そのあたりは手術をおこなう婦人科医によって考えが変わるのでしょう。
谷口医院を開院して、さらに開院までに複数の病院での婦人科研修の経験も踏まえて、現時点で思うのは「子宮・卵巣の有無でヒトの身体は大きく異なる」ということです。フェミニストからはお叱りを受けるでしょうが、「子宮・卵巣の有無の違い」はヒトの身体症状や精神症状に大きな影響を与えます。有る・無いでどちらがいいとかよくないとかそういう話ではないのですが、子宮・卵巣の有無の違いを理解しないことには、少なくとも医療行為はできません。
日本ではあまり話題になりませんでしたが、「月経のある人(people who menstruate)」という表現に対し、『ハリーポッター』の作者J・K・ローリング氏が異論を述べてこれが大きな論争になり、私はコラム(「トランス女性を巡る複雑な事情~後編~」)を書いたことがあります。このなかで私はローリング氏を擁護するようなニュアンスのコメントをしていますが、医師としてその人を診るときには、性自認や性指向よりもむしろ「月経の有無」や「子宮・卵巣の有無」をまずは前提としています。
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2025年11月9日 日曜日
2025年11月 私が安楽死に反対するようになった理由(後編)
前回は、「私自身は安楽死に賛成の立場であるものの、それは周囲の誰からもその選択を受け入れられた場合に限る」という考えを述べました。例えば、家族やパートナーが「死なないでほしい」と言っている状況での安楽死は認められない、というのが私の考えです。医師になるまでは、人には「自殺する自由」があると固く信じ、たとえ誰に反対されようが個には自殺する”権利”があるのだ、とまで思っていました。
ところが、医師になってから「大切な人が自殺した」という話を患者さんから繰り返し聞くようになり、残された者の悲しみは決して癒されないことを知るようになりました。また、私自身のプライベートでも、自殺、あるいは自殺に近い死に方をした友人知人がひとりふたりと増えていきました。
前回も述べたように、大切な人が他界すれば、その死因が長年患っていた病気であっても、突然の事故であっても、そして自殺であっても、その辛さや悲しみは容易に言葉では表せず、まさに筆舌に尽くしがたいものです。どの「死なれ方」が最も辛いか、といった議論には意味がありません。「自殺しないでほしい」あるいは「安楽死しないでほしい」と考える人があなたの周りに「たったひとり」でもいるのなら、あなたは自殺してはいけないのではないかと考えるようになったのです。
しかし、ここで非常に難解な「命題」が生まれます。そもそも自殺、あるいは安楽死を考えている人は、すでに人生に絶望しているわけです。もはやこの人生に希望がもてないがゆえに自殺や安楽死を考えるようになったのです。彼(女)らのそばにいるあなたが「死なないで」と言うのなら、彼(女)らからその絶望を取り除き、希望を与えなければならない、ということにならないでしょうか。
もっとプラクティカルな話をしましょう。自殺を考える人の多く(または安楽死を考える人のいくらか)は貧困な状態にあることが予想されます。「もうやっていける見込みがないから……」と彼(女)らに言われたとして、あなたは「じゃああたしがあなたの面倒をみるね」と常に言えるわけではないでしょう。そして、「あんたなあ、『自殺(安楽死)はいけない』なんてことを言うけど、もうカネもないし生きていかれへんねや。あんたが食わしてくれるんやったら別やけど、あんたにもオレの面倒みられへんやろ」と言われればどのように返答すればいいのでしょうか。
私はこの「問題」を長年考えてきました。私ならどのようにするかはその相手とその状況によります。これまでの経験を述べれば、ダイレクトにお金を渡したこともありますし、一緒に仕事を探したこともあります。カウンセリングや精神科受診を勧めたこともあります。ですが、差し出すお金がなく、仕事を探せるような状態ではなく(例えば、身体的に、あるいは精神的に行き詰っていて)、カウンセリングや精神科はすでに試みたけれどまるで役に立たなかったときにはどうすればいいのでしょう。私のこれまでの経験では、実際にはなんとかなったことがほとんどですが、この問題を突き詰めて考えるとどうしても壁にぶちあたります。
しかし、あるときこの「問題」に対する「答え」がふとみつかりました。これまで私は長年、冒頭で述べたように、「人間には自殺する権利がある」と信じていたのですが、実は「人間には自殺する権利がない」ことに気付いたのです。権利なんて人間が社会で生み出した単なるルールに過ぎず絶対的な真実ではありませんが、「人間には自殺する権利がない」を絶対的なものではなく、「この社会での掟」とみなせば腑に落ちるようになったのです。なぜ、私の考えは180度変わったのか。説明しましょう。
「人間には自殺する権利がない」が腑に落ちるようになったのは、私にはある「前提」があったからです。その「前提」に気付いたのはいつだったか覚えていないのですが、それはコロンブスの卵のような、「なんでそんなことに今まで気づかなかったのだろう」というようなものです。それは「人間には生まれない自由はない」という真実です。これは「絶対に正しい真実」と呼んでもいいのではないかと今では考えています。
過去のコラム「「人は必ず死ぬ」以外の真実はあるか」で、私は「絶対に正しい真実」は「人は必ず死ぬ」「地球は必ず滅びる」の2つしかないことを指摘しました。今は3つ目として「人間には生まれない自由はない」を入れてもいいだろうと考えています。実際、これを科学的に、あるいは論理的に反論することはできないのではないでしょうか。
話を進めましょう。「人間には生まれない自由はない」のなら、「自殺する自由もない」とは言えないでしょうか。あなたには生まれてこないという選択肢はありませんでした。たとえ生まれてこない方がよかったのだとしても、強制的に生まれさせられたのです。そして今も生きているということは、母親であったり、父親であったり、あなたが捨てられているところをたまたまみつけた人であったり、あるいは赤ちゃんポストを覗きにいったその日の当番であったり、があなたを生かそうと考えていろいろとケアをしたからこそ今あなたは生きているわけです。つまりあなたは自分の意思とは関係なく生かされてしまったのです。
人間には自由を求める権利があり、そして自由とは絶対的に正しいものだ、とついつい我々は考えてしまいがちです。ですが、実はあなたが成長したのはあなたに自由があったからではなく、強制的に生かされたからこそ今のあなたが存在しているのです。ならば、あなたは自らの意思で他人の反対を押し切って自殺してもいいのでしょうか。あるいは安楽死する自由があるのでしょうか。
「ゾーン・ポリティコン」はアリストテレスが提唱した人間の概念のことを指します。アリストテレスが本当は何を言ったかを知るには原書にあたるのが一番ですが、残念ながら私には古代ギリシャ語が読めません。よって、他者が書いたものを解読していくしかなく、その識者の恣意性が多少なりとも入ることは避けられないでしょうから、アリストテレス自身がどのように考えたのかは正確には分かりませんが、人間はポリス的な生き物、つまり他者との関わりのなかでしか生きていけない、ということかと私は解釈しています。「誰もひとりでは生きていけない」といったフレーズはしばしば流行歌などで使われますが、本当の意味において「ひとりでは生きていけない」は生まれてから数年の間です。
あなたにとって、あなたをケアしてきた人たちはあなたにとっては余計なお世話だったのだとしても、現にあなたが今も生きているということはいわば「借り」があるわけです。だから社会貢献して借りを返しましょう、などと言うつもりはありません。ですが、あなたを死なせてはいけないと考えてケアした人たちが存在した以上、つまりこの社会で生かされた以上、世界中のすべての人から全員一致で「死んでもいいよ」と言われない限りは、つまり「あなたに死んでほしくない」と思う人が「たったひとり」でもいるのなら、あなたには死ぬ権利はないと思うのです。
では、その「たったひとり」がいない場合はどうでしょう。家族もパートナーも友人もいない、どころか、あなたの顔と名前を知っている人がひとりもいないとしましょう。さらに、あなたにはペットもおらず、エサをあげる動物や鳥も存在しないと仮定しましょう。
もしもこのような人が谷口医院を受診して「病気は治してくれなくてもいいんです。〇〇国に連れていって安楽死させてください」と言われれば私はどうすればいいのでしょうか。実は、似たようなことをある患者さんから言われたことがあります。そのとき私は直接的な言葉は避けたものの「いずれ安楽死ができる国ができれば考えましょうか」と返答しました(前回述べたように、カナダやオランダなど大きな病気がなくても安楽死できる国は日本人は対象外で、スイスなら日本人も可能ですが不治の病に罹患している必要があります)。
その後、この患者さんと共に〇〇国に渡航するシーンを繰り返しイメージしました。すでに数回の診察でこの患者さんのこれまでの過去の話はある程度聞いています。〇〇国がどこに位置しているのかにもよりますが、機内では横に座るでしょうからそのときに数時間かけて話をすることになり、それだけ時間があれば話はいろんなところに及び、その人の人生について深く知ることになるでしょう。生まれて初めての記憶、最後に笑ったのはいつだったのか、人生最大のドラマはいつ起こったのか、などにも話が広がり、話題が尽きないような気がします。
そして私は気付きました。私自身がその人に対する「たったひとり」となることに。
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