2019年5月30日 木曜日

2019年5月30日 HTLV-1感染増加は九州だけでないと考えるべき

 九州の若年者でHTLV-1感染者が増加していることが各メディアで報じられました。ただ、厚労省の発表とメディアの報道を比較して読んでみると、メディアの報道では誤解が生じるように思えるので、少し詳しく解説してみたいと思います。

 まず各メディアは「九州の男性で増加」と強調しています。これは、今回発表されたのが九州のデータだからであり、全国調査の結果が発表されたわけではありません。ですから、九州以外の地域でも増加している可能性は充分にあります(後述するようにおそらく確実です)。

 次に、男性だけで増加しているわけでもありません。たしかに厚労省の発表にも「AYA世代男性での感染者増加」と書かれているのですが、公表されたグラフをよくみると、「生年階層別HTLV-1陽性率」(11ページ)で90年代後半に生まれた女性(つまり現在20代前半の女性)の陽性率が上昇(急増)しています。

 ここで基本的事項をおさらいしておきましょう。

 HTLV-1の感染ルートは、母子感染、血液感染、性感染で、ちょうどHIVと同じです。ウイルス学的にもHIVとHTLV-1はよく似ていて、どちらも「レトロウイルス」に相当します。HIVというウイルスがまだ解明されていなかった頃にはHIVがHTLV-3と呼ばれていたことからもそれは分かります。

 HTLV-1の感染者数はHIVと異なり、90年代以降は下降傾向にありました。これは母子感染予防が実施されたからです。日本には現在も100万人以上の陽性者がいるとされていますが、今後も減少していくであろうと見る医療者の方が多いと思います。 

 ただし現実はもう少し複雑です。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」という調査がおこなわれ、医学誌『The Lancet Infectious Disease』2016年8月23日号(オンライン版)で報告されています。この研究が(少なくとも私にとっては)ものすごく興味深いのは「水平感染」を調べていることです。つまり、単に「現在HTLV-1陽性の日本人は〇人」としたものではないのです。

 水平感染というのは母子感染以外の感染、すなわち血液感染と性感染のことを指します。日本ではHIV感染が血液感染であることは非常に稀でほとんどは性感染ですから、HTLV-1も血液感染よりも性感染の方がずっと多いことが予想されます。そして、これまではHTLV-1が性感染でどれだけ感染しているのかがよくわかっていませんでした。

 少し遠回りになりますが教科書をみてみましょう。世界共通の医学の教科書『UpToDate』によると、異性愛者において「男性→女性」は「女性→男性」よりも感染しやすいとされています(100人・年当たり4.9対1.2)。また、例えば日本のセックスワーカーがどの程度陽性かというデータはないのですが、同書によれば、ザイールとペルーでは3.2〜21.8%の範囲で陽性とされています。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」は、日赤の献血のデータベースを基におこなわれています。2005年1月1日から2006年12月31日までの期間で、16〜69歳の繰り返し献血をおこなった人のどの程度が新たにHTLV-1に感染したかが調べられたのです。その結果、追跡期間中(中央値4.5年)のあいだに、男性204人、女性328人の合計532人が感染していました。この数字から全国でどれくらいの人数が一年間の間にHTLV-1に新たに感染しているかを算出すると、男性975人、女性3,215人の合計4,190人となりました。ただし、1年間に新たにHTLV-1に感染する男性のストレートとゲイの割合を知る術はありません。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」では、もうひとつ興味深いことがわかりました。それは感染者の居住地です。元々HTLV-1は九州(沖縄含む)に多いとされていたのですが、この調査では、女性は九州地方で最も多いのに対し、男性では20代と40-50代で九州よりも近畿地方などに多いことがわかったのです(このデータは先述した厚労省の発表に紹介されています)。

 今回の発表の本質について述べます。「第2次HTLV-1水平感染疫学調査」というのが九州地方でおこなわれ、これが冒頭で述べたようにメディアで報道されています。この調査は2010~2016年におこなわれ、追跡期間中に九州地方でHTLV-1に感染したのは男性124人、女性105人の合計229人です。この数値を第1次HTLV-1水平感染疫学調査と比較すると、男性の新規感染者は大幅に伸び、女性には顕著な変化を認めません。

 まとめていきましょう。

 1つめの重要な点は、「第2次HTLV-1水平感染疫学調査」は九州でのみおこなわれたものであり、全国の状況を反映していません。すでに「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」の時点で、男性は九州よりも他地域で感染者が増えていたわけですから、現在も九州よりも他地域で増加していることが予想されます。

 2つめの重要な点は、先述したように現在20代前半の女性感染者が増えていることです。ただし、この傾向が九州だけでなく全国的に認められるのかどうかは分かりません。

 3つめは男性に増えている「理由」です。発表では「AYA世代男性での感染者増加」とされていますが、この理由は解明されていません。大部分が性感染であることはほぼ間違いないと思いますが、感染者がストレートかゲイかは分かりません。ですが、若い女性の感染者が増えていることを考えると、ストレートの男性感染者も少なくなく、さらにその男性から女性に感染が広がっていると考えるべきではないかと思われます。

 現在HTLV-1はすべての自治体で無料検査ができるわけではなく、HIV抗体検査をやっていてもHTLV-1は実施していない地域が大多数です。HTLV-1もHIVと同様、一度感染すると生涯体内に残ります。そして、HTLV-1がHIVよりもやっかいなのは、感染しても初期症状は起こらずに、その後も何の自覚もないままに何年、何十年と経過することです。無自覚・無症状のまま生涯を過ごせることも多く、ここだけを取り出すといいことのように思えなくもありませんが、これは裏を返せば「自覚のないまま他人に感染させる可能性がある」ということに他なりません。

参考:
はやりの病気
第47回(2007年7月)「誤解だらけのHTLV-1感染症(前編)」
第48回(2007年8月)「誤解だらけのHTLV-1感染症(後編)」
医療ニュース
2009年6月29日「HTLV-1が大都市で増加」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2019年5月30日 木曜日

2019年5月30日 女性の「マイスリー」は危険でない?

 大切なことなのと”悪口”ではないためにあえて商品名を書きます。

 別のところにも書きましたが、以前ある患者さんから次の言葉を聞いて愕然としたことがあります。

「一番弱いと聞いたマイスリーをください。深夜便の飛行機に乗るんです・・・」

 このサイトで繰り返し伝えているように睡眠薬(の大半)は一般の人が思っているよりもはるかに危険です。過去には、マイスリーを飲んで意識がないままわが子を殺めた女性の話や、入院中のお婆さんをレイプした男性の話なども紹介しました。

 今回紹介するのは医学誌『Journal of Clinical Psychopharmacology』2019年5月6月号(オンライン版)に掲載された「ゾルピデム(マイスリーの一般名)と性~女性は本当にリスクが高いのか~」(Zolpidem and Gender Are Women Really At Risk?) というタイトルの論文で、マイスリーを「擁護」しています。

 この論文が作成されるきっかけは2013年にFDA(米国食品医薬品局)が公表したマイスリーの警告です。FDAは、女性は男性に比べて翌日にマイスリーが血中に残りやすいことを指摘し、2013年1月10日、投与量を男性の50%まで減量するよう警告書を発表しました。

 今回紹介する論文はそのFDAの見解に疑問を投げかけています。男性と同様の量を内服した場合、翌日の血中濃度が女性の方が高くなることは認めているのですが、路上走行試験では運転障害に男女差が確認されていないことを挙げ、その他の性差も臨床的に認められていないことを主張しています。

 さらに、女性への投与量を減らすことによって不眠の治療が不充分となり、それがかえって危険なのではないかと結論付けています。

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 日本と同様、マイスリーは米国でもよく処方される睡眠薬で、少し古いデータですが、2011年には約6千万錠が処方され、これは2006年から20%増加しています。

 重要なのは男女差を追求するのではなく、性に関係なくこのような睡眠薬を使わなくてもいい状態に持って行くことで、これこそが「真の治療」です。もちろん、将来的に止めなければならないのはマイスリーだけではありません。冒頭で紹介した患者さんが言うように、マイスリーよりも”強い”睡眠薬は多数あり、私の経験で言えば多くの人がその危険性をきちんと認識していません。よって、当院では「どうやって睡眠薬を減らしていくか」という観点で過去13年間治療をおこなっています。

参考:
はやりの病気第164回(2017年4月)「本当に危険なベンゾジアゼピン依存症」
はやりの病気第151回(2016年3月)「認知症のリスクになると言われる3種の薬」
メディカルエッセイ第165回(2016年10月)「セルフ・メディケーションのすすめ~ベンゾジアゼピン系をやめる~」
はやりの病気第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2019年5月22日 水曜日

第189回(2019年5月) 麻薬中毒者が急増する!

 ここ数年、私はことあるごとに「日本で麻薬中毒患者が急増する」と言い続けています。今のところ、私に賛同してくれる人は(医療者も含めて)ほとんどいませんし、私自身も自分の予想が外れてほしいと思っていますが、年々不安の程度が強くなってきています。

 まずは症例を紹介しましょう。初診の患者さんと私の会話で、最近こういう展開になることが増えてきています(似たような症例が多数あります)。

医師(私):他の医療機関でかかっていますか?
患者さん:はい。腰痛(首の痛み、膝の痛み、関節痛、頭痛なども)で近所のクリニック(病院)にかかっています。
医師(私):そちらで処方されている薬はありますか?
患者さん:あります。トラマール(ワントラム/トラムセット)です。
医師(私):どれくらい長いこと飲んでいるのですか?
患者さん:もうすぐ半年になります。
医師(私):そんなに長いこと飲んでもいいと言われているんですか?
患者さん:はい。特に期間についての説明は受けていません。
医師(私):副作用やその他注意点については何か聞いていますか。
患者さん:「よく効く薬だ」とは効いていますが、特に注意することは聞いていなかったと思います。

 トラマール・ワントラム・トラムセットという商品名の鎮痛薬はオピオイド系の麻薬であり、ヘロインやモルヒネと同じようなものです。副作用のみならず、依存性があることはしっかりと理解しなければならないのですが、その説明をきちんと聞かれていない患者さんが非常に多いのです。

 先に誤解を避けるために言っておくと、私は麻薬の鎮痛薬を全否定しているわけではありません。がんの末期にはなくてはならない薬剤であり、私自身も在宅医療の研修を受けているときには麻薬の高い効果を実感し、適切に使えば副作用や依存性を恐れる必要がないことがよく分かりました。しかし、末期がんの患者さんはそう遠くない時期に亡くなられます。

 一方、「症例」の患者さんのように腰痛や関節痛、頭痛の患者さんはそういうわけではなく、最近は20代の患者さんが飲んでいることも珍しくなくなってきました。こういう若い患者さんたちはいつまでこれらを飲み続けるのでしょう。

 ここで添付文書を見てみましょう。これら3つの薬(トラマールワントラムトラムセット)の添付文書をみると、ほとんど一字一句違いなく次の文言が記載されています。順番にみていきましょう。

連用により薬物依存を生じることがあるので、観察を十分に行い、慎重に投与すること。

長期使用時に、耐性、精神的依存及び身体的依存が生じることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には本剤の投与を中止すること。

 驚くべきことに、最も重要なこの「依存性」について、きちんと説明を受けてから処方されたという患者さんを私はほとんど知りません。添付文書を続けます。

薬物乱用又は薬物依存傾向のある患者では、厳重な医師の管理下に、短期間に限って投与すること。

 「薬物依存傾向のある患者」はどうやって判断するのでしょう。例えば喫煙者はこれに該当するのでしょうか。私の知る限りで言うと、喫煙がやめられないと言いながらこれら麻薬を内服し続けている患者さんは少なくありません。

 では「長期使用時」の「長期」とはどれくらいを指すのでしょうか。添付文書には次のように書かれています。

慢性疼痛患者において、本剤投与開始後4週間を経過してもなお期待する効果が得られない場合は、他の適切な治療への変更を検討すること。また、定期的に症状及び効果を確認し、投与の継続の必要性について検討すること。

 ようするに、4週間で効果判定をおこない、効果がある場合も「定期的に必要性について検討すること」を添付文書は命じているわけです。これにより、依存性が生じて問題が起こった時、製薬会社としては「そういうことがあるかもしれないから、ちゃんと添付文書で注意してるでしょ。我々の責任じゃないですよ」という「言い訳」ができます。ただ、ここで私が言いたいのは、製薬会社が医師に責任を押し付けているということではなく、処方が必要ならこの点を処方前に患者さんに理解してもらう義務が医師にあるということです(注2)。

 では麻薬依存になってしまうとどうなるのでしょうか。麻薬には「耐性」があります。つまり、次第に多くの量が必要になってくるのです。その結果何が起こるか。実は10年ほど前から米国ではこういった医薬品としての麻薬の消費量が急激に増え、そして実際に様々な問題が生じています。それも国を挙げて取り組まなければならないような大きな問題です。「犯罪」「静脈注射」「HIV感染」「C型肝炎」「平均寿命の低下」などです。

 「犯罪」とは麻薬の違法入手です。日本でも米国でも薬の処方量には制限があり、希望しただけの量を処方してもらえるわけではありません。そこで闇ルートで入手することを考える患者さんが出てくるのです。そして麻薬は内服よりも静脈注射の方が強い効果が得られます。麻薬の入手は違法ですが、針もそう簡単には手に入りません。すると、針の使いまわしが始まります。これによりHIV感染やC型肝炎ウイルスへの感染が起こるのです。そして命が失われていきます。

 CDC(米国疾病管理局)の報告によれば、2017年の一年間で薬物の過剰摂取で死亡した米国人は72,000人以上で、2016年から10%も上昇しています。そのうち68%(約48,000人)はオピオイドが原因です。2002年から比較するとオピオイドによる死亡者はおよそ4倍にもなっています。米国の平均寿命は3年連続で減少しており、その原因がオピオイドであることが指摘されています(注1)。

 現在「薬物」の世界的な流れは”合法化”です。ウルグアイに続き、カナダで大麻が合法化されたことが昨年話題になりましたし、ついに日本でも大麻解禁か、という声も一部には出てきています。一部の疾患に向けて開発された医療大麻は日本でも異例の速さで事実上使用可能になりつつあります。

 元号が変わったばかりで浮かれている日本では(私の知る限り)どこのメディアも報じていませんが、2019年5月8日、米国デンバーではなんとマジックマッシュルームが合法化されることが決まりました。Reuterは前日まで住民投票の結果は反対派が勝利すると報道していましたから私はこの結果に心底驚きました。もはや米国の薬物合法化の動きを止めることはできないようです。

 日本の未来がどうなるかは我々ひとりひとりが考えなければなりません。ちなみに、私自身は慢性疼痛(末期がんを除く)で困っている患者さんに麻薬を処方することはありません。一方で、他院でこれまで麻薬を処方してもらっていたが中止したい(依存を断ち切りたい)という患者さんに協力することはしばしばあります。ですが、減薬がむつかしいのも麻薬のやっかいな点です。添付文書には次のように記載されています。

本剤の中止又は減量時において、激越、不安、神経過敏、不眠症、運動過多、振戦、胃腸症状、パニック発作、幻覚、錯感覚、耳鳴等の退薬症候が生じることがあるので、適切な処置を行うこと。

 「適切な処置を行うこと」で済ませないでほしい!というのがこの文章を初めて読んだときに私が感じたことです。麻薬を断ち切ることを決意したものの、この添付文書にあるようなパニック発作や幻覚で苦しんだ人を診てきた私の経験から言えば、薬を売ったり処方したりする前に危険性を充分に周知させるべきなのです。

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注1:詳しくはNPO法人GINAウェブサイト「GINAと共に」(第151回(2019年1月)本当に危険な麻薬(オピオイド))を参照ください。

注2:本文で述べたようにこれら麻薬の添付文書には「4週間で効果判定」としていますが、医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載された論文「Prevention of Opioid Overdose」によれば、使用歴のない人が高用量の麻薬を摂取するとわずか5日で依存症になります。

参考:医療ニュース2019年1月31日「慢性の痛みへのオピオイドの効果はわずか」

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2019年5月16日 木曜日

2019年5月 「教科書を読めない人」はそんなに多いのか

 前回のマンスリーレポートでお伝えしたように、2019年1月31日をもって太融寺町谷口医院のスマホサイトを閉鎖したところ、その影響は予想以上に大きいものとなりました。スマホサイト閉鎖で変わったこととして次のようなものが挙げられます。

#1 「なんで閉鎖したんですか」という意見(クレーム?)が予想以上に多く寄せられた。

#2 スマホサイトからの「メール問い合わせ」がなくなったことにより、相談メールが激減(半分から3分の1に)した。

#3 新患患者数も同様に大きく減少した。当然のことながら、スマホサイト閉鎖以降の初診の患者さんは、谷口医院に通院している人の家族か知り合い、またはPCサイトを初めから読んでくれている人がほとんどとなった。

 これらで意外だったのは#1です。なかには「私の会社で前のよりももっときれいなのを作りますよ」と言ってくれたウェブ作成会社に勤めている人や、「知り合いのウェブデザイナーにお願いしますよ」と申し出てくれる人もいました。もちろん、単に「自分はPCを見ないんでスマホサイトを復活させてください」という人もいました。当初我々は「スマホでPCサイトを見ればそれでいいのでは?」と考えていたのですが、谷口医院のPCサイト(このサイト)は古いタイプの形式のようで、(何でも率直に物を言ってくれる)ある患者さんに言わせれば「読みにくい。どうしても知りたい情報がある人はそれでも読むだろうけど、気軽に情報収集したい人からは避けられる」そうです。

 この意見に対し「谷口医院のPCサイトは読みたい人だけ読めばいい」と言ってしまうのは「上からの目線」だと思います。3ヶ月ほどかけて私の友人知人に”リサーチ”をしてみました。その結果、大半の人は「いまどき旧式のPCサイトだけなんて、時代遅れも甚だしい」という意見で、逆に「PCサイトだけでもいい」と答えた人はゼロでした。

 どうやら私の「ITリテラシー」は相当遅れているようです。私自身もスマホは持ち歩いていますが、例えば国内外のニュースや医療情報などをスマホで調べた経験はほとんどなく、こういった情報は、移動中にはiPAD、自宅か職場にいるときはPCを使っています。ちなみに、私はツイッターやフェイスブックなどのSNSもほとんど利用した経験がありません。

 SNSやスマホが今ほど普及していなかった頃、おそらく2010年代前半頃までは、全員ではないにせよ多くの人がPCを見ていたのではないでしょうか。スマホが急速に使いやすくなったことで、大半の人が「PCはなくてもやっていける」ことに気付いたのではないかと思うのです。我々のように物を書く機会の多い職業に従事していればPCなしの生活は考えられませんが、一般企業勤務のホワイトカラーの人たちでも「報告書は自宅で書く」という人を除けば(最近はこういうことも禁じられていると聞きます)、スマホだけで事足りるのかもしれません。意外だったのは、ある企業のCEOでかつては会社のPCサイトにブログを書いていた人までもが「今はスマホしか見ない」と言っていたことでした。

 私の知人へのリサーチを通してもうひとつ学んだことがあります。それは、「文章を読めない人が増えていることがPC離れを加速させている」ということです。最初にこの話を聞いたときに「この人は何を言っているの?」と思ったのですが、ある会社で人事をしている人に聞くと、入職時の試験で小論文を書かせると、学歴は高いのにほとんど文章が書けない若者が少なくなく、さらに新聞を読めない者も増えているというのです。

 そんなとき、ある書評で高評価を得ていた数学者新井紀子氏の『AI vs.教科書が読めない子どもたち』を読んでみました。この本には興味深いことがいくつも書かれているのですが、特に衝撃的なのは「多くの中高生たちが教科書を理解できない」ことを証明していることです。ここでいう「教科書の理解」というのは国語の難問である「作者はどのようなことが言いたかったのか」が解けるかという意味ではなく、単に各教科の教科書に書かれている平易な記述を理解できない子供たちが多いということです。著書には理解度を問う設問の例が挙げられています。素直に日本語を読めば分かるだろうという設問に、中学生の4割、高校生(しかも対象は進学率が100%の高校)の3割が正解できていないのです。ちなみにこの問題は作者らが開発した試験問題を解くロボット「東ロボくん」は正解しています。著者の新井氏は「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」と断言されています。

 さて、教科書レベルの日本語が読めないのは中高生だけでしょうか。同書では大学生や社会人でさえも簡単な日本語が理解できていないことを独自の調査で明らかにしています。本当に教科書が読めない中学生が増えているならこれは当然のことで、日本の中学生がある時突然読めなくなったわけではないでしょう。おそらく少しずつ日本人の読解力(中学の教科書を読むレベルの読解力)が低下してきているのでしょう。

 だとすると、教科書を読めない人は自分の健康のことで困ったことがあったとしても、わざわざ文字数が多く読みにくいPCサイトを探さないことが予想できます。前回のコラムで、スマホサイトを見ての電話問い合わせで苦労するエピソードを紹介しましたが、おそらく「長い文章は読みたくない。文字が必要ならSNSでやり取りされる程度の簡単なものがいい」と考えている人は少なくないのでしょう。

 興味深いことに、太融寺町谷口医院にはその正反対というか、例えば大量の論文のコピーを持参するような患者さんもいます。彼(女)らは日本語のみならず英語で難度の高い文章をインターネットで入手して読みこなしているのです。「格差社会」という言葉はすっかり人口に膾炙していますが、たいていは収入や資産のことを指しています。ですが、この「文章を読む力」の格差も相当大きく、もしかすると収入や資産以上に広がっているかもしれません。

 ただ、私自身はそういう社会を必ずしも是正しなければならないとは考えていません。「いろんな人がいる」のが社会です。収入や資産の格差社会がいいとは言いませんが、海外に比べると日本の格差などたかがしれています。読解力にしても格差が少ないのが理想かもしれませんが、よく考えてみると日本人の識字率はほぼ100%であり、世界的にみれば最優秀のレベルです。私がタイでボランティアをしていたとき、母国語のタイ語がほとんど読めない患者さんもそれなりにいましたし、小学校にすら行かせてもらっていない子供たちも珍しくありませんでした。新井紀子氏がされている日本人の読解力を向上させる活動に私は賛同しますが、同時に「文章が読めない人もいての社会」を受け入れるべきだとも考えています。

 ロヒンギャ難民が深刻な状態にあることを毎日新聞「医療プレミア」で紹介しました(「少数民族ロヒンギャの命を奪うジフテリア」)。そのコラムでは難民を受け入れない日本を非難し、ロヒンギャからの難民は館林市にしかいないことを指摘しましたが、最近神戸にもやってくるようになりました。彼(女)らを支援している人に話を聞くと「無文字社会のロヒンギャとどうやってコミュニケーションをすればいいかが問題」とのことでした。

 結論を述べます。前回も述べたように、そもそも私が「病院勤務ではなく自分でクリニックを立ち上げなければ」と考えたのは、他の医療機関でイヤな思いをした人や、どこに相談していいか分からないと考えている人たちの力になりたかったからであり、そういう人のなかには「効率よく情報収集できない人」、つまり「スマホは見るがPCはほとんど見ない人」も少なくないでしょう。それから、これも過去に述べたように(「身体の底から湧き出てくる抑えがたい感情」)医療機関を受診できないと考えている外国人がますます増えています。彼(女)らは短期から長期の旅行者が多く、情報収集はPCでなくスマホでおこないます。

 ならばスマホサイトを持つべきなのではないか。結局、そのような考えにたどり着きました。現在、スマホサイト復活の準備を開始し、さらにもっと見やすくて誰もが気軽にメール相談しやすいような工夫を検討しているところです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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